【春は白く】

 ―――疑っても良い。
 信じられないと呟いた言葉に対する返答は、そんな一言だった。


 あぁ暇だと男は呟く。
 この街に住み始めて暫く経ったが、教会という信仰のシンボルがあると知ったのはつい最近のことだ。
 治安は良くも悪くも無いが、信仰篤い人々が多く居るわけでもない。
日々の欲望を神様に語りかけることはあっても、本当に信じているかは別問題。
神にお布施を渡すくらいなら、明日のパンの為に残しておく方が建設的だと思うのだろう。
 だから、きっと疾うの昔に人々の周りから神は死んだものとして扱われているに違いない。
休日の――一般的には休息日と呼ばれる日であっても――此処には人っ子一人居ない。
寧ろ、居るのは人ならざる者。
 人ならざる存在が、竜胆色に似た瞳をゆっくりと持ち上げて見つめたのは。
 十字架に掲げられた、細く痛ましい神の御子。
 何故だ―――祭壇に在るのは人の為の神だろうに、今其の神の目の前に居るのは人では無い。
 一応は傍目でみて分からないほど精巧に出来た人形とでも思えば良い。
人の形をしていて、血も涙もあって、人と同じ、心と呼ばれる何かと思考がある。
にもかかわらず、自分たちは人では無い。
 更に言うならば、自分には祈りも懺悔も無く。感謝も憤怒も無い。
 不条理と不平等な人生を嘆くよりも先に、日々の糧を探したい。
 日々の糧とはつまり、自分を死へ向かわせないための欲望を充足させる何か、で。
 ―――平たく言えば、性欲だとか食欲だとか言うもの。
 ついでに、闘争心とか破壊衝動といったようなおまけが付いてくるのが玉に瑕かもしれない。
 其の事でよく、怒られたりもする。
「……ふわぁ」
 大きなあくびを一つして、腕を大きく伸ばす。
 天窓から差し込む太陽光がステンドグラスの鮮やかさを床に落としている。
 世界が平和であればあるほど思い出すのは、生と死の境目を行き来する夜の思い出。
 昼の世界へ少しずつ馴染み始めた今でも惹かれて已まない、刹那。
『壊れんじゃない、死ぬんだって何度言えば分かる…!?』
 そう、叱られたのはいつ頃だったか。
 向けられた感情の名は怒りで、だがどうして其れが自分に向かってくるのかが分からず。
 冷静に見えて激情を振り回す白き死の騎士。
 美しい姿を瞼の裏に描き、今日の昼ごはんは何にするかなと取り留めの無いことを考えることで、
思考を徐々に明るい世界へと戻す。
 何よりも、此処は自分の居るべき場所ではなく、本来神父という信仰篤き人間が監督するべき場所だ。
今こうして在るのは何も自分でなくとも良いと思うのだが、頼まれたからには仕方が無い。
―――例え其れがいい加減な信仰の徒であったとしても、約束は約束なのだから。
 ―――ずいぶんと、律儀になった。
「…眠ぃ」
 普通冗談だと思うだろ、まさか酒を飲んで意気投合した相手が聖職者だったなんて。
