大きなビルだった。
ここは鈴原不動産。
きっと、未来が責任者に会いたいなどと言っても、まず相手にされないだろう。
そんな威圧感を感じさせるに十分なビルであった。

「わりとすんなりとアポが取れたな」

そんな威圧感すら感じないのか、古賀はあっさりと言ってのける。
高橋も普段と変わりない。

(・・・やっぱり二人とも大物だ・・・)

未来は変な感心をしていた。

意気込んで来たはずの小池は逆に顔色が悪い。
あまりな巨大企業を相手にするとあって、尻込みをしてしまったのだろうか・・。
未来は小池のその様子に多少なりとも同情をした。



四人で受付を済ませ、常務の松沢の部屋まで案内をされる。

数人の部下を従え、威風堂々と現れた常務の松沢は、どこかにいやらしさを漂わせる中年男だった。
メンバーの中に未来のような若い女がいることに驚いていたようだった。

「・・・これはこれは、国際弁護士先生がわざわざおいでとは痛み入ります」

「こちらこそ、突然にお邪魔をしまして申し訳ありません」

古賀と松沢が初対面らしい当たり障りのない対応で挨拶をする。

「さっそく本題に移らせて頂きますが、桜葉町における立ち退き交渉の件についてこの度、正式に私が弁護士として住民たちの擁護に回る事になりました」

「それはそれは、住民の方にとっては心強い味方。我々にとっては脅威ということですな」

そう言いながらも松沢は、ハッハッハと明るく笑い飛ばした。その笑いはある意味自分たちを馬鹿にしているようだと未来は思っていた。

「ところで、最近桜葉町に奇妙な事件が多発していることをご存知ですか?」

「・・・いいえ」

松沢は出されているお茶をがぶがぶと飲み干して、部下に御替わりを催促した。

「住民の塀が壊されたり、いたずら書きをされたり、動物の死骸を玄関先に置かれたり、大したことが無いようにみえても、住民には恐怖です。しかも、これが同時に数件で起こっています」

「・・・それは奇妙な事件ですなぁ。・・で、先生はまさか我々がそんないやがらせをやっていると御思いで?」

「・・・違いますか?」

「ハッハッハ。いやですなぁ、古賀先生。我々は至極まっとうに交渉をしていますよ。そちらにいらっしゃる高橋さんに聞いて見てくださいよ。あのアパートの大家さんにお会いしたときにお話しましたよね?」

そこで初めて高橋が口を開いた。

「ええ。お話は伺いました。しかし、今度はその大家の千代さんが何者かによって大怪我をさせられましたよ」

「・・なんですと? あのおばあさんが大怪我を?いったいどうされたというんです?」

松沢は大げさに驚いてみせる。

黙って聞いていた小池が声を荒げて言い返した。

「とぼけんじゃねーよ。千代ばーさんにケガをさせたのはあんたたちなんだろ? ばーさんがちゃんと見たって言ってるんだ!」

「冗談を言っちゃ困る! 我々はそんなことをする気もなければ、そんなことをする必要もない。私たちは区画整理区内の一環で権利を請け負っている。どのみち住民たちは国から強制退去命令で出て行くことになるんだ」

「・・・それはどうでしょうか」

そこで古賀が静かに言い放つ。

「その区画整理内というお話ですが、私のほうで調べてみたところ急遽指定が許可されたようです。通常、都市内の再開発に置いては、十分に協議された上で決定されるはずです。住民たちの居住権が最大限に生かされ、住みやすい環境整備のための区画整理です。一企業ばかりが利益を得る工事ではないはずです」

そこで、松沢はグッと言葉を詰らせたのを未来は理解した。

「・・・我々だってこの東京の住民たちの居住権は重々承知していますよ。ですが、現にあそこは区画整理内として国に認められているのは事実ですよ。それに、我々も利益のみを追求しているわけじゃない。国の未来を、東京の住民の未来を考えています。だからこそ、あのゴミ溜め同然の街並みを素晴らしい物に変えようと努力しているわけですよ」

「・・あの町の住人たちはゴミなんかじゃありません!」

思わず声が出たのは未来だった。

「近代的な建物がある街だけが繁栄していると言うんですか? あの町に住んでいる人たちもみんな元気に生活しています。それこそ、みんなで助け合って、笑い合って生き生きとした生活しています。そんな人達の住む町がどうしてゴミ溜めだなんて言えるんですか?!」

未来の激しいその言葉に、松沢は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐにどこかいやらしい笑みを浮かべて未来を見つめた。

「・・・これはこれは、美しいお嬢さん。至極まっとうなご意見をお持ちなようだが、あなたもあそこの住民の方で?」

「い・・・いいえ。違います」

「ほほう。これは否ことをおっしゃる。あそこの住民でもない貴女からそのようにご意見される謂れは当方にはございませんなぁ。まあ、そのように気の強い女性も私は好きですがね・・・ハッハッハ」

