【 剣は唯平穏を願う 】

 最後はいつでも赤い記憶―――と言ってみた所で、本当の最後は何処なのだろう。
 そして始まりは何処からだろう。
 変貌に変貌を遂げた此の身体が、何時朽ち果てるとも知れぬけれど。
 終わる時はどうか、主の傍に。


 修復が追いつかぬ程に傷ついた機体を引きずり、片腕を無くそうとも闘う意志を消しはしない主の為に。体内の全機関が必死に戦闘を継続しようと試みるが、接続すら確保されていない各部がまともに動くとは思えず。
 火花を散らし合い、紙一重でかわし続けてきた攻防戦も此で決着が付いた。
 戦場を支配するのは冷酷な女神。
 即ち―――勝者には生を、敗者には、死を。
『………!!』
 鉄の巨体が軋む音もなく、弾雨も刃も全て収まった戦場で、静寂だけが空間を支配し。
 不意に、コックピット内に充満する赤の香り―――パイロットスーツからじわじわと染み出てきた血が、深々と胸に突き刺さった証拠を示す。
 勝負は決して居る―――既に。操縦桿から手がゆっくりと離れていくと、主の呼吸も次第に弱くなり、気体からも闘気が奪われていった。張りつめていた緊張が解けて、雨が降る前の静けさにも似た、風が流れていった。
 二つの機体。
 漆黒の凶鳥と、揺り籠の門番。
 ―――勝ったのは。
『……君が、好きだった』
 涙と共に溢れてくる感情を抑えられずに、青年は呟いた。
 コックピットの中で、噛み殺せぬ嗚咽が、静かに響く。
 誰よりも美しく気高く戦場を駆ける漆黒の騎手。遠い未来から、否、過去からやってきた黒き竜巻は、見事門番を討ち破った。―――世界を守る為に、何としてでも計画を成功させる為に。正しい、未来を勝ち取らんが為に。
 其れは懐旧と慕情の混じり会った涙。
 悲しくも過去形になったのは、せめてもの、償いか。
『…!』
 瞬間。
 敗れた男の瞳が、見開かれた。
 癖のある銀髪、長い前髪、東洋の剣を思わせる瞳が、今は血で赤い。
 其れが一体何を意味しているのか、考えた事がある。
 宙に浮いた手は、誰に向けて伸ばされたのだろう。
『エ、……ル………』
 ―――あの時、たぶんマスターは笑ってた。