 朝は夜明けと共に起き、聖書の研究や地域への奉仕活動で日々を過ごし、
食事は神への祈りを欠かさずに、そして夜は早々と寝てしまう―――あの時出会った神父は、
子供でも知っていそうな聖職者のあるべき姿とはどうにもかけ離れた人間だったのだ。
 だから、今自分が此処でこうして聖職者の代理人をしているのも、
ほんの二週間前に知り合ったそいつから地域神父の連合会だか何だかの会合があるからと
留守を頼まれたからで。
 飲み屋で意気投合しただけの他者に、いきなり大切な信仰の場所を任せるのもどうかと思うのに、
更には『懺悔室なんて殆ど世間話でしか使わないよ?』と神様もびっくりな発言をして
適当に出掛けたのも相当いい加減な話。
 信仰の先に居る神様とやらにばちが当てられても知らないぞ、と言いたくもなる。
 確かにこの小さな町には信仰の為に日々のお金を費やす人間は多くないというかかなりの少数派だろう。
だからこの教会の主が今、誰であっても構わないとは思うのだが。
―――金目のもんも無いしなぁ…。
昔ながらの悪い癖がついつい視界の端から端までを嘗め回した後、こっそりそう考える。
簡素も質素も通り越したシンプルな教会の講堂には、
聖者が掲げられた十字架と、礼拝のための台座しかないのだから。
 ―――ま、そんな奴だからこの留守番を引き受けたのかもしれないけど、ネ。
 聖職者が酒を飲んでもいいのかと聞いたところ、
『こうやって夜の町を回って信仰を説くことも立派な勤めの一つだ』と言い放てる性格である。
どう贔屓目に見ても『信仰を説く』姿には見えなかったとは言わぬが花だ。
 とは言うものの、季節は陽光麗らかな春であり、窓から差し込む光は眠気を誘う。
しかも今日の天気は雲一つ無い晴天で、こうして室内に居るのが勿体無い位だ。
 春の嵐とも言うべき灰色の空も無く、約一週間ぶりの好天と天気予報も言っていた。
 町ですれ違う人はみな何処か嬉しそうに楽しそうに買い物をしていたり、お茶を楽しんでいたり。
 にこやかに。朗らかに。
「……」
 昔は理解できなかった感情に、男の眼差しが柔らかくなる。
 人、ではなくとも。
 偽者であっても。
 ―――多分、良いのだろう。
 さて、此れでも自分としては真面目系連続時間の最高記録を更新したと男は壁の時計を見た。
寒い冬を乗り越えて綻んできた花がそろそろ見頃を迎える頃という事もあって、
頼まれた留守番を少しはサボっても良いかと考えていた、瞬間。
「………は?」
「………あ?」
 教会の扉が開き、即座に代理とは言え神父として何とか振る舞おうかと身構えた瞬間、
あれだけあった眠気が何処かへ吹っ飛んだ。
 ―――待ち人は来れり。
 お互いがお互いを指差して、何でお前が此処に居ると叫ぶまで後数秒。
 こんな所で出会う筈の無い相手が目の前に居た。