「なっ!?」

笑いながら自分を舐めるように見る松沢の視線に、未来は鳥肌がたった。

「・・・立花くん」

言い返そうとした未来に古賀は、やめろと目線で合図をした。
未来はその古賀の視線に黙った。

「・・失礼しました。彼女は私の助手です。仕事熱心で、住人たちのために必死ですのでね」

「ハッハッハ。そうですか、先生の助手ですか。こんな美人の助手を手元におけて、弁護士先生というのもいいお仕事ですなぁ・・・」

「・・・・・・・」

未来の拳がワナワナと震えた。
古賀がそっと未来の手を触って、押さえろと合図をする。

「それでは、松沢さん。我々はそろそろ失礼致しますが、もしまた怪我人でも出るようなことがあれば、私共も容赦は致しませんので、ご承知おきください」

「我々は常に住民のみなさんのためを思って交渉させて頂いていますよ。勿論、これからもですよ。もし、何かあったとしてもそれは我々の感知することではないでしょう。おそらくね・・・・。くくくく」

怪しい笑いをする松沢をそのままに未来たちは席を立つ。

「おい、お前。先生方を玄関までお送りしろ。ビル内でいたずらでもされたら叶わんからな・・・」

後ろに控えていた部下にそう命令する松沢を、その部屋から出ようとしていた未来と小池は、振り返ってキッと睨みつけた。
松沢はその視線をも無視してソファの上でふんぞり返ってタバコをふかしていた。

チラッと松沢を見ただけの古賀と高橋であったが、そんな未来の肩を軽く叩いた。

「・・・行くぞ、未来くん」

「・・・・はい」

「・・・・・・・」

四人は憮然とした表情で廊下に出る。
松沢に命令された部下の男が一人、側について歩いている。

「・・・・なんて失礼な人なんでしょう」

「・・・挑発に乗っちゃだめだぞ、未来くん」

高橋が未来を制した。

「・・でも、高橋さん!? くやしくないんですか? あの町の人達をあんな言い方されて・・」

「そりゃ、悔しいさ。私もあそこの住人だが、町がゴミ溜めだなんて思ったことなど無い。むしろ、あの活気と情に満ちた人たちの中で私は自分を取り戻すことが出来たんだ」

「・・・だったら!?」

「・・・奴らはね、こちらを挑発して結束を崩そうとしているんだよ。それに奴らをこちらが殴ったりでもしてごらん? すぐに大事にして再開発を有利に運ぼうと画策する」

「・・・・あいつらのほうがきたねぇことしてやがるくせに・・・・ちっ」

そこで小池が吐き捨てるように言った。

「ああ・・そうだね。だけど、今は我慢するしかないよ」

小池はそのまま黙って何か考え事をしているようだった。


そうこうするうちに玄関に近づいた四人だったが、そこで小池が突然と言い出した。

「・・・すまねぇ。俺、あの部屋に忘れもんをしてきちまった。取ってくるから先に帰っててくれよ・・」

「ああ・・・だったら、私もついて行こう。一人じゃ危ないかもしれない」

そう心配そうにいう高橋に手を振る小池。

「やだなぁ、高橋さん。俺はガキじゃねーんだ。取りに行くくらい一人でいけらぁ。それに何かされそうになったら、足蹴にして出てきてやるよ! 俺もまだまだ腕力には自信あんだからさ」

「・・・しかし」

不安そうな顔の高橋に、古賀が平静な表情で言ってよこす。

「まあまあ、高橋さん。まさか忘れ物を取りに行っただけの相手に何かするほど、奴らも馬鹿じゃないでしょう。それにそんなことをする理由もないですよ。我々は先に帰りましょう」

「・・ああ。じゃあ、小池さん。先に帰って待ってますよ」

「・・ああ、悪いな。高橋さん」

そこで古賀が、先程から松沢に言われてついてきていた黒服の部下に言った。

「ああ・・・それじゃ、小池さんを先程の部屋まで案内してやってくれないか?」

「・・・・わかりました」

そう言ってその男は小池を連れて今来た道を引き返していった。

ただ、その男と古賀の間に何か特別な視線が交差するのを未来は感じていた。

(・・・・・? なんだろう・・・今、二人とも目で何か合図していたような・・・)






小池を置いての帰宅途中の車中で、高橋も未来も押し黙ったままであった。
そこで、古賀が一人いつもの低音ボイスでゆっくりと話し出した。

「・・大丈夫だよ。私に抜かりは無い。ただ、今回はちょっとした賭けをしているところだがね・・」

「・・・どういうことですか?」

謎めいて聞こえた古賀のその言葉に未来は聞き返す。

「・・・あちらもスパイを潜入させているのなら、こちらも潜入させているということさ。お相子だね」

「・・・・もしかしたら、さっきの黒い服を着た人???」

「・・・ああ。さすがに目利きがいいね、未来くん」

「・・・そうでしたか。それだと小池さんも安心か・・・」

そう言って高橋が少しホッとしたような表情をした。

「・・・・・そのことで、お話があるんですけれどね・・・」

「・・・・どういうことですか? まさか、小池さんの身に何か起こるとでも・・・?」

「・・まあまあ、落ち着いてください、高橋さん。そのことについては向こうに着いてからゆっくりしお話しましょう・・」

そう言って古賀は自らが運転する車のアクセルを踏み込んでいた。







花びら荘の高橋の部屋で三人は座り込む。
今では、細かい打ち合わせはこの部屋を使ってすることが多くなった。
ちゃぶ台に乗った三つのお茶を囲んで三人は神妙な面持ちだ。

