「弓親っ!?」
突然背後から聞こえた、物が落ちる鈍い音に一角が驚いて振り返る。
そこには、片腕を握り締めたまま地に伏している弓親の姿があった。
「おいっ!大丈夫か?弓親ッ」
すぐさま正気に戻るよう顔を叩くが、弓親は苦しそうな表情のまま気を失っている。
一角は未だ止まることなく流れる血を見て、顔を歪めて小さく毒づくと彼の身体へと腕を伸ばす。
「今ならいいよな・・・・触れるぜ、弓親」
そうして一角は彼を抱きかかえると、人一人抱えた重さを物ともせず瞬歩を使って隊舎へと走り始めた。
抱きかかえている身体からは弓親の温もりが自身へと伝わってくる。
しかし、それが夜露に触れてしまうとだんだんか細くなるような気がして、一角は無我夢中で夜道を風のように走り抜けていく。
「変な意地を張るんじゃなかったぜ・・・・初めからこうすりゃよかったんだ」
無理して歩かせたことを悔いるように、一角の表情が沈む。やがて、ようやく瀞霊廷に辿り着き周りから好奇の目が寄せられても
一向に構うことなく、一角は弓親を抱きかかえたまま十一番隊隊舎へと飛び込んでいった。
「おいっ!!誰か急ぎ四番隊を呼んでくれ!誰かっ!!」
「あ、斑目三席お帰りなさいやせ・・・って、綾瀬川五席?!ど、どうしたんすかっ!」
「いいから四番隊を呼べっつってんだろがッ!!」
入り口の傍にいた隊士に怒鳴り散らしつつも、一角は草履を脱ぎ捨てると隊舎内にある救護室へと廊下を走り抜けていく。
その気を失った弓親を抱きかかえた一角の様子を、隊士が見かけるたび驚きと心配の声を上げたが、
一角はそれらに一切構うことなくとにかく走り続けた。
救護室は隊舎の中でも外れの辺りに設置されていた。怪我が絶えない十一番隊は、多少の傷ならそのまま放置してしまう。
おまけに派手な喧嘩を好むせいで、負ってくる怪我も相当なものが多いため、結局四番隊の設備が充実した救護室へと
直接連れて行かれることがほとんどだった。だから、十一番隊の救護室はあまり人が来ることのない場所へと作られていたのだ。
だが、今は四番隊まで行く時間が惜しい。この出血を止めるための応急措置もすぐに行いたかった。
「頑張れよ、弓親」
腕の中のその人は、息が先ほどよりも荒くなっていることが分かる。たぶん熱が上がってきたのだろう。
一角はなんとか目的の場所へと辿り着くと、足で扉を開け中に入り、中央に設置されている清潔な白いベッドへと弓親を横たえた。
さすがにこれだけの距離を、人を抱えて走ると一角も息があがる。だが、急に手を離れた重みが余計に彼を不安にさせて、
思わず弓親の身体へともう一度触れた。
「おい・・・・待ってろよ。今すぐ楽になるからな」
そうだ、止血をしなくては、と一角が弓親の腕に触れたとき、背後から「よお、ごくろうだったな」という低い声が聞こえてきた。
一角はその声に素早く反応して振り向きざま頭を下げる。
「隊長!すんません、帰着報告が遅れました。それから弓親が・・・」
「気にすんな。それより今卯ノ花を直接呼び出している。隊士の奴らが弓親の様子が変だと言っていたからな。
隊長レベルの方が治療は確実だろう。今やちるがここへ連れてくるぜ」
そう言って、ちりん、と頭の鈴を鳴らしながら、更木隊長が弓親の横へと立つ。
「ヒデエな。血が止まらねえのか」
「すんません・・・・俺が一緒にいながら、弓親がこんなことになってしまって」
「いいってことよ。それよりも弓親を傷つけた虚は倒してきたんだろ?だったら文句はねえ。
弓親だってココにいる限り、こんな傷負うことはとうに覚悟を決めているはずさ」
「・・・・・・はい」
そう言われて、少し一角の心が軽くなる。そこへ、「つるりん!連れて来たよ!」とピンクの髪を揺らせながら、
やちるが卯ノ花の手を引っ張りながら現れた。
「ちかちゃん、大丈夫?」
「いや、血が止まらなくて・・・・・卯ノ花隊長、宜しくお願いします」
それを聞いた卯ノ花がにっこりと穏やかな表情を浮かべて「それでは、診てみましょう。どうかご心配なさらず」と言い、
弓親の横へと立った。
切り口からぽたぽたと零れる血をすくい取り、指先で感触を確かめる。
「斑目三席、この傷を受けた際の経緯を私に詳しく教えてくださいませんか?」
「は、はい。実は・・・・」
一角が素直に虚と戦ったときの様子を細かく伝える。それを黙って卯ノ花は聞いていたが、やがて一角の話が終わると
