それは、とある高校の体育館の屋上での、ほんの少しだけの時間の物語。
「……ふぅ」
彼のクラスでは一時間目の英語が終わり、二時間目は物理が始まる授業中だというのにそこに、体育館の屋上に、彼は居た。彼は、タバコをふかし、手馴れた様子で携帯灰皿に灰を捨てる。サボり男のわりには、マナーはできてはいるようだ。高校生である生徒がタバコ吸っていて何がマナーだ云々は、きっと彼なら完全に無視するだろう。
「……だりぃな」
その言葉には、二つの意味が込められる。一つは『退屈な授業』
中学最後の全国模試で16位という脅威とも呼べる成績を残した彼が通っているのが公立の、しかも県内で下から2番目の学校だというのだから、当たり前のことであろう。
そして、この言葉のもう一つの意味が『人間関係』
いわゆるバカ高であるからこそ、ここでの人間関係は彼にとって最低とも思えるものであった。
なんとかこの学校に入れて安堵するような『不良』や、理解力の低い『バカ』しかいない。いや、彼の通っていた中学のそれなりにレベルの高い人間からすれば感じない違和感をもっている。それを彼は感じていた。
「やっぱココ選んだのは失敗だったか」
五月晴れの空の下。地毛である茶色の少し長めの髪をいじりながらそう呟く。全国模試トップクラスという肩書きを持つ彼がこんな学校に居る理由は、ただ、一つ。「近いから」
あまり教師のいうコトを素直に聞く彼を説得する教師は、担任以外にはいなかったという。
「しかし……、こんなにバカな奴しかいないとはな……」
呟く言葉の意味は、当然学力のことだけではない。この学校に通うの生徒の約9割が『不良』か『引き篭もり系のオタク』であり、自らとはかけ離れた思考を持っている。だからこそ彼は『人間関係』が『だるい』と感じてしまっていた。
「あ……」
「ん?」
吸い終わったタバコを携帯灰皿に押し付けている時、後ろから。性格には体育館の窓のあたりから声がかかった。体育館の屋上は比較的なだらかなモノとなってはいるが、当然地上からの高さが半端では無い上、フェンスなど手すりになるものがあるわけでもなく、危険なので彼しか来ないサボり場所になっていた
その筈なのに、まさか人が来るなんて、思いもしていなかったのだろう。彼は、最近で一番の驚きを感じていた。とは言っても、表情には一切出さず、そのまま空を見上げていたが。
「だれ?」
女の子の声だ。
そう、彼は認識する。だが、それだけ分かっても、クラスの多い高校。クラスメートだとしても大して話してもいないので、彼自身の記憶にはその声は無かった。
「生徒」
無愛想で、それでいて間違いでは無い回答に内心苦笑いする。
「この学校の?」
「普通そうだろ?」
「じゃぁ、私普通じゃないね」
「は?」
初めて、女の子を見る為に振り向く。
そこにいたのは、他校の制服を着た同年代のポニーテールの少女だった。
「たしかに普通じゃないみたいだな」
彼は鼻で笑い、僅かに微笑むような顔をする彼女に、こう告げる。
「その位置に立たれるとパンツが見える。白いやつ」
「なっ、うぅ」
彼のその言葉に、彼女はスカートを手で押さえつけ、座りこむ。
「はは」
彼は短い笑い声を出し、また空を見上げる。雲ひとつ無い、青空。
「見た?」
「白」
「うー……」
「あれ? ホントに白?」
「え?」
本当は見ていないパンツの色を当ててしまったかと言うような表情を作る彼。すると、少女は少し驚き、思案顔になる。
「あぁ! 今日は青だから見てないんだね!? 君!」
「ぶっ!」
彼はタバコと一緒に持ってきていた缶コーヒーの中身をを吹き出してしまう。そして、何度か咳をした後に、こう言った。
「あんたバカだろ?」
「うぅ……」
結局彼は見てもいないパンツの色を知ってしまった事になる。彼女は既に彼の隣に座って、いじけたような声をだしていた。
「……で、何で他校の生徒がいるんだよ?」
「そ、それは……」
言いづらそうにしている彼女の顔を見て、彼はめんどくさそうに頭を掻いた。