「何だよ、マスター。地味な仮装だな」
「…わざわざ派手にするのもどうかと思うが」
「そう? 折角の機会なんだからもっと面白い格好すりゃ良いのに」
「断る」
 スレードゲルミルと言う名の機体は、今はスレイという愛称を貰って人間の身体で生活する事が多くなった。
 一方で彼の主として認識されている隻眼の男、ウォーダン・ユミルは、Wシリーズと呼ばれる人造人間である。
 奇妙な事に、彼らは主従揃って人間ではない。
 ―――もっとも、そんな事を気にする様な人間は、彼らの周りには存在していないのだが。
 ハロウィン当日に改めて袖を通してみた仮装衣装は、以前くじ引きで決まった通りに、自分――スレード、通称スレイ――は幽霊。一方で、主であるウォーダンは牧師だか神父なのか詳細は不明だが、兎に角聖職者である。
 本来神に仕える身なので、質素倹約生活のイメージがある彼らの制服は、確かに華美な装飾は必要ないだろう。
 然し仮装に其処までの厳密性を求めるのもどうかと思うので、遊んでみればと言ったのだが敢え無く却下される。
 つれないね〜と呟き、他の人物たちが仮装衣装に着替えているのを眺める。
 行列に加わった後は皆で集合写真を撮るのだという―――幽霊が写真に写っているのだから、立派な心霊写真だと言ったら苦笑されてしまった。
「え、じゃあ何あれ」
「………知らん」
 思いっきり明後日の方向を向かれてしまったが、さりとて其の存在が消える訳でもなく。
 自身が指差した壁には、何故かやたらとデカイ獲物――所謂エクソシストとか呼ばれる連中の御祓い道具みたいなもの――が飾ってあったりする。しかも、大きな文字で“仮装者以外接触不可!”と何故か全部漢字での警告つき。その注意書きには続きがあって、“どっちでも好きな方を選んでねん♪”とノリノリの字が踊っている―――どう考えても警告者、もとい此の獲物を用意したのはお祭り好きのあのブロンドおねーさんに違いない。
 ―――何処から嗅ぎ付けたのか、ウキウキとした様子でハロウィンの仮装行列を聞きつけては、すっかり一大パーティにしてしまった。
 ある意味、謎の食通こと、彼の青年に通じるバイタリティである。
「えーと…棺桶? 腕ぐらいの太さの銃に…十字架? 日本刀とか剣とかナイフとか…おい大丈夫かよコレ」
「……知らん。…どちらにせよ、持つ気は無いが」
「ロザリオと聖書と、聖水くらい? やっぱ地味だよなー」
「だからそんな派手さは要らんと…」
 仮装が許される時期とはいえ、趣味を通り越してどう見ても危ない代物も混じっていて、一体誰のコレクションなのかも分からない程、無駄に立派な獲物たちである。偽物とは言え良くできてるなーと眺めていたアピールも虚しく、ウォーダンが選ぶのは牧師の格好に合わせたロザリオと、聖書に聖水だけらしいが。
 其れですら面倒だというのだから何ともはや。
 ―――然しよく似合ってる。
 我がマスターながら素晴らしいと思う。
 華美でもなく質素でもない、凛とした雰囲気のその衣装が、スレードの美的感覚には心地良かった。
 但し、自分としては其の衣装にもう少し華やかさが欲しいとは思っている。
 成る程つまりこういう感覚か―――飾り立てに関して意気込み十分の、あのお祭りおねーさんの気持ちが少しは理解出来た。
「あ、そうそう見てみて〜俺様の衣装でっす」
「……?」
 ごそごそと取り出した衣装を目の前に掲げるが、いつもながらマスターの反応は鈍い。
 今回の場合は、このひらひらの衣装が何か分からない、という事もあるのだろう。
 白い布と頭の飾り、だけ。
 シンプルイズベストにも程がある。
 もっとも、これ以上表現しようがないのよねぇと苦笑されては、作って貰った此方もそうとしか頷けない。
 胸を張って――別に全く以て名誉でも何でもないが――自らの仮装衣装について告げた。
「ん? 言ってなかったっけ? 俺幽霊やるの、幽霊」
「………」
「こらこら何か反応しろよ、反応を」
「…そうか」
「うぉーい」
 と、思わず突っ込んでしまったが、どうにもこうにもワンテンポ遅れての反応に苛々を通り越してリハビリじゃないんだぞと内心で呟く。
 分からなくもない反応だ―――幽霊と言うよりも、俺の存在は亡霊に近いのだから。
 戦場で、一度死亡認定を出された者が、現場に復帰する事は滅多に無いと言う。
 他の仲間達に影響が出るからだとか、縁起担ぎだとか噂は様々だが、公式的に上層部が死んだと認めた者は、形式的には死んだままなのだ。決して生き返りはしない。
 だが、恐らく其れは主も同じ心境だったのだろう、些か表情が暗い。
 当てはまりすぎた、仮装。
「…仕方ないって、くじ引きだったんだから」
「幽霊、か」
「そうそう。残念ながら此の通り足は生えてるけどな」
 衣装を少し上に持ち上げた後、数回ステップを踏むと、主も苦笑した―――良し、此で良い。
 何にせよ生き残ったのなら生き続けてやるまでだ。
 誰かと喧嘩したとか、夕食に嫌いなものが出たとか、朝起きられないとか、そう言うことに悩む時間は有意義だ。日々を生きていくのにとても大切な時間だ。けれど、過去について悩む時間は今には必要ない。過去は過去のことで、もう取り戻せもしなければ、時間が巻き戻るなんて事も決して起きない。あれこれ悩んでみた所でどうしようもないなら、悩むだけ無駄だ。
 ―――俺は生きてる。
 だから、マスターの傍に居る。


 荒野に佇むのは鋼の巨人。複数の敵機に囲まれ、一対多数の窮地にあっても、その闘志は衰える所を見せず、逆には気となって大地を震わす。
 一振りの、天をも薙ぐであろう巨大な剣を持ち、大地の揺り籠の前に立つ姿は、正に最後の番人。
 自身の倍は有ろうかという其の剣は、一切の曇り無く迷い無く。
 敵を倒す事だけを至上に掲げながら、単機、敵陣へと至る。
『我は、メイガスの剣なり…!』
 ―――また、夢を見ていると思った。
 一体今度はどちらの夢なのだろうか、どちらの記憶なのだろうかと考えて、目覚めてしまうならば大差ないと思う。
 2度も主を喪った機体が見る夢など、世界の誰も頓着しない。