彼女は小さく頷いて一歩弓親から後ずさり、静かに斬魄刀を引き抜いた。
「三席の話からして、たぶん虚の刃には血が止まらなくなる毒素が含まれていたのでしょう。
多少三席が吸い出してくださったようですが、即効性が高かったみたいですね。あとであなたにも
念の為解毒剤をお渡しします・・・・・・では、おいでなさい、『ミナヅキ』」
その呼びかけとともに斬魄刀が解放され、巨大なエイのような怪物が室内に現れる。
その姿にやちるが「わあ!おいしそう・・・・」と呟き一角を驚かせたが、卯ノ花は慣れているのか微笑みを絶やすことなく
「ミナヅキはあまり美味しくないと思いますよ」と言って弓親へと指を指した。
「彼を取り込んでください。ミナヅキ」
掛け声と共に、ミナヅキが泳ぐようにして弓親に近づくと、ぺろりとその身体を飲み込む。
さすがに一角たちもその光景にぎょっとしたが、一方の卯ノ花は無線機を通じて部下へ弓親の痛み止めの手配を行っている。
一通りの作業を追え、彼女が空をぼんやり漂うミナヅキに対し「そろそろ彼を吐き出して戻ってください」と声を掛けると、
言われた通りに弓親を吐き出して、その怪物は大人しく斬魄刀へと姿を消した。
「すごーい!みなづき、すごいね!!ちかちゃんを噛まずに吐き出したよ!」
「副隊長・・・・感心したところがソコっすか・・・・」
呆れたような口調の一角に、思わずやちるが膝蹴りを食らわす。
「うおっ?!痛ってえええ!何すんだ、このガキッ!!」
「つるりん、生意気!それにガキじゃないもんっ!!」
「やめねえか、お前ら。うるせえぞ、治療の邪魔だ」
「だって剣ちゃん、つるりんのくせに生意気なことを言うんだもん!」
「だからって弁慶の泣き所を蹴るこたねえだろがっ!!畜生!」
「あーもう、勝手にやってろ」
ぎゃいぎゃいと3人が騒いでいる間に卯ノ花が弓親の隊服を脱がし、ミナヅキの体液で濡れた身体を、湯を通した布で清めていく。
そうして、血が止まっている傷口にしっかりと包帯を巻くと、とりあえず彼の上に布団を掛けて皆へと振り向いた。
「治療は終わりました。あとは、しばらく安静にして体力が戻れば大丈夫です。それからこの部屋に見当たらなかったもので、
彼に替えの着物を着せてあげてください。後ほど、綾瀬川五席の痛み止めを隊士に持ってこさせます」
卯ノ花は救護室に備え付けられている備品から、解毒剤を探し出すと一角へ水と共に手渡す。
それを飲み干したことを確認すると、「何かありましたら、すぐに四番隊へ知らせてくださいね」と更木へ言った。
それを聞いた更木が、小さく頷いて「面倒かけたな」と礼を言う。また、一角が大きな声で「ありがとうございましたッ!」と
思い切り頭を下げるのを見て、彼女はにっこり微笑むと「では」と言って出口へと向かった。
「あたしが出口まで送るね!あと金平糖もあげる。ちかちゃんを治してくれたお礼だよ!」
「ありがとう、草鹿副隊長。では、案内をお願いします」
「うん!」
二人が出ていき、なんとなく静かになった室内で一角が眠る弓親の傍へと寄る。
眠る表情は先ほど自分が連れて来たときとは全く異なり、穏やかなものに変わっていて、心底一角は安堵した。
「・・・・隊長、弓親を本人の部屋へ戻してやっていいっすか?」
「構わねえが、ここじゃ駄目なのか?」
「・・・・・・目覚めたときに救護室よりは、自分の部屋の方が安心するんじゃねえかなって・・・・」
「もう大分顔色もいいしな、お前の好きにするがいいさ。薬は部屋の外にでも置かせておくぜ」
そう言って救護室を後にする更木が、去り際「言い忘れていたが、明日お前一日休暇とっていいからな」と
ぼそり、と呟いて部屋から姿を消した。
「!・・・隊長」
先ほどの喧騒が嘘のような静かな部屋で、一角は隊長が残した最後の言葉を反芻する。
彼は、出口に向かってそっと頭を下げると小さく「ありがとうございます」と呟いた。
それから一角は血まみれの脱がされた隊服を捨て、褌だけになっている弓親をシーツでぐるぐる巻きにする。
そうして来た時と同じように彼を抱きかかえると、今度は静かな歩みで弓親の部屋に向かった。
隊舎内にある弓親の部屋は、四席がいない十一番隊では一角の隣に位置している。
だが弓親が自分の部屋に遊びに来ることはよくあっても、彼の部屋に入ったことは全くない。
(・・・・・別に女の部屋に入るワケじゃねえのに、緊張するのはナゼだ?)
