想いの泉


ほとんど意識のない弓親を抱き上げながら、十一番隊まで行くのは相当骨が折れた。
恋次はなるべく一目のつかない裏道を、瞬歩を使いながら走り続けていたが、それでも道中を歩く死神の中には目利きがいて、 「おい、なんで六番隊副隊長が綾瀬川五席を抱きかかえているんだ?」などと小声で囁く声も通り際聞こえてきたりした。
(ああもう、なんだって俺がこんな目に合わなくちゃならねえんだよ!)
今ごろはゆったりと広い風呂に浸かってのんびりしていたはずなのに、気がつけば元上司とも言うべき相手の介抱をすべく 人目をはばかるように裏道を走っている。
これがそこら辺にごろごろいる野郎どもなら、怪我でもしたのかと思われるくらいで済むのだろうが、相手が弓親ならば話が違ってくる。
本人が豪語しているだけのことはあるこの美しさは、実は弓親が気づいていない無防備な瞬間に一番発揮されることを恋次は知っていた。
十一番隊にいたころ、稽古が終わった後の隊士達との会話には必ず弓親の話題が出ていたものだ。
普段稽古の時に見せているやる気のなさそうな弓親とは違い、練習試合の彼は獲物を得たかのように、相手を本気で射る視線で挑んでくる。
それは、普段自信に溢れた彼の視線とは異なり非情な透明性を持っているが為、思わず相手がその視線に囚われてしまうのだ。

『日常の全てを殺ぎ落とした瞳の五席は、ぞっとするほど美しい』

これが、隊士達の口癖だった。
また、他にも一角がたまに隊長と虚退治に出かけてしまったりすると、何だか支えを無くしたようにぼんやりする弓親を、 恋次はたびたび見たことがある。
その時の弓親が発する無防備さは、正直男ながら可愛いと何度か恋次も感じたものだ。だからこそ、こんな風に体調が悪い弓親が 周りに与える印象など、容易に想像がついたし、事実思ったとおりだった。
力の入らない手足はだらり、と伸び、顔だけが何とか意思を持って恋次の胸元に埋められている。無防備な白い手足は透き通るように白く、 指先まで繊細に細く長い。それが余計に寂しい印象を与えるが、同時に艶かしさも発揮していた。
長い睫が影を作り微かに震えている。その、何かに甘えるようにして埋める顔はそこら辺にいる女性隊士よりもずっと清楚な美しさを湛えている。
そんな人を抱きかかえているのだから、大通りなんて死んでも歩けない。
(ま、普段の自信に満ち溢れている弓親さんにこんなことを言ったら、殺されることは間違いないだろうけどな)
普段よりも、弱っているあなたの方が綺麗ですよ、なんて・・・・・と思わず呟きながら、抱えた彼の人を見る。
だが、やはり風呂に浸かったにも関わらず顔が青白く息が荒い。
(これ以上人目につくのもゴメンだしな。屋根の上に上がって、直接十一番隊の弓親さんの部屋に行くか)
恋次はそう決めると、ダン、と足元に勢いをつけて屋根に飛び乗る。そうして今までよりももっと勢いをつけて十一番隊へと足を進めた。




「ん・・・・・・?」
朝の眩しい光が、低い位置から室内へと長く差し込み、一角を照らしている。
彼はその眩しさにようやく意識を戻した一角が、何気なく腕を横に伸ばした。
「弓親・・・・・?」
だが、伸ばした腕先には何の感触もない。ただ、冷たいシーツがその指先に触れただけだ。
やがて、やっと意識がはっきりした一角が、がば、と身体を起こして室内を見回す。そうしてようやく昨日のことを彼は思い出した。
「そうだよな・・・・・俺、何勘違いしてんだ・・・・・・・・」
久しぶりに見た過去の夢のせいだろうか。目が覚めれば横に弓親の温もりがある、そんな遠い昔の意識が急に彼に訪れ、 思わず以前のように弓親を求めるべく腕を伸ばしたのだった。
一角はバツの悪そうに頬をがりがりと掻くと、大きな溜め息をつく。
(久々に過去の夢なんざ見たぜ・・・・・しかも、弓親と二人きりの頃の)

『一角!』

いつだって嬉しそうに飛びついて、自分に腕を絡ませてきた髪の長い弓親。
今まで思い出さないようにしていたその過去を、一角は久々に脳裏に蘇らせ、同時にそれを思い出したことを苦痛に感じた。

