池田七三郎

生年 嘉永2年11月13日
出身地 上総山辺郡田間村
役職 局長附人数、隊長附
略歴 本名稗田利八。
商人稗田佐五七の3男として生まれる。慶應元年に江戸へ出て、飯田町の天野静一郎道場で一刀流剣術を学び、旗本永見貞之丞の家来となった。

毛内監物を慕って慶應3年6月以降に入隊する。翌年1月の鳥羽伏見の戦いで負傷し、江戸帰還後の3月の甲州戦争に参加した際にも銃創を負った。

久米部正親を隊長格とした負傷者のグループに加わって会津へ先発し、6月に猪苗代湖南の三代で作成された名簿には「隊長附」とされている。
8月の母成峠の戦いの後に斎藤一らとともに会津に残留。9月に如来堂守備中に襲撃され戦死したとされるが、久米部らとともに脱出に成功。10月に銚子警備中の高崎藩兵に降伏。
事件 鳥羽伏見の戦い、甲州戦争。
最期 昭和13年1月16日、90歳で死亡。最後まで生き延びた
新撰組隊士です。
墓所 真浄寺
一言メモ 稗田利八は顔面を、銃弾が貫通するほどの傷を負っても戦う意志を無くさなかったまさに「武士」です。鳥羽伏見〜の稗田の年齢ってすっげぇ若いんですよ。本当にすごいな!と思います。

真浄寺・・・東京都港区麻布台2−3−18

池田の墓碑は
向かって右。
墓碑前の門柱石。

「新選組池田七三郎事
稗田利八之墓」と
彫られている。
真浄寺入り口。

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