 そもそも―――機械の身体だった頃、主たちの手の平サイズであった頃、記憶はこんなにも混沌とはしていなかった。確かに、朧気ながらゼンガーの事を気にしては居たが、其れはあくまでもマスター――この場合はウォーダン――の好敵手だったからだろうと思っていた。
 戦闘データには確かに愛機ダイゼンガーとそのパイロットゼンガーの名が刻まれているし、自身にも戦いの記憶がある。血湧き肉躍る刹那の鍔迫り合いや、間合いを求めて対峙した気迫のぶつかり合い。
 此は、人間の身体を得た今ならはっきりと分かる、快楽の一種。
 心地良い、戦場の緊迫感。
 だから其の頃は、マスターはウォーダンただ一人で、機械の身体だったせいなのか、思考も特に複雑化していなかった。人の様に喋る事が出来る様にはなったので、マスターとはよくじゃれあっていたし、いつかこの日々が終わるのだとしても、寂しいという思いはなかった。
 思っていたよりも、単純な思考形態だったのだ。
 だが、ある日。
『!? …アイタタ……』
『……!?』
 手の平サイズの身体に走った電流の痛みで、視界が一瞬でブラックアウト。再び目を開き、機械が何かショートでもしたのかと、自分の手を見て―――思わず声を無くした。そしてぴったり交叉した4つの瞳は、互いの姿を見据えて瞬きを繰り返す。
 人の姿をした、愛機を。
 急に目線の変わった主を。
『ん?』
『………』
『んん!?』
『………』
 其の声が自分のものだと気付くのに大分かかった。
 朝、ウォーダンを起こしに来てベッドに飛び込んだ瞬間の出来事だった。寝癖の残る主と、突如人のサイズを得た愛機が暫く見つめ合う。愛機――スレードゲルミルの名を持つ機体――は、自らの手の平を開け閉めした後、自分の身体が何処からどう見ても、血の通う人間の肉体になっている事を確かめ。
 顔もある、鼻もある、肩や膝の関節も、間違い無く機械ではなく、人間の其れに変わっている―――事を十二分に確かめた、後。
 何がどうなっているかを問おうとした相手に頬を引っ張られた。
『ってェ! 止めろって!』
『…本物…か…』
『何だよその良く分かんない顔』
 ―――驚きたいのは此方だ。
 頬という新しい体感覚を手に入れ、痛覚までばっちりある事も序でに確認出来た。
 些か不本意な形ではあるが、主が確認する事より、自分だけの幻覚ではない事も確かだ。
 小さくなったかと思えば今度は人間になってしまったのだ、どうしろというのだこの状況。主と愛機揃って黙っていると、こめかみに鈍い痛みが走る。頭を指で押さえると少しは楽になったが、問題は頭痛ではなく、閃いた一瞬のイメージ。
 ―――何だ、あれ?
『…スレード…?』
『大丈夫だよ、単なる頭痛だ』
 機械の頃にはそんなものなどなかった―――と言えばまた要らぬ心配をしそうなので何も言わない様にしたが、心は明らかに揺らいでいる。つまり、其れが感情。人間的な感覚。割り切れないノイズ。
 まさかそのままの格好でリビングまで行く訳にはいかないだろうと主を着替えさせておき、スレードは他の愛機たちがどうなっているのか、見に行こうとしてドアを開く。
 と、同時に。
『ウォーダン殿っ、スレードは―――。!』
『よう、早いな』
 飛び込んできたのがダイゼ――ダイゼンガーと呼ばれる機体――であると理解出来たのは、機械的な繋がりのある仲間だからか。自分よりも少し高めの所に目線が行き、真っ正面からぶつかり合う瞳が、僅かではあるが、同じ意思を共有した。
 ―――何も、変わらないんだよな。
 主が、大切な存在であると。
 で、当然その後ろには彼の主が居る訳なのだが、ダイゼの主――ゼンガー・ゾンボルト――の姿を目に入れた途端。
『…ッう!?』
『スレード!?』
『『!?』』
 激しい頭痛に襲われ、意識がとんでしまった。

