2001年松山レポート

夏の調査旅行第一弾!7月20日〜7月21日に行って参りました!
愛媛県松山市への旅行の模様をレポートいたします。

松山といえば・・・(^^)

松山と新撰組の関係ですが(^^)
まず、原田左之助の生誕地として知られています。

そして、幕末の思想家佐久間象山の遺児で後に新撰組に
入隊した「三浦啓之助(佐久間恪次郎)」の死亡地でもあります。

1994年に新人物往来社より出た「幕末疾駆新選組」には
三浦の墓所を「愛媛県松山市鷺谷墓地」と書かれています。

2001年に同じく新人物往来社より出た「新選組大人名事典」には
「伊予市和気にあるという」と書かれています。

調べてみると、松山にも鷺谷墓地はちゃんとあり、
和気にもちゃんと墓地があるんです。

この2つの記述・・・どちらかが間違っているのか、それとも
墓碑が2つあるのか・・・いずれにしても、私はこの墓碑を見た事も
ありませんので、あるのなら是非見てみたい!

そういう気持ちで旅立ちました。

乗り込むは、「ムーンライト松山」

ぺー輔はお金がありません(^^;)。
ですので青春18切符が使える夜行快速「ムーンライト松山」で、
でかけることになりました。全席指定なんですが、禁煙席はすでに
満員・・・仕方なく喫煙席に乗りました(−−;)

夜行快速というものに乗るのは二回目なんですが、
本当に狭いです(^^;)。横幅はともかく、前後のスペースが本当に
少ないんですよね・・・(汗)。

伊予和気駅下車!(−−;)zzz

松山までは直接行かず、その前に「伊予和気駅」で下車!

↑の「伊予市和気にあるという」という記述を信じて、
和気町に徒歩で移動しました。
墓地の場所は地図で確認していたので、すぐに見つかりました。
駅からの所用時間は20分ほどです(^^)

まだ朝の8時半ごろなんですが、すでに暑いです(−−;)

三浦の墓碑なんですが・・・・

俗名が彫られているとわかりやすいのです(^^;)
しかし、とにかくどんな墓碑かわからないので、死亡年月日の
「明治10年2月26日」もチェックしながら墓地を探しました。

一時間ほど墓地を捜しましたが、それらしい墓碑はありません。

たまたま墓地にお参りに来てた方がいらっしゃったので
その方に尋ねて、墓地を管理しているお寺を教えて
いただきました(><)とりあえず、そこに行って御住職さんに
聞けば何かわかるかも〜・・・。

歩く事10分・・・
そのお寺は「四国八十八ヵ所」の寺院の一つなので、
朝なのに、巡礼の方々で境内がにぎわっていました。

早速御住職に伺ったのですが・・・あっさりと
「それは、わからないし、調べることも出来ない」と
言われました(笑)。

う〜ん・・・(^^;)「とりあえずここを出て、松山に向かうか・・・」
なんの収穫もなく、寂しく伊予和気駅に向かいました。

おまけに駅では、電車が出たところで(^^;)
本数が少ないんですよね〜仕方なく駅舎にある喫茶店で
モーニングを食べながらぼ〜としてました(笑)。

この伊予和気での調査で、一つわかったことは、
この「和気」というところは、「伊予市」ではない、ということです。
実は「松山市和気」なのです。なぜ、出版物でそういった間違いが
あるのかわからないのですが、おそらく
「和気町の最寄り駅が『伊予和気駅』だから伊予市なんだろう」と
最初に間違われた方がおられるんでしょう。

ここの部分、地元の方からしたら「何、当たり前のこと
書いてるの?」と思われてしまうでしょうね(^^;)

松山到着ぅぅぅぅ(><。)/

JR松山駅についに到着(><)

駅前を少し散策したあと、市電に乗って早速鷺谷墓地に
向かいました!!!
市電「道後温泉駅」から、徒歩10分ほど。
道後温泉駅で降りてすぐの
ところにあるからくり時計。

夏目漱石の「坊ちゃん」が
題材となっています。
松山市鷺谷墓地は、
陸軍大将秋山好古の墓所として
知られています。

彼については、
司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を
御覧になってください〜!!!
鷺谷墓地への坂道を、汗だくになりながら登りました。
すぐに墓地が見えてきました(^^)

入り口には井戸があり、その横に無縁の墓碑が十数個、
積み上げられていました。

「月二十六日・・・」

その積まれている無縁の墓碑の一群から、一つの墓碑が顔を
出していました。周りの墓碑よりも背が高かったのですが、その
墓碑には「月二十六日」と刻まれているのが見えました!!!

ま・・・まさか(^^;)
これって「明治十年二月二十六日」のことではないか?

その墓碑にかけより、墓碑に刻まれている
文字を判読すると「長野」(佐久間は長野県の出身)とか、
「恪」という字が見えました!!!
そう!この墓碑が、三浦啓之助=佐久間恪次郎の墓碑なんです!

