【 宴の隙間にて 】

 人間生活を初めて、気が付けば季節は疾うに一周していた。
 初めの頃と比べれば、大分人間風習にも詳しくなったと思っていたのだが―――。
「………」
 ―――ハロウィンとは、何ぞや?
「単なる仮装だ」
「お菓子を貰える日だ」
「日本で言うお盆に近いものだ」
 三者三様の其の答を、統合してみた所でピンと来ないイメージに、書物を開いて確かめてみたのだが。
 ―――どれもが正解に近く、然し外れではないので困る。

 季節は徐々に冬へ向けて加速していき、天は青く高く澄み渡り、風は冷たさを増してくる。
 木々は紅葉や落葉を始め、雑踏に出れば行き交う人々の服も厚手のものが多くなる。
 鮮やかな色をした季節が終わり、落ち着きのある季節へ。
「…此で、終いか」
 小さく息を吐き出して周りを見渡すのは若き武神。
 今は何故か人の姿をしているが、元はダイゼンガーという名の機体であり、機械である。
 主は元、連邦軍所属の男性。
 名を、ゼンガー・ゾンボルトという。
『ダイゼ、人の身には慣れたか?』
『はい。特別不自由は御座いませぬ、レーツェル様からのお気遣いもあります故』
『…そうか』
 最初は機械の身体のままで小さくなっていた。気付けば、まるで人間の様に喋る事が出来た、きちんと会話も成り立つ程に、話す事が可能な存在だった。サイズは主の手のひらサイズで、其の頃は今の様な感覚――戸惑ったり悩んだりする、感情や心――は幾分薄かった様に思える。
 元々は人では無く、機械の身体であった我が身が何故、このように人として生まれたのか。
 斯様な運命を突如、託される身の上となったのか。
 念の為にと主の親友、戦友の主によって身体的な異常がないかどうかの検査も受けたが全く持って原因は明らかにされないまま、今に至る。
 最初の頃はそうやって、毎回主は尋ねてくれた。
 ―――良く言えば落ち着いた、悪く言えば表情の分かりにくい我が主は、けれども気遣い優しく。
 今までは情報体でしか知り得なかった人の世界を、根気よく説明してくれた。
『…すまんな、説明下手で…』
『いえ、滅相もない…!』
 機体の頃は小さく、機械の頃は大きく見えていた主の身長は、人間となってからは、少し目線が高い位置にあった。人間になってみると分かる、主の身体の逞しさなど、初めて分かった事も多い。
 不思議、不可思議、摩訶不思議ではあったのだが、其れよりも先に主を持つ身としての使命感がある。
『此の身は我が主の為に―――身命を賭してお守り致します』
 主が戦場で名乗りをあげる、悪を断つ剣とは、誰かを守る為の剣。
 ―――正義無き力は暴力也と。
 プログラムは囁く。
 強くなるべきは己が為に在らず、得た力で以て大切なものを守護せんが為。
 主の師である、リシュウ師範は、武器である刀をむやみやたらには振り回さない。
 何事も、抜かずば善いと。
「………」
 機体の名から取られた、ダイゼというのが今の己が愛称。
 主にも、戦友にも、その他、己が存在を知る人は皆そう呼ぶ。
 そして今は戦友の主に様々な家事を習い、主の手助けとなるべく生活を支えている。
 人間世界の言葉で言うなら、お母さんと呼ばれる立場にあるらしい―――だが其れは女性に対する形容詞であって、男性には使わないものの筈なのだが…家事を担当する者として、呼ばれているのだろうか、理解に苦しむ。
 ―――其れは兎も角。
 庭に並ぶのは大小揃った様々なカボチャ。
 隠れ家の主であり、厨房の王にして、我が主の愛しき人が揃えた食材。
 さて己はと言えばひたすら頭を切って中身をくり抜くか、我が主と友にカボチャを切るか。
 カボチャが小さい内は未だ腕力に余裕があるので楽なのだが、大きくなれば成る程作業は困難を極める。
 だが、与えられた任務は確実にこなさなければならない。
 一月程前からゆっくりと準備を進めてきたので、何事も無ければ今日か明日には全てのカボチャをくり抜く事が出来る。もっとも、全てをくり抜く必要はないらしいので、保存用に後もう少し倉庫には残っている。
 中身の詰まったカボチャは重く、其れだけに農家の人々の想いも詰まっているのだろうとは、己も人間らしくなったなだと考え。
『…ダイゼ』
『何用でしょう?』
『……。いや、構わん。何でもない』
『…。了解しました』
 先程呼び止めたのは、間違う事なき我が主。
 あれは恐らく何か己に用があった筈で、然し言いかけて止めてしまった、我が主の横顔が気になった。
 ―――何時からだろう、主が何かを抑えている様に見えるのは。
 我が主、ゼンガー様。
 何故、その様な顔をされるのですか。