「スレード」
「ん〜?」
 仮装行列の人混みの中、自分よりも一回りも大きい身体の主は、何処かおどおどとした様子で自分の腕を引く。
 逆に、元機械今は人間の姿である自分の方が、堂々としながら寄ってきた子どもたちにお菓子を渡しているのだから、性格の差というのは凄まじい。もっとも、マスターであるウォーダン自身、人間社会は良く知らないのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
 勢いよく背を叩き、どことなく丸まっている姿勢を正す。
「何だよ…ほらしゃきっとしろ、しゃきっと!」
「…そ、そう言われても、だな」
 取り敢えずはハロウィンの段取り――子どもの合言葉にお菓子を渡す事――を教えては貰ったものの、寄ってくる子どもにどう対応したらよいのかいまいち分からないらしく、元気な明るい声が“とりっくおあとりーと!”と叫ぶのにいちいち驚いている。子どもはきょとんとした顔でお菓子が出てくるのを待っているので、其処へウォーダンが落ち着かない様子でお菓子を手渡すという有様だ。
 ―――もっと堂々とすればいいものを。
 子どもが苦手なのかと笑っていると、肘で小突かれる。
 笑うなと言いたいのだろうが、此を笑わずしてどうしろというのか、笑わずにいる方が困難だ。
「んな大きな図体で子ども怖がってどうするよ、ん?」
「…煩い」
 一体どちらが子どもなのか分からないと、抑えきれない笑みが顔に広がり、また其れでマスターが拗ねる。
 屋敷の中では割と自由に振る舞ったり、ゼンガーに対して横柄な態度を取っていることもあるのだが、外に出れば小さな子どもたちとほぼ同じく、見知らぬ人間に対して人見知りをするものらしい。その割に興味や関心は高いのか、珍しい衣装や派手な衣装、自分たちと同じ様な仮装をした人間たちを見れば、此方の都合お構いなしに袖を引く。
 気分も盛り上がっているのかはしゃぎながら目を輝かせる様は、やはり子どもだ。
 そういう意味ではあの騎士と馬が合うのも頷ける。
「幽霊だぞ〜」
「きゃーっ」
 自分とてノリの良い子どもにはお化けを装っておどかしもするし、照れ臭そうな子には頭をぽんと撫でてやってから夜道には気を付けろと一言ぐらいかけられるものを。
 ―――子どもだよな、本当に。
 喪った記憶の向こうではこんな一面を知る事すら出来なかった。
 だから自分は、この貴重な時間をめいっぱい楽しむ事にしている。

 彼奴を倒せば、俺は俺という存在を確立出来る―――記憶の中に響いた声は、マスターのもの。
 マスターの想いはかなっていたんじゃないのか、オリジナルと戦って闘って敗れはしたけれど、少なくともその間だけは、マスターはマスターとして生きてた筈だ。
 オリジナルだとかコピーだとか、確かにその関係性は変わらないけど、存在は一なんだ。
 誰もあんたの代わりにはなれないし、あんたも誰かにはなれない。思考や身体や振る舞いが似通っていた所で、其れはあんたじゃない、あんたはあんた一人だけだよマスター。
 仮面が割れて、見える素顔は相似の容貌。
 大気を震わせて交わした剣の切っ先は、確実にどちらかの命を止めるもの。
 故に。
『…もういいのだ…これで…』
 ―――彼は、恢復を拒み、其処で命尽き果てる事を選んだ。
 己自身の全てを賭けて破れたからこそ、もう悔いは無いのだと。
 ああそうだな、大地の揺り篭に居るのは女神さんだからさ。優しいんだよなきっと、無様な男には特に。どんなに駄目な奴でも、大地は受け止めてくれるよ―――だから、眠ろう。
 闘志が刃に変わる瞬間を見た。
 風すら二人の間に流れるのを拒んだ。
 陳腐な言い回しであっても、其れは立派な闘いだった。
『………』
 ウォーダン・ユミルという名の人形は其れで命尽きる筈だったのだ。だが、再びスレードが目を覚ました時に主の姿は無く。自身が深い眠りにつき、マシンセルの名残が徐々に身体を修復し、半分程終わった辺りで何故か自身は覚醒した―――迎えの舟が、其処に居たからだ。
 黒き衝角船、スペースノア級参番鑑クロガネ。
 そして、その舟から降り立った金髪の青年により、スレードは主の生存を知るのである。

