【 零時の。 】

「ゼンガー? いるのか―――」
 開けたドアの向こうに探し人はいなかった。
 壁際に置かれた丸みのあるスタンドライトだけが、その部屋の唯一の光だった。

 基地内にある3つの建物の内、一つは格納庫とそれに関連する研究施設。
 残り二つは今、彼――エルザム・V・ブランシュタイン――がいる事務処理や会議室を含めた管理棟だ。
 ほんの少し前まで連戦続きだったが、ここ最近は大きな戦闘もない。
 戦いが終わるたびに、書類整理や報告をまとめている兵士たちの姿がよく見られたのだが、
当然今は其れを見かける方が少ない。
 日は疾うに暮れ、基地周りは既に空に星が輝く時間帯。
 それでもまだ帰っていない親友の姿を探し、エルザムはこの部屋を訪れたのだ。
 廊下の窓から差し込む、微かな月の光を頼りにここまでやってきたのだが、開けてみるまで確信はなかった。
 しかし、今では確信を持ってここが彼の仕事場だと言える。
(置いてくれているのだな……)
 彼の姿がないことに失望した反面、何故かその灯りを見ると温かい気持ちになれた。
 当然のことかも知れない。
 このスタンドライトは、あまりに殺風景な彼の仕事場にエルザムが置いてみては、と勧めたものだからだ。
 彼自身の住居からしてそうなのだが、彼は部屋に必要最低限の物しか置かない。
 椅子や机でさえ、別段生活できればそれでいいと言って、とにかく質素というか地味と言おうか。
 その程度の物しか置いていないのだ。
 生活感らしさもなく、一種無機質な印象さえ受けてしまうその内装。
 成る程確かに彼らしいと言えば彼らしいのだろう。
 個人的空間である部屋でさえそうなのだからして、仕事場など言わずもがなである。
 部屋の方は部下やエルザムの提言もあって、少しずつ変わってきたのだが、仕事場は相も変わらずのままだった。
 彼自身が拒むのを、どうにか押し切っておいたのがこれである。
 実用的ではないと惨々こぼしながらも、余程丁寧に扱ってくれているらしく、スタンドカバーには埃が余りない。
 仕事場の片隅に置かれているようだが、彼は彼なりに気を遣ってくれているのかも知れない。
『…これを置けと…?』
『そうだ』
 眉をしかめて渡されたものを眺めて彼は呟く。
『…壊してしまいそうなんだが…』
 忙しいときなど周りのことに気を配れる器用な男ではない、と付け加えて。
 困った表情をしながらも、一度は丁寧に箱へしまい、エルザムに背を向けて言う。
『…感謝する』
 照れ隠しだと解るのは付き合いの長さからか、それともこの特別な感情故か。
 部屋の窓には半分カーテンが掛かっていた。
 微かな星の輝きによって、空間が照らされてはいたがやはり昼の光とは比べようもない程に今の時間は暗い。
 目が慣れてくるかと思ったが、其れも少々時間を要するようだ。
 そんな中、淡く空間に浮かぶ灯り。
 一時この場を立ち去らねばならぬ事に気付き、エルザムは名残惜しいとさえ思った。
 大分其れをぼんやりと眺めていた自分に苦笑すると、ドアを閉めた。

(遅くなってしまったな…)
 資料室と仕事部屋の間を行き来している内に、日が暮れたようだ。
 書類が溜まっているわけではないのだが、
報告書に時間をかけすぎたせいか、こんな時間まで仕事をする羽目になってしまった。
 彼――ゼンガー・ゾンボルト――は、自分の不器用さに小さいため息をついた。
 報告書自体は簡単だったはずが、後々に気付いたことが際限なく出てきたのだ。
 それを足している内にこの時間だ。
 提出書類は明後日までだが、予定していたよりも進みは悪い。
 資料室も今日だけで何度往復したことか。
 一度で関連する資料を引き出せない自分を更に恥じる。
(―――まさか、な)
 ふと脳裏に掠めた親友を思い出すが、こんな時間まで残ってやる仕事は彼にはない。
 今数えても基地内にも5人といるかどうか。
 共に帰る約束をしているわけでもないし、彼なら帰っているだろう。
 たびたびこういう事をしでかすゼンガーのことを、彼は良くも悪くもお見通しなのだから。
『君はやはり書類仕事には向かないのだな』
『…そうでもない…』
『いや、そうだろう?』
 からかうような仕草で、ゼンガーが向かっていた書類を手に取り、顔面に突きつける。
『これは何かな?』
『……』
 さも可笑しそうに振る舞って、大仰な身振り。
 親友が結論を言う。
『君の舞台はここではないな』
『何処だと言うのだ』
『―――』
 しばしの間。
 不意に真剣な目つきになって。
『―――戦場、だな』
 仕事場に戻ったゼンガーは机に向かい、再び書類作成に没頭する。
 明日には模擬演習が午前午後と続けて入っている。
 睡眠不足は大いなる敵だ。
 何としてでも此を予定していた分量まで進めてみせる、と意気込んだ。
 そもそも、と思い直してみれば。
『あれー? ボス〜、これ何ですかー?』
『前までなかったですよね』
『……』
 にぎやかな部下3人がそろって何を訪ねてきたかと思うと、
妙にそこら辺は女性らしいと言おうか。エクセレンがそれに気付いた。
 確かにと頷くブリットと、表情変わらず視線を投げかけてくるキョウスケ。
 完全に解っているんだろうと言いたくなるエクセレン、
解っているのか微妙に判別しにくいキョウスケ、きっと解っていないだろうブリット。
 お前ら整備はどうした…!と言いかけたところで、キョウスケは先手を打ってきた。
『成る程―――エルザム少佐、か』
『あらら、そうだったの〜。ボスも風上に置けないわねぇ』
『オシャレですねー』
 3人3様の感想を好きなように言ってから、失礼しましたーと出て行く部下たち。
 何をしに来たのかは解らないまま、ゼンガーは机に突っ伏した。
 とにもかくにもああいう部下は面白いが疲れる、とでも考えたのだろうか。
 調子よく進んでいた書類はそこで一時中断された。
 次からはドアに張り紙か、鍵でもかけておいた方がいいのかも知れない。

