触れない指先


戦うときも、歩くときも、何かを目指すときも、必ず僕は彼の背後を一歩下がって歩く。
いつからの癖か忘れたけれど、その距離が一番僕にとっても一角にとっても心地の良い距離だから。
それが少しでも狭まると、君はほんの僅かだけ肩を強張らせる。
それは誰にも分からないほどの、微かな動きだけれど。僕にだけははっきりと分かるんだ。
その度に、僕の中の古い傷が攣れるようにして痛むことは、誰も知らない。



「弓親、今日の虚は大したことなかったな。俺たちが出るまでもなかったぜ」
「ああ、そうだね。数は多かったけど、戦闘能力は低い者ばかりだったから、物足りなかったよ」
夕陽が二人の足元に長い影を作り出す。その一角から伸びた影を踏むような形で背後を歩く弓親は、 ふと顔を上げて足取りを止めた。
「!・・・・来るよ、虚。一匹みたいだけど、どうする?」
「よし、このまま戻るには中途半端な戦闘ばかりだったからな、いっちょ暴れてやろうぜ?」
「了解」
言葉が終わると同時に二人は元来た道を一瞬で戻り始める。
その途中で、獲物を探してうろついている一匹の虚がいるのを二人は見つけた。
「俺が左から入る。弓親、右は頼んだぜ」
「ああ」
たん、と瞬歩を使って二人が左右に飛び散る。その存在に気づいた虚が、嬉しそうな奇声を上げてぐるり、と 体の向きを変えて、二人が飛ぶ様子を見据えた。
『エモノダ・・・・』
「?!」
瞬間、弓親と一角両方に虚の触手が舞い伸びる。その手先は鋭い刃となって空を切り、周りの木々が真っ二つに裂けて落ちた。
「へえ、こいつは多少知能のある虚らしいな。少しは楽しめるってことか!」
ひゃっほう!と一角が地を蹴ると同時に「裂けろ!鬼灯丸!」と叫び刀を始解する。
槍のように伸びた三節棍を両手で持ち直すと虚目掛けて飛び込んでいった。
『ギャアアア!オマエラ・・・・ユルサヌ!』
めり込むようにして鬼灯丸が虚の体に埋まると、痛みに我を忘れた虚が一角へ向けてもう一度手を伸ばす。
その手を遮るようにして、藤孔雀を手にした弓親が舞い降りるようにして間に割り込んだ。
「君の今度の相手は僕さ、間違えるなよ」
4枚の弓なりの刃が伸ばしかけた虚の手を両断する。
痛みに仰け反り返る虚から跳ねるようにして飛んだ腕は、びちびちと地面をしばらくのた打ち回っていたが、 やがてそれも力尽きたようにして途絶えた。
二人が目配せをして、それぞれの刀を握りなおす。すると、うずくまり腕を押さえていた虚が怒り狂ったようにして 二人へと飛び掛ってきた。
「悪いな、そろそろ終わりにしてやるぜ」
鬼灯丸を抱え直した一角が、まるで踊るようにして向かってきた虚へとその刃先を滑り込ませる。
一瞬で音も無く綺麗に裂かれた虚は、倒れる間際に口を歪ませながら『マダダ・・・』と一言呟いて地面へと倒れ込むと、 そのまま力尽きてしまった。
「ふん、案外あっけなかったな。汗一つかかねえで終わりなんてよ」
「まあいいじゃない。そろそろ夜になるし、さっさと隊舎に戻って・・・・・・!!」
弓親がそこまで言葉を発すると、一瞬瞳を見開いてから「一角、離れて!」と叫んで横へと飛び跳ねる。
「!?」
背後からの妙な気配と同時に聞こえた弓親の叫びに、一角はすぐに横へと身体を跳ねさせた。
一角の肩すれすれを通り過ぎたその物体は、先ほどの虚から斬られた片腕だと理解したと同時に、 それが手先を刃にしたまま弓親に向けて飛んでいったことにも気づく。
(間に合わねえ!?)
「弓親ッ・・・!」
「っう!」
藤孔雀が防ぎきれなかった残りの刃が、弓親の腕をざっくりと裂いていく。瞬間、噴出す血が弓親の左側で、 まるで花びらのように舞い散っているように見える。その、腕の肉が裂け、まるでスローモーションのように飛び散る鮮血の光景に、 思わず一角は瞬時に身体を動かすことができずにいた。
(嘘・・・だろ?おいっ!!)
「くそ!テメエ、ふざけんなッ!!」