「それで、古賀さん。さっきの話の続きをお聞かせ願いたいですが?」

座布団の上であぐらをかきながら、高橋が古賀に向かって言った。
同じくあぐらをかき、お茶を一口啜ったあとに古賀は話を切り出した。

「・・実はね、高橋さん、未来くん。先程も言ったとおり、あの黒服の男は私の息のかかった奴で、以前から鈴原に潜り込ませてある。勿論、釘宮にもいるよ。この事件が起こる前から、あの二社にはいろいろと問題があってね。それで、潜り込ませてあったんだよ。今回、いい具合に情報を得ることが出来ている・・」

「・・・そうだったんですか・・・」

「・・・ああ。それで、先程の小池さんの件だが・・・。あれは私はわざと彼の好きにさせたのさ」

「・・・と言いますと?」

「・・・先日、言ったでしょう? こちら側に奴らのスパイがいると・・・」

「ま・・・まさか、小池さんだというつもりですか?」

「・・・ええ。十中八九そうでしょう・・・」

「そ・・・そんな、馬鹿な・・」

信じたくないといった面持ちで高橋は唸っている。

「小池さんは今、病気入院中の奥さんと年老いたご両親を施設に預けていらっしゃる。ご本人自体すでに定年を迎えて働くにお困りのようだ。お子さんが独りいらっしゃるようだが、連絡がつかないらしい。そこを奴らに付け込まれたようですね。彼は居住歴も古く、顔も広い。交渉役としては最適だ。松沢とあのビル内で彼の姿を見たという報告を受けています。そして、昨夜の会合の折、彼は我々の会話に聞き耳を立てていた・・・。これでほぼ間違いはないでしょう・・・」

「・・・・・・・・・」

「ただ、何故今回彼が私たちと一緒にわざわざ松沢の元に出向いたのか、目的がわからないので彼を泳がせようと思ったんですよ・・・・」

「・・・・・・・・小池さん・・・・・・」

そう苦渋の表情で考え込んでいる高橋であった。
そしてそんな様子の高橋を心配気に見つめる未来だ。

「・・・まあ、何かあったらすぐに私のほうに連絡が入るはずですから、それまで待機していましょう。それからですよ、高橋さん・・」

「・・・・うむ」

「・・それでは、私はこれで失礼します。また何かあったら連絡いたします。未来くん、君はどうする? 良ければ送っていくが?」

「あ・・・はい。それじゃ、そうさせてもらいます」

席を立つ二人を高橋が玄関先まで送る。

「とにかく高橋さん。あまり深く考え込まないで、詳細をお待ち下さい。あと、今日のことでまたあちら側に何か変化が出るかもしれない。注意はおこたらないように・・・」

「・・・わかりました」

そう言いながらも高橋の表情は暗い。
そんな高橋と別れて、未来のマンションへと向かう車中の二人。
未来は思わず古賀に質問する。

「・・・・これからどうなるんでしょう?」

「さあな・・・・それは相手方次第だ・・・」

「なんでも知っていそうな古賀さんなのに・・・・」

「ふ・・・それは買いかぶりだよ」

「・・だって、私たちがわからなかった小池さんのこと、まだ来たばかりの古賀さんのほうが良く知ってらっしゃるし・・・」

「・・それは、私はこういった情報を集めるのが仕事といってもいいくらいだからな・・」

「・・・・・・・小池さん、もしスパイだったとして高橋さんはどうするんでしょう?」

「・・・それは、高橋さんの度量の大きさにかかっているんじゃないかな」

「・・・高橋さん、修二さんにも裏切られて、そして今また信頼していた人に裏切られたことになるんですよね・・・」

「そういうことになるが、裏切る方にもそれなりの理由というものがある。その理由に対してどれだけ納得できるのか否かかで、相手に対する感情が違ってくるものさ。まあ、どのみち高橋さん次第だね・・・」

「・・・・そうですか」

裏切るにも理由がある。
その言葉が未来の胸に残った。
里見の裏切りにも何か理由があるのだろうか・・・。
これまでユカリにそそのかされ、権力を欲するがための手段に過ぎないと思っていた。
あの桜の丘で再会した里見のつらそうな表情と言葉を思い出す未来であった。



そして、事態は思わぬ事件の報告を受けることになる。





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