【しあわせになりましょう】 story by mimimi





Illustration by 鷹夜 譲
 何か分からないが、夢を見た。  其れは幼い頃の己であったかも知れないし、もっと最近の出来事だったかも知れない。  夢の中にいたのは誰だっただろうか、今同居している人物かそれとも疾うに失ってしまった上司か。  ―――いずれにせよ、もし今あの人が生きているのならば、己たちを祝福してくれたのだろうか。  気分的には作戦行動前の数時間によく似ていた。  ベッドの隣には既に親友の姿は無く、廊下を伝って聞こえてくる厨房の音が、  彼は既に戦闘体勢に入ったのだと知らせてくれる。  恐らく其れを手伝って居るであろう、隻眼の男の声も聞こえてくれば、  自然と己だけが睡眠を貪っていた事実に行き当たり、些か申し訳ない気分に陥った。 「お早う御座います、我が主」  ノックの後、部屋に入ってきたのはエプロン姿で、朝食の香りを纏う愛機の姿。  手に持っているトレーには今日の朝食が乗っている。  いつも通りの、メニューで。 「…お早うダイゼ。すまんな、寝坊した」 「いえ、我らの起床予定時刻が早いだけです」  ベッドから出てカーテンを開けると、最近はめっきり早くなった太陽が未だ水平線上にいる。  今日は晴れだろうか―――そう思っていると、コップに水を注いでくれている愛機と目があった。  微笑を浮かべる彼に今日の天気を尋ねたところ、少々雲が出る様だが、おおむね晴天の見通しだという。  良かったですねとすっかり人間じみてきた愛機は主が着替えようとするのを察したか、  其れではと未だ仕事がある旨を伝えて部屋を出て行く。 「……」  今日の為にと用意された礼服は会場にある。此方から着ていくのはYシャツと替えのズボンのみ。  其の二つでさえ、普段の軍服に比べれば着慣れず、些か緊張した朝食を迎えた。  慣れ親しんだ彼と己の軍服は、今日ばかりは仲良くクローゼットで留守番してもらう事になる。 「…頂きます」  師匠との生活の中で得た食事前後の挨拶は、日本式に手を合わせて礼を述べる。  独りだけの食事は、何となく久方ぶりだ。  作戦行動前の戦艦の中では、適度な緊張と緩和が兵士たちの身体中に満ちていて、だが言葉は少ない。  自然と誰もがお互いに距離を取り、例えば愛機の整備であるとか黙々と行える作業に没頭する。  勿論、仲間とつるみ、他愛のない会話をする事で緊張を解す者達もいるし、  そう言う者達は自然と集まって、出撃前まで賭け事を繰り返す。  基本的に作戦行動前に酒は御法度と言われるが、ほぼ暗黙の了解で飲酒も行われる。  ただし、新兵の場合だけは班長や隊長の指導の元、認可されない場合が多い。  記録係の元部下A――元気溌剌で少々癖のある女性隊員――曰く、結婚式とは戦場らしい。  主には女性にとってだが、矢張り男性にとっても戦場に近いものがあるだろうかと、ぼんやり考えた。 「エルザム、そろそろ支度を―――。!」 「ではエルザム様、我らは先に行ってラーゼン様の指揮下に入ります」 「我が君お気を付けて参られませ…!」  朝食を済ませてトレーを持ってくると何やら大きな風呂敷やコンテナを抱えて走り回る愛機たちの姿が有る。  さり気なく避けておいたつもりが、其れでも我が愛機には気付かれていたらしく、小さい会釈をして通り過ぎる。  ―――段々と主を超えて人間らしい、それ以上の細やかな気遣いが出来る様になってきた気がする。  もっと己も主としてしっかりしなければと厨房に入ると、エプロン姿の男と青年が慌ただしく動いていた。  邪魔にならぬよう、さてトレーを何処に置くべきか悩んでいると、二人が揃って此方に気付き。 「お早う我が友、よく眠れたかな?」 「寝坊だぞゼンガー、ほら手伝え」  見ればまだラフな姿でYシャツすら着ていない親友と、  此方も同じく寝癖の残る髪をそのまま三角巾で押さえつけた姿の男。 「…エルザム、ゆっくりした方が良くないか?」 「大丈夫だ、そろそろ私も着替える」 「俺も着替える。だから」 「「後片付けを頼む」」 「………」  邪気のない見事な笑顔が二つ並んで、其処まで酷くはないが朝から片付けるにしては  結構な量ではないかと思わせる台所を指差す。  最後まで寝ていた人間の務めだとばかりに了解の手を上げ、二人が最後に包んだのは重箱。  