「はっ…!」
 一閃。
 居合い抜きの要領で大気を切り裂く剣は、瞬き程の後、何事も無かったかの様に鞘に収められている。
 その後ごとりと音を立てて巨大カボチャは割れていく。
 最初は単純作業だと思っていた此も、やり始めてみると鍛錬の一種になるかと思い、つい熱中している己が居る事に―――男自身は未だ気付いていない。
 傍目から見れば真面目にカボチャを切る姿が、面白いと言えば面白いのだが。
 癖のある銀髪も、今はしっかりと撫でつけてあり、普段とはまた少し違った雰囲気の男性―――名を、ゼンガー・ゾンボルトという。ダイゼの主にして、今は行方不明者扱いの、嘗て連邦を裏切った男。元、ATXチーム隊長、今となってはあまり意味を成さない階級は少佐、御年29歳であるがどうにも恋愛感情には疎い、とは親友の言。
 テスラ・ライヒ研究所のリシュウ・トウゴウを師範と仰ぎ、現在はクロガネにて戦闘隊長を務める。
 ―――が、今は大小様々のカボチャに向かって剣を向けるばかり。
 ハロウィン用の料理を作る為に日々、消費されていくカボチャを、調理しやすい様に小さく刻んでいくのが男の役目だ。無論、男が使う刀は野菜用の包丁とは違うので、刀剣には後々手入れの苦労が待っている。
 其れすらも又、修行として捉えられるのだろうか。
「ダイゼ、此で全部か」
 青鈍色をした瞳が一息を付いてから、ゆっくりと開けられ、愛機を呼ぶ。
 正式名称は兎も角としても己が名を冠した愛機は、小さな機械の身体から今は人の身となって傍に居る。
 しかも主人としては些か肩身が狭いのだが―――主人である己よりもよく気が付き、よく働き、器用に大抵の事がこなせる為、親友に家事全般を習っている真っ最中。親友も家事の手助けになると喜んでいるし、吸収力があるので楽しそうだ。
 その働きぶりを労ってやらねばと思うものの、どうすれば労った事になるのかが分からない。
 何か欲しいものは以前と尋ねた時も、『主の健康』とだけ答えられてしまったのでどうするべきか。
 鉄紺の武士はカボチャの数を数えた後、此方に向き直る。
「そのようです、後は吾がやります故―――」
「ダイゼ」
「?」
 彼は決してウォーダンでもなくエルザムでもなく、又アウセの様でもない。
 悲しいかな、機械から人になった他の誰よりも人間に近く、そして人間に似てきた。
 故に、親しみの仲に何処か距離を置き、常に自らを戒める。
 気遣いのつもりだろうか、主人と従者の分別を弁えようとしているらしい。
 その為―――機体の時よりも余程。
「少しは、休め」
「…心得ました、ではお茶を入れましょう」
「……いや、そういう事ではなくてだな……」
「?」
 お前も休憩を取れと言うつもりだったのだが、直接的に言わなければどうにも伝わらないのか―――男は頭を抱え、理解できなかった武神は疑問符を頭上に浮かべる。
 ―――触れていないのが、寂しい。

