染井・雑司ヶ谷墓参ツアー

ついに決行(><。)/染井ツアー

こんにちは(^0^)/

先日行われた、「染井〜雑司ヶ谷墓参ツアー」の模様をお伝えします。今回は、染井霊園・雑司ヶ谷霊園の他にも、近隣の寺院にある幕末関係者のお墓にお参りしてきました。

参加してくださった方は、へーさん、水澪さん、りうさん、真崎さん、そして、私ぺー輔です(^^)v

JR巣鴨駅に、朝10時に集合(><。)/

朝、4時に起きた私(笑)は、色々と準備して駅へ・・・5時半に「みどりの窓口」があいて、即新幹線のチケットを取得(^^)。新幹線の中では熟睡・・・名古屋で、横に誰も乗ってこなかったので、3列シートに横になって寝てました(笑)。こうすることを恥ずかしがるようでは、旅は出来ません(←そんなことないと思うが)。

東京着後、中央線で新宿へ(いつも思うのですが、なぜ新幹線のホームと中央線はあんなに離れているんだろう・・・笑)。新宿のコインロッカーに、余分な荷物は置いていくことに(これが、後で重大事件を生むことになるとは・・・)。

待ち合わせのJR巣鴨に十時集合・・・その5分前に到着(^^)。その後、へーさんがお越しに!!!実は、私とへーさんはこれが初対面なんですよね〜!!!

その後、水澪さんがいらっしゃいました!前回に続いてのご参加、ありがとうございます(^0^)/!

そして、真崎さん!!!(^^)。実は、私と真崎さんの最初の出会いは、ネットではなく、霊山歴史館での講演会だったんですよね!!!

最後にお越しは、りうさんでした!いつもお世話になってます!!!

では、染井霊園に!

私たち一行は、とげぬき地蔵には目もくれず(^^;)、一路染井霊園に行きました。染井霊園には、数々の幕末関係者や、著名人のお墓があります。なお、染井霊園は、JR巣鴨駅から徒歩で5分くらいです。ただ、でかいので(汗)、端まで歩くと結構時間はかかります。

霊園入り口で、墓所の区画番号を確認。まず最初に向かったのは
桑名藩主!(^^)

松平定敬・・・桑名藩主

桑名藩主松平定敬の墓碑。

墓碑銘は「従二位松平定敬之墓」

ここは、松平家の墓所なんです。
右は、定敬の墓碑。
左は、定敬夫人の墓碑。
松平定敬・・・桑名藩主。松平容保実弟。京都所司代に任ぜられる。鳥羽伏見の戦い以後、藩は謹慎するものの、定敬は柏崎〜会津〜箱館と転戦する。

藤堂高猷・・・津藩主

桑名も、津も、今の三重県ですね。まあ、そこの藩主の墓がこんな近くに建てられているとは・・・(^^;)。そう!次に行ったのは、伊勢津藩の藤堂公です!別名「藤堂平助パパ」です!・・・真偽不明ですけれども(^^)
藤堂公の墓碑。

墓碑銘は「正二位勲二等藤堂高猷墓」

この藤堂家の墓所はとにかく
広かったです!!(@@;)。

うちの家が何軒分だったでしょう!
藤堂高猷(字が違うんですが、私のPCでは出ないんです・・・どこかで探してきます。)・・・津藩(32万4000石)藩主。元々、藤堂家と徳川家のとの結びつきは強く、幕末時代も公武合体派だった。しかし、鳥羽伏見の戦い後、高浜砲台の守備についていた津藩兵が、幕軍に攻撃を行い、討幕派に廻ってしまう・・・この高浜砲台は、うちから近いんですよね・・・まだ一度も行ったことないんですけど(^^;)。

山脇正勝・・・桑名藩士&新撰組隊士

次に向かうは、山脇正勝!桑名藩士であり、新撰組隊士でもあります!実は、松平定敬の墓所のすぐ近くだったんですけど、最初見つからなかったんです。
初めて行ったときから、一年半経ってまして(^^;)。ちょっと記憶が不確かでした。
山脇正勝の墓碑写真が、
こんなに綺麗に撮れるなんて!!

墓碑銘は、「山脇正勝墓」。

この墓域には、「寺岡家」の墓碑も
あります。バーバラ寺岡さんは、
山脇の御子孫です。
山脇正勝・・・桑名藩士。北越戦争で戦い、後に庄内で降伏。その後、箱館に行った定敬への使者として、東京から箱館に行ったのに、そこで新撰組に加入した、つわもの(^^;)。なお、新撰組在隊時は、「大河内太郎」を名乗る。
さて!我々一行は、霊園内を突き進みます。しかし、迷子に(笑)。
霊園内の地図を見ながら、なんとかたどり着いたその墓所は・・・・幕末のもう1人の土方・・・そう!この人です!!!