一歩遅れて虚の腕に向かって鬼灯丸を振り翳す。伸びた槍は虚の残りを捕えると、二度と復活できないように 腕という腕全ての部分へ槍先を食い込ませた。
そうしてようやく痙攣していた虚の一部が全く動かなくなった頃、弓親が未だ何度も槍を突き刺している相手に向かって 穏やかな声で囁いた。
「もう死んでるよ・・・・一角」
「あ?ああ・・・・クソッ、それより弓親、傷はどうだ?」
我に返ったようにして鬼灯丸を元に戻し、急いで弓親の元へ駆け寄った一角は、片腕を当てている弓親の手をどけて傷口を見た。
「ヒデエな・・・・」
「大丈夫、血は結構出ているけど、傷はさほど深くないから・・・・・?!」 だが一角は話など聞こえていないように弓親の腕を取ると、傷口へと口を当てて吸い付いてきた。
「え?ちょ・・・一角?!」
ぺっ、と中に溜まった血を吸い取って吐き出すと、「うるせえ、しばらく黙ってろ」と言ってまた腕へと吸い付いてくる。
「っ痛・・・・」
「あの虚、知恵があるヤツだったから、もしかしたら刃先に毒など仕込んでいたかも知れねえ。 なら早めに処置するに越したことはねえからな」
「でも、そうしたら血を吸い込んでいる君が危ないよ」
「平気だ。後で解毒剤を飲んでおくから」
「じゃあ、僕もそれでいいよ」
「?・・・・・あっ!!」
途端、がばっと掴んでいた腕を一角が離す。急に二人の間に気まずい雰囲気が漂った。
「・・・・・・一角」
「す、すまねえ。悪かった。そうだよな、解毒剤を飲めば済む話だよな!」
「・・・・・・・・・」
その言葉に困ったような顔をして俯く弓親に、慌てて一角が懐から布を取り出して弓親の腕に巻いた。
「これで、止血しとくぜ」
「うん・・・・あ、一角。口端に僕の血が・・・・・・」
弓親が一角の口端についている血を見つけて、指先でそれを拭おうとする。
だが一角はなぜか急に布を結び終えた手で、ぱん、と弓親の手を払った。
「!」
「あ、悪ぃ・・・・・ガキじゃねえんだ。自分で口くらい拭けるから、んなこと、お前は気にしなくていいんだよ」
「・・・・・・うん」
「ほら、立てるか?行くぞ」
手を差し伸べはしないものの、いつもならさっさと歩き始める一角が背中を見せたままずっと待っている。
その広い背を見ながら、弓親はゆっくり立ち上がると「ありがとう、一角。歩こう」と声を掛けた。
「・・・・・おう」
「・・・・・・・・・」
すっかり辺りは暗くなり、ぽつりぽつりと少ない明かりが遠くに見える。確かこんな景色、随分と昔に見たような気がする、と 痛む腕を抑えながら、弓親は一角といつもの距離を置きながら歩いていく。
(あれは・・・・そうだ、流魂街にいた頃)
いつも暗い夜道になると、背後を歩く弓親に向かって、何も言わず一角が手を差し伸べてくれた。
その温もりが大好きで、いつも飛びついてそれを握り締めていた。

(あの夜の出来事があるまでは)

触れない指先が、こんな夜はとても遠く感じる。そんな風に思うのは、きっと僕だけなんだろうけれど。
弓親は一角に気づかれないように、小さく自嘲するように微笑むと、ぎゅっと腕の傷を握り締める。
じわりと血が滲む様子は、胸の中に疼く古傷をカムフラージュしてくれるようで、今はとてもその存在が有難かった。
(隊舎に戻ったら、副隊長達が飛んでくるんだろうな。おまけに傷を負って帰ってきたと知ったら、怒られるかもしれない)
でもそうやって、隊舎に戻ればいつもの仲間が賑やかに迎えてくれる。そうすれば、こんな感傷などきっと吹き飛ぶだろう。
傷が痛むのか、胸のうちが痛むのか考えないようにしたまま、歩く弓親の上に星空が瞬いている。
その星空すら見上げると過去を思い出すようで息苦しい。それならば先を歩く一角の足元だけを見ればいい。
そうすれば何も迷うことはないはずだ。
(だから、もうしばらく我慢するんだ――――――)
だが、その後すぐに目の前の一角の足がぼんやりと歪み焦点が定まらなくなる。
そして弓親は、そのまま道の上に崩れるようにして倒れこむと、意識を失った。