5段が二つも必要になるのかと聞こうとした瞬間。 「…?」 「準備は終わったかって姫さんが―――ん、お早うマスター」 「お早う、スレード。…クロガネ嬢が?」 「ああ、取り敢えずいつでも出掛ける準備は万端だってさ。フルスロットルで」  主の晴れ舞台に心躍らせるあの黒き姫は今日も今日とて張り切っている。  同じく其れを支えているウォーダンの愛機、スレードもいつもより少し大人しめの外見を整えてある。  ―――寝惚ける暇がない程、今日は活気に満ち溢れた日になるだろう。 「ではスレード、此を先にクロガネへ持っていってくれ。会場の皆へのささやかな朝食だ」 「りょうか〜い」  成る程、重箱は青年なりの痛み入った心遣いという訳で、と得心したところででは片付けを始めようか。  会場へ着くと既に何やら飾り付けや受付がある程度始まっていて、  受付には元部下B――前髪のみ明るい色をした青年であり現隊長――であるキョウスケ・ナンブと  嘗ての愛機、零式の姿があった。  其れに驚く暇もなく新郎新婦の控え室は向こうです、  衣装も揃っておりますのでどうぞと言われては声をかけるいとますらなかった。  張り切る声とシャッター音、フラッシュは元部下Aである エクセレン・ブロウニングから  発せられるものであるし、てきぱきと指示を出すのは情報部所属の同僚、ギリアム・イェーガーその人である。  控え室に行くだけでも数人、見知った顔が並んでいるのを見て、今日は一体どういう事だと問いたくなる。  幾らジューンブライドの日曜日とは言え、地球防衛戦力が此処まで、とは。 「…凄い、人だな…」 「これからもっと多くなるさ」 「お前らの控え室はこっちだな、じゃ」 「ん?」  青年に引きずられるまま連れてこられた控え室はやたらと広い。  しかも新郎新婦である自分たち二人とウォーダンとは又別室であるという。  後者はそう言われればそう言う者かと納得できるのが、前者のこの広さは一体何か。  今は揃いの礼服がカバーに覆われて置いてあるのと、  全身鏡にテーブルと椅子などが並んでいるだけで、余程これから多くのものが運ばれて来るに違いない。  人を驚かせるのが好きな親友の仕業によって、本当に全く己は何も知らされていない。  同居人であるウォーダンは何やら色々と知っているらしいのが、実は妙に悔しかったりする。  そう言えば零式―――ゼロの服装はリシュウ先生から借りたものだろうか。  割腹の良い彼によく似合った和装が、隣のキョウスケと相俟って、  簡素なこの結婚式会場に一つ良い緊張をもたらしている様に思う。  キョウスケが来ているならばあの少年も来ているのだろうかと、  様々に思いを馳せていると不意に誰かに肩を叩かれて。 「なん―――…!」 「緊張が、此でほぐれると良いのだが」  悪戯に引っかかった我が身の迂闊さは兎も角、本当に嬉しそうな顔をして、  緩みすぎと怒られそうな程、愛しい親友である、此の青年の笑顔は絶えない。  相手の肩を叩き、呼び止めておいて振り向いた表紙に相手の頬に指を差す  ―――そんな簡単な事で、緊張や混乱を無かった事にしてくれる。  愛機であるダイゼは恐らく、多くを彼から学んでいるのだろう。  不甲斐ない主と言えば、又彼に叱られるとは思うのだが、己には本当に勿体ない、恋人だ。 「ウォーダンは?」 「彼には会場の飾り付けや設営を手伝って貰う事になっている。必要なところへ回してくれ」 「……」  男は改めて己の着るべき服を眺めた。  軍人にとって正装とは軍服であり、パーティや夜会などの社交場であっても、  本来は其れと決められた軍服を着ていくのが筋である。  然し自分たちはもう正式な兵士ではない以上、軍服を着る必要もないという青年の主張の元、  今回の結婚式は何やら幾つか服装案が出されたという。 「ギリアム、其れから披露宴なのだが―――」 「……」  主に準備を進めてくれている同僚と、青年が専ら会話の中心であり、己は聞き役に回るしかない。  会場が今どんな様子であるとかが慌ただしく質問と回答で流れていくばかり。  そうして親友は此が最終確認だから、後は会場で俺を捕まえてくれと去っていった。  いつぞや言った様に、お互いに多忙なのは其れが性分であるからかも知れない。  ―――で。  慣れない服装に付いていたネクタイは、今日までに何回か練習を重ねてきていたにもかかわらず、  矢張り上手く結べない。  