 家事に対して己が熱心である様子は、他から見れば戦場の気迫に似ているらしい。
 邪魔をすれば叩ききられるかも知れない、とか何とか。
 自分ではそんなつもりはないのだが…とダイゼは悩む。
 天使の仮装だと言われて、渡された衣装が妙に白基調でやたらと華やかなのはおいておくとしても。いつの間にか――裏方が良いと言っていたはずなのだが――己がハロウィンの表舞台へ連れ出されていた事もまぁ良いとして。
 カボチャ料理も準備万端、お菓子の用意もすんだから、後はカボチャ嫌いのアウセ対策と己自身の準備のみで。
 アウセに関してはアウセの主殿にお任せしよう。
 其れが一番だ。
(アウセはエルザム殿を兎に角好いているからな)
 愛機にとっての主、主にとっての愛機。
 其の関係は何も変わらず、ますます拍車をかけた様子でアウセは主に仕える。
 そう言えば彼の仮装は何だったかと思い出しかけて、我が主も何やら喧々囂々の言い合いに負けて仮装する様だが、こういった事態は初めてでは無いという事なので、其れも特に手は要らない。
(エルザム様に任せておけば案ずる事は無い)
 以前の式の手配を考えても、万事あの人のまま事は運んだ。
 主役であるにも拘わらず、あの手際の良さは何とも恐ろしい手腕だが、見習うべき点は山程あった。
 そう、何も心配は無い。
 後は己が仮装するだけ―――で。
「………」
 ふと、ダイゼの手が止まる。
 視線が己が衣装にじっと注がれ。
 ―――縁とは異なもの、事実は小説より奇なり、とは何の諺だったか。
 ハロウィンの知識は専ら書物によるものなので実際の様子は分からないが、まさか天使の格好をする事になるとは―――神の傍に仕えし者、人間を導く者、旧西暦に於ける絵画では羽を生やしている者もある、神々しき其の姿。
 幼子であり、壮健なる青年の姿でもあり。使者とも聖者とも付かぬ其れ。
 武神と呼ばれて久しい己が、まさか天使とは。
 適当に籤引きで配役を決めたと言ってはいたが他の選択肢は何だったのだろう。相変わらず――料理の腕だけでなく――人を驚かせる事にかけても超一流である。
 さて、どうやって着たものかと迷っていると、既に着替えを完了したのか、どことなく窶れた顔の主が現れた。
「う〜…む。すまん、着替え中だったのか?」
「いえ…」
 あぁもう全くアイツは等とぼやく姿は惚気に近いのだが本人に自覚はない。
 夫婦喧嘩は犬も食わぬという諺すら有るらしい、全く以て先人の知恵というのは素晴らしい。
 苦笑を浮かべるダイゼに主であるゼンガーは暫く己を匿ってくれと告げたが、どう考えてもあの方からは逃げられぬでしょうと言い返すと、一瞬で顔が崩れた。事実なのだからしょうがない。主が勝てた試しなど、人の身を得た今でもお目にかかった事がない。
「…?」
 視界の端にきらりと光を反射した何か―――左手に光る指輪も、少しずつ見慣れてきた。
 だからと言って此の心が制御出来る筈も無く。
 式の前後で大いに戦友と騒いだ日々が遠く思える今日この頃になっても未だ、時折波立つ心には慣れない。
 一番怖いと思ったのは、今までどうやって主と接してきたのかが分からなくなった瞬間だった。
 意識せずに、普段通りに―――普段通り?
 何故か記憶が巻き戻せず、主との間に漂うぎこちない気配。
 人の身を得てから流れた月日を想えば、そろそろ慣れてきても良い頃合いだと思うのに。
 どうしても未だに己は未熟なまま。
 ―――心を御せぬのか。
 ふと、ダイゼは顔を俯けた。

