【 愛されてる? 】

「…どうした?」
「……」
 答えない親友。
 眉根を寄せたまま、気難しい顔をして。
「…何故…」
「?」
「いや、なんでもない」
「その様子でそう言うのかな? 君は」
「…ああ」
 頑迷な己を折ることはないと、固く誓ったまま。
 ゼンガーは瞼を閉じた。
 腰掛けた椅子に背を預け、瞑想する。
「―――私はお邪魔なようだな」
「いや、そうでは…」
「気を遣うべきは私の方だ、ゼンガー」
「やめてくれ―――」
 両手で顔を覆う。
 低く漏れた呟きに、エルザムの動きが止まった。
 いつものような悪戯めいた瞳ではなく、どこか虚ろな瞳で。
 深い緑の瞳が少し、細くなった。
「どうして…お前は……」
「……」
 仰ぐようにしていた顔をゆっくりとした動作で下ろし、両足に膝をつく。
 ―――まるで祈るような姿勢になった。
「どうして…」
 悪夢にうなされているのか。
 何を見ているのか。
 考えていることは何なのか。
「お前、は―――そんなにも……?」
「……」
 エルザムが一歩近づこうとした。
 其れを拒み、立ち上がる。
 表情の一片たりとも見せず、部屋を出て行く。
 呼ばれたかも知れないと頭の片隅が言ったのだが、足は止まらなかった。

 歩くことさえ辛くなった。
 部屋を出てからも胸の内をかけるのは秘めた想い。
 全身を流れる血脈にのり、全身に浸透した筈の心の断片。
 記憶で更に重ねられてゆくこと。
 遅々として進まぬ足がもつれ、蹌踉めく。
 壁に手をつき己の身体を支えるが、目眩を覚えて立ち止まる。
「情けない……」
 自嘲するような色を唇に浮かべる。
 髪と同じ色をした瞳が、輝きを喪った濁りを伝える。
 それでも涙が流れることはないのだと、深く思う。
 涙、さえ。今の自分には。
「何故?」
 思わず口をついて出た言葉が更に己を傷つける。
 自問すればするたびに同じところへ行き着いてしまう。
 辛い、全てが、何もかも、痛い。
 とうとうゼンガーは歩くことを諦めてしまった。
 それでもあの部屋からは大分離れた場所。
 腰掛けるところが何もないので、そのまま座り込む。
 人気の無い暗い廊下、ひんやりとしたその床に、愛しささえ覚えてしまうことが。
 何よりも今の心境を如実に表して―――……?
「…頼むから、もう……」
 優しくしないで欲しいというのに。

 愛されていることに不安を感じる。
 何故自分が愛されるのか。
 こんな自分が。
 どうして愛されているのか。
 世界全てが残酷な嘘をついているようで。
 愛しい親友でさえその瞳に怖くなり。
 哀れんで、怯えて、畏れて、拒む。
 けれど、近づき、触れ、そして。
『愛している』
『…ああ…』
 嘘だ、嘘だろう?
 その優しい言葉も瞳も。
 触れてくる手には何が含まれている?
 満たされる心と離れていく心。
 暖められる前に冷める思考が冷静に現実を判断する。
 ―――夢はいつか終わるものなのだ。

「…! …!」
「…っ…」
 呼ばれているのは自分の名、探しているのは彼の思い人。
 余りのその嬉しさに一瞬声に答えようかと顔を上げる。
 だがしかし思い直して、その場を離れる。
「…エルザム……」
 口に乗せるだけで引き裂かれそうだと。
 呟くだけで甘い陶酔が視界を染める。
 誘惑に負ければ、彼の胸の中へ逃げ込めるだろう。
 そして彼はきっと優しく抱きしめてくれるのだろう。
 何も聞かず、ただ黙って。
 己はそれに甘えるだけで良い。
 幸せに、幸せだと、思いこむことが出来るから。
「…エルザム…っ…」
 それは本当の幸せではないけれど。

『…馬鹿になりそうだ』
『馬鹿?』
『お前の温もりに、その優しさに―――』
 慣れてしまったら、もう離れられなくなるかも知れない。
 いなくなったときの冷たさに、耐えられなくなってしまうかも知れない。
『甘えているのだ、俺は』
『私としては君が馬鹿であろうと、何も構わないのだが…』
『甘やかすな』
『甘えて欲しいのだ』
 ふふ、とエルザムが笑う。
 つられて少々の綻んだ顔をする。
 甘い時間。
 永遠のような華奢で儚い。
 切なく愛おしく。
 刹那現る闇の姿を見てはいけない瞬間。

「ゼンガー…」
 エルザムはようやくゼンガーを見つけた。
 廊下の壁を背にし、そのまま座り込む形で彼がいたのだ。
 ほっと胸をなで下ろそうとしたが、見つけてしまった彼の雫。
「……!!」
 隠された瞳から零れる一筋の涙。
 声を押し殺してひっそりと泣くのではなく。
 引き留めたくて感情のまま泣くのではなく。
 ―――ただ無意識に。

 お前がいないとダメだと思うのに、それを拒んでしまう。
 恐怖に支配されたこの心だけでは答えることが出来ないのに。
 愛しているのに、愛されているのを信じられない。

<了>

 writing by みみみ

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