『一角、君は悪くない。僕が、そうさせたんだ』

(違う、俺がそうさせたんだ。俺の甘えと弱さが、結果お前に苦痛を味わせたんだ・・・・・・)
ちくしょう、と一角が吐き捨てるようにしてその言葉を呟く。それは、あまりにも静かで優しい日差しの差し込むこの部屋では似つかない言葉だ。
(そうだ、俺はあいつに甘えている。あの過去もあいつは自分の弱さのせいにして、それ以来話題にしなかった。
そしてそんなことがあってからも、あいつは俺の傍に変わらずいてくれている)
あの手は、いまでもいつだって自分の傍にある。当然のように。

例え、その手が自分に触れることはなくなっても。

「・・・・・・・くそっ」
急に自分の脳裏に浮かんだ言葉を不快に思い、一角は眉間に皺を寄せたまま、ぐるっと室内を見まわす。
すると、自分が着せた寝巻きが脱ぎ捨ててあるのを見つけた。
(あいつのことだから、大方風呂にでも行ったんだろう)
一角は大きく伸びをして立ち上がると、自分が寝ていた布団を畳んで襖の奥にしまう。普段なら敷きっ放しだが、 この綺麗な部屋にはそれが相応しくないような気がしたからだ。
「とりあえず、あいつ昨日から何も食ってねえから食堂で何か作ってもらうか」
今の俺には、これくらいしかできねえからな、と呟き障子を開けると、廊下にいつのまにか運ばれていた薬と水が置かれてあった。
(四番隊からの薬か)
一角は屈み込んで薬が載った盆を取ると、それを大事そうに室内に運び弓親の布団の枕元に置く。そして、振り向くことなく部屋を後にした。
やがて、数分も経たない間に、恋次がその屋根上に辿り着いた。
「やっと着いたぜ・・・・よし、この下が弓親さんの部屋だな」
恋次は庭に飛び降りると、草履を脱ぎ捨て足で障子を開ける。恋次の目の前には、綺麗にしている室内に相応しくないような、 弓親が抜け出たままの形になっている布団が視界に飛び込んできた。
「ほら、着きましたよ、弓親さん」
「ん・・・・・ありがと・・・・・・」
恋次はぐったりした弓親を丁重に布団に横たえると、ずっと彼を抱きかかえていたため痺れている腕で、障子を閉める。
そうして胸元にしまっていた弓親の褌を傍に放り投げ、掛け布団を彼に掛けようとするが、ふと枕元に薬が置かれてあることに気づき、 それを手に取った。
「弓親さん、ちゃんと薬があるじゃないっすか。これ、昨日飲みました?」
「う・・・・ん、わかんない・・・・・・」
「わかんないって・・・・・まあ、飲んだとしても夜なら既に効果が切れてくるころだろうし、もう一回飲んだほうがいいですよ」
恋次はそう言って弓親を起こすべく彼の背に手を差し込もうとするが、弓親がいやいや、と顔を軽く左右に振った。
「気持ち悪いから、身体を起こさないで・・・・・・・」
「だって、そんなこと言ったら薬飲めないっすよ」
困り果てたようにして、恋次が薬の瓶を持ったまま溜め息をつく。そして瓶をぐるりと回して説明書きを読むと、驚いたような声を出した。
「この薬、初期段階に飲まないと全く効かないそうですよ?つまり逆に今の状態なら即効性があるってことです。
弓親さん、また四番隊にかかりたいですか?」
「・・・・・・・・・やだ」
掠れる声でなんとか返答した弓親の様子を見て、小さく微笑んだ恋次が続ける。
「だったら、今のうちにこれ飲んで治しましょうよ。ほら、何とか起き上がって・・・・・・」
だが、弓親は恋次の腕を力のない腕で払いのけようとした。
「ほんとに・・・・・起こさないで・・・・・横になっていないと・・・・・僕・・・・・・」
恋次には伝えていないが、実はここに来るまでの瞬歩のせいで天地がひっくりかえるくらいに頭がぐらぐらしていた。
元々は風呂のせいなのだが、瞬歩の振動が余計に症状を悪化させたらしい。普段の弓親なら恋次にぎゃんぎゃん文句を言うところだが、 さすがにそんな元気もなかったし言う権利もないことも十分承知している。だから、先ほどの言葉を言うのが精一杯だった。