イラスト付の説明書を手元に置いてやっているのだが、どうしても途中で解けてしまう。  結局、見るに見かねた青年が苦笑を浮かべながら結んでくれた。  何ともはや、情け無い。  すまないと小さく謝っておいて無言で恥を忍んでいると。 「貴重な、体験だ」 「…?」  しゅるしゅると絹地が擦れる音と、彼の指が器用に曲がってはネクタイを結んでいく。  器用にやっているなと思うのは己が不器用だからに他ならないが、青年は小さく笑っている。  己の不器用さを笑っているのではなく。 「まるで働きに出て行く夫と妻の朝の風景だろう?」 「…あ、ああ…」  嬉しいのか、喜んでいるのか、楽しいのか。  鼻歌さえ出てきそうな彼の様子と、今の状況を表現した言葉に思わず此方も照れて、顔が赤くなりそうだ。 「ふふ、今日は何もかもがきっと初めての事ばかりだな」 「そうだな」  相槌を打つ事しかできないけれども、きっと其れはその通りだ。  今日は何かもかもが初めてだらけ。  親友が楽しそうにしているのは、己も楽しい。 「…ん? ゼンガー?」 「…エルザム」  ネクタイを結び終わったと同時に、口からの言葉ではなく、身体が動いて、彼を抱きしめた。  有難うと、嬉しさを伝えたくて。 『…矢張り気になる…!』  と言ったきり今日の主役であるはずの青年は帰ってこない。  どうしても厨房の仕入れ具合や自分の作った料理がどうなっているのかが気になるらしく、  其れを伝えに来た愛機――アウセンザイター――が止める暇もなく控え室を飛び出して行ってしまった。  其れと入れ替わりに来たのが、  朝は寝癖の残っていた髪をきっちりと整えてオールバックにした隻眼の男、ウォーダン・ユミルである。  かといって別に何を喋るでも無く。  最初入ってきた時にはお互いの服装を見て、珍しい格好だと言い合ったものだが、  其れ以降は何をしてきたんだと尋ねて会場の手伝いだと応えるだけで終わってしまった。  もっと他に尋ねることがあったような気がするのだが、何も出てこない。  心細い、では無いが落ち着かない。  控え室は入り口から更に関係者用の一番奥の部屋に当たるので人通りも余り無い。 「……」  厨房で未だ何やら料理の準備に余念がない親友を元愛機が苦笑しながら呼びに行って暫く経つが、  此は恐らく逆に準備を手伝わされているに違いない。  何やら己の愛機も手伝っているようで、さながら其処は戦場だろう。  己が手伝える事は何も無い。ただ、こうして待つだけだ。  ただ、其の待つばかりが今日は少し難しく感じる。 「…おい」 「?」  呼ばれて顔を上げると其処には瓜二つの顔。相似の相貌は、然し今日ばかりは何処か表情がいつもと違う。  整えられて、立派に見えては居ても多分、己と同じ顔をしているのだろう。  映し身と、鏡と呼ばれる事のない彼が、けれども今日はまるで鏡写しのように―――  己の表情をそのまま、唯一の瞳に映し出す。  伸ばされてきた手は首元へ。 「ネクタイが、曲がっている」 「…ああ、すまんな」 「全くだらしのない奴め」  慣れない服装と訳の分からない緊張で、つい手は首元のネクタイを触ってしまう。  折角親友にして貰ったというのに曲がっているのでは様にならない上、してくれた彼に申し訳ない。  其れを指摘できるという事は、やはり此の男は自分で出来るのだ。  ―――ネクタイの猛勉強をしたくなるな、此は。 「主役が馬鹿では周りが困るぞ」  何かが、溜息混じりに大袈裟に振る舞う仕草や言葉の端々に現れている。  普段の軽口とは全く違う、渇いたもの。  何処か、他人行儀な其の仕草。  分かっていた事だけれども、きっと未だ。 「ウォーダン」 「何だ?」  己と同じように客人を迎える為、そして会場での仕事が未だ残っているかも知れないと、  今日はオールバックで左目の傷を隠していない男が、出て行こうとするのを呼び止める。  一人、残される事がこんなにも寂しかっただろうか―――? 「…有難う」 「どういたしまして」  ひらひらと軽く手を振る其の姿は、不必要に硬い。  今日一日が終わるまでは彼とは普段の様にはいくまい。  互いに互いを意識して、かけるべき言葉を胸の中で探して、何が言いたいのかを考えて。 「近くて―――遠いな…」  そんな当たり前の事に、今更気付かされる。