2006年3月20日文教委員会 大山とも子議員の質問 ●教員の長時間過密労働問題 ○大山委員 主に四つのテーマで質疑をいたします。 まず最初は、教職員の、教員の長時間過密労働の解消の問題です。これについては、我が党は先日の代表質問でも取り上げまして、それを踏まえて質疑をしたいと思います。 私は、子どもたちだれもが全面的に成長できるように、最大限の能力を引き出せるような学校にしていくことが求められていると思います。そのためには、差別、選別の教育ではなくて、三十人学級を初めとした少人数学級の実現なども重要です。同時に、教員の長時間過密の実態を改善することも本当に急がれていると思います。 私たちは、調べてみて本当に改めてびっくりしたんですけれども、まちのスクールコーディネーターになった方が学校に行って「こりゃ大変だよ、あの先生たちは。何とかしてあげなきゃ」というのを、本当に実感として思っています。 例えば、どういう状況になっているかというと、その一端ですけれども、小学校の先生は、休み時間は宿題忘れの児童を見ていたりして職員室におりられないので、水筒持参で教室で子どもを見ているんです。昼休みも同様なので、お茶を飲めるのは放課後だけれども、そのときも打ち合わせ、採点などで休憩がとれない、こういう状況なんですね。 そのほかの小学校の先生は、研究奨励校発表に向けて、指導案、授業の準備、掲示物の作成等忙しい毎日だった。持ち帰りの仕事があると、家事を済ませてからの作業になるので、深夜一時、二時になる。翌朝五時半起きの出勤で寝不足の毎日で、休日はまとめて睡眠をとると、その繰り返しの一カ月だったというふうに語っています。 本当に子どもたちの豊かな育ちを保障する先生たちが、こんな疲れ果てていていいのか、それでも先生たちは必死で子どもたちの教育のために取り組んでいるわけですね。 過密であるということと同時に、長時間なんですね。足立区の教職員の組合が行った勤務実態調査では、小中学校の教職員五人に一人以上が、月八十五時間を超える超過勤務をしている実態が明らかになりました。 中学校だけで見たら、一九%ですから約二割ですね、その教員が百時間を超える超過勤務をしていたんですね。過労死の危険ラインというのが月八十時間というふうにいわれていますから、まさにこれはもう異常な事態、大変な事態、数字ですね。 この状況ですから、例えば学級担任の仕事のほか、校務分掌、行事、父母との対応など仕事量が多くて、やってもやっても仕事が終わらない、こういうふうにいっているわけですね。研修に行けばレポートを書く、それから会議も多くて、学年ごとにあったり、行事ごとにあったり、教科ごとにあったりということで、一週間のうちで会議がないのは一目ぐらいしかないんですという状況なんですね。 また、教育改革というふうに都教委も進めていますけれども、そのために絶対評価だとか観点別評価のための資料を作成したり、入試の制度も毎年のように変わったりして、進路指導の複雑化による事務量の急激な増加など、本当に事務量が膨大にふえているといわれています。 教員がよい授業をしたい、子どもたちを引きつける授業をしたいというふうに考えているわけですね。子どもたちに行き届いた教育を進めるために、十分な授業準備、それから評価のまとめの時間、教材研究の時間の保障など、教育に専念できるように労働条件を改善することが必要だと思いますけれども、どうでしょう。 ○松田人事部長 教員の勤務時間につきましては、学校の実態を踏まえて、学校長が管理することとなっております。 都教育委員会といたしましては、総勤務時間の縮減は課題であると認識しておりまして、これまでも区市町村教育委員会に対しまして、文書で通知するなど、その趣旨の徹底に努めてきております。 校務能力の向上のためには、学校全体での組織的な取り組みや創意工夫による校務分掌等の事務の効率化を推進していくことなどが重要であると考えておりまして、今後とも区市町村教育委員会と連携して、適切な勤務時間の管理に取り組んでまいります。 ○大山委員 いろいろご答弁されましたけれども、その都教委として、総勤務時間の縮減は課題であるという認識をされているというのは非常に重要ですし、ぜひともこの認識に基づいて対策を立ててもらいたいと思っています。 昭和三十三年、標準法を制定したわけですけれども、そのとき教職員定数を算定するに当たって、一時間の授業に一時間程度は準備が必要ではないかと考えていた。その考え方については、少なくとも教職員定数を積算する場合には、現在においてもこれぐらいの時間が必要ではないかと考えていますというのが、二00二年五月二十三日の参議院の文教 科学委員会で、矢野初等中等局長が答えています。 都教委は、この答弁についてはどう考えているんですか。 ○松田人事部長 文部科学省は、今お話がございましたような答弁の考えに基づいて、公立小中学校の教職員の定数について算定しているものと認識をしております。 都教育委員会は、これまで義務標準法に基づきまして、学級数に応じて教員を配置するとともに、国の教職員定数改善計画を踏まえまして、少人数指導の充実等に向けて、必要な定数措置を講じてまいりました。 ○大山委員 必要な定数措置を講じてきたということなんですけれども、定数改善がされても、それ以上に子どもに直接かかわらない事務なども膨大になっているということなんですね。