「……まぁいいけどな。サボってる分にはオレも変わらないし」
「う、うん……」
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。互いに何も知らない者同士が隣り合っているという滑稽な風景に流れる、どこか痛い沈黙。
ふと、そこに。どの学校でも同じようなモノであるチャイムの音が流れた。
「あ……」
どちらが出したとも言えない声を出し、二人は目を合わせる。
「どうすんだ?」
「君は?」
「次は体育だからサボる」
即答。
「……次『も』。だよね?」
「はは、確かに」
彼の言葉に正確なツッコミを入れる彼女の言葉に、どこか自嘲気味な笑いを見せる彼。
そんな彼に、少女は語りかける。
「私の高校さ。この辺じゃレベル高いトコなんだ……」
彼は「自慢か?」と言いそうになり、とめた。彼女の笑顔が、ほんの少し前の微笑みのような顔から一気に沈み、最初見たポニーテールより、今のソレの方がしぼんでいるように――もちろん錯覚なのだが――見えた、悲しい顔だったから。
「だけどさ? なんか勉強勉強で……。先生も友達も、なんか雰囲気合わなくて……。
だから、どうしてもその空気が嫌で、よく屋上でサボってたんだけど……なんとなく、この高校に来ちゃったんだよね……。
もしかしたら、ココみたいな空気に憧れてるのかもしれないねっ」
最後は妙にハッキリと言い、彼女は仰向けに倒れ込む。その表情は彼からは伺えないが、何故かスッキリとしたものであった。
彼は、一瞬戸惑ってしまうが、同じように仰向けで倒れ、空を見上げた。
僅かに雲が出てはいたが、晴天だった。
「オレも……」
「え?」
「オレもココの空気が合わないんだ……」
「…………」
何も言わずに顔を彼の方へ向ける彼女を見ずに、彼は続ける。
「近いから来たんだけど……どうもな。逆にあんたみたいな学校に憧れてるよ」
彼はそう言いと、目を瞑り微笑みを浮かべる。
「だけどそうでも無いみたいだな? そっちも」
「……みたいだね」
「……もしかしてオレら、思考が似てたりする?」
「否定はできないよ」
「ぷっ」
「ふふ……」
『あははははっ』
嬉しそうに。楽しそうに。二人は笑った。
彼女は、知らない。
彼のこんな笑顔は、高校に入ってから一度も出ていなかったということを。
笑い倒すという言葉が似合うくらいに笑って、やっと収まってきた頃、彼女は仰向けの体勢からをやめ、立ち上がった。
「帰るのか?」
「うん…そろそろ行かないと体育が始まっちゃうんだ」
「体育好きなのか?」
「ほら、その時は教師の妙なプレッシャーとか感じないですむし」
「なるほどな」
彼は納得したのか、わずかに彼女に向けていた視線を、空へと移す。
「…………」
「…………」
沈黙が、流れる。だけど、さっきの痛い沈黙とは程遠い。
心地良い、優しい沈黙。それを先に破ったのは彼女だった。
「ねぇ、名前……教えてくれない?」
「……オレのか?」
何故か意外そうな顔をして答える彼に、彼女は苦笑いを浮かべる。
「君以外ココでサボってる人なんていないよ?」
「たしかにそうだな」
「で、教えてくれないの?」
「……来週、またココにいるよ」
少し拗ねたような声を出す彼女に、彼はそう告げた。
「え?」
「だから、来い」
「あ、命令調なんだ?」
「いやか?」
「結構嬉しいかも。なんか、優しい命令って感じで」
「今一それは分からないけどな。じゃ、また来週」
「うんっ!」
彼女は立ち上がり、二つある屋上への出入り口に小走りで駆けていく。
「またねっ!」
そう明るく言って、体育館へと入っていった。――そんな中、彼は
「ホントに青か……」
そう呟き、また空を見上げた。今度は雲ひとつ無い青空。この空の青と、彼女の青。どっちが原色に近いんだろうと、無駄なことを考えながら、彼の顔は笑っていた。
――――それが彼と彼女のファーストコンタクト
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