****

『…アタシはアンタが嫌いだよ』
『ああ、知ってるよ』
 透徹の眼差し。
 上空に浮かぶ月と似た輝き。
 自然落下の重みを両腕で受け止めて―――お帰り、と囁く。
『だけど……やっぱり、決着はつけないと』
『満足した?』
『かもね』
 珍しく不確定な言い方をするなと思っていたら、仄かに香る白檀の其れが。
 嗚呼、きっと終わらせてきたのだろう。
 後は彼らの問題だから、と。

****

 ―――会えるならばきっかけは何でも構わないが、其れが必然でも約束でもないなら面白い。
 下がる目じりを抑える気など初めから無く。
 だからといってこのままにやついていると向こうの機嫌が悪くなることは必須。
 きれいな髪だよなと褒めて触ろうとしたら逃げられるので、仕方なく自分の髪を指に巻く。
 誰かに似た性質の、青の髪。
「ふーん、そういう事…」
 講堂に置かれた木製の長椅子にはいわゆる聖書と呼ばれる神様の経典が備わっている。
 曰く人に優しくしなさい、曰く妬んではいけません、曰く―――汝、姦淫することなかれ。
 自分にとってはどうにも性に合わない言葉ばかりが並んでいるので手にとることすらしなかったが、
相手の興味もさほど深いわけではなく、ぱらぱらと軽くページをめくりながらこちらの話を聞いていた。
 然し―――反応からすれば、きちんと聞こえていたかは甚だ疑問だ。
「だから俺は別に此処に居て不思議じゃ無い訳で。…で? ラン様はどーしてこんなヘンピな場所へ?」
「アタシはてっきりアンタが重〜い犯罪でもしたのかと思ってたよ」
「ラン様を好きになるのは罪ですか、って?」
「…馬鹿?」
 ―――アッサリと馬鹿扱いされた告白は兎も角としても、
此処へ来た理由はどうにも聞けそうに無いなと男は復活してきた眠気に負けて、小さな欠伸をした。
 無理強いをしてまで聞き出したい内容でもないし、
こういう時に喧嘩をすると――相手の難しいその性格を知っている分――妙に
後へ引きずると予想できるので、このまま聞かないほうが良いだろう。
 頑固と言うよりは意地っ張りと言ったほうが可愛いため時折そう表現するのだが、
残念ながら本人には不評の様子。
 何よりも、此方はここに居る理由を妙な出会いの経緯も含めて
じっくりゆっくり説明したのに、返事はとても普通で。
表向きは落胆して見せるものの、淡白に見える表情すら、横顔を眺めては愛しいと思う―――
淡雪には似ても似つかない峻烈の凍えた瞳を知っているからこそ。
 だから馬鹿って言うなら恋する馬鹿って呼んでネと言えば、
馬鹿は馬鹿であって馬鹿以外の何者でも無いよと返される。
 ―――凄いな、この数分だけで何回馬鹿って言われるんだろう俺。
 そんな他愛も無い会話を繰り返して、けれど本音は見せず。
 他人の前で畏まる事を知り、主である人間に対しては一定の線を引く。
 自分が何者であるかを理解した上での振る舞いは、彼女に一つの仮面を与えた気がする。
 昔の彼女がどのようなものであったかは知らないため、
異空間のものと同化しているのだと―――化け物だと自分を冷笑する姿勢を鼻で笑ったら怒られ、
まとめて愛してあげるよと口説いたら拳が返ってきた。
何となく、理不尽な。
 自分は自分であって他者とは異なるのだと自覚することは悪いことではない。
 然し、相違点が自己を貶めるものであってはいけないと、いつか誰かに言われた。
(なぁ兄弟…こんな、こんな小さな会話ですら)
 楽しいと感じる、今の自分を許してくれるだろうか。
 ―――冷たい印象を一瞬受ける横顔が、たまらなくとろけた瞳をして自分が欲しいと言ってくれた、
あの日の事を思い出させて。
 誰とも無く、許しを、慈悲を願う。
 場所が場所なので、本来ならば神に祈るべきかもしれないのだが、
生憎と十字架に掲げられた神様とやらを自分は信じていない。
信じていないものに祈ってどうするのかという疑念の下、だが何かに祈ってしまうのは何故だろう。
 信じることに我が身を捧げた神様。
 難しいのは、其のたった一つを信じられる自分自身を信じぬくこと。
『あーあバカだね、アンタ本当にバカ…アタシもだけどさ』
 抱き上げた身体は思った以上に軽く、抱きしめた身体は兎に角細かった。
 うっかり壊してしまうのではないかという恐れが、いっそ壊してしまいたい衝動が、渦巻く。
 月の様に。雪の様に。
 けれど、白氷の槍は赤い血の色と熱を知っている。
 彼女というか彼というかライン・ヴァイスリッター――通称ラン――という機械の身体を持つ恋人は、
いわゆる自分と同じ存在だ。
―――本来は機械の身体を持ち、人に使役され、軍の兵器として生きるだけだった存在。
 壊れれば修理によって直され、新型機の登場でスクラップにされる運命を待つだけの存在が、
何故人間の身体を得たのかは知らない。
 身体を得た当初は、面倒だと投げ遣りに怠惰そのままで生きていた。
見る世界が変わり、視線が低くなったところで特別の感情など芽生えず、心は腐っていった。
結果として、良い面と悪い面での影響を自分にもたらしたが、とりあえず今は良い状況にある。
『…好きだ、ラン』
 未だそんな青臭い言葉を臆面も無く自分が口に出来るとは思ってもみなかったが、
その言葉にきちんとした返答があった。
―――微かに潤んだ眼差しと、綻んだ笑み。
 偽りの王が、初めて知った自分だけの騎士。
 白く美しい純粋な。

