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【 もう無理。〜想ひ煩いし日々に〜 】 |
いつの間にか重ねた罪。
―――この心の隙間を埋めるために?
血塗られた手が抱くのはこの世でもっとも純粋で愛すべき存在。
―――待てなくなる。
醜く堕ちた瞳が見ることさえ出来ないような。
―――触れる事さえ能わず。
眩い光の中にいる君へ。
―――どうか私の虚偽を見抜いて。
そして、見つけて欲しい。
誰かになでられたような感触がして、エルザムは目を覚ました。
自らの少しウェーブのかかった髪ではなく、確かに人の温もりだったような気がして。
遠い昔の記憶が薄ぼんやりとよみがえるが、それもすぐに消えてしまう。
重い瞼を開け、目をこすりながら焦点を合わせていく。
「―――?」
だが暗い室内に自分以外の人影は見あたらない。
先程まで誰かがいたような気配もしない。
一体自分が感じたのは何だったのだろう。
そう、思っていた矢先。
「目覚めたのか…」
低い声。
電子ロックを解除したドアから入ってきたのは。
「ゼンガー―――」
夢の中でも、光にいる『彼』だった。
「起こしてしまったか…すまん…」
ゼンガーがそう言う。
少し長いなと思う程度の前髪に瞳を隠して。
…時々、邪魔になっているのではないかと思うあの前髪。
(―――ああ…そうか)
己の思惑を隠す時には多少便利なように働くのかと、不意に閃く。
勿論当人にそんなつもりは毛頭も無いだろう。
何故か斜に構えたものの見方をしてしまう、悪い癖だ。
「いや、別段気にすることではない」
伏せていたテーブルに積まれているのはいくつかの書類の束。
模擬戦結果報告書、隊に於ける人事、戦術記録および戦略会議の―――等々。
その一つを手にとって、ゼンガーは眺めていた。
「眠気に負けた私も悪いのだからな」
「…この量、本当にお前一人のものか?」
「ああ」
ため息をつくと同時に、肩をすくめる。
らしくないなと苦笑する表情が、垣間見えた。
「明かりをつけるぞ」
「…いや、ゼンガー―――そこに座ってくれないか」
「?」
「…君に、話したいことがあってな」
「……」
エルザムの声は普段と何ら変わりないように聞こえる。
だが明かりもつけずに話したいこと。
戦士としての勘や、長年親しく付き合った感覚が、違和感を告げている。
―――何かが。
椅子を引き、エルザムの前に座る。
差し込む月光は暗い室内を照らし出し、白黒とした輪郭と明暗を浮き上がらせる。
あまりにもはっきりした視界に、まるで夢のような感覚を覚えて。
逆に思考がぼやけていく。
「私はコロニー統合軍へ戻ることになった」
『君が、ゼンガー・ゾンボルトか?』
『―――そうだが』
『私の名はエルザム・V・ブランシュタイン。
今度、コロニー統合軍から派遣された者だ。宜しく頼む』
『……』
微笑する青年は、そう言って手を差し出した。
だが差し出された方はその笑みに答えようともせず、じっと黙って差し出された手を眺めているだけだ。
しばらくの間が開いて問うてくる。
『…何故』
『何故って…』
微笑する青年はその笑みを絶やさずに。
『今日から君の相棒になったからだ、我が友よ』
出会って間もない人間にいきなり“我が友”発言をされているのだと。
呆気にとられ、そんな自分に気付くのに数秒を要した。
突如気付いてからは表情だけでなく思考が硬直してしまい、また場に沈黙が訪れた。
「……」
「きっともう連邦軍には戻ってこれないだろう」
「…そうだな…」
重く冷たい沈黙が二人の間におりる。
半分以上は、目の前の親友から発せられるものだと分かっている。
しかしまだ言わなければならないことはたくさんあるのだ。
エルザムは更に決意を固める。
「―――向こうに帰れば、私は父の手伝いをすることになる。当然君にも会えなくなるな」
「ああ」
「だから……」
「?」
「だから―――」
「…?」
「忘れて、くれ。私のことを、あの夜の、ことも―――」
「!?」
がたん、と音がしてゼンガーがその場に立ち上がる。
手をテーブルにつき、エルザムを見下ろす。
その行動に全く何の反応も示さずに、淡々と言葉は続く。
「…妻が亡くなって私はおかしくなっていたのだろう、まさか…君と―――」
君につける嘘はこれが最後。
「エルザムっ!?」
「……寂しさだけで重ねた関係に愛があると思うか…?」
これが君への最後の嘘。
「君といる時、確かに私は満たされていた。…確かに……」
君についた最後の嘘。
「だがそれは欺瞞の愛だ。恋などでは生易しい、泥にまみれた心がもたらしたもの」
貴方についた沢山の嘘。
傷つけたり、傷つけられたり。
貴方が悲しむのも喜んだのも私の嘘のせいなのに?
「―――それは、本当の言葉なのか……っ?」
歯を食いしばるかのように漏れ出る言葉。
心を押し殺し、感情を抑え、何かを堪えている声。
冷静ではいられないだろうから。
「―――ああ」
私の嘘は貴方への歪んだ愛の形。
「嘘に満ちた愛に君を引き摺り込んでしまったのは私の所為だ」
例え信じてもらえなくても。
「君の優しい心につけ込んでしまった、私の」
これが最後の愛の形。
「ゼンガー……」
不意に優しく名を呼ばれ、ゼンガーは顔を上げる。
月の光を柔らかに反射する銀の瞳に、こぼれそうな程の透明の雫。
真一文字に結ばれた口は、叫びたい衝動を強く抑えている所為なのか震え。
形容しがたい色に彩られた表情。
困惑、否、それ以上の。
「お前…っ…本当……な、のか―――?」
「そうだとも」
冷たい頬に流れてゆく温かい涙に、嘘で彩られた唇で触れる事ができるのならば。
貴方のその純粋で美しい魂へと、私の心が近づく事を許してもらえるだろうか。
「……っ!!」
…願うのはただ一つ、貴方の幸せなのに。
今にも叩きつけられそうな拳にエルザムがそっと触れる。
震える拳に重ねた掌。
その上に落ちてくる透明の。
美しい貴方の、美しい心から流れる、美しい雫。
(愛しているのだ……だから…)
矛盾するこの気持ちを貴方は恋や愛だと呼んでくれるだろうか?
<了>
writing by みみみ
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