アジアンカンフージェネレーション  「サイレン」
アジアンカンフージェネレーション(以下アジカン)




死に物狂いの蜉蝣をみていた

アジカンの「サイレン」聞いてないと何言ってんだかわかんないレビューです。(いや聞いててもわかんない?)

サイレンの歌詞を読み解く

この歌には救急車という言葉がないんですが いやがおうにでも歌詞はそれを想像させます。 フレーズとして「白い衝動痛いよ 癒えきらぬ傷 塞いで痛いよ」 とあります。解体してみると、白い、痛い、傷、白、サイレン→救急車。と連想しても 何も不思議じゃないですね・・・。

さて、サイレンを鳴らしているのは当然「鳴りやまぬ君のサイレン、 響きなる君のサイレン」だから「君」。
このサイレンが救急車だとしたら。考えて下さい。 救急車の役目は、瀕死の患者を応急処置し、病院に運ぶことです。
つまり僕はそれ程痛んでいて助けを求めているんです。

しかし彼女は(救急車は)応急処置しかしてくれない。 あくまで一時しのぎ。

それが僕も判っているのか、 「千年先を思い描けないけど、一寸先を刻むことではじまるわずかな願い」 と永遠よりも刹那を願います。
その刹那、一瞬の象徴が蜉蝣であり、陽炎なのです。



陽炎は蜃気楼ともいって、日ざしの強い日に舗装道路の路面近くを通して遠くを見ると、 景色がゆらゆらとゆれて見えるような現象のことをいいます。 ありえない景色がみえたりもします。まあ要するに幻です。

しかしそれは彼女自身でもあります。
君はサイレンを鳴らす救急車であり、儚い蜉蝣であり、実体のない陽炎で。

それでいて僕は完全に癒されないと知りながらも、なお君に助けを求めて。 「君」にすがることで存在証明し、自我を維持しているのです。 ・・・そうでなければ自分が自分でいられない・・・と。

歌詞を読み解くとこんな脆い自我像の人間が図らずも霞んで見えます。

サイレン2の歌詞について

まずサイレン2の歌詞を読み解く前にこの詩を読んでみて下さい。




I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青 い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ てくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女 の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟 なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世 に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれ る>ということが まさしく<受身>である訳を ふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返し た。

―― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は 生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。 僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。そ れを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとっ てこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだか ら。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。 ――蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬん だそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくる のかと そんな事がひどく気になった頃があってね――  僕は父を見た。父は続けた。

――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く 退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入 っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。と ころが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ そりした胸の方にまで及んでいる。

それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとま で こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの 粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>という と 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことが あってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお 前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひ とつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものが あった。

―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいで いた白い僕の肉体―


吉野 弘 「現代詩文庫」思潮社


どことなくコンセプトが似てやしませんか。(行き着くところは違いますが)

生まれさせられる→「生まれてしまったその理由を」生まれたその理由を〜ではなくあえて(受身)で書く
儚い命、短命、蜉蝣、(キーワード)
何の為に世の中へ出てくるのか→ 「生まれてしまったその理由をわからないまま私は終わる」(存在理由)

蜉蝣という虫を「蜻蛉」でもなく、「カゲロウ」でもなく、「かげろう」でもなくあえて 「蜉蝣」と書くところにゴッチ(後藤正文vo. gitar.作詞作曲)のこだわりを感じます・・・ 「蜻蛉」ってつづるとトンボと読むこともあるし。 もしかしたら元ネタ・・・もといオマージュかもしれない。 もし偶然ならゴッチの書く詩はえらく文学的な香りが漂いますね…

二人が出逢う時

サイレンは二つで1つのシーンを現していて、1が男の視点、2が女の視点で書かれてます。 二つは呼応してます。 掴んだ細い腕、よぎるカゲロウ、は勿論二つ目のカゲロウのこと。 一つ目で開いてよ、というのは二つ目の開かない白い羽のこと。

この二人、ようやく出会えたのにも関わらず、蜉蝣:女は世界を終えてしまいます。(つまり死を迎え) 仮に死と読まなくても女性が何か変化したと解釈できるのは間違いないでしょう。 …であった頃と今じゃ違う、という男の側からの叫びのようにも聴こえます。 夢も希望もへったくれもないですね。そこがこの歌の良いところですが。

マキシで別々だったこの曲はアルバム「ソルファ」でミックスされ、同時に歌われました。 メインは1の男視点ですが、バックでは女視点が歌われてます。 マキシしか聞いてない、アルバムのサイレンしか知らないという方、 どちらも合わせて聴くことをオススメします。



*アジカンの歌詞には不可能と知りつつ、諦めない→やっぱり不可能→あぁ無常。→不可能と知りつつ… というループのみえる歌がチラホラ。そのうちそのあたりの歌も取り上げてみますか…

*もしかしたらサイレン2の車窓は救急車かも・・・と思ってたら、 ゴッチ曰く、電車とのこと(公式の日記参照)。残念〜







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