【 対峙する者たち 】

 ある連邦軍基地より少し離れた所に丘がある。
 基地周辺の哨戒任務で数多くの兵士達が目にするものの、実際に行った事はないという場所だ。
 近くであればある程、その存在をついつい蔑ろにしてしまうのが人というもの。
 しかし、逆に其れが利点である事を、よくよく知っている人物達もいた。
 春は桜、秋は紅葉を楽しむ事の出来る――それ故に上官達の間でのみ、かなり有名ではある――その丘は、
戦場と常に隣り合わせでありながら、まるで時間の流れがそこだけ違っている様にも思われた。
 古来より、人は自然に対して時の流れを想う。

『…行くのか?』
 書類整理も終わった親友が立ち上がるのを見て、青年が声をかけた。
 親友は短く肯定する。
『ああ』
『ならば付き合おう』
『…別に、構わんのだが』
 何処か憮然とした表情をしている様に見えても、内心は困惑と言った所か。
 だが差し当たって男には断る理由がない。
 共に連れ立って丘を目指す。
 彼らも又、この基地でその丘の存在価値を知っている少数派だ。

 新緑の木漏れ日が大地に降り注ぐ。
 気温としては初夏なのだが、今日は風があるので木陰に入ればさほど気にもならない。
 深く大きく根を張り、天へ向かって枝を伸ばす1本の木がある。
 何やら謂われの有る木らしいのだが、真相は分からない。
 別に拘りもしない。
 そんな木の傍に二つの人影。
 一つは膝に革装丁の本を持ち、読書を楽しむ者。
 背中に流れる金の髪、光の加減で深さを変える緑の瞳。
 青年――エルザム・V・ブランシュタイン――は半分ほど読み終えたところで、ページに栞を挟んだ。
 が。

 とす

「?」
 そのまま本をたたもうとした手を思わず止めてしまった。
 左肩の感触を形容するならば、そうとしか。
 ついで聞こえてくるのは安らかな寝息と思われるもの。
 そっと顔だけを動かして横をのぞけば―――。
「…ふ…」
 青年が柔らかに微笑した。
 もう一つの影、愛する親友――ゼンガー・ゾンボルト――がこの気候に負けていた。
 身体を制御する事の出来る意識は、既に深い眠りの森へと迷い込んでいる為、
しっかりとこちらへ身体が倒れ込んできてしまっている。
 手が本のページとページの隙間にあるところを見ると、落ちてきた瞼に耐えられなかったらしい。
 定期的に上下する身体はとうに本人の預かり知らぬようで、だんだんと重みを増す一方。
 成る程、確かに眠気を誘われても仕方が無いな、と青年は思う。
 2日連続で立て続け任務シフトと、慣れない――この男が苦手としている――報告書作成のデスクワーク。
 気分転換に外で読書を試みたのだろう。
 地獄と呼ぶに相応しい、暑い夏が来る前に。
 花咲き誇り、緑芽生える春が終わる前に。
 何よりも自然の循環をこの目で、肌で感じ取る為に。
 残念ながら読書ではなくうたた寝に変わってしまったが、其れも又。
(…私にとっては大切な時間だ)
 軍人である以上は任務を優先させるべきで、感情は要らない。
 しかし、其れが無くなれば自身の感情の方こそ。
 悠久なる大地の時間に比べれば、ほんの瞬き程しかない瞬間に抱いた思いを大事にするべきだろう。
 人の命には限りがある。
 戦場で散る運命は分からない。
 皆等しく、敵によって打ち倒される宿命を背負うのだから。
 なればこそ、今この瞬間を慈しんでおきたい。
「…と、…」
 相手を起こさぬようなるべく心がけて身体をよりよい方にずらす。
 しかし余程深く眠りに落ちているのか多少揺らした程度では何の反応もない。
 試しに肩を指で叩くが、無反応。
「……」
 半ば笑いがこみ上げてきた青年は無防備な親友の顔をのぞきこむ。
 普段なら常に寄せられている眉間も今は緩められており、本当に『柔らかな』寝顔になっている。
 天使――と言えばまず本人が嫌がるであろう――とまではいかなくとも、時の流れに在らずな表情。
 普段は無意識でしか見る事の出来ない彼の表情に、青年の顔もつられて笑ってしまう。
 優しく、穏やかに、可愛らしい寝顔。
 そよぐ風に癖のあるやや長めの前髪が浮く。
 僅かな太陽の光を反射しながら。
 戦場に身を置き、常に先陣をきる任に在る者としては驚く程に、静かに眠っている。
 同時に早々起きぬ程に、深く。
 此処ではない、現実と夢の狭間へたゆたう。
 武人として気配が近付けば起きる程の男が、揺らしても起きないその理由。
 まさか狸寝入りという訳でもあるまい。
 其れが出来る程器用ではない事も知っている。
 つまり。
(安心、しているのか……)
 預けられたのは、信頼。
 全体重さえ任せられて。
 以前告げられた言葉の通りに。
 お前を、信じている、と。
 何となくよぎった考えに熱い想いが応える。
 それに任せて上げた手は途中で止まった―――近づいてくるある気配に。
 足音に耳をすませて、『その人物』を待つ。
 一度伏せた瞳を再び上げるのと、足音が止まるのは同時だった。
「エルザムか?」
「…如何にも。ギリアム」
 軽い驚きと困惑の表情と、妙に楽しそうな表情が交差した。