周りの墓碑をちょっと移動して(^^;)、なんとか墓碑に
刻まれている文章を判読することが出来ました。

周りの墓石が太陽のせいで熱かったです(汗)。
そして重かった(^^;)
無縁の墓碑群の中央にあるので
周りの墓碑をちょっと動かして
撮影しました(^^;)

三浦啓之助(佐久間恪次郎)墓碑銘

前面「司法省十二等出仕佐久間君之墓」

左側面「君姓平諱恪長野府士族故佐久間象山大先生諱啓之
嗣子也嘉永元年十一月十一日生干信濃松代藩明治十年二」

背面「月二十六日歿干伊豫松山任官所齢二十八年又四月葬同
國和氣郡祝谷村鷺谷配松平氏有子曰織之承」

右側面「後 孝子継述立」

温泉(><)/

墓地を出て、向かうは「道後温泉本館」です!!!
銭湯みたいな感じで、休憩室&浴衣などを使わないコースだと
確か300円くらいで入れるんです(^^)←料金、忘れた(笑)

そこで、旅の疲れを癒しながら、今後の計画を練りました(^^)

と言っても、周るのはあと3ヵ所・・・
左之助の生地と、啓之助の出仕してた「松山地方裁判所」と、
あとは松山にある県立図書館・・・です(^^;)

温泉を出て、お土産屋さんでソフトクリームを食べて(^^)
また市電に乗って、裁判所へ移動しました〜!

裁判所前で不審な行動(笑)

松山地方裁判所・・・ここで、三浦はどんな仕事してたのかな。
この日は海の日・・・祝日なので、裁判所はお休み。周りに人は
ほとんどいませんでした(自動車の通行量は多かったですが)。

写真撮影をしようとしたのですが、裁判所の建物自体がとても
大きいものなので、うまくフレームに入ってくれません。
信号を渡って、道路の向かい側から撮影したり、「裁判所」という
看板をアップで撮影したり・・・(^^;)

通りがかる人から、不審がられるのはいつもの事(爆)
松山地方裁判所です。

それ以外のコメントが
出てきません・・・(笑)

図書館がぁぁぁ(><)

その後、図書館に移動。

人に道を尋ねながらようやく辿り着いたその図書館は!!!

「今日は休館日」・・・・(−−;)「日・祝」は休みなのだそうです。
明日に来るしかないか〜・・・と思い、松山に一泊することに
決めました。密かに日帰りしようと思ってたんで(^^;)

一度松山駅前に戻り、ホテルを取ることにしました。

左之助の生誕地へ!!!

また松山駅前から市電に乗って、左之助の生誕地へ向かいました!

左之助の生誕地は、諸書に「松山市緑町2丁目」と書いてあります。
確実に「ここだ!」と言える場所はないんですが、
歴史読本「幕末最強10人の組長(平成9年12月号)」に、
生誕地付近の写真が掲載されているので、とりあえずその場所を
探すことにしました(^^)

地図を片手に・・・少し時間がかかりましたけど
なんとか見つかりました〜!!!
松山市緑町二丁目です。
このあたりは松山城の北側にあり、建物の間から
天守閣が見えるところです。
今から百数十年前・・・左之助はこの地で何を思って
いたのでしょうね・・・・

ホテルへ帰ることに(−−;)zzzzz

ホテルに戻り、チェックイン(^^)
あとは寝るだけ〜・・・ってまだ夕方の4時なんですけど(笑)。

そこでメールが(@@;)!
同じこの日に新潟の新撰組隊士の墓参をしている殺姫さんでした。
医王寺の富山弥兵衛の墓碑がわからないとのこと(^^;)

なんとか墓参出来たようで、よかったです(^^)

さあ、温泉だ!!!(笑)

朝起きてホテルを出て・・・まず最初に向かったのは鷺谷墓地。

今一度お参りをして、それからまた道後温泉本館で休憩。
その後図書館に向かいました。

図書館にある郷土史で、三浦啓之助について書いてるものを
調べると・・・ありましたね(^^)
他にも小ネタや、子母澤の本に引用されている左之助の話など
何点かをコピーしていただきました。

そしてまた市電にのり(><)松山駅に帰りました。

帰宅〜(^^)

帰りの交通手段ですが・・・・・
特急で松山〜岡山に乗って、そこから新幹線に乗り換えて・・・
というのが一番早いんですが、お金が高い(笑)

ですので、松山駅から岡山駅までは高速バスを利用(^^)v
そして岡山〜大阪は鈍行利用(笑)。ええ、お金がありませんよ。

夕方には家に着くことができました(^^)v

今回の旅は、「初心」に帰ったような気持ちでした。
うまく表現出来ないんですけど、そんな感覚でした(^^)