聖書箇所:新約聖書・マルコによる福音書 4章35−41節をお読みください。)

                  うまいなす主
 
 聖歌691番の歌詞に「うまいなす師よ」という表現がでてきます。インターネットで検索したところ、おいしいナスのことがたくさんヒットしましたが、中に「味寝(うまい)」ということばがありました。味寝とは、気持ちよく熟睡すること。「うまいなす主よ」とは、キリストが嵐の舟の上で気持ちよく熟睡していたことをあらわしています。

 キリストは休息を求めてガリラヤ湖の向こう側へ行こうとされました。群集が押しよせてきていて、休み暇がなかったからです。向こう側とは、外国人の地域です。外国人の地へ行けば、追ってくる群集もいないと考えたのでしょう。
 弟子たちは群集を解散させ、自分たちだけで舟に乗り、向こう岸に向かいました。ここに、ほかの舟も一緒と書いてあります。群集の中の熱心な人たちが自分たちの用意した舟で追いかけて来たことがわかります。

舟に乗り込むと、キリストは舟の先の方でぐっすり眠ってしまいました。この時、突然穏やかだった湖の形相が一変します。強い風が吹き、嵐になったのです。ガリラヤ湖は、塩の海の名で有名な死海の上流にある湖です。周囲を山に囲われていて、地中海面より212m低く、気温の変化で山から風が吹き下ろし、ときどき突風が起こる湖でした。

 この嵐によって「舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった」と記載されています。そのときの情景が目に浮かぶようです。弟子たちは必死になり舟をこぎ、何とかしようとしたのでしょう。しかしどうすることもできず、とうとうキリストを揺り起こして、「先生。わたしたちがおぼれてもかまわないのですか!」と動揺の声をあげてしまいます。
 弟子のペテロ、その弟アンデレ、ヤコブとヨハネはガリラヤ湖で生計を立てていた漁師です。長年漁師として生活をし、家族を食べさせてきたのです。ガリラヤ湖特有の嵐は何度も経験してきたことでしょう。しかし、そのガリラヤ湖のプロたちが音をあげるほど、この嵐がひどかったのです。
 キリストは起きあがり、風に向かって「黙れ、静まれ。」と命じられました。すると、風は止み、静かになったと記されています。弟子たちは大きな恐怖につつまれました。

 この箇所から、何を学ぶことができるのでしょうか。
すべての事の中に神の計画があるということです。
キリストは、嵐の中でもぐっすり眠っておられました。なぜ寝ていることができたのでしょうか。キリストにはこの嵐の意味がわかっていたからです。この嵐は、疲れているキリストのために。父なる神が、与えてくださった休息の嵐だったのです。次の章を見ますと、向こう岸についた舟は、キリストの乗った舟だけであることがわかります。この嵐は、追ってくる群集の舟を岸に引き戻すために起こされた嵐だったのです。キリストは神の守りの御手の中で、安心して熟睡していたのです。

新約聖書・ローマ人の手紙8章28節には

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

と書かれています。
万事とは例外なしのこと。すべてのことの中に神の計画があります。弟子たちと同様に私たちも突然の嵐に、動揺して、脅えてしまうこともあるでしょう。しかし、どのような状況の中にでも神の計画が隠されています。中には、神のもとに行くまで隠されていることもあります。しかし意味の無い嵐はひとつもありません。どのような嵐であっても、その中に神の計画が隠されているからです。