生年 | 文政12年 |
出身地 | 播州姫路(と思ってたけど、加賀というのもある) |
役職 | 副長助勤 |
略歴 | 神道無念流を使った。 芹沢一派であるが、いつごろから親交があったのかは不明。文久3年に浪士組に加わり上洛。 浪士組本隊の江戸帰還が決定すると、3月10日に、近藤一派とともに残留を希望し、12日に会津藩かりの浪士組の一員になる。15日には会津藩邸を訪れ、22日の嘆願書に、連名した。 |
事件 | 大坂力士乱闘事件、八月十八日の政変 |
最期 | 文久3年9月18日、八木邸で暗殺される。享年35歳。 |
墓所 | 壬生寺 |
一言メモ | 花火の暴発によって左目を失明していたとのエピソードが伝わります。 |
壬生寺・・・京都市中京区仏光寺通入 |
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壬生寺の 平山五郎の墓碑。 |
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