ですから、総労働時間の縮減は課題だというふうに認識をしていらっしやるわけですから、その実態もきちんと調査して、どのように解決していくのかをきちんと分析して、早急に対策を立てることが求められています。 精神疾患で休職する教員が全国を上回る休職率なんだというのが、新聞などでも大きく取り上げられていて、本当に問題になっているわけですけれども、まずは実態を把握するところから始まると思っています。 本会議の答弁で、教員の勤務実態調査については、国の動向を注視しながら対応してまいりますと答弁しているわけですから、実態を調査して、一時間の授業に一時間の授業準備と、教科のまとめなどができるように、本当に制定したとき、標準法を裁定したときのねらいがきちんと実現できるように、教員の持ち時数を抜本的に見直すことが求められています。 すべての子どもたちの力を引き出すために、よい授業をするために、教員の現在の長時間過密の実態を何とかしなければならないというふうにいっているのは、何も私たちだけではありません。 これは、公立中学校ですね、これ、中学校の校長会の十八年度の要望書です。 この中に、重点要望事項の第一番に、教員の持ち時数の持ち時間上限を都立高校と同じ十八時間にすることというふうに、ちやんと要望されているんですね。その理由は、教育内容を充実させ、基礎基本の学力と豊かな心をすべての生徒に獲得させるためにというふうに述べています。 校長先生だけじゃありません。小学校の校長会も、最重点要望事項で、教員の配置増を求めています。前向きに検討することを求めて、これは終了します。 ●夜間中学の教員配置充実を 次ですけれども、夜間中学、先ほども質疑ありましたけれども、私からも夜間中学について、あと日本語学級について、質疑をします。 夜間中学の教職員の配置なんですけれども、夜間中学は都内に八校ありますね。その夜間中学に在籍している生徒数ですけれども、学級別と母語別と、入学理由別、それぞれどういう状況になっているか、まずお願いします。 ○斉藤学務部長 中学校夜間学級は、現在八校に設置されておりまして、うち五校に日本語学級を設置してございます。平成十七年五月十七日現在の各人数でございますけれども、学級別は、通常の夜間学級は八校合わせて百八十人、日本語学級は五校合わせて百六十六人となってございます。 母語別でございますけれども、中国語百九十六人、日本語学級ですけれども五十五人、フィリピーノ、タガログ語二十五人、ベトナム語二十四人、韓国語、朝鮮語十九人、タイ語八人、スペイン語三人、その他十六人でございます。 なお、入学理由でございますけれども、一番多いものは日本語の習得でございまして、次いで高等学校入学のため、学力知識の習得、中学校卒業資格の取得などとなってございます。 ○大山委員 夜間中学に通っていらっしやる方というのは、本当に理由もさまざまだし、経過もさまざまだし、それから母語も一つの中学校で四、五カ国語というのは、普通の状態ですね。そして、義務教育も受けられなかったという生徒さんが通ってきているわけですけれども、具体的にどういう状況になっているかというと、例えば七十三歳の女性は、いわゆる十二歳のときに両親ともども中国へ行って、その場でお母さんたちも亡くなってしまって残留孤児になって、その中国にずっといるわけですけれども、一九九四年に帰ってきて、日本語の読み書きもできなかったんですね。 でも、この学校に入って本当によかったって。来たときは郵便物が届いても意味がわからなかったというんですね。今は漢字が読めないけれども、意味は少しわかるようになりましたというふうに、本当に日常生活も含めて改善できていると。 あと、二十歳代の女性ですけれども、いわゆる登校拒否で小学校六年生の二学期からずっと学校に行かなくて、ひきこもりになっちゃったんだけれども、自分を否定して自殺をしようとまで思うんだけれども、死ぬ前にもう一度だけ勉強がしたいということで、夜間中学を探し当てて通ってきたんですね。で、今、私は初めて生きていてよかったと感じずにはいられませんでした、それで先生方や生徒の皆さんとのさまざまな出会いから多くのことを学んでいくことができましたと。 それからあと、ずっと子どものときから十六歳まで家族のために働いていて結局学校に行けなかったという六十八歳の女性の方も通ってきて、今では、入学して四年間で字も少しずつ読めるようになって、一人で電車に乗って、それまでは一人で電車に乗ることもできなかったんですね、やっと一人で電車に乗ってどこでも行けるようになったと、本当に喜んでいるわけです。 重度の障害者の方も、入学を猶予されていたんだけれども、ここの中学に入って、本当に自分の求めていた学校だったということで、本当にいろいろな、さまざまな状況の方が通ってきているわけですね。 本当に生きる権利を保障して、より人間らしく豊かな生活、生きるためには不可欠な夜間中学だということなんですね。 この夜間中学と、あと国連が二〇〇三年から十年間は、国連識字の十年というふうに決めました。国連識字の十年のオープニングの式典で、アナン国連事務総長は、世界の成人の二○%がその権利を奪われているという事実は、私たち一人一人が心から恥ずべきことですというふうに演説しているんですね。 ・国際行動計画というのを、ここへ国連でつくったわけですけれども、その中を見ますと、優先されるグループというのがあります。そこに何と書いてあるかというと、個人としての発達や生活の質的向上のために識字を使う適切な能力を得ることができなかった非識字成年と成人、特に女性、学校に来ていない子どもたち、若者、特に思春期の少女や若い女性というのが挙げられているんです。まさにこの優先されるグループが、夜間中学に通ってきている生徒さんと非常に重なるわけですね。 ですから、都として、この国連識字の十年、これを受けてきちんと取り組んでいかなきゃいけない。とりわけ夜間中学校を中心に据えるというのは重要なことだと思っているんですが、どのような取り組みをしているのかということ、それからまた今後の計画はあるのかということを教えてください。 ○井出指導部長 都教育委員会といたしましては、国連識字の十年に関する取り組みは行ってきておりません。 また、今後も取り組む計画はございません。 ○大山委員 やはり識字というと、もう日本には関係ないわというふうに思いがちなんですけれども、実態としては、この夜間中学校が本当に行動計画にもぴったりなわけですね。 政府自身が、外国への貢献だとかって、そんなことばっかりいっていますから、そこもただしていかなきゃいけないんですけれども、日本の国内のことをきちんと顧みる、そしてこの首都東京がどうなのかということを顧みるのが、やはり自治体としての役割だと思うんです。 これは私だけがいっているんじやなくて、例えば竜谷大学の 教授は、国連識字十年を考える学習会という中で、日本で欠かせないことの一つは夜間中学の問題だというふうに述べて、その必要性と位置づけを強調しているんです。 国が取り組まないからといって東京都も位置づけない、国にというんじゃなくて、国にも要望するし、東京都としてきちんと取り組むことが求められていると思います。国連識字の十年という観点からも、義務教育である夜間中学をきちんと位置づけて充実していくことこそ、求められることなんです。 そこでなんですけれども、そういう世界の大きな流れがある中で、夜間中学の教職員定数、一昨年に削減されましたけれども、先ほど二十四人から二十三人になって、実質的な一人の減はクラスの数が減ったからなんだという答弁がありました。 しかし、定数を減らしてしまったというのは事実なんですね。その定数をどうしてしまったのかということと、来年度の教員配置はどうなっているのかということを教えてください。 ○松田人事部長 平成十六年度の日本語学級の教員定数につきまして、国の標準法の基準を勘案して、学校教職員定数全体の見直しを図る中で、学級数の二倍の数の教員配置であったものを、学級数に一を加えた教員数といたしまして、教員の一部を非常勤講師で対応することとして配当基準を見直しました。 来年度の教員体制につきましては、私ども都教育委員会としても現在検討しているところでございまして、設置者である区と連携協力しながら適切に対応してまいります。 ○大山委員 適切に対応というのは、本当に適切に対応してもらわなくちゃ困るんですけれども、学級数掛ける二だったものを、学級数プラス一にしちゃったということですよね。 具体的には、三クラスだったら、それまでは六人の先生が定数としていたのに、今度は四人しか定数としていなくなっちゃったと。 しかし、定数は都教委では減らしておきながら、やはり今までどおりの人員をつけている、教員を配置しているというのは、やはり必要性を認めているからなんだというふうに思うんですけれども、どうですか。 ○松田人事部長 平成十六年度及び平成十七年度の日本語学級の教員の配置につきましては、激変緩和の措置を行う一方で、異動候補者が担当する教科そのものが過員となっているなどの人事管理上の理由によりまして、他校へ異動できなかったという理由でございます。 ○大山委員 異動できなかったというようないい方をしましたけれども、やはり必要があるから異動できない、させないわけですよね。 夜間中学、それから日本語学級ということでは、本当に生活丸ごと先生たちが、日本語学級の先生も、それからクラスの担任の先生たちも一緒になって対応しているわけですから、やはり本当に一人一人きめ細かく対応しようと思えば、それだけのきちんと正規の教員が必要だというのは、もうこれは当然のことだと思っています。 国連識字の十年、東京都として実践していくというつもりはないんだというふうに冷たくいいましたけれども、やはりこの、きょう提起しましたけれども、ぜひ関係ないんだというふうにいわないで、世界の大きな流れとも呼応しながら、夜間中学のこの位置づけもきちんとする、それから一人一人の人間として豊かに生きられるようにするということでも、東京都として国連識字の十年、夜間中学をどういうふうに位置づけるのか、そしてどういうふうに対応するのか、そういうふうに考えれば、教員を減らすなんていうことにはならないわけですから、ちゃんと位置づけてもらいたいと思っています。 と同時に、その全体の東京都の施策としても、どうしていくのかということを、教育庁から関係局にも働きかけていってもらいたいということを要望して、これはおしまいにします。 ●食育充実のための栄養教諭の配置について 食育と栄養教諭のことについてなんですけれども、子どもたちの食をめぐっては、本当にいろんな大きな課題があるということなんですね。食べることに意欲がない子だったり、それから家庭での個食、それから朝食抜きで学校に来る子ども、アレルギーに悩む子、挙げたらきりがないといわれています。 ある市の学校給食会の会長さんは、私もこれはああそうなのかと思ったんですが、食育とは新しい言葉ではなくて、明治時代から、教育の基本は知育、徳育、体育、食育とされ、中でも食育がすべての基本であると考えられていたというふうに話していました。食べることというのは、本当に大切にしたいと思います。 保育園なんかでも、年長組になるとニンジンをみんなでつくって、それをみんなでカレーライスにしようなんていうと、おうちでお母さんがつくっているところをよく見てきてねというと、ジャガイモをむいていた子が、包丁の角を使ってへつこんでいるところの皮をむくとか、本当によく見ているわけですね。それが、やはりそういうことを通じて食べることが大好きだったり、それから興味がある、それから健全な食習慣を身につけることにもつながっていくと思っています。 ホームページなんかを見ましても、幾つかの小学校などでの取り組みも見られるわけですけれども、食育ということについて、都教委はどのように位置づけて、どんな取り組みをしているのでしょうか。 ○斉藤学務部長 児童生徒が望ましい食習慣を身につける上で、食に関する指導は大変重要であるというふうに考えております。 そのため、都教育委員会では、平成十七年一月に、食に関する指導資料集を作成いたしまして、全公立学校に配布し指導の充実を図ってきたところでございます。 また、平成十七年十一月には、学校栄養職員、保健主任、養護教諭等を対象に、食に関する指導研修会を開催したところでございます。 ○大山委員 食に関する指導は重要だということで取り組んできたということですけれども、二〇〇四年一月に、食に関する指導体制の整備について、中央教育審議会の答申が出されて、近年、子どもの食を取り巻く環境の変化は、これまでにないほど急速かつ厳しいものである、子どもが望ましい食習慣と自己管理能力を身につけ、この変化に十分に対応してみずからの健康を保持増進していける能力を培っていくためには、より効果的な食に関する指導体制の整備が急務である、そのためにも学校における食に関する専門家である学校栄養職員の専門性を確実に指導面でも活用していけるような制度的担保が必要であると、こういう答申が出ているわけですけれども、これを受けて二〇〇四年五月に、栄養教諭制度の創設が全会一致で可決されたわけですね。 栄養職員が栄養教諭になるということは、さっきの答申にもあったように、食に関する専門家である栄養職員が、指導面でも専門家としての教諭になるということ、位置づけとしては、よりしっかりするということですね。指導する専門家を養成することが重要だと、国も栄養教諭の認定講習の予算をつけています。 栄養教諭になるための認定講習が始まったわけですけれども、東京の小中学校の栄養職員総数、つまり栄養教諭としての可能性がある人数というのは、千三十七名ですけれども、実際、今年度の認定講習を受けた方は何人いらっしやいますか。 ○松田人事部長 今年度の受講者は九十一名でございます。 ○大山委員 千人ちょっとの栄養職員のうち九十一人ですから、約九%程度の受講者だということですね。 他県の状況を見てみますと、受講者がこけたという自治体というのは少数派なんですね。 愛知県や岡山県、福岡県、広島県は、東京よりも栄養職員は少ないでしょうに、東京の二倍以上、埼玉が百九十九人、千葉県が百九十六人、神奈川県も百人等、首都圏を見ても東京よりも多いわけですね。 栄養職員の方の話を伺いますと、学校現場で、子どもたちのさまざまな食に関する問題に直面しているというふうにいいます。野菜を受け付けない子がいたり、果物を喜ばない子がいたり、特定の食品しか食べない子がいたり、初めてのものにおじけづく子がいるというように、食を通した心身の育成の必要性を、栄養職員の方々は本当に痛感しているというふうにいっています。 同時に、家庭や学校において、子どもを取り巻く大人の人たちが、必ずしも食に対して正しい知識だとか行動を身につけているとはいえない状況があります。そんな中で、栄養職員は総合的な学習の時間や評価、学級指導、給食時間等に食の大切さをアピールして、個別に相談に乗ったり、一人一人の子どもを大切にした対応を目指しているというふうにいっています。 栄養職員は、現在は、大切さは実感していても、なかなか指導のための時間だとか機会だとかが保障されないというのが悩みなんですね。学校生活の中で、食に関する指導の実践の必要性を強く感じてきているわけです。 栄養教諭は、食に関する専門的な教員として、例えば食に関する指導に関する全体的な計画の策定では、中心的な役割を果たすなど、連携調整のかなめとして、食に関する教育のコーディネーターとして役割を果たすことが期待されると思うんですけれども、どうでしょう。 うふうに認識してございます。 ○大山委員 国においては位置づけられているということなんですけれども、東京都としてどうするのかということが、今求められているわけですね。 