世界遺産の高野山・熊野三山ウオーキング
平成24年4月12日(木)〜4月14日(土)

高野山・熊野三山ウオーク

奈良・和歌山・三重の紀伊山地には、古来からの山岳宗教(修験道)の霊場が多く点在している。その霊場の中心は吉野・高野山・熊野三山(本宮大社・那智大社・熊野速玉大社)で、これらの霊場を結ぶ参詣道が数多く開かれている。この「紀伊山地の霊場と参詣道」は、平成16年4月に世界文化遺産に登録された。平成21年4月に「吉野山の桜」ハイキングに訪れているので、今回は「高野山と熊野三山」を歩いてみた。(解説文は、関係先のホームページ、現地の表示板等を参照した。)
1 4月12日(木)   
  新横浜7:46=新幹線=名古屋=バス=13:50慈尊院…高野山町石道(ちゃういしみち)…15:30展望台…17:00六本杉峠…17:30丹生都比売神神社=バス=18:45高野山(根本大塔)  熊谷寺(泊) ※本日の歩程6km、4時間10分(含む休憩時間)

九度山慈尊院
九度山慈尊院

弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に参詣の表玄関として伽藍を草創したのが始まり。

「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました

九度山の由来

弘法大師は月に九度(9回)、高野山からお母様に会いに来られました。そうしたことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。


高野山町石道-ちょういしみち-
九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。

九度山慈尊院

180町の町石
180町の町石

町石道の入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。(高野山に109m近づく毎に、番号が減ってゆく。)

町石道


同(眼下に見える川は紀ノ川-慈尊院との高度差は約200m)


六本杉峠

町石道、136町付近-慈尊院から約4.5km、高度差約480m
ここで、町石道から別れ、丹生都比売神社に向かう。

丹生都比売神社(楼門)
丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ)

紀ノ川より紀伊山地に入り標高450メートルの
天野盆地 この地に丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)が創建されたのは、今から1700年前と伝えられます。


丹生都比売大神は、天照大御神の御妹神さまで、神代に
紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め
天野の地に鎮座されました。丹生都比売大神を祀る神社は
全国に108社 摂末社を加えると180社余を数えます。
丹生都比売神社は、その総本山です。

丹生都比売大神の御子、高野御子大神は密教の根本道場の
地を求めていた弘法大師の前に黒と白の犬を連れた狩人に
化身して現れ高野山へと導きました。


弘法大師は丹生都比売大神より、ご神領である高野山を借受け山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り
真言密教の総本山高野山を開きました。


高野山(根本大塔)
高野山

丹生都比売神社からバスで高野山へ。高野山着は日没後の6時45分。残念ながら、ライトアップされている根本大塔以外はお目にかかれなかった。


根本大塔
高野山の象徴的な朱塗りの多宝塔。高さ48.5m。
日本で最初に建てられた多宝塔。現存の塔は、昭和12年の再建。
2 4月13日(金)
   熊谷寺8:00=バス=10:15滝尻王子10:55=バス=11:10道の駅…11:55牛馬王子・近露王子12:40=バス・昼食=13;10発心門王子他15:10…16:15熊野本宮大社…16:45大斎原(おおゆのはら)16:55=バス・船=南紀勝浦温泉、ホテル浦島本館(泊) ※本日の歩程9km、5時間55分(含む休憩時間)

<熊野三山

13日、中辺路から熊野本宮大社を詣で、14日、熊野那智大社(新宮)・熊野速玉大社の三社を参詣する。

熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来です。
熊野三山である 熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)は薬師如来、 熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)は千手観音です。
三山はそれぞれ、 本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落浄土の地であると考えられており、 平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。

熊野の地は、豊かな自然に囲まれ森閑な中、神々がおわす処と言われるとおり、日本独特の自然信仰・山岳宗教や神仏習合の信仰の形が 相まって、昔からパワースポットとして人々の尊崇の対象となっています。
熊野の地、とりわけ熊野本宮大社を中心とした地域は、日本人の“心のふるさと”、日本の原風景と言われる所以です。
熊野の地を訪れた誰しもが、心が癒される“リフレッシュ”される地だと感じます。

滝尻王子宮にある、中辺路基点の標識
中辺路(なかへじ)

熊野参詣が都の貴族のあいだに広まったのは寛治4年(1090年)白川上皇の参詣から…。
熊野本宮大社をめざすルートの中でも参詣者が列をなし「蟻の熊野詣」と例えられたほど庶民にまで人気をよんだ中辺路ルート。
道中には格式の高い王子跡(熊野三山の御子神)が数多く残されています。


中辺路は全長39.3km 2日間で歩けるそうですが、今回のウオークは、一部区間についてはバスを利用し当日中に熊野本宮大社に参詣した。歩行距離は約9km。
滝尻王子宮
 
熊野九十九王子のうちで最も重要視された王子の一つで、社格の高い五体王子であった。川の合流点にあたり、古道は背後の剣ノ山へ登るが、ここが熊野の霊域の入り口とされていた


滝尻王子宮

中辺路(牛馬童子方面に進む)


同(牛馬童子像)
牛馬童子像

牛と馬にまたがる僧服の石像は花山法皇の熊野詣の旅姿であるとも言われ、田辺市指定史跡となっています。
高さ50cm程の姿は小さくてかわいい印象で、中辺路のシンボル的存在となっています。




同(水呑王子)

同(のどかな山村風景)

同(杉林の中の石段を進む))

現在の熊野本宮大社(大斎原から現在地に移った)

大斎原(おおゆのはら)
大斎原

明治22年(1889年8月の水害時まで、熊野本宮大社があった場所。現在は2基の石祠が祀られているのみですが、とても気持ちのよい場所です。
3 4月14日(土)
 ホテル7:30=船・バス=8:00大門坂入口8:25…9:25大門坂上…9:35清岸渡寺・熊野那智大社10:20…10:20那智の滝11:20=バス=11:35那智速玉大社12:05=バス=17:10名古屋=18:00新幹線=20:28進横浜

大門坂下
大門坂
杉並木に囲まれた石段続く「大門坂」を、那智大社・青岸渡寺を目指す。坂の途中で一瞬、那智の滝が顔を見せる。
約30分で古道の雰囲気を楽しめるおすすめコースを語り部の説明を聞きながらゆっくり歩く。

大門坂(夫婦杉)

同(雰囲気の良い石段の道)


大門坂を登り切ると熊野那智大社・清岸渡寺入り口

熊野那智大社

清岸渡寺(西国第一番の札所)

熊野那智大社(左)と清岸渡寺(右)は隣接している

熊野速玉神社

大門坂の途中から見た那智の滝

清岸渡寺から見た那智の滝

滝見台から見た那智の滝