 現れた人物は顔の右半分を完全に自身の髪で覆っていた。
 緩やかに流れる髪の色は紫。
 その瞳に深い思惑と考察力を具えているのだろう、不思議な雰囲気の青年。
 立ち止まった青年――ギリアム・イェーガー――は、やがてエルザムの膝にある本に気づき、状況を察した。
 状況判断の素早い点が、彼の優秀さを物語る。
「読書、か…」
 そうだ、とエルザムは答えて君は?と聞き返す。
「私は単なる散歩だ。…実は時々ここに来てはいるのだが」
「ああ、同じだな。つまり…今日はお互いにここを訪れるタイミングが合った訳だ」
「そうなる」
 そこまで言ってから、差し出された手を見、一礼をして近くに腰を下ろすギリアム。
 ぼんやりと景色を眺めながら彼は呟いた。
 初夏の微風が頬を撫でる。
「お前は変わらないな…」
「?」
「あれから5年以上が経つが、俺はお前に未だ追いつける気がしない」
 5年。
 其れが長いのか、短いのか。
 いずれにしても其れを決めるのは個人での話。
 時に対して全く同一の共通認識を持てる日など、きっと来ない。
 近似の意識を持てたとしても。
 どちらかと言えば独白に近い様なギリアムの言葉。
 淡々とした喋り方は懐古するには十分な速度で言葉を紡ぎ、それらの記憶を闇の襞からすくい上げてくる。
 5年前―――連邦軍内で選りすぐりのエリートパイロット達による組織が結成された。
 その名も特殊戦技教導隊。
 現在、主力機となっている人型機動兵器の運用及び戦略の基礎を築き上げた試験的部隊。
 初代ゲシュペンストを使用しながら、様々なデータを量産型へと移行していく中で。
 悲劇は突然訪れたのだ。
「変わらない、か…?」
 エルザムが聞き返すと、ギリアムは肯首した。
「……」
 緑の瞳が一瞬だけ影を帯びたが、すぐに元へと戻る。
 何も辛い記憶ばかりではなかったのだから。
 そう、多くのものを得た。
 掛け替えの無い素晴らしい友人達を。
 そう思い直し、連なる記憶の回想を打ち切る。
「だがギリアム、君は本当に強くなったな」
「いや…」
「君と戦場で見えた時、私は何度命の危機を感じたか…
無論、あの時は負ける訳にはいかない理由があった―――お互いに、な」
「……」
 戯けていながらも、青年は言葉に潜む雰囲気の変貌を感じる。
 同じ時を過ごした部隊の仲間であり、かつての敵であり、そして今は肩を並べる戦友を。
 紫の瞳が静かに見据える。