歩きながらそんなことを思うと、知らず一角の顔がだんだん険しくなる。そのため、ぐるぐる巻きにされた弓親を抱えた険しい顔の三席に
声を掛けられる隊士は誰一人出てこず、一角はすんなりと弓親の部屋へと辿り着いた。
「入るぜ、弓親」
「・・・・・・・」
もちろん返事などはないのだが、一角は一応断りを入れると障子を足で開け、中へと入る。
室内はこざっぱりとしていて、一角の部屋と同じ間取りであるはずなのに広く感じる。ただ着替えて寝るだけの部屋なのだが、
弓親は室内に着物を入れる低い箪笥と文机、綺麗な模様の猪口や湯のみが飾られている段差のある小さな飾り箪笥に、
赤紫の布が被されている鏡台まであった。
「・・・・・女の部屋かよ、ここは・・・・」
ぼそり、と呟くと一角は中央に敷かれた布団へと弓親を横たえる。その布団すら、今朝起きたままではなく
きちんと直されていることに一角はただただ感心した。
「虚と戦っているときは、ぞっとするほど好戦的なのにな。こういうところは女らしいというか・・・・」
普段から綺麗なものが好きだと豪語しているだけのことはある。何となく部屋に良い香りが漂っていることに気づいた一角は、
箪笥の上に小さな香炉を見つけると、思わず照れたようにボリボリと頭を掻いた。
自分の部屋は万年床に出しっぱなしの湯のみが置いてあるちゃぶ台、壁に適当に掛けられた着物と、
その他の着物を着るために必要な小物を放り込んでいる籠があるだけだ。そんな自分の部屋と隣接している部屋の中が、
しかも十一番隊でこんな部屋が存在することがまず信じられない。
(・・・・次からこの部屋を通り過ぎるたびに、この光景を思い出すんだろうな)
何となく気恥ずかしくなって、一角はとりあえず彼の寝巻きを探し始める。
それはいとも簡単に、箪笥の中にきちんと畳まれた状態で見つかった。
一角はそれを彼に着せるために横たえた弓親からシーツを剥がす。瞬間さらけだされた白い肌に、一角の手が思わず止まった。
「!・・・・・・・・・」
白い肌、乱れた黒髪、月明かりに浮き上がる赤い唇。
『一角、君は悪くない。僕が、そうさせたんだ』
(――――――ッ、畜生)
それは、あの夜を確実に思い出させる引き金となった。一角は苦しそうに唇を噛みしめると、酷く雑に弓親へと着物を着せ始める。
なるべく肌に触れないように、見ないようにしながら淡々と作業を進めていく。そうして何とか弓親に着物を着せ終えて布団を掛けると、
一角は大きく息を吐いてその横へどかり、と座り込んだ。
「・・・・・弓親」
だが弓親は答えない。穏やかな寝息だけが、室内に漂う。
一角は横たわる弓親の額にそっと触れると、乱れた髪を直してやる。そうして、優しい声で呟いた。
「ゆっくり眠れよ。今日は俺が傍にいて護ってやる。だから明日からはまた、俺の背後を護ってくれ」
一角は部屋の中をきょろきょろと見回して、襖の奥からもう一客の布団を探し出す。
本当は自分の部屋から自分の布団を持ってきてもよかったのだが、この綺麗な部屋には相応しくない気がして、止めた。
一角は布団に横たわると、しばらく弓親の横顔を見つめる。こんなにも近くで彼の眠る顔を見たのは久しぶりだった。
今日はたくさんの弓親を見た気がする。戦闘で美しく舞う弓親、痛みに顔を歪ませた弓親、困ったようにして俯く弓親、
血の色が引いていく青ざめた顔の弓親、そして穏やかな眠りにつく弓親。
せめて、この眠りが弓親にとって穏やかなものであるように、と一角は眠りによせて、静かに願う。
そして、静かに自分に舞い降りてきた睡魔に誘われるまま、彼は瞳を閉じた。