 冬がもうすぐ目前まで迫る今夜は、秋を通り越して何処か冬の様な肌寒さ。
 並べられた料理はどちらかと言えば暖かいものも多く、行列が終わって一息つく中、皆は各自好きな料理を手にとって、和やかに談笑している―――例によって例の如く、謎の食通が振る舞う料理パーティが立食形式で行われたのだ。
 そもそも、行列の終着駅は其のパーティ会場だった。更に正確に言うと、そのパーティ会場が仮装会場にもなっていたので、結局はぐるりと一周して帰ってきたのだ、という事。
 顔馴染みの連中が仮装しているのを見ると面白く、夜の雰囲気と相俟ってなかなか幻想的ではある。
 カボチャのランタンやろうそく、蔦などの飾り付けと上手くマッチしていて、ムードもある。
 月は細く、夜に出来た小さな傷のよう。
 ―――スレードは、また何処かへ消えている。
 牧師の格好をした隻眼の男は小さく溜息をついた。
「……」
 会場の手伝いをしているのか、それとも単純に疲れたから奥へ引っ込んだのかは分からないが、集団行動が好きなのか嫌いなのか己には分からない。
 ふと気付けばいなくなっていて、又傍に居るのだ、正に神出鬼没と言っていい。
 今回も先程までは一緒に行列をしていたというのに、この会場まで戻ってくると隣にはもう居ない。ミイラ男の格好で、他のゲストたちと和やかに話す金髪の青年も今は忙しそうだし、愛機たちと喋っている銀髪の男も、嘗ての愛機が傍に居る以上、話しかけるのも少し遠慮した方が良いのかも知れない。
 ―――知り合いの少ない主を放って置いて、アイツは何処へ行ったのだ。
 己の愛機だと言われても、喪った記憶、敵だった頃の嘗てを思い出せぬ己は、駄目な主だろうかと呟いたあの日、スレードは腹を抱えて笑った。―――曲がりなりにも真剣に悩み、精一杯の謝罪をこめた言葉を笑われて、危うく本気で怒りかけたのだが。
『…あんたが主で良かったよ、楽しかったさ』
 遠くを見ながら、主の方を向かず、ぽつりと零したたった一言。
 振り上げた拳の収め所が分からずに、何が楽しかったのか、どういう意味なのかを問おうとして、スレードは不意に機械の身体になってしまった。もっと問いたい事がある、話したい事がある、否、話して欲しいのだ、己は。記憶が戻ってくるなどと、そんな都合の良い事は期待していないのだ、だから。
 ―――話せ、スレード。
 お前の抱えている、お前だけが抱えたままの、其の思い出を俺に聞かせろ。
 然し、自由自在に姿形を変えることの出来る―――彼ら、ならではの手法で逃げられてしまった、と思い。
 掌に乗せて、いざ向き合おうとすると今度は又人間サイズになって、自分の上に乗ってくる。
 完全に遊ばれていると、からかわれているのだと諦めて、大の字になって寝転ぶと、矢張り先程の同じ声が、聞こえてくる。
『あんたが忘れても俺が覚えてるんだ、心配するなって。ボケても面倒見てやるよ』
『…このっ、誰がボケると…!』
 軽快に笑って自分の手の届く範囲からするりと逃げてしまう。
 肝心の本心を隠したままで。
 ―――ならばお前が話してくれるまで、俺はお前の傍に居よう。
 だから己も隠しておこう、そう誓った日の事を。

