【しあわせになりましょう】 story by mimimi


 主である人間をぞんざいな扱いで引き連れるというのは従者としては些か不満が残る。
 だが今日はそんな事を言っている場合では無い、
 時間は限られている上に主が待たせているのは歴とした主の旦那様である、
 そんな人をこんな日に放って置いて一体何をしているのかと。
 ―――祝いの席である喜ばしい今日という日を台無しにしない為にもそんな愚痴や文句は胸にしまう。
 嗚呼俺ってば何でこんなに苦労性なんだろうと一人勝手に嘆いておいて。
 ずるずると厨房から引きずり出した主を新郎新婦の控え室へ行く途中、
 後少しでその扉の前まで来るというタイミングで、不意に足を止める主は自身の名を呼んだ。
「ラーゼン」
「何ですエルザム様」
「…困った事がある」
 今はどれだけ懇願されても聞く気はない。
 約束したのだ、ちゃんと連れ戻すからと。
 相棒の―――主である、この人の旦那と。
 振り向けば最後、この人のペースに巻き込まれて終わりだと分かっていたはずなのに、つい。
 主の困り事は、従者にとって何よりも解決しなければならない、してあげたい事の一つ。
 正確に言えば元主だが、相棒のように其処まで厳密性を求めていない自身としては拘らないし、
 主は主だろう、いつまでたっても。
「惚気なら一切合切何が起きても聞きませんから」
「違う」
「?」
 さぁ行きますよと振り返ってしまったのが運の尽き。
 真っ直ぐな瞳をした翠玉の王は真剣な表情をしていて、或る意味戦場に立つ時の雰囲気を思い出させる。
 とは言え、こう言う時は同時に何かしら悪戯を抱えている時でもあるというのは、重々承知の上だ。
 ―――つくづく、あの親友にして主の最愛人は大変だと思う。
 後少しの距離なのに、やたらと控え室が遠い。
「この件についてなのだが…」
「は!?」
 と言って引きずり込まれたのは新郎新婦の控え室から隣の隣にある自分たち関係者の控え室。
 其の部屋にあった幾つものダンボールから、
 満面の笑みで青年が取り出したのは予てより準備していたのであろう書類。
 一体何が起きるのかと何となく想像はついたのだが、剰り口にしたくはない―――気がする。
 渡された書類の中には鮮やかな、又渋いものまで多種多様な服装。
 しかも男女品問わず。
 で、書類から顔を上げると其の服装に関してはこっちのダンボールで其れから次のページにあるものは以下略。
「…以上、私はもう時間が来るまで控え室からは出ないつもりだからウォーダンに伝えておいてくれ、頼んだぞ?」
「………はい…」
 どう見たって怒っているだろうそんなにも料理に拘りがあるのか、
 だけど今日はですねー等と無駄な論争をする気すら起きず。
 明らかに最初聞いていた予定をひっくり返している――若しくは最初から斯うするつもりで
 周りに嘘の情報を流していただけかも知れない――目の前の新婦は、絶やさぬ微笑をそのままに部屋を出て行く。
 成る程其れで彼が、ウォーダン・ユミルが新郎の着替え係に抜擢された訳だ。
 腕っ節とそれなりの強引さが必要な仕事だ、確かに―――嗚呼しまったこの人は本当にこういう人だったと。
 打ち明けられた身としては、少し切ない。