土方久元・・・土佐藩士

これは、本当に珍しい墓ですね。
墓碑正面に、「泰山堂」と
刻まれています。

この後ろに大きな石室がありまして、
それが、久元の墓だそうです。

ところが・・・・
←こんな石が見つかりました(^^;)。

「従一位勲一等伯爵土方久元墓」
・・・・・と刻まれています。

これは、なんと土方家の墓所の
地面にあったんです(^^;)。周りと
明らかに色が変わっているので、
昔はここに墓碑かなんかが
あったのではないでしょうか?
土方久元・・・土佐藩士。土佐勤皇党。三条実美の衛士を務め、八月十八日の政変後は、七卿とともに、長州へ落ちる。
箱館時代の土方歳三の写真(修正が入っているもの)は、一時期、「土方久元の写真」として、お土産品として売られていたこともあるそうです。
私は、土方久元の顔は、知らないんですが(^^;)、へーさんのお話によりますと、「歳三にちょっと似てる」そうです(^^)

染井霊園脱出!!!(><。)/

ちょっと迷いましたが、染井霊園での予定を終了しました(^^)。

さすが、でかい霊園だけありまして、歴代の首相(若槻禮次郎、幣原喜重郎)の墓もありました!

次に向かうは、本妙寺です!そう!遠山の金さんの墓所です(^0^)/
しかし、この辺りは道も細く入り組んでいるんで、ちょこっと迷いましたけど、無事に本妙寺に到着しました。

本妙寺には、お墓が沢山・・・(^^)

墓参ツアーを行った17日は彼岸の入りでもあったので、境内はちょっと混雑してまして。本妙寺と書かれた法被を着た方が、車の誘導などをしてたり(^^;)。

ここに来た本当の理由は、遠山の金さんの墓参ではなく(^^;)、千葉周作のお墓参りが目当てだったのです。

千葉周作・・・北辰一刀流開祖。

千葉周作の墓。

墓碑銘は「千葉周作成政墓」

側面に刻まれる戒名は

「高明院勇譽智底敬寅居士」
この墓碑前には、ちゃんと立て札が建てられているので、見つけることは簡単ですね。

みなさんが注目していたのは、千葉の家紋です(^^)。しかし、この写真には写ってません・・・(−−;)。新撰組隊士佐々木一の家紋と同じです(笑)。
千葉周作・・・北辰一刀流の開祖。玄武館を開く。江戸三大道場の一つで、「技の千葉」と呼ばれ、清川八郎もここの門人だそうです(^^)

森山多吉郎の墓・・・同じく本妙寺(^^)

森山多吉郎の墓碑です。

彼は、日本初の通詞(通訳)です。

プチャーチンやペルリ(笑)が日本に
来たときには、彼が通訳したんです!

遠山の金さんのお墓!(><。)/

遠山の金さんのお墓(^^)

今までアップしてなかったんですが、
「笑っていいとも」の御先祖コーナーに
御子孫が登場された記念でアップ(^^)!
この本妙寺には、歴代本因坊(囲碁なのでしょうか?)のお墓がありました(^^)v

本妙寺の墓地で、我々の目を引いたのは「隣の墓地」でした(^^;)。隣が別の墓地だったんです(私設霊園なのか、寺院なのか不明)が、そこの一個一個の墓域が非常に狭い(><。)/・・・多分、今、この文章をお読みになられた皆さんが御想像されたものよりも、かなり狭かったです(^^;)。
次に向かったのは、新門辰五郎の墓所である盛雲寺です!
・・・これも迷いました(^^;)

雨も降って来てしまいましたね〜(´‐`)。都電の付近をうろうろすることしばし・・。

新門辰五郎の墓・・・盛雲寺

新門辰五郎の墓(^^)。

娘は、徳川慶喜の愛妾。

墓碑は、墓地に入って
すぐ右側に建っています。

新門辰五郎の分骨墓・・・善養寺

盛雲寺のすぐ近くにある
「善養寺」にある、
新門辰五郎の分骨墓。

墓台に刻まれる「町田」が
本姓であり、新門は通称。

この寺には、尾形乾山の墓あり。
新門辰五郎・・・上野寛永寺門跡、輪王寺宮家来で、町火消し・を組の頭、町田仁右衛門の婿養子になる。
この善養寺での話題の一つは、やはり尾形乾山のお墓でしょうか(^^;)。