 その横顔は仮装に悩んでいる様、に見えて実は違う。
 人機一体の操縦システムであればこそなのか、其れとも何処か己に似た不器用さ加減が伝わるのか。
 結婚式の過程ではきちんと見てやれなかった想いが、其処にはある。
 こんな時何と言えばいいのか分からず、開きかけた口を、男は真一文字に閉じてしまった。
 親友の様に器用な性格であれば、もっと柔らかい言葉をかけて、愛機を導いてやる事も出来ただろうに。
 ―――どうしたものか。
「………」
 ふとした瞬間に見せる顔は、何処か置いてけぼりを食らった子どもの様で。
 我が儘一つ言わず、常に従者たる自らを振る舞おうとする姿とは全く正反対の印象を受ける。
 気が付いたのは最近だが、本当はもっとずっと前から悩んでいたのかも知れない。はっきりしたのは式の前後、其れ以降なかなかタイミングが見つからずに放置してきたのは、強く在って欲しいという手前勝手な望みから。
 悩むのが人の常であると―――故に何もしてこなかった。
 特別に尋ねもしなかった、が。
 身を退くという言葉通りに、距離を置く彼の姿を見れば見る程、其れは間違いだったのだろうかと思う。
 親友の親馬鹿を笑えないなと内心苦笑しつつ、今からでも遅くはないかと考える。
 きっと多くの悩みを抱えているのだろうに。
 口には出す事が出来なくて、でも自分でどうにかしようとしているのだろうに。
 あの親友にも告げず、顔にも出さず、一人で抱え込んで。
 どうして、そんなにも。
「―――不器用なのだ」
「…は?」
 思わず口に出してしまった言葉を取り繕う。
 恐らく不躾になると判断しているのか、親友の様に真っ直ぐ此方を見てくる事をしない分、隠し事はしやすい―――いや、其れも其れでどうかと思うのだが。
「…俺の話だ、独り言に近い」
「気にせずとも…良いと?」
「ああ」
 嘆息混じりの言葉を信用して貰えたかは別としても、ダイゼは其の顔を更に曇らせた。
 残念な事に、主は愛機程器用ではなく、言葉足らずな所もあってぎこちなさを倍増させるという、実に情け無い結果を生んでしまう。―――我ながら不器用で、もっと言葉を選べないのかと思うのだが、生まれついての性格をもうこの年で変えられるとは思わない。
 ただ、単純に。
(…もっと、甘えればいいのだ…)
 親友の愛機の様に。
 駆け抜ける定めを持った騎士の如く。
 思う存分、我が儘を言って、主を困らせてみればいい。
 いつも其れでは困るだろうが時々そんな風に振る舞えればいい。
 自ら己に定めた何かを頑なに守ろうと意識との葛藤は激しく、先の結婚式の話では先輩である零式を頼って向こうにまで赴いたのに―――主である己には、何も頼ろうとはしない。
 其れが歯痒くて、悔しい。
 人は其処まで強くないのだと、言ってやりたい。
 決して独りで生きる者には非ず、と。
「………」
 ―――ふと、騎士と親友の仲睦まじいその光景を思い出し、何かが引っかかる。
 其れは自らの内に湧くとある感情。
 どうして己はこんなにも苛々と、神経を騒がせるのか。
 怒りはしないのか。
 そうでは無いと叱ればいい。
 簡単な事だ、出来る筈だ。
 そうすれば。
(そう、すれば……?)
「…我が、主?」
 ダイゼの訝しげな声が、耳に届かない。