 帰り支度もすみ、エルザムは再び彼の仕事部屋を訪れた。
 廊下を曲がってから見えた部屋の灯りに、やはりと思って。
(未だ残っていたのだな)
 ノックをしてみたのだが、返事はない。
 いつもならノックをする前に「…エルザムか」という声が聞こえるのだが。
 数回試したところで思い切って中に入ってみると其処には。
「………」
 さてどうしたものか。
 自らの荷物を取り敢えず側のソファーに置くと、彼に近づく。
 近寄るとますます解るのだ―――彼が眠っていることに。
 中身が入ったままのコーヒーカップを見つけて察するに、
意気込んだは良いが結局睡魔には勝てなかったと言うことだろう。
 自分よりも余程前線に立つ身だ。
 演習や模範としてかり出されることもしばしば。
 加えて部下の個性の強さ。
 剛胆な性格と言われてみても、周りから見れば苦労性であることに代わりはない。
 昔と変わりはしないのだ、そう言うところも。
 すやすやと余程深く眠り込んでいるのだろう、エルザムが側に立っても起きる様子がない。
「…ゼンガー…?」
 試しに呼びかけてみても安らかな寝息が聞こえるだけだ。
(―――無防備なのだ、君は……。本当に)
 上下する彼の背に手をかけ、そっと耳元に唇を近づけた瞬間。
 彼の身体が動いた。
「!!」
「…う……」
「―――お目覚めかな?」
「………え、エルザム!?」
 心底驚いてゼンガーはエルザムを指差した。
「お前、帰ったんじゃないのか!?」
「私が君をおいて帰るわけが無かろう?」
 いや、そう言うときもあるにはあった。
 喉まででかけたその台詞をおいて、ゼンガーはエルザムに問うた。
「何故?」
「何故?」
 反復して返すエルザムの瞳がいつぞやと同じような輝きを放っている。
 そう返されて詰まってしまったのはゼンガーの方だ。
 困惑した瞳が何かを思案していたようだが、其れもすぐに終わった。
 小さくため息をついて――わざとらしく肩も下ろして見せたりもした――書類に視線を落とす。
 と、同時に目に入った時刻に驚愕する。
「零時―――!?」
「そのようだな」
 しれっとした親友は明らかに解っていて言うのだろう。
 普段の余裕に更に磨きがかかっている。
「…エルザム、お前……」
「私は先程ここへ来たばかりだが?」
「……」
 言いたい台詞の先を読まれて出た言葉にゼンガーはますます言葉を無くした。
 脱力感以上に何かもっと投げやりな気持ちがわいてくる。
 大きくため息をついてみても、事態は何も変わらない。
 仕方がないので恨めしく隣の親友を睨んでみると、親友は微笑を浮かべていた。
「…可笑しいか」
「いや、可愛らしいなと思うだけだ」
「……」
 一瞬顎が外れるのではないかと。
 むしろ頭のネジが無くなるのではないかと。
 さらりと出た言葉を噛み締める前に、ゼンガーは目を丸くした。
「―――ゼンガー」
「何だ」
「今日は諦めたら如何かな。…と言っても、既に“今日”ではないのだが」
「それ、は……」
「働かぬ頭で仕事をしても効率が悪いだけだろう」
「確かにそうだが、しかし…」
「もし間に合わぬようなら私が手伝おう」
 己の仕事に親友の手を煩わせてしまうのは心苦しい。
 しかしどうやらそうも言ってはおられぬ状況になりつつある。
 逡巡した結果、ゼンガーは手伝いを頼むことにした。
「だが」
「だが?」
 未だ何かあるのかと、振り向くと。
「!」
「…報酬を頂こう」
 くい、と軽く捕まれた顎に重ねられた唇。
 触れた数秒の間停止していた思考が急激に熱をあげた。
 火照る頬が全身に浸透していく。
「な…なっ………何、…」
「報酬だ」
「そういう…っ…!」
「…まあ勤務中に甚だ不謹慎ではあるが……仕方ないな、我が友よ?」
 何がどう仕方ないと言うんだ…!?と思うゼンガーにエルザムの細い指が触れる。
「可愛い君が悪い」
「馬鹿か…」
 そう言って今度はゼンガーの方からエルザムに口付ける。
 口内に甘い余韻を残したまま。
 真面目にそう言うエルザムの瞳を覗き込んで、ゼンガーは諦めの笑みを浮かべた。

<了>

 writing by みみみ

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