寺の入り口をくぐって墓地に行く途中に「尾形乾山の墓」と書かれた看板が立てられていたんですが・・・・墓碑が見当たりません(@@;)。床に、小さな木の切り株(?)があったので、「これが、墓か???」と皆で騒いでおりましたが、墓地に入ればすぐに乾山の墓がありました(^^;)。さっきの看板は古くて、移動させられてただけだったようですね。

まあ、最大の話題は「うなぎ供養塔」でしょう(^^)。なぜか、うなぎを供養する塔があったんですよ。

三浦休太郎・・・妙行寺

はい!(^0^)/いよいよ登場の三浦休太郎です
彼の墓碑は、ず〜っとうちのHPのトップを飾っています(^^)v。ここも、上の善養寺のすぐそばにあります。そして、ここのお寺にはある有名な方のお墓も・・・。
三浦休太郎の墓碑。

かなりでかいです(^^;)。

ちょっとびっくりしました。
三浦休太郎・・・伊予国西条藩士、のちの和歌山藩士。和歌山藩の軍艦と海援隊のいろは丸が激突し、和歌山藩が多額の賠償金を支払わせられた。その報復として、龍馬暗殺を命じたと疑われ、海援隊士に命を狙われることになり、天満屋事件を生むことになる。
この寺にある、有名な方の墓碑とは・・・
四谷怪談で有名な「お岩様」です。私は、ちょっと怖かったんですが、他の皆様がどんどんそこに進んで行かれました(^^;)。

お岩さんのお墓は、とっても立派でしたね。でも写真は畏れ多くて撮れませんでした。

染井霊園近辺を脱出(><。)/

これで、染井霊園近辺を脱出することに・・・と言っても、行き先もすぐ近くなんですけどね(^^;)。そう!次に向かうは雑司ヶ谷霊園!

都電荒川線に乗車(^^)。大阪には馴染みのない、前払い方式ですね。これに乗って「雑司ヶ谷」駅まで移動。途中、大塚駅で酔っ払い(?)のおじさんが強制退車させられるというハプニングもありながら(汗)、すぐに雑司ヶ谷駅に到着。

ただ、ここらでちょっと雨がさらに降ってきたので、近くのコンビニで、皆さん傘を購入されました。

この雑司ヶ谷駅から「雑司ヶ谷霊園」は本当に近いです(10mくらいかも・・・笑)。

雑司ヶ谷霊園(><。)/

霊園入り口にある看板で、墓所の区画を確認しました。

ここもお彼岸の入りなので、人が多かったです。
ここにも何人かの幕末関係者のお墓がありますが、その中からピックアップしてお参りしてきました!

まず最初に向かうは、小栗上野介です!

小栗上野介・・・幕臣

小栗上野介の墓です。

墓碑銘は「小栗家累代之墓」。

雨に濡れていますね。

墓碑裏面です(^^)。

実は、私たちがここに行くと、
この裏面の方を先に見ちゃったんです。

で、こっちが「表」だと勘違いしました(笑)。

小栗上野介・・・幕臣。福地源一郎いうところの「幕末三傑」の1人。外国奉行、江戸町奉行、幕府歩兵奉行、勘定奉行、海軍奉行。鳥羽伏見の戦い後も、徹底抗戦を訴えたが慶喜に罷免される。最後は、薩長軍によって斬首。墓は、群馬県の東善寺にもあります。
次に向かったのは、新撰組隊士佐々木一です!!!

・・・彼の墓のそばに、気になるお墓があるんですよ。幕末には全然関係ないお墓なんですけど(^^;)。ほんと普通のお墓なんですけど、墓碑側面に「ありがとう」って刻まれているんです。

佐々木一・・・新撰組隊士・幕臣

佐々木一の墓碑。

明治維新後は、「並河一」を名乗る。

この家紋が、千葉周作と同じ家紋です。
佐々木一・・・新撰組隊士。箱館戦争まで戦い抜き、その後は、その経歴を隠し家族にも教えなかった。後に警察に出仕。
並河の墓碑なんですが、1mくらいの台に載っています。
そして、墓誌にはなんと!!三つ葉葵の紋が刻まれているんです。これは、幕臣であったことの誇りからなんでしょうか・・・(もちろん、佐々木の家紋も彫られているんです)。