 一方その少し前の新郎新婦控え室。
 全ての荷解きも終えて後は客人たちを迎えるだけだと様子を見に来てくれたのは、事もあろうに黒の衝角船。
「!」
「…何ぞもたついておるというか…エルザム様は何処に?」
「厨房だ」
「……。あの人らしいのう」
 最初は驚いていたが直ぐに返事を返した男に、苦笑した少女の姿は今日に合わせた正装だった。
 普段は思うままに任せている艶のある黒髪を纏め上げて簪で止め、襟足も整え、唇には紅が引かれている。
 伊豆のお姫様、箱入りお嬢さんと揶揄される姿は其処になく、
 立派な成人女性かと思える顔立ちに―――文字通り化けていた。
 和装の中でも振袖と呼ばれる其れは、未婚の女性にとって一番のお洒落だという。
 何やら危うくその歴史について、又入手経緯について延々とレクチャーをされかけたのを遮り、時間はと尋ねる。
「妾にその様なぬかりは許されぬ、今日は言祝ぐ日であるからな」
 自信満々に答える彼女を見てふと。
 こう言う時ばかりは矢張り女性の方が強いものだろうかと思う。
 ―――そう言えば、彼女も強い人だった。
 会った時の凛とした印象も、後に彼から聞いた事故の時の話でさえ、
 男性が躊躇う瞬間を見抜き、窘める事の出来る強さ。
 其れは一体何なのだろうと常に不思議でならない。
 出産がとかそう言う問題ではない、きっと根本的な種の話にまで遡るのだろうか。
 古来より、女性ほど男性よりも時に強いものは無いのだと。
「遅れたが…妾からも祝いの言葉を」
 すっと居住まいを正して、一礼の下告げる言葉は祝詞にも似た不思議な響き。
 其処だけ、空間が厳かになる。
「―――ゼンガー・ゾンボルト様…
 此度のエルザム・V・ブランシュタイン様とのご婚礼、心よりお祝い申し上げます。
 お二人の絆が此からも、強く結ばれ続けるよう、祈っております。
 …本日出席出来なかった姉妹分を代表し、不肖クロガネが言葉を述べさせて頂きました」
「…!」
 すっと上げた表情は微笑。
 女性を意識した事は此までに沢山あったのだが、母性を意識したのは初めてかも知れない。
 緩やかに弧を描いた唇は、慈悲深き聖母の像にも似て。
 どうしたら―――何と言えば。
 突然、己のみに告げられた祝いの言葉は感謝の言葉一つでは足りないような気がして酷く勿体ない。
 こんな時に青年がいればもっとしっかりときちんと、礼を述べられたのに。
 不器用な己を叱咤するように黒き方舟は告げる。
「男は度胸! 女は愛嬌!」
 瞬間、普段のあどけない笑顔に戻りびしっと指を突き付けられた。
「緊張するなという方が無理であろうが…し過ぎも互いに負担をかけてしまうでな」
 注意するが宜しいと―――彼女は言う。
 何よりも愛しい人の為に、今日というこの日を迎えたのは自分たちだけではない、
 もっと多くの人に支えられているからこそだという事がハッキリと分かる。
 おめでとうとたった五文字が此だけ嬉しい日はそうそう無い。
 ―――不意に触れた左手の薬指にある感触は、全てを証明してくれている。
 普段は身につけない指輪を、強化月間の名の下に首から下げるなり何なりと身につけていろと
 ――他の誰でもない隻眼の男から――言われた手前、
 今日まで一応整備などの危険性のある時を覗き、身につけてきた銀の一輪。
 勘違いにより、正式な段階をすっ飛ばして送ったこの指輪を、
 当日互いに改めてはめ直す―――そんなプログラムも、今日の結婚式には用意されているという。
 矢張り此処は女性と男性の違いなのか、
 ウキウキとした様子で打ち合わせの風景を口にする彼女が、ふと此方の苦笑に気付き。
「…まさかとは思うが、強奪劇など起こるまいな?」
「……。まさか」
 一瞬脳内に過ぎる在る人影。
 結局、心当たりがあるのだとは、言えなかった。


「…さて」
「!」
 そろそろ時間だなと腕時計を見て、身支度を整えた青年がゆっくりとソファを立ち上がる。
 緊張が最大限まで張りつめていき己の心臓は高らかに鳴り止まない。
 其れを見抜いた青年が己の首元へ手を伸ばし。
「確か…ウォーダンにも直されたと聞いたが?」
「…ああ」
 クスクスとおかしさを堪えきれないのだと言う風に青年は肩を震わせながら己のネクタイを直す。
 最後に軽くネクタイを叩いておいて、肩に手を置き、少し背を伸ばして。
「…!」
「…予行、演習も必要だろう?」
「馬鹿か…」
 僅かに触れ合った唇は、何となく今日ばかりは酷く神聖で。
 おかしな事に此で心臓の高鳴りが落ち着くのだから、情け無くて悔しくて。
 ―――好きだと、愛していると言うよりも、何度でも繋げた身体はすっかり熱を覚えているから。
 お返しだとばかりに今度は此方から、男は青年に口付けた。