****

 風の強い日は何処かへ遠出をしたくなる。
 ならば一度彼女の元へ、自分が馳せ参じてみようかと気紛れに足を向けた。
 そして、見つめる。
『……』
 声をかけるのを躊躇ってしまったのは、感情を殺しすぎた瞳を見たから。
 思いつきで遊びに行った庭先に佇むのは白騎士と。
『……あれが』
 ―――戦場の鬼神、墨色の守人、御隠居に甘んじるには未だ強い、超闘士のタイプ零。
 周りを駆ける二つの色は赤と青。
 親子でも兄弟でも恋人でも無く雪の世界の中で戯れて。
 満たされた空間の中の、空虚さを白騎士は振り返らずに去っていく。
『………』
 どうして、と問わずには居られない。
 あんただって其処に居れば良いじゃないか、と。

****

 目の前には愛する恋人。
 人気の無い空間―――正確には誰も来なさそうな、空間。
 時間はお昼を過ぎた頃で、ゆっくりと時は過ぎていくように思える。
 野暮も邪魔も入らない素敵なこの状況で。
「だ・か・ら、結局どーしてラン様は俺様の居場所が分かったのか知りたいんだけどネ?」
「あぁもうアンタもしつこいね!」
 馴れ馴れしく肩を抱くなとばかりにつねられた掌をさすりつつ、そう尋ねれば何とも素っ気無い。
 ―――寂しいなぁ、折角の二人っきりに其れは無いんじゃナイ?
 昼間に口説くのはどうにも得意でない自分が此処までがんばっているのだから、
多少なりともご褒美が欲しいところ。
 狭いなりに装飾が施された教会の窓を見て回る彼女の周りで愛を囁くも効果は出ず。
 仕方、ないかねぇ。
「……」
「って、アンタどこ行くのさコラ…!」
 代理神父を任された身としては些かいい加減だが、
退屈潰しと――少しばかりの拗ねた心も手伝って――教会の外へ出た。
暖かな陽光に咲くものはみな眩い色を―――薄桃、黄、紫、赤、青といった花びらを
真新しい緑の中に広げて、風に揺れるかそのまま何処かへ運ばれていく。
 きっと昔ならこんな風に世界は見えていなかったと、ふと瞳を細めながら思う。
 鮮やかな色もなければ、温度も感じずに、
ただ自分の中に在る枯れた世界と同じだから飽きたとばかり思っていた筈だ―――そして命も軽かった。
何も見えていなかったし、何も知らなかった。
考えていたのは死ぬ事ばかりで――別段其れは今も消えた訳では無いのだが――
やがて来る日の為だけに、力をふるっていたのだ。
 言うなれば、瞳も開かずに耳を塞いで口も閉じ、匂いすら忘れたように其の場に立っていた。
 動くのが億劫だから何処にも行かず、何処も見ず。
 向かってきたものに対してはそれなりの対応をしたが、実は心底其れすら面倒で。
 ―――微温湯につかりっ放しの生だった。
『ごめん、ね…ブラウ……』
 何を謝る必要があるのか、何を泣く必要があるのか。
 有難うと感謝したいのは逆にこっちのほうだ。
 泣く事は未だ出来ないけれど、
きっとこんな気持ちの事を泣きたいほど嬉しいと呼ぶのだろうと知ったのに。
 そう、知ることが出来たのは―――。
「…アンタのお陰、かな」
「は?」
 小さな実感は幸運にも聞こえ無かったらしく、
暇だからって頼まれた仕事サボるんじゃないよと釘をさす相手の腕を引き、すっぽりと自分の胸に抱く。
 当然相手は急な事態に暴れるけども――実は結構痛かったりするけれど――手離しはしない。
やがて諦めたのか大きなため息をわざとらしくついて、大人しくなるのを此方は待てば良いのだから。
 待つという姿勢は、少なくとも今までの様な怠惰な時の使い方では無い。
この男――カイ・アインスの名を持つ、
ヴァルシオンの系譜に連なる――カイ・ブラウフェンにとっては何よりも大切な時間だ。
