阿比留鋭三郎

生年 天保13年
出身地 対馬
役職 なし(副長助勤との史料もある)
略歴 江戸で北辰一刀流を玄武館道場で学ぶ。

文久3年、浪士組に加わって上洛するが、浪士組本隊の帰還が決定すると、3月10日には芹沢、近藤らと同調し、京都残留を希望し、12日には会津藩お預の浪士組の一員になるが、病のため15日の会津藩邸の訪問には欠席している。

会津藩士本多四郎は阿比留について「大病に付き」として江戸に近々戻ることになっていると記す。
事件 なし
最期 文久3年4月6日に死亡。享年22歳。
墓所 壬生寺
一言メモ 芹沢派、近藤派以外にも残留希望浪士はいました。しかし、永倉などは明治以後の名簿などにそれらの浪士を記入しておりません。全く同志と見てなかったようです。しかし、この阿比留は含まれているんですよね。なぜなんでしょう?

同門の隊士がいたからでしょうか(^^)

京都市中京区仏光寺通北入

阿比留の名前は
一番右にあります。

ただし銘は
「阿比原榮三良」です。