 歩き方は一応前もって訓練してみたものの、矢張りいざ本番を迎えればどんな戦場よりも、
 どんな死合をした時よりも緊張している己が居る。
 青年が皆の前へ出る瞬間に低く呟いた一言で、“顔は前に足下に細心の注意を払って”歩く事を思い出す。
 ―――堂々と胸を張り、ただ前だけを見つめて。
 二人でゆっくりと紅絨毯の上を歩く。
 普段は意識した事のない其の歩幅が妙に心を高鳴らせるのは何故だろう。
 彼と組んだ腕が熱くて、其処から全身が硬直していくような感覚。
 皆が拍手で迎えてくれているはずなのに何も聞こえなくて、一歩一歩進む感覚だけがやけに鮮明だ。
「…着いたぞ」
「!」
 はっと気付けば疾うに皆の前に着いていて、後はふり返って一礼。
 視線を逃がすどころの話ではなくて、もう兎に角次の行程を思い出すのに己は必死だ。
 仲人役であるカイ少佐の音頭の元、式は無事に進み。
 台に置かれた結婚証明書にサインをする時が来た―――一つは青年の兄弟である、ライディースの名前が。
 日時と――敢えて名前を入れずに置いておいた――場所の二つ下、
 新婦の所へ青年がペンを取って自らの名を書き込む。
 一度は捨てた名前でも、初めて会った時からずっと知り合っている、本当の名前を。
『…隠れる必要は無い、お前の本当の名前を書けばいい』
 怯えるな、挫けるな。
 男の青鈍色の瞳はそう言って証明書での自分の名前を肯定した。
 世を忍ぶ為の名前ではない、名を。
『其れに…偽名の結婚式など…喜ぶまい』
 皆に後で其れを知らせるならば―――と、青年は改めてサイン後、ペンを親友に渡すまでに考えた。
 そう、世間一般には死人の名前であっても、私の本当の名前だ。
 親しい者が呼ぶ、愛しい人たちが呼んでくれる、大切な言葉なのだから。
「……」
 男は渡されたペンを持ち、台に向かう。
 ―――二人だけの時も緊張したが、今回は衆目の中でのサインだ、緊張が更に大きくなる。
 其処でふと、もう一人の証明人の名前に目が行き。
 もう一つの名は。
「!」
『誰にするのだ…二人目を』
『さぁ誰だと思う?』
 ずっと教えてくれなかったもう一人の結婚証明人。
 君と私が知る中で、最も君に縁のある人物だとだけ答えてくれた青年のあの笑みが、漸く此処で理解出来た。
 顔を上げて思わず其の人物の姿を探す。
 一番奥の列、少し俯いた様子で。
 愛機たちと共に居る彼の姿が―――隻眼の男が見つかる。
 さぞかし己は間の抜けた顔でもしていたのか、刹那相似の瞳が交錯し合い、相手に睨まれたような。
 式の最中に主役がそんな顔をしていてどうすると。
 時間が無いと言いつつも控え室で傍に居てくれた、
 彼は―――一体どんな表情で、どんな想いで此の書類にサインをしてくれたのか。
 再び視線を証明書に降ろして、年甲斐もなく泣きそうになった。
 ただただ有難うとしか言えなくて。
 有難うとしか、言いたくなくて。
 ―――きっとすまないと口にすれば怒られるだろうから、今は有難う…其れだけを胸の中で何度も繰り返す。
 そっと背中に触れた手が誰か分かっていても。
 似て非なる存在を、今は想った。
「…ゼンガー」
「……ああ」
 震える指がゆっくりと己が名前を証明書に書き込み。
 遠くからチャペルの鐘が、皆の拍手が響き渡り、そして二人は誓いのキスを。
 此だけの人数の前でするキスなど―――どうしようもなく、恥ずかしかったのは言うまでもない。
 何やら記録係の部下がフラッシュ盛り沢山で写真撮影をするのを見るに至っては。
「…も、もう良いだろう…!」
「そうか? 折角の記念なのだが…」
「エルザム…!」
「分かった、分かった」
 普通ならば直ぐに終わるはずのキスは、離れようとした瞬間に
 花嫁にガシッと――皆から見えない位置で――捕まえられてなかなか終わらなかった。
 息が足りなくなると慌てて身を離してみれば、
 実に残念といった様子で苦笑を浮かべる青年の、又楽しそうな事嬉しそうな事。
 心からの其の笑顔を見せられては、此方も想わず照れ笑いをするしかない。
「ボス〜! はいこっち向いて!」
「!」
 今日の記録係を自ら買って出たエクセレンはここぞとばかりに写真を撮り、
 ビデオも抜かりはないわよんと親指を立てている。
 ―――待て、カメラは兎も角ビデオという事はつまりあれやこれが動画の状態で残っているという事で、
 更に言えばキスシーンが等と問いつめるのは後回しで、
 紅絨毯の端まで一度歩き、残すは式最後の最大イベント、ブーケトス。
「……」
「?」
 一瞬場違いかと想う程に、男は背筋に寒気を感じた―――さながら其処は戦国の合戦場。
 当然同じ様な気配を青年も感じているようで、渡されたブーケをどうやって放り投げるか考え倦ねているらしい。
 気迫と気合いと闘気が満ち溢れている中、放り投げたブーケは。
「「…!!」」
 ―――女性は強い。
 心底、そう思うのであった。