そんな弓親に業を煮やしたのか、恋次が大仰に肩を竦めた。
「・・・・・・・・全く。なんつーか、こんなの弓親さんらしくないっすよ」
恋次は元々まくれていた布団を弾き飛ばすと、弓親の身体に跨る。そうして、瓶から薬を数錠出すと枕元の水の入ったグラスを取った。
「一瞬で口移ししますから、暴れないでください。そして頼むからさっさと治してくださいよ」
「え・・・・・・・恋次?」
口移しってまさか、と言おうとしたが、既に恋次が薬1錠と水を口に含むのが見える。
そしてあっと言う間に、弓親の唇に恋次の唇が重なってしまった。
「んっ?!」
一瞬弓親が抵抗しようとしたが、恋次は薬を飲ませようと必死だ。弓親の唇をこじ開け、水と錠剤をと流し込む。
すると、弓親も次の瞬間にはそのまま全てを飲み下していた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
唇を離し言葉もなく僅かの間見詰め合ったあとに、こほっ、と軽く弓親が咳をした。それを恋次が背中に手を差し入れ、軽く撫でて収める。
そして、もう一回瓶から錠剤を出した。
無言で問い掛ける弓親の視線に答えるかのように、恋次が「あと2錠っすから、我慢してください」と言って照れたように視線を逸らす。
「・・・・・・・・」
それから二人の間に、言葉が消えた。
二度目からは恋次は一瞬躊躇うようにして口先に触れたが、すぐに舌を割り込ませて口先を開かせ、弓親の唇を塞いだ。
その微かに割れた口先から、水と錠剤が流される。瞬間、二人の舌が弓親の口内で触れ合い、その感触に僅かだが弓親の肩が揺れた。
だが、恋次は何事もなかったかのように唇を離すと、飲みやすいように弓親の首を軽く持ち上げる。
そうして、二度目の錠剤がごくり、と弓親の喉を下った。
弓親がうっすらと瞳を開けて恋次を見るが、彼は黙ったまま残りの一錠を自分の口に放り込み、もう一度水を含んで、弓親へと覆い被さる。
「・・・・・・・・・」
先ほどと同じようにして恋次は唇を塞ぎ、舌を挿しこむ。
恋次の逞しい腕が弓親の首を支え、僅かに開かれた弓親の口内に、錠剤と水がとろりとした感触を持って流れ込んでいく。
その一瞬、弓親の身体がぞくり、とした疼きに包まれる。だがそれを押しのけるように、弓親は慌てて恋次の胸板を両腕で押し返して唇を離した。
(ちょっと変な気分になりそうだよ。しっかりしなくちゃ)
もう一度ごくり、と錠剤を飲み込むと、弓親の口端から一筋水が流れ落ちる。
その雫に恋次が気づき指先で拭うと、そのままの姿勢で弓親を見つめた。
「・・・・・・ありがと、恋次」
「・・・・・・・・」
「恋次?」
自分の真上に跨っている恋次は、口移しをしたままの姿勢でいるため顔が弓親の近くにある。
その間近にある視線を訝しげに見つめ返した矢先、ぐいっと恋次の腕に力が入った。
「っ?!」
一瞬だった。気づけば、先ほどの生易しいものとは違う、舌を絡めとるような激しいキスをされている。
驚いた弓親が、思わず恋次の胸元を両手で叩くが、身体を離す気配はない。
それよりも自分よりずっと体躯のいい恋次の身体が思い切り体重を預けるようにして乗りかかってきた。
「んふっ・・・・・!っつ・・・・・・」
もがこうとして両腕を押さえられ、舌が弓親の口内を愛撫する。その久しぶりに味わう感覚に、 先ほど弓親を襲った疼きがはっきりとした意思をもって彼の全身に満ち始めた。
(だめだ、これじゃ・・・・このままじゃ・・・・っ!)
「!」
「イテッ?!」
思わず恋次が唇を離す。彼は荒い息をしながら、慌てて自分の赤い髪を思い切り引っ張っている弓親の腕を掴んだ。
「何するんすか!」
「それはこっちのセリフだよ!」
「・・・・・・そ、そりゃそうですけど」
バツの悪そうに恋次が視線を逸らす。だが、弓親が何かを言う前に彼はぽつり、と呟いた。
「あまりにも、可愛かったのでつい・・・・・・・・」
「はあ?何言ってんの、恋次?!」
