4 コメントと写真集(その2)
4日目 (晴れ) ピサ フィレンツェ |
1 ホテルからピサへ直行、あまりにも有名な世界遺産の斜塔・ドゥオーモ・礼拝堂を見学。ピサの町は、10〜13世紀に繁栄したが今は、昔の面影がなくなっているそうだ。ただ、世界遺産の斜塔の一角には、土産物店、露天商、食堂が並び、観光客があふれていた。滞在2時間弱で次のフィレンツエへ移動。 2 フィレンツエ市街に入る前に、高台にあるミケランジェロ広場に立ち寄り、古都を一望する。人口35万人のフィレンツエは、紀元前10世紀頃から発展を始めた古い都市。自治を獲得し、自由な発想のもとでの産業・経済活動が活発化し、それが、後のルネッサンスの開花にも繋がっていったそうである。広場のあちこちに多くの彫刻が置かれていた。ウフイッツイ美術館でボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」を参観。 |
||
斜塔 | 礼拝堂、ドゥオーモ・斜塔 | ドゥオーモ内部 | |
ミケランジェロ広場からフィレンツェ | ミケランジェロ広場の画家 | ドゥオーモ | |
ドゥオーモ扉 | シニョリーナ広場(彫刻が多い) | フィレンツェ市街 | |
5日目 (晴れ) シエナ アッシジ |
1 11世紀中ごろから金融業、商業を基盤に繁栄したと言われるシエナ、城壁に囲まれ中世の面影がそのまま残り、石造りの町並み、華麗なドゥオーモ、貝殻の形をしたカンポ広場はいずれも印象的。カンポ広場では、夏の伝統行事パリオで競馬が行われ町全体が熱狂に包まれるそうである。昼食後アッシジへ。 2 アッシジは、キリスト教の聖者、聖フランシスコ生誕の地として知られている。スパジオ山の中腹に城壁に囲まれ階段状に折り重なる町並みが印象的。サン・フランチエスコ教会を見学。 3 イタリア大周遊10日間の前般が終了した。昨日までのミラノ→ヴェローナ→ヴェネツィア→ピサ→フィレンッエに加え、本日のシエナ→アッシジ。巨大なドゥオーモ、その内部の絵画・彫刻、レンガ造りの古い町並み、広場を中心とした町づくり・・・何が何処にあったのか、頭の中は既にパニック状態。その壮大な歴史の積み重ねに改めて脱帽。規模の小さな観光地でもでよく理解するには、「1週間以上滞在しなければ無理ですよ」と、現地ガイドが説明していたことに納得。 |
||
シエナ市街 | ドゥオーモ | 市内の小路 | |
マンジャの塔とププリコ宮殿 | カンポ広場 | 昼食場所(剥き出しの穴倉) | |
サン・フランチエスコ協会 | 城壁が巡らされ門を越えて町に入る | 市内の小路 | |
6日目 (晴れ後雨) ポンペイ |
1 バストラブル(その1)。順調にスケジュールを消化してきたが、ここでトラブル発生。早朝、8時にホテルを出発し、254km離れたポンペイへ移動(所要時間3時間40分)する予定であったが、バス故障で、ホテルで4時間足止め。ここで昼食をし、13時40分、代替バスでようやく出発。カメオ工場立ち寄り中止、昼食時間切り詰め、ホテル到着時間繰り下げで対応。添乗員の孤軍奮闘を目の当たりにし、全員大人しく待機、その後も楽しい旅行が続いた。 2 17:00ポンペイ遺跡に到着。ポンペイは紀元前7〜8世紀からの歴史を持つ都市であるが、紀元79年ヴェスヴィオス火山の噴火で火山灰の下に埋まってしまった。1700年後の18世紀半ばから発掘が始まった。碁盤の目のような街路、神殿、浴場、住宅跡が再現されている。 |
||
ヴェスヴィオス火山(標高1279m) | ポンペイの遺跡 | ポンペイの遺跡 | |
7日目 (晴れ) ナポリ |
1 今日は、古代ローマ皇帝たちが別荘を築いた歴史を持つ島、カプリ島観光である。ナポリのモーロベヴェレッロ港からカプリ島マリーナ・グランデ港まで、水中翼船で約50分。昨日とは打って変わり、雲一つない快晴。青い海水の幻想的な「青の洞窟」観光のための最高の条件が揃ったとおもいきや、波が荒く洞窟観光は全面中止のアナウンス。 2 やむなく、ミニバス、リフトを乗り継ぎ、アナカプリのソラーロ山(589m)山頂へ直行。山麓一帯は白い別荘が立ち並び、それが海の青さとマッチし美しい景観を見せている。山頂へ通ずるリフトの下も、住民が花壇を作っており、多くの花が目を楽しませてくれた。 3 昨日までの中世の町から抜け出し、山頂遊歩道から360度の大展望を楽しむ。 |
||
水中翼船でナポリ港出向 | 風光明媚なカプリ島 | リフトでソラ−ロ山(標高589m)へ | |
リフトの下の花壇 | リフトの下の花壇 | カプリ島の花 | |
ソラーロ山頂 | ソラーロ山からの展望 | ソラーロ山からの展望 |
イタリア旅行トップへ | イタリア旅行3へ |