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【 懺悔 】 |
黒、鈍色の空、流れる水、聞こえる声。
彼が、求めるものは、何?
本当の心が、欲している、ものは何?
『何故』『許し』『私は』
言葉など、無い方が、良い。
死者を思い出させる色、あの時から自身の心に棲み付いた、闇の存在証明。
熱、刹那の接触、されど永久に。
神聖に、赦しを、得た。
曇天の空の下、弔いの鐘の音が鳴り響く。
重く深く、人の身体の奥へと、直接伝わってくる振動。
嘆き悲しむ人々の、祈りを大地へと染み込ませて、鐘は鳴る。
多くの人々が空の棺を見送りながら、涙していた中、彼は一人、彼女の両親と共に埋葬場所へと歩いていた。
泣くことしか出来なくなってしまった彼女の義母を、義父と共に支えながら、強く引き結ばれた口元。
黒い喪服の列の中、静かに、ゆっくりと運ばれてくる其れには何の重みも無い。
彼女の遺品すら、無いのだ。
形式的なものでも良いから、もう一度きちんとしたお別れを言っておきたい―――
義理の両親たちのそんな言葉を聞きつけて、数少ない親しい者だけを集めた小さな葬式を行う、と。
突然、彼からそんな話が来た。
『…彼女の祖母上が、墓を建てたそうだ。幼少時代を過ごし、私と出会った―――京都に』
久しぶりに会えば、遠くを見ながらそう言う彼。
『何と言ったと思う? 可愛い一人娘を殺した婚約者であるこの私に、彼ら両親が。
…貴方を、責めることは出来ない、と…私に、感謝、すら』
美しく、眉目秀麗という形容に似つかわしくない、殺伐とした表情。
眉を顰め、ひたすら己を自嘲し続けるその姿。
『感謝、など…一体何処に……っ…!!』
部屋に入った瞬間、身を強張らせる雰囲気があった。
きっと扉の前に立った瞬間から、気配が己であることを察知していたのだろう。
ドアを開け、後ろ手に閉めて、近付こうとしたタイミングで、彼女の『墓』の話を持ち出す。
それ以上動くことも出来ずに、立ちつくして話を聞く格好。
(近付いて、欲しく…無い、か)
たった数歩の距離にいながら、机を挟んだ距離は酷く遠い。
彼の心が己という存在を拒み続ける限り、この距離は縮まらない。
その時も、彼は泣くことは無かった。
棺が埋められていく。
触れることの無い、冷たい大地の底へ。
死者に想いを投げかけてはいけない、だから、今ここで最後の想いを告げてください、と言う。
明日在る者が、魂を引きずらない為に、らしい。
待っていたとばかりに棺に詰め寄り、何人もの嗚咽が聞こえ、涙が大地へと落ちる。
薄いヴェールで顔を隠したままの彼は全て黙って其れを見つめていた。
刻みつけているのだ、可能な限りの記憶野に、この想いを灼き付ける為に。
少し、伏せたままの顔を逸らすこともせず。
「何故、誰も私を責めてはくれないのだ?」
全ての儀式が終わり、全てが偽りの簡易な葬式もすんだ後の養父母たちを見て、彼の言った通りだと、思った。
特に、式の最中ずっと泣いていた義母はしゃんと背筋を伸ばしてから、頭を下げ。
礼ではなく、一言、謝罪を。
“辛いことばかりさせて、ごめんなさい”と、だけ言って別れを告げた。
その後も、式に参列した人々全員が立ち去るまで、気丈な振る舞いを続けた彼は、皆が立ち去った後に呟く。
繰り返し、理由を尋ねる問いかけを。
その場に残っていたのは己のみであったにもかかわらず、
その言葉は俺に向かって投げつけられたものには思えなかった。
「何故…?」
ショーウィンドウに並ぶマネキンのように同じ姿勢を保っていた青年が動き出す。
歯車が軋んでいるような錯覚すら覚える、言葉を口にして。
優雅とも言える動作で墓前の前に立つと、頭を垂れ、何度も繰り返す。
切なる心からの慟哭。
喪ったものが大きすぎて、他に口に出来そうな台詞も無く。
やがて、亡くなった妻の――しかしその中に彼女の骸は存在し無い――墓前に崩れ落ちる。
「…すまない…無力、な私を……許してくれ―――」
唯其れだけを幾度となく呟いてみても。
彼の心が救われることなど無いのだろう。
ずっと、これからも。
此の闇が、彼の心には棲み続けていく。
「…すまない………」
重く垂れ込めた雲の向こう、差し込んでいた太陽の光も徐々に細くなり。
低い唸り声をあげて、天気が変調を警告する。
ぽつり、と頬に当たった水滴が示した天気は死者の哀哭か。
それとも今生きている者たちの?
一粒、二粒、降り注ぐ雨が勢いを増してきても、彼は一向に構おうとしない。
彼の心が示す嘆きの分、悲しみの分だけ、自然の冷酷さに身を委ねる。
どれだけ激しく、天からの雫がこの身を打とうとも、心の激情だけは決して動かない。
いずれ自身を蝕み、滅ぼすものであったとしても、不変に。
黙って雨に打たれているという点では、己とてそれは同じ事なのだが。
互いに傘すらささず、塗れることを厭わずして、空の涙に打たれている、と。
死者を悼む者の姿が斯くも痛ましい場合、見ていることしか出来ない者はどうすればよいのか。
ふと、己の頬に一筋流れた熱い水は、体内からあふれた感情の、一つ?
「私、は―――君、が……君を…」
意味を成さない言葉の羅列。
終わりの無い螺旋階段で、不気味に蠢きを見せる彼の感情が。
孤独に居座ることを許さず、思慕の激流へと呼び戻し、突き放しては、また。
未だお前は生き続けているのだと、其れを忘れる事を許さぬ拍動を続ける心臓に、貫く激痛が、男に気付かせる。
死者に祈りを捧げる為の黒い、喪服。
夜の静寂さを持つ、衣。
しかし其れは生者達の心を隠す為のものではないのか、
自身を静め、心を清く、明日を見つめる為に外界全てを遮断する、色。
残された者の気持ちを死者に伝えること無く、また残された者が現実世界に優しく迎え入れてもらえる唯一の手段。
生きている限り、心は動き、痛みも傷も増えていくのだから。
覚られぬ様、知られぬ様。
死者の為では無く、生者の為に。
(お前は)
生き続けろ。
死ぬことは許さない。
俺より先にも、俺より後にも。
あの時にお前にもらった熱を、今。
返してやろう。
しゃがみ込んだままの彼に近づき、両肩に手を置くと、びくっと大きく震えたのが分かる。
ゆっくり、ゆっくりと顔を上げ、そのまま天を仰ぐようにして持ち上がってきた瞳の中には何一つ見え無い。
「ゼン、…?」
「黙っていろ」
何も要らないのだ、言葉など無い方が良い。
ゼンガーは跪き、肩に置いていた手でエルザムの頬に触れた。
冷たい、と感じたのは一瞬。
不器用な男が初めて自分から好いた相手にした口付け。
唇を重ねただけ、の短い、永遠の時。
どこか神聖さすら帯びた、一時の儀式。
何の? ―――赦しを、与え給う。
刹那与えられた熱が、まるで永遠の赦しにも似て。
彼が機体を黒く塗るのは、亡くした妻を忘れぬように…そんな想いも含まれている。
死者を悼み続ける、その想いを刻み付ける、彼が背負うべきものだと言う。
黒は、死の色。
あの時見せつけられた、自身の深い闇を纏って。
いざ、我らが戦場へ。
<了>
writing by みみみ
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