呆れた声を上げた弓親に対して恋次が、「これでも随分耐えたんすよ!」と開き直ったように声を上げる。
「だけど・・・・薬飲ませるためにキスしちまったら、こう・・・・たまらなくなっちまって」
ぐい、と恋次が弓親の顎を引き寄せる。
「最低だと思ってます、こんな状況でこんなことするなんて。だけど・・・・・ほんとに」
恋次が真剣な瞳で、弓親を見る。そして、耳元へ唇を近づけた。
「ほんとに嫌だったら、全力で否定してください。そうしたら俺、諦めますから」
「れん・・・・っ!」
恋次は弓親の答えを待つことなく、そのまま舌を使って耳たぶから首筋にかけてを愛撫する。
その舌の動きに思わず弓親の身体が反応し、吐息と声が漏れた。
(僕は・・・・・)
全力で否定して、との言葉が弓親の脳裏にこだまする。今この瞬間、弓親の身体が疼いているのは事実だ。
よくよく考えてみれば自慰はしていても、一角と抱き合わなくなってからは一切性行為をしていない。
だから疼きが起こるのも当然と言えば当然なのだが、それでも、恋次とはこんな形で身体を繋ぐなどしたくはなかった。
(僕は恋次を大事に思っている。そして一角もそうだ。だからこそ、こんなことになってはいけない)
弓親が意を決して、恋次に否定の意思を伝えるべく彼の肩に手を掛けたその時だった。
「おい、弓親戻ったか?飯持って来たぞ」
聞きなれた声と同時に障子が開けられる。二人が思わずがば、と身体を起こしたときには、 既に一角が硬直したまま立ち尽くしているところだった。
「い、一角さん・・・・・・」
「・・・・・・・・・あ、いや、すまねえな、邪魔して」
恋次の声にようやく我に返った一角は慌ててそう言うと、部屋の入り口に布巾に包まれた握り飯を置いた。
「おう、恋次。あんまりやりすぎんなよ、弓親怪我してんだからよ」
「!」
瞬間、弓親の中で何かが割れる音がした。
(いっか・・・・・く・・・・・・?)
呆然としている弓親へ視線を合わせることなく、一角はいつもどおりの様子でじゃあな、と言い障子を閉める。
そしてその場から、さっさといなくなってしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
急に静かになった室内で、しばらく二人共無言でぽかん、と呆けていたが、やがて恋次が「一角さんを追ってきます!」と、 慌てて立ち上がり出て行こうとする。
だがそれと同時に、弓親もふらり、と立ち上がると恋次の背後から抱きしめるように腰に腕を回した。
「弓親さん?!」
「いいよ、行かなくても」
「何言ってんすか!このままだと誤解されたままですよ。それじゃ弓親さん・・・・」
「いいんだ」
自分でも驚くくらいの冷静な声だったが、反面心の中は弓親の本心を強固に守っていた壁が崩れ、深く暗い闇に満たされ始めていた。
(あの瞳、何事もなかったかのような、あの表情)
剥き出しになった心の奥底から、凍り付いていた水面が割れ、ざあっと一気に何かが溢れ出してくるように感じる。
(これは・・・・・僕の想いだ)

『本当は僕も・・・・・・・・君のように、生きたいんだと』

―――――――――全て終わっていたことなんだ。

『そう、この人を好きな理由なんてない。一角の全てが、彼の存在が僕の全てだから』

―――――――――あの温もりを再び求めていたのは、僕だけだったんだ。

『例えどんな形であれ、君の傍にいて、君が歩む生き様を最期まで見届けたい』

――――――――― 一角は、全てを過去にしたんだ。


『大好きだよ、一角』


(・・・・・・・っ!)
溢れても溢れても止まらない勢いで、想いが弓親の中に勢いよく流れ出てくる。それを止める術を弓親は分からず、 ただただ胸の中に泉の如く溢れる想いを受け止めていく。
やがて、胸奥の泉の水が枯れ、全ての想いが流れきったあと、弓親はようやく伸ばした腕先に力を込めて言った。
「恋次、続きを・・・・・・僕を、抱いてくれ」