服部武雄

生年 天保3年
出身地 播州赤穂
役職 諸士調役兼監察
略歴 三郎兵衛。源良章。

元治元年12月の編成で尾形俊太郎の五番組に所属しており、元治元年12月までの京坂での隊士募集に応募したものと考えられるが、江戸での募集に「中西小六」の変名で応じた可能性もあり、入隊場所は判然としない。慶應3年3月に御陵衛士として分離した伊東甲子太郎に同行する。
事件 三条制札事件、油小路の変
最期 慶應3年11月18日、伊東が油小路で殺害されると、同志と現場に急行。待ち伏せていた新撰組との戦闘で斬殺される。
墓所 戒光寺(光縁寺に埋葬され、後に改葬)
一言メモ 剣の腕は京洛随一とも言われ、油小路七条の変では二刀流を使い獅子奮迅の働きでありましたが、原田左之助の長槍に刺されたそうです。

戒光寺・・・京都市東山区泉涌山内町29

服部武雄の墓碑。

右上に
「播州赤穂之人」と
刻まれています。
戒光寺墓地の
御陵衛士の墓所。