 大きな作戦前には屡々メンバーで催し物が行われる。
 どんなに厳しく、成功率・生還率の低い作戦であっても、
 この時ばかりは皆リラックスムードで料理に舌鼓を打ち、談話を楽しむ。
 其処ではお酒も出てくるので、未成年以外は――一部の酒豪を除き――ある程度の飲酒を許されている。
 集合写真を撮りますよと声をかけられて出席者全員が集まった時に感じた雰囲気は、其の雰囲気に近かった。
 多くの人が一つの場に集まり、同じ空気を共有する。
「記念写真なのだから…笑いたまえ」
「そう…言われてもだな」
「擽った方が良いか?」
「結構だ…!」
 真ん中に座る新郎新婦の内、笑顔を剰り表に出さない新郎は
 この際仕方がないと言う事での記念写真―――数年後、いやもしかしたらもっと先の未来で、
 この写真を見た時、己は一体どんな気持ちで此を見るのだろうかと少し楽しみになった。

「…む?」
「どうした?」
「いや―――…」
 新郎新婦の控え室に戻ってみると何やら衣装が増えている。
 結婚式にはお色直しというものがつきもので、
 当然今回もあれがしたいこれは駄目だという激しい討論の末に選ばれた三着の内―――
 どう考えても見慣れないものが一つ。
「……エルザム」
「エクセレン少尉に相談したら是非これが良いと言われてな」
 其れはもう大きな風呂敷である。
 で、其の中身はと言えば何となく其れを
 何処で見かけるかと言えば遊園地だったり公園だったりで遭遇するつまりアレ―――着ぐるみ?
 衣装をチェックしている青年を余所に、男は急ぎ其の風呂敷を開ける。
 ―――開いた口がふさがらないとはこの事か…!?
 悪戯だったりビックリが好きな青年は、今日の動きも最低限、序でお色直しも強硬手段で用意したらしい。
 恥ずかしいからと己が逃げ回って居た所為か、其れとも青年の自由を少し許した方が良かったのか、
 結果的に今日という日まで己はお色直しの全貌を知らなかった・知ろうとしなかったのが、
 恐らく一番の敗因であろう。
「………」
 此はいつ着るんだという一言に、青年は満面の笑みで答える。
「勿論、最後だとも♪」
「…そうか……」
 記録係に会場を奔走する女性一名の名を、男が思いっきり叫んだとか叫んでいないとか。
 取り敢えず、叫ぶ元気があるのならきちんと着替えたまえと釘を刺されて呆気なく陥落。
 1回目のお色直しは自分たちそれぞれが選んだものだ。
 新郎は年一度程しか袖を通さない裃の紋付き袴を、新婦は目映いばかりのウェディングドレスを。
 ―――以前、お色直しの打ち合わせの際、胸をどうするつもりだと聞いたら
 そう言う野暮な事は聞くものじゃないと怒られたのだが…然し気になるものは気になる。
 ジューンブライド、結婚式の代名詞のようなウェディングドレスは本来女性の為のものであって、
 無いものが無い以上どうにか対策を立てなければならない、
 自分たちには着ると言っても肩幅や腕のサイズやらで大分手直しが必要の筈だ。
 曲がりなりにも一軍人である成人男性の身体は、矢張り一般女性の体格とは違う。
「…で、どうだろう?」
「………」
 そんな杞憂を見事に吹っ飛ばしたのが、彼の姿である。
 否、寧ろ“彼女”と呼べる。
 紋付き袴の着方は随分前に師匠に習って以来自分でも着る事が出来るので、
 青年よりも早くに準備は終わったものの、青年を手伝った方が良いだろうか、
 いや然し幾ら何でも女性服の着替えを手伝うのは器用な彼ならば兎も角、
 不器用な己が挑戦したところで無意味だろうと思い、諦めていると―――出てきたのは立派な新婦の姿。
 ドレスを着る人物を知る者以外は最早疑えない程の、美人。
 薄手のヴェールを上げてみると漸く青年の顔を見る事が出来た。
「……見事だな…」
「……ゼンガー」
「ん?」
「痛ッ…何だ、何なのだエルザム!?」
 すっかり見とれてしまって溜息しか出てこない己の頬を突然引っ張る新婦の手。
 どうしてと尋ねようとしたが、明らかに拗ねている青年の顔に、そろそろ鈍いと言われる己でも、
 青年が本当に言って欲しかった言葉ぐらいは想像がついた。
 ―――逆に言えば、其れを一番最初に言ってあげられないのは、まだまだ器量が足りぬ。
 フリルや花飾りが付いた、柔らかな感触のドレスに身を包んで待つは一言。
「…綺麗だな」
「当然だ」
 どれだけ私がこの日の為に苦労を重ねたと思っているのだ、
 大体君はいつもそうやって場の雰囲気を誤魔化してしまうから私が斯うやってアピールしてみても
 徒労に終わるのだと言う事を分かって貰いたいな云々―――
 緩やかに波打つ青年の髪に手を伸ばし、背中から男は強く抱きしめる。
「…!」
 斯うして触れ合えば心が分かるなどと言うのは幻想でしかないけれど、其れでも言葉足らずな己には、
 無駄に言葉を重ねていくよりも、斯うしてつい動く事の方が多い。
 花嫁が白を身に纏うのは、嫁ぎ先の色に染まりますという意思の表れだと聞くが、
 疾うに互いの心は互いで埋め尽くされてしまってもう他の何かに染まる事が出来そうにない―――
 思わずそんな事で苦笑を浮かべ、派手さはないけれども細やかな装飾が施されている、
 純白のウェディングドレスを纏う青年を抱きしめる。
 愛しい、世界で自分だけの宝物。
 ―――間違い無く此の瞬間だけは、自分たち二人だけのもの。
「ゼンガー、少しだけ時間を貰っても良いか」
「…構わん」
 寧ろ其れは此方の台詞だと、小さく耳元に囁いて。
 二人は少しばかり、会場を待たせる事にした。