無為でも無駄でも無い、意味ある僅かなひととき。
 細い肩に触れて抱きしめて、柔らかな髪の感触を頬で確かめつつ、
静かになった恋人と陽光差し込む木の下でまったりと時を過ごす等、
これまでの自分ならば本当に有り得無かった。
 夜の薄明かりの下で見るとはまた違う印象。
 昼の太陽光の中、見蕩れないようにしなければ。
 でないと、ついうっかりと間抜けな顔を曝してしまう事になる。
 ―――誰かを、自分を殺してくれる相手として見るのでは無くて、
大切な愛しい存在として見れる日が来るとは、あの頃の自分は考えられただろうかとおかしくなる。
「…落ち着いた?」
「アンタに腕力で敵う訳無いでしょ。
…ったく、曲がりなりにもい・ち・お・う代理の聖職者が昼間っからこんな事して…」
 やたらと強調された部分はともかくとしても、
そう言えば今の自分は外側から見れば確かに聖職者だったと思い出す。
記号ではあるのだが不審者と思われない様にと適当に借りた服のままなので、成る程一般的にはまずい。
自身の色欲を否定する気は無いが、この場所の評判を落とすのは良くない。
今日、此処にいなければ、出会っていなかったかもしれない
そんな幸運を与えてくれた場所だからと―――。
「つくづく不抜けたなぁ、俺様も…」
「ん? 何か言った?」
「いいや〜何にも」
 甘い甘いと口の中だけで繰り返して。
 緩やかな風に任せて降る花びらが、
ふと恋人の髪に落ちたのを見て小さく笑う男はその場所へ唇を寄せた。
 途端に飛んでくる叱責に色気が無いとのろけたくなる。
一度甘えれば割と素直なのだが、いかんせん其処へ至るまでが自分の力量次第だ。
 ―――初めての時以来、何か妙に物言いがきつくなったと思うんだが…何でだろう。
 今回も耳を思いきり引っ張っての叱責である。かなり処か容赦無く痛い。
 嗚呼何という無情。
 慕情を交わすのは閨の中だけか。
「コラ青いの!」
「…別にキス位良いだろ〜?」
「ったく盛るんじゃないよ…アンタね、神様が其処で見てるでしょ」
 指差す方向には確かに神の家がある。
 然し人が信じる神と、機械であるこの身が信じる神は果たして同じなのだろうか。
 いくら今自分たちが人間の形をしているからといって。
 人間と同じように泣き、笑い、悲しむ心があるからといって。
 ―――同じ神様に祈りを捧げ、同じ神様に感謝するのだろうか。
 人間の世界にも神様は沢山居て、其れが争いの元になるというのに、
今この場であの神様を敬えというのは無理な話だ。
 そもそも神様が何かよく分からないのに、其れも意味があるのか―――
今までの自分ならば理解出来無かった、『大切なもの』という存在。
まるで世界は急に色を変えて、入れ替わり立ち代わり現れている様に。
 勿論、相手とて其処まで真剣に神様について口にしたわけではない。
 この状況を打破すべく改めて神様を意識させたに過ぎないことは分かっているが、其れでも。
 ―――考えが、まとまら無いな。
 思わず苦笑を浮かべて冷たいねとぼやけば、見境無しのアンタが悪いと言い返されて。
別にそんなお構い無しにこっちも襲っているつもりは無いのだが、実際はと問われると自信が無い。
何せ気を惹く事で精一杯だから―――とは悔しいので此処だけの話。
 外見年齢は人間の青年男性そのものでも、もしかすると精神は未熟なのかもしれない。
 機械が人間に生まれ変わると、割り切れないものが多すぎるから。
 成長しきれて、居ない。
 さていつだったか。キスは相手を食べてしまいたい程好きな気持ちの現れだという太古の欲求だと、
名残であると聞いたのは。