『…我が主…』
『ダイゼ? どうしたのだ、一体』
『……』
『ダイゼ?』
 式も終わって数日が経ったある日の事。
 朝から夜まで家事手伝いをする若き武神は、けれど仕事が無くなると物憂げな瞳を空中に彷徨わせている。
 何もする事が無くなると、不安で仕方がないのだと言わんばかりの。
 但し其れは本当に瞬きをする程の間で、其れ以外の時間は専ら戦友である騎士と一緒に居る事が多く、その時は普段通りのダイゼの顔に戻ってしまう。―――だからこそ、安心していた。大切な戦友が、騎士が傍に居る事で彼の心も落ち着くだろうと。頼るべき仲間が傍に居る事が、何よりも己を強くさせたのだから、と。
 愛機においたのは信頼ではなく、未だ信用。
 己がただそう想うことで安心できる心。
 麗らかな昼下がり。その日は雨で、洗濯物も室内に干し終わり、残りは夕食を悩むだけといった時に。
 突然やってきては押し黙り。コツンと、頭を己が背に預けて何も言おうとはしない。頑なに主との距離を取り、心配はかけまいといつも振る舞う彼らしくない、不思議な態度。
 ―――今思えばどたばたと落ち着かない日々を送っていた式前に比べ、式後の日々は安寧に過ぎたのだろう。
 特に大きな戦いもなければ、メンテナンス不足に陥る事もなく。
 過密スケジュールと急ピッチで進められたあの日々を思えば、多少は呆けても仕方がないのかも知れない。
 そんな幕間に訪れた、心の揺れ。
 思えば其れが初めてのことだった―――己に似ず、器用な愛機が、己に似て不器用であるという証拠の、一端。
 僅かではあるが、己を頼ってきてくれたほんの一瞬。
『…何処か、具合でも悪いのか』
『……』
『何か、嫌な事でも…?』
 再度尋ねてみたところで答えは返ってこず。
 己より少し小さな身体の中には、その時確かに何かが渦巻いていた筈だ。
 高密度の渦が、やがて実体を伴う其の時を待っている。
 ―――生まれつき、人である者でさえ心はままならぬと言うのに、人の身を得たばかりのお前達ならばその惑いは如何様か?
 気付いて、やれていなかったのだとも思う。
 代わりに背中の服がピンと張られる感覚で―――服を握りしめて、何かに耐えている彼の姿を見えずとも、知らせる。
 聞こえてきたのは本当に小さな、微かな声。
『……申し訳、ありませぬ』
『…?』
 だからどうしたんだと聞いてみるが少しも答えず。まるで出会った頃のウォーダンの様に、ダイゼは暫くそうしていた。頑なに、意固地に、迷い抜き。―――謝る理由が気になるが応えてはくれない。
 数分後、顔を合わせたダイゼは翳りがあるものの、普段通りの強い瞳を取り戻していた。
 日常すらも戦場と捉え、日々の鍛錬を怠らぬ武神の顔。
 誰よりも早く人間生活に馴染もうとする、主以上の働き者。
 もう一度だけ、申し訳ありませんと言い、ダイゼはその場を立ち去っていく。
 引き留めようとして伸ばした手は彼の服の裾すら掴めず。
 どうしたらもっと、主と従者ではなく。
 愛機との関係を。
 ―――の様に…。

 思考の迷路にある出口は、何時だって突然現れる。
 そしていつも気付かないのだ、角を曲がれば直ぐ其処が出口だったという様に。
 今回も、同じ。
「そうだ…」
「?」
 男は自分が言葉を漏らした事に気付いていない。
 まるで熱に浮かされた様な顔をしているので、隣で愛機が風邪でも引かれたのだろうかともの凄く不安な顔をしているのにも気付いていない。
 其れは、漸く己が想いに当てはまる言葉を見つけたからである。
 ―――言いたかった事、伝えたかった事。
 我知らず、気分が盛り上がってゆく。
「ダイゼ、俺とお前は家族だろう?」
「…え、あ。はい。以前その様に…」
 突然主から向けられた台詞が、前後脈絡のないものだったので愛機は戸惑う。
 がしっと急に両肩を掴まれて、更に確認の意味をこめて繰り返される。
 此にも頷くと、主は急に。
 ぐいと引き寄せられて、己の立ち位置が変化した。
「―――!? わ、我が主…っ!?」
 がっしりと気付けば主の腕の中にいる―――つまり、抱きしめられていて。
 一体何が起きているのかと、そもそも主のこの急な行動の意味が分からないとパニックに陥る。
 然りとて親友の騎士の様に強く跳ね返す事も出来ず、若き武神は混乱する中でも必死に主を落ち着かせようと試みるのだが、当然己自身も混乱しているので何も良い言葉が出てこない。
 此の場合一体どうしたら此の状況を打破出来るのかと!
 よくよく考えると非常にまずいのではないかと思うのだが、何故まずい状況なのかも分からず、主の背中を叩く。
「ど、どうなされたのですかっ、一体…何、何なのです…!?」
「…俺はお前に言った。俺の、大切な家族だと」
「はい…ですが、其れが…」
 ―――先程も聞いた台詞は、幾分落ち着いた響きに聞こえるが、恐らく未だ熱は収まっていまい。
 次から次へと起こる不測の事態に、気ばかりが焦る。
 しかもその原因が我が主と来れば尚の事。
 困惑する愛機に語りかける主の顔は、心なしか苦笑に似て。
「分からないのか? …否、別にお前を攻めている訳ではないのだ、ダイゼ―――家族では曖昧だったと、謝ろう」
「…? ……??」
 今までの流れで主は特に悪いことも何もしていないのに、何故突然謝られるのだろう―――口下手を通り越して説明不足すぎる我が主ながら、今回は度を超していた。
 そう、以前に確かにそう言われた記憶はある。
 大切な家族なのだから、もっと我が儘を言えばいいのにと。
 けれど己には不甲斐ない事に家族の関係がいまいち理解出来なかったのだ、家族とは一体どのようなものなのだろう。今以上にもっと人間らしくあるべきだと言うことだろうか、いわゆる肉親の情を持てる様になれと仰るのか―――ダイゼは其処まで考えて、懊悩する。
 今まで通りに、主と愛機では駄目なのか。
 仕えるべき相手が居て、其れに対して敬意を払いつつも踏み込まずにいようと誓った己では駄目なのか。
 其れを主は、水くさいと苦笑する。
「家族…よりも、兄弟では駄目か?」
「―――――…は?」
 常に――性格上そうなってしまう――簡潔明快な主の言葉を理解するのに、此程時間がかかったのも珍しく。
 鉄紺の武士が茫然とするのを見て、急に照れ臭そうな顔をした主。
 何処か晴れ晴れとした其の顔に、緊張は和らいでも疑問は残り続ける。
(…主従では無く、兄弟としての関係を吾に望むのですか?)
 兄弟?
「そうだ。俺は…」