 特に大きな事故も無く。
 ハプニングがあったものの、式は滞りなく進んだ。
『お前たちも偶には周りに気を遣え』
『エル、新婚生活も程々にね』
 ―――等と言った同僚や親友からの祝辞には思わず会場全体が笑いの雰囲気に包まれ、終始和やかムード。
 料理の仕出しや厨房も思った程は忙しくなく、けれど青年の料理の方が大人気で、
 此は此で青年の喜ぶところであったし、立食形式の披露宴は久方ぶりに時間を贅沢に使い、
 様々な人と話す事が出来た。
『エルザム様、おめでとう御座います』
『…レオナか』
『あのライディースが…良かったですね』
『ああ』
 聞けばヒリュウ改からやってきた従姉妹は、律儀にも弟の事も含めて祝福の言葉を贈った。
 結婚証明書はあの後会場に展示されているので、皆の知るところとなり、誰もが其れを見る事が出来る。
 亡き妻の話もせず、弟の話も其れ以降は出ずに、他愛のない世間話のみ。
 実質的には当主不在の宗家に対し、彼女はある程度の分を守りつつも支えてくれている。
 友人たちの輪の中にはリューネの姿もあって、そんな昔ではないはずなのに、
 随分と昔の事に感じる―――DC戦争について少しばかり想いが及んだが、
 今日という日に過去の戦場を思い出すのは止めようと振り払う。
 親友も同居人である隻眼の男に何かからかわれつつも、同僚たちと話しているし、
 久方ぶりに会う元部下たちとも此で少しは距離を縮める事が出来ただろうか。
 ―――不器用な男故に、自らが持つ裏切りの烙印を赦しはしないから。
 隊長と、以前のように慕ってくる部下たちを見ては時折複雑な感情を瞳に過ぎらせていた。
 風が適度に出ている初夏の陽光の下。
 二人の結婚式は無事に終わった。