先ほど、東京の栄養職員は約千人だというふうにいいましたけれども、今後の栄養教諭の認定講習の計画はどうなっているんでしょう。 ○松田人事部長 平成十八年度につきましても、今年度と同様に栄養職員の資質向上を図ることを目的といたしまして、文部科学省によります育成講習事業を活用して、教員免許状を有する栄養職員を対象とした認定講習を実施していく予定でございます。 ○大山委員 数員免許状を持っている人を優先してということなんですけれども、千人のうち教員免許状を持っている方というのは何人なんですか。 ○松田人事部長 教員免許の所有は、栄養職員の採用の条件となっていないことなどから、正確なデータは把握しておりませんけれども、昨年七月に認定講習にかかわるアンケート調査を実施いたしましたところ、約百九十名が教員免許を所有していると回答をいたしております。 ○大山委員 食育が重要だというふうにいいながら、教員免許を持っている人は百九十人、実際栄養教諭は千人ということですから、本当にこの都内で、小中学校約二千校のうち百九十人では、いかにも少ないわけですね。ここでも、すべての子どもたちに食育を保障するということにはならない。 さっきご答弁では、教員免許状を持っている人なんだといいましたけれども、国だって、その教員免許を持っている人、持っていないにかかわらず、二単位の講習なのか八単位の講習なのかというのを、ちやんと用意しているわけですよね。 他県だって、きちんと教員免許を持っていない栄養職員を、国の予算を使いながら認定講習をしています。今後、希望する栄養職員に認定講習を受けられるようにすることが求められていますけれども、どうですか。 ○松田人事部長 食育を推進していくためには、栄養職員の資質向上を図ることが重要であると考えておりまして、そうした観点から、今後、栄養職員に対する研修や認定講習のあり方について検討してまいります。 ○大山委員 ぜひ、きちんと現場の意見も含めて議論をして、検討をして、東京都としての、東京の子どもたちに食育どうするのかということをきちんと出していって、位置づけていってもらいたいと思っています。 すべての子どもたちに、知育、徳育、体育の基礎になる食育を保障する立場に立って、 そのかなめとなる職員をきちんと位置づけることが重要ですから、希望するすべての栄養職員に対して、栄養教諭認定講習が受講できるように計画的に進めるということと、あと、東京都がきちんと栄養教諭を位置づけて任用するということを求めておきます。 ●日の丸君が代の強制をやめよ 最後ですけれども、日の丸・君が代について、質疑をします。 卒業式というのは、子どもたちがそれぞれの教育課程を終了して進学したり、社会に巣立っていく、そのことを心から祝福する場所です。また、入学式というのは、これから新しい学校生活を迎える子どもたちを祝福して、有意義な学校生活をスタートさせてもらうという、とても大切な場です。ですから、その両方とも、入学式も卒業式も生徒が主人公であり、生徒にとって本当に充実した心温まる感動できる式をみんなでつくっていくことが、本来のあり方です。 だからこそ各学校では、これらの入学式や卒業式は、子どもたちの出発、それから巣立ちにふさわしいものとなるように、生徒や教職員や保護者の方々が力を合わせて、創意と工夫を重ねることで、生徒を主役にした入学式、そして卒業式が営まれてきたんです。 ところが、二〇〇三年十月土十三目以降、卒業式や入学式の様相が一変してしまいました。この一○・二三通達、教員が起立や斉唱を義務づけられ、起立などで職務命令違反として約三百名の教職員が処分を受けています。翌二〇〇四年の三月十六日の予算特別委員会で、横山前教育長は、クラスの大半が起立しない、これは国旗・国歌の指導が適切に行中れていないというふうに述べて、不適切であれば教員に対して是正するよう指導することになる、というふうに答弁したんです。結局、生徒の不起立をもって教職員の責任を問うということを表明して、生徒の内心の自由まで踏みにじるという圧力をかけました。 その後、生徒の不起立を理由に、約八十名の教職員、管理職が、厳重注意だとか、注意とか、指導の処分を受けました。多くの生徒も心を痛めて、昨年の戸山高校では、卒業生が、都教委の皆さんもうこれ以上先生たちをいじめないでくださいと、心からの訴えをしました。 国族・国歌法の制定の趣旨からいっても、敬礼や斉唱を強制するというのは誤りです。 学習指導要領にありますから、起立して歌うということは教えても、一人一人の個人の生徒や教員に、敬礼や斉唱を強制するものではありません。憲法で保障された内心の自由、歌わない自由もあります。 実際、都立高校の卒業生は、私は君が代の歌詞が自分の考えと違ったから座ったんです、ほかの人たちも自分の意思で座ったといっていました、私たちくらいの年になれば自分の考えがあって当然です、だれかにいわれたから座ったようにいうのは失礼ですと語っていました。 多くの保護者や生徒、都民、識者やマスコミなどから、処分までして強制するのは行き過ぎだという批判が集中しています。しかし都教委は、ことし三月十一日の定時制高校の卒業式で、卒業生の大半が君が代斉唱のときに立たなかったということを受けて、三月十三日に新たな通達を出しました。