サンライズの「公式設定」の扱いについて、


「機動戦士ガンダム戦記〜一年戦争全記録〜」(2000年発行・アスペクト)の後書にこんな文章があります。



【前略】『機動戦士ガンダム』の世界をゲームとして1つの流れにまとめるとなると、どうしても、画面に現れない部分の補完や、作品間の整合問題など、一定の“解釈”を行う必要がでてくる。
【中略】正直、現状において万人に100%受け入れられる解釈というものは存在しえない。この問題に頭を悩ませていた我らに、最初の一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのは、株式会社サンライズ ライツ事業部 出版課 課長 富田民幸氏の一言である。
「映像作品それ自体のほかに、サンライズの公式設定は存在しない」
つまり、こういうことだ。サンライズが“公式”とするのは、『機動戦士ガンダム』や『第08MS小隊』といったアニメ作品それ自体だけであり、それ以外の設定に関しては、どこのメーカーがやろうがどんな著者が、記述しようが、その本やゲームだけの“解釈”に過ぎないのだ。
ゆえに『ガンダム戦記』の記述も『ガンダム戦記』の解釈に過ぎない。【後略】



サンライズの基本スタンスはこういうことになっています。
また、“現在はバンダイが実質的にサンライズの親会社と化しているので、バンダイのものも『公式設定』とするようにバンダイが強要している”という記述をWEBで眼にすることがあります。
しかし、現在までバンダイ側が「これを公式とする」と発言したのは『機動戦士ガンダムSEED・Astray』シリーズのみです。(これは製作時点で決定されたことでサンライズも納得済み)
OOの外伝シリーズなど一部の例外の除いて、バンダイが「これが公式だ!」と認定している例はありません。


私が個人的にバンダイでガンダムのゲーム(TCG“GUNDAM WAR")開発をしている方と話をする機会があり、そのときに「公式設定についてどのように考えているか」を聞いたことがあります。
そのときも、上記のような事を述べた上で、「このゲームに登場するMSやキャラクターは、あくまでこのゲームのみの『解釈』と考えてください」と言っています。
また、各種作品の『あとがき』や『ライナーノート』などで同様の文章が掲載されているものもあります。
これらのことから、サンライズ・バンダイなどの製作側のスタンスは見て取れると思います。
『設定をサンライズ自身が決定している』わけではなく、『各種メディアがそれぞれの解釈で設定を作っている』という方が正確な表現になります。



各作品ごとの整合性


サンライズやバンダイの立場が「映像そのもの」のみというのなら、映像相互の関係はどうなるの?という疑問が出るのは当然でしょう。
これに関しても、全く同じ理屈が成り立ちます。


TV版「機動戦士ガンダム」の公式設定は、TV版「機動戦士ガンダム」映像そのもの
劇場版「めぐりあい宇宙」の公式設定は、あくまで「めぐりあい宇宙」そのものです。

つまり、Gファイターが登場するのはTV版「機動戦士ガンダム」の公式設定であり
コアブースターが登場するのは、「めぐりあい宇宙」の公式設定です。
作品の数だけ、『公式設定』が存在するのです。


ゲームなども同様で「○○という作品の中の『公式設定』はこれである」と同時に、
そのほかの作品は(参考にしたと言うことはあっても)あくまで互いに別の作品(設定)ということになります。


製作側の理屈で考えれば『公式設定』という言葉の意味はこうなります。
TVと映画と小説とゲームでは、スタッフも違えば考え方も違います。
当然、表現方法も違うわけで『どちらが本当?』という問は作品を作り上げたスタッフにも失礼に当たるでしょう。
ですから、サンライズ側やバンダイ側としてはこういう手段を取っているものと思われます。

また、『作品相互の整然性を重要視する』あまり、肝心の映像作品がどこかで見たことのある話ばかりになったり、全然冒険できないで盛り上がらないといったことになる可能性も捨て切れません。
また、同じパターンが繰り返されることによって視聴者が飽きることも考えられます。
(「宇宙戦艦ヤマト」が良い例だったりします)
そして、そもそも『作品間の整然性をとったシリーズ展開は本当に可能か?』という疑問もあります。

そういう点から、『設定を考察する必要がある作品』は製作時間が取れるOVAやゲームで発表され(0083やEndless Waltz・MSイグルー・ギレンの野望が代表です)、TV版は(あまり)前作とつながりが無いようにして各監督に自由に作ってもらう、というのが今のバンダイおよびサンライズの方針のようです。




一般に言われる『公式設定』とは?


さて、以上はあくまで『製作側』の理論です。
ガンダムのファンサイトなどで『公式設定』という言葉が使われる場合、上記のような意味で使われることは、ほとんどありません。
では、一般に言う『公式設定』とはなんなのでしょうか?


上記の『製作側の理屈』では、作品の数だけ『公式設定』が存在することになります。
それが一番正確で、間違いないことは事実ですが、ややこしいのも事実です。
映像・書籍・プラモ・カードゲームにビデオゲーム。毎年、毎年、数百種類もの『ガンダム』関連商品が発売されています。(年によっては1000を超える場合もあります。)
その全てに『公式設定』が存在するとして、その違いを全て把握できるはずもありません。
また、ファンの立場に立てば、つながりがあるような演出があれば、「当然世界がつながっている」と夢想するのも大きな楽しみです。

だから、ファンの間で「○○という作品については××として扱う」・「○○に登場するMSは××だ」・「○○はさすがに別世界だろ」といった、各作品間の評価や関連が『共通認識』として生まれていきます。


一般には、この『共通認識』の事を指して『公式設定』と呼んでいるのです。


この『公式設定(実質は共通認識)』がバンダイの言う『公式設定(製作者の理屈)』と混同されて誤用されているというのが実情です。
実際のところ『公式設定(=共通認識)』の指す『公』は、存在しません。
『ファンの意見の集合』に過ぎないのですから、極端な話、今までと違う視点で描かれた本やゲームが発売されて、それが売れれば新しい共通認識が生まれ、それが『公式設定(=共通認識)』として扱われます。


これだけ『公』からかけ離れたものを『公式設定』なんて呼んでいるから、おかしな誤解を生むのですよ。


また、WEBなどで『公式設定』という言葉が使われている場面を見ると、定義論争に疲れたときや自分の意見を押し通そうとするときに、「公式設定だから」と特に説明もなく持ち出す例が多々あります。
『史実』・『正史』・『オフィシャル』あたりも、そういう場面で使われる例をよく見かけます。
ちゃんと出典を書いてあるものならばともかく、何の説明もなしに『公式設定で〜』とか『正史では〜』となっているものを読むと、かなり無茶な意見を書いてある場合が多かったりします。


そういうわけで、私は個人的にWEBでなんの出典もなく『公式設定』とか『正史』と書いてある場合は、
前に「僕の(私の)考えた」を枕詞としてつけることにしています。





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