 DCが掲げた世界征服の裏に潜む新たな力を育成させるという大義、
それを感じながらも確かめずに死ぬ道理はあの時なかった。
 外宇宙からの危機が迫る地球圏の未だ収まらぬ争いを止め、一丸となって立ち向かわなければならない。
 だが仮に統一が叶ったとしても、対抗出来る力が未だ育っては居ない。
 とるべき道は、生という名の降伏か、死という名の抵抗か。
 そう感じた一人の男に賛同する者が一人。
 真の目的は世界征服ではないと、一部の者が気付く。
 ―――隠された真意は一体何処にある?
 それはエルザムも同じ事だろう。
 むしろ理解したからこそ、敢えて愚かとも言える行動に参加したのだ。
 ビアンにしてもマイヤーにしても自らの結末を覚悟しており、最後を全て次の世代へと託した。
 斯くて青年は道を選ぶ。
 弟に恨まれても否定をせずに、父親の最期を見届ける。
 死ぬ事で償うのではなく、生きてその理想を叶える為に。
 想いを無駄にしない為に生き残る必要がある―――例えそれが最も辛い道になるとしても。
 互いにいつか肩を並べて歩む事になるその日まで、死ねない理由があった。
「だが俺はお前のように…彼、のようには動けなかった。それでも?」
 突然部下達の前に敵として現れた彼の存在。
 裏切り者の汚名を被り、青年と同じ道を歩む事を決断した。
 新しい世界を作り上げる者達の前に立ちはだかる、乗り越えるべき、壁として。
 理由さえ告げなかったその姿勢は、更に厳しいものなのだ。
 無論、導き手が他ならぬ青年自身であった事も事実。
 あの時この青年は何と男に呼びかけたのだろう。
 ギリアムは顔を上げて驚く。
 見えたのは珍しく呆気に取られた――目を丸くしてこちらを見る――彼の表情。
 やがてゆっくりと唇に色どられたのは艶やかな笑み。
 明るい緑瞳の中に悪戯な光を見てとれるのは気のせいだろうか。
 その唇に立てた人指し指を添え、片目を瞑って。

(喋り、過ぎ、た)

 唇だけを動かして、そう言葉にする。
「…?」
 先程よりも更に声を低く下げ。
 まるで幼子を諭すかの様な優しさで。
 風に金の髪を揺らしながら。
 瞳を細めて心を隠しながら言う。
「今も、昔も、君に…譲れないものがあるだけだ」
 だから私は君に勝てるのだ、と言外に仄めかしている。
 譲れない、譲らない事の、決意の証。
 負ける事が許されない戦を、彼は幾度も味わってきたのだと。
「君は充分に強い…強くなってきた、だがそうだと言って負ける訳にはいくまい…」
 エルザムはそこまで言ってから真っ直ぐにギリアムの瞳を見据える。
「彼、と共にいたい想いは―――例え君でも偽れ無い」
 今度はギリアムが目を見開く番だった。
 慌てて立ち上がりエルザムの隣にいる『彼』をゼンガー・ゾンボルトの姿を、漸く目に入れる。
「……!」
 後はもう絶句しかなかった。
「…成程…」
「……」
 緑瞳と紫瞳が交差するのは刹那だったが、相反する激流の感情は互いの視線を遥かに超えたところにある。
 5年前より続く永き闘争―――ただ一人の為に。
「…では、失礼しよう」
「…ああ」
 一礼をして青年が去ると、肩越しにぼんやりと聞こえる声。
 それが今は夢現の漣に在る男の言葉であっても、彼は応える。
 必ず、あの青年との次の戰にも勝つ為に。

<了>

 writing by みみみ

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