「誰かを愛するってのはこういう事ですって報告したいから、サ。な? ちょっとだけ…」
「! ちょっ…!!」
 後、どうやったら普段から名前を呼んでくれるのかが専ら最近の悩み事。
 ―――なんっか最近名前じゃなくて『青いの』ばっかりなんだよな〜、
何でだろな〜…いや確かに初対面の時からそう呼ばれてたけどさ、
んでもって青いのは青いようん間違い無い。
 夕市でごった返す雑踏の中を互いに荷物を抱えて行き交う。
 ともすれば見逃してしまいそうな気配だったが、其処は同じ種類のもの同士。
 瞬時に相手を認識して、視界に其の姿を収めた。
『…青い…? そうか、アンタも…』
『………。へぇ、俺様と同じなんだねオネーサン』
 最初はすれ違って、そして一瞬互いに振り返る。―――人の形をした、人でないもの。
 一度認識してしまえば人波に紛れられるような存在では無いと承知の上で。
厳しく細められた眼差しと、緩々と構えつつも剣呑な光を宿す瞳が交錯する。
恐らく、相手も同じ目を持つのであれば、人としての今の姿だけでなく、
機械である本来の姿が見えている筈だ。
 美しい騎士には、青き偽物の王―――はりぼての象徴が。
死にたがりの王様には、赤い宝玉を抱いた―――生き残りの白騎士が。
「…じゃあ膝枕」
「は、あ?」
「キスも抱きしめるのも駄目だって言うなら膝枕。
其れくらいなら神様もラン様も許してくれるんだろ?」
「………」
 渋々といった表情を装いながら提示された妥協案に、目が丸くなっていく。
 口も塞がらなかったかもしれないが、其処まで気が抜けてはいなかったらしい。はっと口元を押さえ。
 不敵な笑みならば自信がある。
 ―――最終的な選択権はアンタに渡すよ、でもね。
 何となく、勝った気がする。
 呆気に取られた顔が何かを言いたそうに此方を睨んだが、もうすっかり慣れた其れに何の効果も無い。
 この眼差しは怒っているのでは無くて呆れていて、そしていずれ諦めになって―――。
「…膝枕、だけだよ」
「うん知ってますヨ〜」
「それ以外の事したら殴って帰るからね」
「うんうん」
「―――だからその笑顔は一体何なのさ気持ち悪いっ!」
 そりゃ決まってるでしょう。
 惚れた相手が耳まで真っ赤になりながら膝枕するよって言ってくれたんだから、
顔面神経はもうゆるっゆるの緩々。
此処で照れ屋さんとかからかったら面白いんだろうけど、
折角獲得した膝枕が無くなりそうだからやめておこう。
 男は笑みを絶やさずにそう心に秘めた。
 気持ち悪いとか酷いなと口では言いつつも気にならないし気にしない―――
代わりに少しだけ、生来の意地悪な考えが持ち上がり。
「…でも我慢出来ないので…ちょっとだけ、頂きますヨ」
「は!? っぁ…!」
 賑やかなのは嫌いじゃないんだけど、
ムードが足りないよねと思うに任せて寄せた唇に触れたもう片方の唇。
啄ばむだけのつもりがつい――美味しくて――貪る様に舌を絡めて口付ける。
 もう反論は欲しく無いから。
 いや、俺だけを見てて欲しいから?
 そんな独占欲さえ心地よいと言わせてみたいとは、我ながら性悪だ。
「ん、ぅ…アンタね―――!」
「ブラウ、デショ…?」
「っ……」
 呼べば花の様に綻んで笑い、触れれば穏やかに強く抱きしめる。
 有難うでも愛してるでも足りない満たされない、気持ちで。
 ―――春に想う。君を想う。
 男は名残惜しげに離した唇をそっと耳に寄せ、自らの名を囁いた。

<了>

 wiriting by みみみ

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