*****


「……」
「……」
「…ベッドの準備は終わったか」
「はい」
 普段よりも幾分小声で会話をするのは、目の前で眠る二人を起こさない為だ。
 ダイゼとアウセの二人が、心境複雑なまま主を眺める中、男も此で漸く全てが日常に戻ると欠伸を噛み殺す。
 台所から出てきたスレードが戸締まり終了と告げれば、後は就寝のみ。
 ここ数ヶ月の喧噪も何処へやら、今夜は静寂に包まれる。
「…では、我が君をベッドへ…」
 式が終わり、出席者一人一人に引き出物を渡した後、会場の片付けを手伝い、
 此の屋敷へ帰ってきたのは日暮れだった。
 ダイゼとアウセが料理の残り物を利用した晩餐を振る舞う事で、
 今日の主役であった新婦への負担も減らす事が出来たものの、
 矢張り疲れは随分と溜まっていたらしい―――風呂から上がってみれば、二人仲良くソファで眠っていた。
 風邪を引くと気を利かせて愛機たちが毛布を掛けてはいたが、
 時間から考えればもうそのまま就寝しても良いだろう、そう判断してベッドメイキングに取りかかった。
 アウセがそっと成る可く静かに主を抱き上げて去っていく。
 普通ならば気配だけで起きそうなものを、全く起きないとは余程の熟睡ぶり。
 明日の目覚まし時計はいっそ昼に設定しても良いのではないだろうかと、一人苦笑する。
「我が主も…」
 ダイゼも同じく主を抱えて去ろうとしたが。
「ダイゼ、すまんが其の役目を俺に譲ってくれるか?」
 隻眼の男は突然の頼み事を口にした。
 思わぬ横槍に呆気にとられた武将が身構えたのは普段の行い故だ、
 邪推されても仕方がないが今回ばかりは少し違う。
「…俺とて其処まで野暮ではないぞ、何なら見張ってくれても構わんが…頼む。今少し、時間をくれ」
「……」
「…ダイゼ」
「分かっている」
 頭を下げてまで願うこの姿勢を疑う程、己とて愚かではない―――
 スレードが見かねて援護を続けようとしたのを遮り、
 リビングから出ては行きますが直ぐ外で見張っております故に剰り主に無理はさせませんようと
 口酸っぱく注意をしてから出て行き、其の後にスレードも続く。
 扉を閉める瞬間一度だけ振り返ると、真剣な瞳で新郎を見つめる男の姿があった。
 其れは気付けば会場でも時折見られた光景で、透き通る薄銀色の瞳は今以て何を考えているか分からない。
 張りつめていたものが途切れる瞬間なのか、
 其れとも何か新しいものが出来上がった瞬間なのか―――本人の心のみぞ、知る。
「………」
「…すー…」
 オールバックにしてみると改めて気付くのは視界の良さである、当たり前だが。
 ただでさえ左目は傷の所為かは分からないが視界が利かない為、必然的に右目ばかりを使う事になるのだが、
 其れでも此の――眠り続ける――男と同じく長い前髪は
 気付かない内に矢張り視界を妨げる役目を持っていたようだ。
 1日あの髪型をした後では、今は随分と視界が悪い。
 全くお前は軍人であるのに何故こんな髪型をしているのか実に理解出来ないと心中に呟き。
 肩からずり落ちていた毛布を肩まで一度戻して隣へそっと座る。
 ―――其れでも起きない鈍さ加減に、余程疲れているのかと言うべきか、態とかと思わず疑うべきか。
「…ゼンガー?」
「……」
 掠れた低い声は緊張の証。
 最初、ダイゼに言った言葉は自分でも理解の範疇外だった。
 一体俺は何をするつもりかと―――何もする気はなかったのに。
 考えてさえ居なかったのだ、なのにあの言葉は己の口から確かに出た。
 と言う事はつまり、この時間には何か意味があるに違いない。
 ここ数ヶ月の何か。
 諦めないぞと自分に言い聞かせてきた数ヶ月間。
 辛いなどと思った事は一度たりとして無い、元より覚悟の上だ。
「ゼンガー…」
「……」
 こつんと額を男の肩に乗せ、小さく呟く。
 触れているだけでも良いのだ―――斯うして胸の中にある、訳の分からない感覚が消えていくのなら。

「しあわせにな」

 そう、祈り続けているから。