ジョン・万次郎!(><。)/

次に向かったのは、「ジョン・万次郎」という名前でお馴染みの「中濱万次郎」のお墓です。雑司ヶ谷霊園の端っこの方にあります(^^;)。

ちょっと雨が止んできたかな〜(´‐`)
墓碑中央に
「中濱万次郎之墓」と
刻まれています。
「贈正五位中濱萬次郎翁記念碑」

ちなみに、頭に「贈」がついてる
「〜○位」ってのは、
亡くなってから贈られたものです。

中濱万次郎・・・漁師の息子。漁の途中に遭難し、米国の捕鯨船に助けられ渡米。米国では「ジョン・マン」と名乗る。帰国後は、土佐藩士・幕臣。

雑司ヶ谷霊園を脱出!!!o(^-^)o

ここで雑司ヶ谷霊園を脱出し、すぐ近くにある護国寺へ向かいます。この護国寺にも、幕末の関係者のお墓があるんですが、今回はあえて(^^;)となりの護国寺供葬墓地にある、桑名藩士で、箱館新撰組隊士であった谷口四郎兵衛のお墓に行きました。私も、一年半ぶりの墓参になります。
谷口四郎兵衛の墓。

墓誌にある「守成」というのが
四郎兵衛。

この写真は一昨年のものを
使用しています。
谷口四郎兵衛・・・桑名藩士。箱館新撰組隊士。
結構、苦み走ったいい男(^^)。
ここから、徒歩で智光寺に移動しました!(^0^)/

ちょっと距離がありましたが(^^;)、脱落者もなく!無事に到着しました。

田村銀之助・・・新撰組隊士(智光寺)

田村銀之助の墓。

この写真も、一昨年のものです。

墓参ツアーの日は、
天気悪かったので(^^;)
田村銀之助・・・新撰組隊士。新撰組史上最年少の隊士と言われる。兄も新撰組隊士だった。箱館では、なぜか春日左衛門の養子となる。

さあ、お昼ご飯だ!!!(もういい時間なんです)

ここから、バスで大塚駅に移動しました。ここで、御用事のある真崎さんとはお別れ・・・(巣鴨駅まで歩いて行かれたそうで・・・さっきの酔っ払いには会いませんでしたでしょうか・・・笑)。

我々は、ともかく池袋まで出まして、そこでお昼ご飯(●ッテリア)を食べました。しかし、この店混んでたんですよね・・・うちの地元じゃロ●テリアは、空いてるのに・・・。。それともかく、ここでしばらく休憩(´‐`)。

その後、タクシーで移動しました!!!行き先は、中野区の!!!そう!
貞源寺です!!!!

伊庭八郎・・・遊撃隊士

←伊庭八郎の墓。
やっとお参りすることができました!

もう17時過ぎてたから(^^;)
綺麗な写真を撮ることは
不可能でした・・・。
貞源寺入り口山門。 伊庭家の家紋。
上の伊庭家の家紋は、伊庭八郎の墓碑ではありません(^^;)。

貞源寺の墓地もすでに薄暗くなっていて、墓碑を見つけることも大変な感じがしたのですが、すぐに見つかりました(^^;)。でも、そこは伊庭家の墓碑が沢山あって、最初はどれか判らなかったんですよ。そして、「伊庭八郎」と書かれた墓碑があったので、「これだ!!!」・・・と思ったら・・・違いました(^^;)。伊庭八郎さんって2人いたんですね(時代が違いますけどね)。

貞源寺の次は、成願寺!!!(><)

バスで中野に出て、そこからタクシーに乗り換えて!!!
向かった先は、「成願寺」です!!!
近藤勇の奥さんのつねさんや、娘のおたまちゃんが身を寄せていたところです。
成願寺の山門です。

本当は、もっと横幅があるんですが(^^;)

この日は、どなたかのお通夜を
やっておられました。
境内に入ろうと思ったのですが、お通夜の最中だったので、とても入り辛かったのですが・・・入って裏道を通って、墓地(@@;)にも行きました。もう7時過ぎてるのに、墓地ん中入っていくなんて・・・みなさん、好きですね(^^;)。でも、さすがに真っ暗なので、目当ての墓碑も見つからず、境内を散策・・・。

「ここに沖田さんも来てたのか・・・」と思いを馳せていました。

その後、電車で新宿へ戻り!!!
いつもの飲み屋さんで、大飲み会をしました。私は、花粉症なので、りうさんにティッシュを恵んでもらいながら(笑)、「歳三」を熱演したり(笑)、新撰組話に花を咲かせたり・・・本当に楽しい時間でした(あと、「ガラスの仮面」はいつ終るんだって話も出てましたね。他には、「エイリアン通」って終ってからもう17年経つんだよ〜という話とか)。

その後、22時半くらいまで飲んで、その後解散。
私は、いつものカプセルホテルに向かい(ここに泊まるのも久しぶりです)、爆睡するのでした!!!(コインロッカー事件は、割愛させていただきます・・爆)。

今回、来てくださった方、本当にありがとうございました!!!(^^)
次回も、よろしくお願いします!!!!!!