 ない混ぜになった記憶が、頭痛を引き起こすのだと理解した頃。機体に戻って全データチェックをしてみたが、一切あのビジョンを示すものは無かった。ただ人間になっている時だけ、あの記憶は存在するらしい―――何となくではあるが、あれが未来における一つの可能性ではないかと思い始めた。もしあのまま大地の揺り篭計画が進められていたら、と。それでも不可解な点は多々あるが分かっているのはただ一つ。あれは想いの伝わらなかった、実らずの恋―――悲しい恋の結末を、もう一人のマスターは知らない。当然、自分と共に戦った記憶も無い。
 ただ、自分だけがイレギュラーなのだ―――微弱ではあるが蘇ってきたマシンセル、二人の主を示す混濁の記憶。
 ある意味、はっきりして欲しいとも思うし、はっきりしたくない気がする。
 曖昧な記憶中で、閃光の如く過ぎる影は、赤い。
 どう考えても、あれは。
「………」
 スレードは首をゆっくりと、大きく横に振る。
 仮にあれが忌まわしい記憶であるならば、無理に考えるべきではないという判断だ。
 機械の頃にはなかったその記憶や、揺らぐ感情は、機械の身体をしている時よりも振幅が大きいとも気付いた。だから特に何も無い時は機械の身体になって、なるべく人間である事を避ける。人間の身体には人間的な心があるが、機械の身体は思考する事や喋る事は出来ても、そこまで感情をはっきりさせる事はなかった。頭痛もなく、記憶が混濁する時も無い。
 ―――何なんだ。
 不思議な感覚。誰にも――マスターであるウォーダンにも、世話になった金髪の青年にも、ましてや銀髪の男にも――この事を伝えていないが故に、スレードは孤独であらねばならなかった。伝えてもどうしようも無く、主たちには主たちの今の時間があるのだから。
 だが、別に孤独を寂しいと思った事は無い。主たちは幸せそうに日々を過ごしているし、例えあれがいつかの未来であるとしても、不確定である事が未来の運命なのだから、悪戯に不安にさせる事も無いと考える。自分一人が黙っていればいいのだから。
『おーいマスター』
『『…む?』』
『いや、両方振り向かれても困るんだけど』
『『名を呼べ名を』』
 ウォーダン・ユミルという名の、隻眼の男。ゼンガー・ゾンボルトという名の、勇猛なる武人。似て非なる存在である彼らは確かに自分の主だ。
 ―――覚えて無いけどな。
 自身がゼンガーをマスターと呼び始めたのはつい最近、この人間の姿を得てからで、当然向こうは何故そう呼ぶのかが分からないと不思議な顔をしている。もっとも、両方居る時にはウォーダンをマスターと、ゼンガーはゼンガーと呼ばなければ、分かりにくいと不評なのでそうする事にした。
 ウォーダンは特に自分以外をマスターと呼ぶ事に頓着していないのか、何も言ってこない。其れは其れで寂しいなと少し思いつつ、ウォーダンは敵であった頃の記憶が曖昧なままなのだから仕方ない。
 はっきりしているのは、互いに敵対していた事と、闘い合う中で自我が確立していった事。
 ウォーダンは、ゼンガーを模して造られた戦闘人間である事。
 時間をかけて少しずつ行われた話し合いが、どんなものだったのかは知らないが、少なくとも、それくらいの知識を、ウォーダンは得ている様だ。
 二人は自分をはっきりとは知らない。
 自分が嘗ての愛機であるとは、分からない。
 ―――故に孤独。
「…良い月だな〜」
 他の機体と比べ、記憶の相違が起きている為に主との一体感は薄く。時々の頭痛を誤魔化しながら、ただ主の傍に在る。他の機体とは少し違う在り方で、スレードは主と共に居る。

 闇夜に目立つ白の衣装である。尚かつ彼自身が目立つ存在でもある。
 会場からはそんなにも離れているはずがないと見込んで、ウォーダンは唯一の目を頼りに彼を捜し、時には人に彼の居場所を尋ね、漸く彼の――愛機、スレードの――姿を見つけた。パーティ会場から少し離れた其処は、喧噪が遠くに聞こえる、少し寂しげな場所。
 ―――飛び出すのに躊躇ったのは、瞬き程の時間。
「こらっ」
「うわ見つかったっ」
「! お前しかも酒を飲んで…!」
「良いだろ別にー。今夜は無礼講だって」
 今は人間の身体だが、果たして酒はどうなのだろう、燃料に変換されるのだろうかと訳の分からない思考を働かせたが、取り敢えず己も一杯貰う事にした。屋敷の中には一応小さなワインセラーがあったりして、時々料理や菓子作りにも使っているのだが、約一名どうにもアルコール耐性の弱い者が居たりするので普段はあまり飲む機会がない。―――別段、飲みたいとも思わないのだが、好奇心は其れに勝る。
 スレードの隣に座って自分も持っていたグラスに酒を注ぎ、口に入れると。
「…ッ、強い赤か…」
「秘蔵のアルゼンチンワインらしいけどな」
「………」
 ―――澄ました顔で飲んでいる辺り、矢張り強いのか此奴。
 まろやかな口当たりの後で急激に襲ってくる、アルコールの強さに思わず咳き込むと、鼻で笑われる。
 そうなると妙な対抗心が働くのも常である。いつもいつも馬鹿にされているのだから、たまにはマスターとして、記憶が無くとも、己が主であることを教えてやらねばなるまい、と。
 ウォーダンはワインを凄まじい勢いで消費し始める。
 此に驚いたのは愛機であるスレードで。
 あーあしらねーと呟きながらも、主との飲み比べを始め。
 結局、どちらに軍配が上がったのかは、細い月だけが知っている事だった。

<了>

 writing by みみみ

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