 心の奥底にあった願望。
 潜んでいたのは小さな願い。
 親友が不出来な弟だと言う度に、感じていた想い。
 苦笑する横顔は、心配という名の愛情が確かにこめられていて。
 家族、を持たなかった己には少しばかり遠い。
 其れは共感できても実感することが永遠に不可能な感覚。
 彼らは兄弟である。
 年は離れていても確かに血は繋がっていて、どこか似ている様で全く違う。
 家族という関係の中で更に近しい存在。
 言い争う彼らのそんな姿が、当たり前な光景が―――正直、羨ましかったのかも知れない。
 恋人であり家族となった今でも、厳密に言えば家族とか兄弟というその繋がりを、理解出来ていない。
 だから、思ったのだろう。
 ダイゼが喋る様になり、人の姿を得て。
 己よりも目線の低い其の姿に、彼らと同じになれるかも知れないという、可能性を見た。
 己とて知らぬ、家族の形。
 けれど其れは世界で一番小さな温もり。
 確かな絆。

「…お前と、兄弟に………」
「………」
 とかく勢いというものは大事である―――大事な場面で最後まで其の意思を貫くことが出来るから。迷わず、躊躇わず、全てを伝える為に必要なものだと。
 そう。
 分かっていた筈なのに。
 不意に台詞が途切れてしまったのは、つい己の行動が如何に青臭いものであるかを思い知ったからで。三十路を手前にした男が何を望んでいるのか、思いっきり暴露している己が恥ずかしくなったからで。
 そもそも愛機に対して一体何をしているのかと主としての醜態を晒したに違いないと。
 ―――それはもう雲耀の速さで男の顔は朱に染まっていく。
 剰りにも見事な変化に、目の前にいて、抱きしめられていた愛機も茫然と其の様子をただただ見守り。
 二人の間に流れた微妙な空気。
 どちらも言葉を発することが出来ずに視線を彷徨わせようとした瞬間。
 其処へ昼下がりの優雅な紅茶でもと準備万端でやってきた青年と目が合ったからには。
 主と愛機、揃ってぎこちなく首を其方へ向け。
 心なしか零下まで下がった様な気がする部屋で三者三様三すくみ。
 其処へ外から帰ってきた騎士の姿も加われば、もう確実な喧噪が場に生まれ。
 事の是非を問い質す前に其処へ直れと事態が把握出来ていない騎士が暴れるわ、我に返った主と愛機二人してそれぞれの釈明を始めるわ、青年の冷ややかな視線で冬が突然やってくるわで兎に角賑やかと言うか喧しい午後の昼下がりになってしまった。

(兄弟…? 兄弟とは―――…?)
 怒髪天を衝く勢いの親友を宥めながら、若き武神は家族から変化した新しい関係性に首を捻る。
 けれど改めて其れを口にしてみると今までよりも何だかずっと心地良かった。
 主と愛機ではない、家族、でも無い。
 兄弟。
 何処か不思議な響きのある其れに小さく笑みを零して、ダイゼは暴走する親友を抑えにかかった。

<了>

 writing by みみみ

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