ここにもありますけれども、その内容というのは、二〇〇三年の一○・二三通達と、生徒に不適切な指導をするなという内容の二〇〇四年三月十一日の通知をさらに徹底するように通達を出したものですというふうに、通達には書いてあります。 三月十五日付の朝日新聞は、社説で、生徒を一人残らず国族に向かって立たせ国歌を斉唱させる、かみ砕いていえばそうだろうというふうに書きました。私もそのとおりだと思います。これは見逃すわけにはいかない重大なことです。 まず伺いますけれども、この通達を出した、この間の三月十三日の新たな通達ですね、ということは、結局一人残らず歌わせなさいということではないんですね。 ○井出指導部長 これまで都教育委員会は、卒業式、入学式等の適正な実施について、各学校を指導してきたところでございます。しかしながら、この春の卒業式におきまして、一校の定時制課程におきまして、国歌斉唱時に大半の生徒が不起立であったという事態が起こりました。 このことを受けまして、全都立高等学校長にあてまして、学習指導要領に基づき適正に生徒を指導することを教職員に徹底するよう通達を発したものでございます。 ○大山委員 大半の生徒は不起立だったから、その通達を出したということですね。そういうふうにいいますけれども、先日の予算特別委員会の中で、中村教育長は、詳細は現在調査中というふうに答えています。 なぜ生徒が立たなかったのかわからないわけですね。生徒一人一人、それぞれに考えがあってのことかもしれません。なのに、教育長は教員の指導力不足か、学習指導要領に違反する悪意的行動があったときめつけて、調査もしていないのに、そして調査の結論も出ていないのに、直ちに通達を出して、その上、都立の高等学校長全員を集めて徹底をさせる、そこまでやるねらい、意図というのは、何なんですか。 ○井出指導部長 あくまで卒業式等学習指導要領にのつとって計画し、実行することは求められているわけであります。 ですから、その学習指導要領に基づいて指導が適正に行われたか、これについては、生徒について指導を徹底するよう校長に通知をしたものでございまして、それ以外のものではございません。 ○大山委員 結局、学習指導要領に基づいていれば、学級の大半の生徒が起立しないというのは到底考えられない、そういうふうに教育長も答弁しましたけれども、まさに、どうして立たなかったのかということもわからない、どういう経過なのかというのもわからない、どちらが窓意的かといったら、教育長の方がずっと窓意的ですよ。 私はね、調査をすること自体が子どもたちに圧力をかけ、心を傷つけ、内心の自由を踏みにじるものだと思っています。高校生ともなれば、一人一人が自分の考えや判断を持っていて当然です。まして定時制高校ですから、年齢も高い人もいるし、働いている人もいます。しかも十四人ですから、自分の考えで立ちたくないという生徒が、その中にたまたまたくさんいても不思議ではないことです。結局、教員の指導という名をかりて、生徒みんなに立たせたいということじやないんでしょうか。調査の結果も出ていないのに、全く窓意的であり、予断を持った判断だといわざるを得ません。 そこで聞きますけれども、通知と通達の違いは何ですか。 ○井出指導部長 総務局発行の東京都分掌事務の手引きによれば、通知とは、ある一定の事実、意思などを特定の相手に知らせることである、通達は、上級行政機関がその機関の所掌事務について所管の諸機関並びに職員に対して発する一種の命令であるとされております。 ○大山委員 つまり、通知はただの知らせ、通知より通達の方がより拘束力を持つし、命令だということなんですね。 これは、その通達、持ってきましたけれども、東京都教育長が、都立学校の校長先生にあてて出しているんですね。結局、都立学校の校長先生は、教育庁から、校長はみずからの権限と責任において国旗の掲揚及び国歌斉唱を児童生徒に指導することを教職員に徹底することを通達で命令されたということなんです。 ということは、徹底できなかったら、校長先生が処分の対象になるということなんでしょうか。 ○井出指導部長 通達に基づいて校長が教職員を適切に指導していれば、処分の対象になることはございません。 ○大山委員 適切に対応していれば処分の対象にはならないけれども、いなければ処分の対象になるということですよね。この処分の対象になるというのは、すごいストレスですよ。 その上、四月からは学校経営支援センターができて、きめ細かく支援され、チェックされるわけですね。それで校長先生の教育庁からの命令を実行しようという思いは、ますます大きくならざるを得ないわけです。教員に出されている職務命令も、より拘束力を増すといわなければなりません。 結局、校長先生は、立たない生徒がいたら、なぜ立たないのかとか、指導はどうだったのかと、こう厳しく追及されて責任を問われていくわけですね、教育庁からね。結果として、何回も何回も立つまで練習するとか、立たない生徒は個別に問い詰めるとかということになりかねないんじゃないでしょうか。 ○井出指導部長 なぜ立たなかったか、なぜ歌わなかったかということを生徒に問い詰めるのではなくて、あくまで指導上の問題として必要に応じて生徒から事情を聴取し、その後の指導に役立てていくということでございます。 ○大山委員 今いったのは、教育庁から校長先生に対して、命令として指導を徹底しなさいといわれるわけですよ。ですから、校長先生としたら、教育庁から、あんたの学校はこのぐらい立たなかったけれどもどうして立たなかったんだと、どうしてですかと聞くわけですよね。そうすれば、結局のところ子どもたちに圧力がかかるじやないかということなんですね。 国旗・国歌法の審議のときの答弁で、長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行うということは許されない、こういうふうに当時の有馬文部大臣はいっています。ということは、こんなことはしないんだという約束はできるわけですね。 ○井出指導部長 長時間にわたって児童を拘束して指導するということは、あり得ないと承知しております。 ○大山委員 あり得ないということですね。すべての生徒に歌わせるということでなければ、指導力不足か窓意的指導ということになるわけですよ、この通達ではね。校長も処分されかねない。結局、一人残らず歌わせたいということになるわけですね。 これは、今、長時間にわたって指導を繰り返す、そんなことはないんだというふうにいうわけですけれども、そういうのだったら、きちんと指導は、そんなことじやないんだということなんですけれども、この子どもたちに、生徒に対して、先生が処分されるなら、もう高校生だったらよく知っているわけですよ。今までの状況も知っているし、憲法だって知っているし、それから、どんなことが今東京都で起こっているのかということも知っているわけですね。ですから、生徒が、自分が立たなかったら先生が今度はもっと厳しく処分されちやうかもしれないっていうふうに思う生徒っていうのはいるわけですよね。 そういう生徒、それは憲法で保障された内心の自由、これを保障できる、憲法が保障する内心の自由を、自分は立ちたくないけど先生が処分されちゃうから立とうということだと、それは内心の自由は保障されていないということになるわけですから、これについてはどうですか。 ○井出指導部長 学校における国族・国歌に関する指導は、生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする、そういった趣旨のものではございません。あくまで教育指導上の課題として進めているものでございます。 立つ、立たないの判断は、生徒個人の内心にかかわることであると承知しております。 ○大山委員 では、内心の自由は認めるんだということですよね。 内心は、どういうことであらわれるかといったら、行動であらわれるわけですね。ですから、内心の自由は認めるということは、その内心が行動としてあらわれるということも認めるということで、いいわけですね。 ○井出指導部長 起立をしなかった、あるいは歌わなかったといった生徒がいた場合、これはまさに教育指導上の課題として、今後丁寧に指導していくと、学校現場に任された重大な使命であるというふうに考えております。 ○大山委員 内心の自由は認めるけれども、その立たなかった生徒に対しては、とにかく指導をするわけでしょう、今の答弁はれ どんどんどんどん指導して、結局押しつけるわけですよ。そういうことでしょう。 内心の自由は認めるということは、憲法で認められた内心の自由をきちんと教えること、これを保障しなきやいけないわけですけれども、それも認めるわけですよね。 ○井出指導部長 児童生徒に我が国の国歌と国旗の意義を理解させ、それを尊重する態度を育てるということでございます。 ○大山委員 私が今聞いたのは、憲法で定められた内心の自由、それはきちんと憲法を教える、それから内心の自由があるんだということも教える、それを保障することも認めるんですよねということです。 ○井出指導部長 学校教育におけるさまざまな場面におきまして、憲法に認められている権限について児童生徒に教えていくことは、何ら間違ったことではない、求められることであるというふうに考えております。 ○大山委員 憲法はきちんと教えるんだということですね。 生徒が、例えば、やはり悩むわけで、揺れるわけですよね。卒業式を前にして生徒に聞かれた場合、立つ自由もあるんだし、立たない自由もあるんだということを知らせることは必要だと思いますけれども、どうですか。 ○井出指導部長 教員は法令や学習指導要領に基づいて、児童生徒に国族・国歌に関する指導を行う義務がございます。直前に、殊さら歌わない自由を強調することは、決して適切であるとは考えておりません。 ○大山委員 殊さら歌わない自由を強調するということをいったんじやありません、私は。 きちんと内心の自由があるんだから、保障されているんだから、歌わない自由もあるし歌う自由もあるんです、そういうふうに教えるのは全く当然のことですよね、ということです。 ○井出指導部長 学校における教育活動は、学習指導要領に基づいて教育課程を編成し、それに従いまして二年間の指導要領計画を作成し、意図的、計画的に指導していくものでございますから、この内心の自由にかかわる指導につきましても、あるとき思いついて指導するというものではなくて、計画的に指導していくものであろうというふうに考えております。 ○大山委員 今すごくはぐらかすような、ずらすような答弁なんですけれども、そうしたら聞きますけれども、国旗・国歌制定法のときには、児童生徒に対する指導についても議論されています。 改府は、起立する自由もあれば起立しない自由もあろうと思うし、斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思う、法制化はそれを画一的にしようというわけではないというふうに、当時の野中広務内閣官房長官は国会でこのことをきちんと答弁をして、確認されています。このことについては、どう考えていますか。 ○井出指導部長 承知しております。 ○大山委員 承知しているかどうかを聞いたんじやなくて、どう考えていますかということを聞いたんです。 ○井出指導部長 児童生徒の内心の自由と、それからその児童生徒を指導する教職員の義務とはまた別のものでございまして、教職員は学習指導要領に基づいて適切に指導することが義務づけられております。 ○大山委員 ということは、この国会での答弁を否定するということですか。 ○井出指導部長 法制化に当たり、国族の掲揚等に関して義務づけを行うことは考えていないという政府答弁についてのお尋ねでございますが、国民生活一般については何ら義務づけを行わないというものであるにもかかわらず、学校教育にもそのまま適用されると誤解されているというふうに考えております。 ○大山委員 ちょっとね、その辺はっきりさせておかなきやいけないのは、今私は一般論をいったんじゃないんですよ。児童生徒に対する指導について議論をされていますといって、政府は起立する自由もあれば、しない自由もある、そして斉唱する自由もあるが斉唱しない自由もあろう、それを画一的にしようというわけではありません、それについてどうとらえているのを、そのとおりだというふうにとらえているのかどうかということを聞いているんですよ。 ○井出指導部長 児童生徒に対する指導につきましては、そのとおりでございます。 ○大山委員 そのとおりですよね。そうなんですよ。だから、きちんとしなくちゃいけないんです。なぜこんなことが大問題になるのかといえば、重要なのは、日の丸・君が代については、国論を二分するような状況になっているということなんです。だから強制してはいけないということなんです。 歴史を学んだり、親や祖父母の話を聞いたりすることもありますよ。日本人だけではない生徒もいます。どうしても立てない、歌えないという人はいるんです。それを、まずきちんと認識する必要があります。 さらに、政府は、児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではないと繰り返しています。起立しない子どもがいたらどう考えるのかというふうに問われて、当時の有馬文部大臣は、その人の良心の自由で、ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないということはあり得ると思います。それは別に良心の自由でございますので、そのことが最終的な評価につながるとは私は考えておりませんというふうに答弁しているんです。 先日の通達を出すきっかけにした定時制高校の卒業生が、ほかの人に迷惑をかけるような格好でもしていたんでしょうか。他人の、ほかの生徒に起立を妨げたとでもいうんでしょうか。 ○井出指導部長 詳細は、正式な報告をまちませんとわかりませんが、聞き及んだ限りにおきましては、起立をしなかったということでございます。 ○大山委員 他人に迷惑をかけるような格好もしていないし、それからほかの生徒の起立を妨げていたわけでもない、結局、生徒の内心の自由なんていうのは全く考えていないということじやないんですね。 さっきから学習指導要領、学習指導要領というのが出てきますけれども、その学習指導要領にはどう書いてあるのかということなんですね。学習指導要領というのは、その中で、卒業式や入学式というのは、第四章特別活動の学校行事の一つですね。特別活動の第一番目には、その項目の中の目標というのが書いてあります。 目標というのが何て書いてあるかというと、望ましい集団活動を通して心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り、集団や社会の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるとともに、人間としてのあり方、生き方について、自覚を深め自己を生かす能力を養うというふうに書いてあるんです。 特別活動には、ホームルーム活動、生徒会活動、学校行事があって、指導計画の作成と内容の取り扱いというのがありますけれども、学校の創意工夫を生かす、学校の実態や生徒の発達段階及び特性等を考慮し、生徒による自主的、実践的な活動が助長されるように、人間としてのあり方、生き方の指導が、ホームルーム活動を中心にして特別活動全体を通じて行われるようにすること、その際、他の教科、特に公民との連携を図ること、個々の生徒についての理解を深め、信頼関係を基礎に指導を行うとともに、生徒の自主的、自治的な活動が助長されるようにすることというふうに書いてあるんですよ。 これを読めば、自主的な態度、活動が重視され、人間として間違っていることは間違いだと、きちんと自分の考えがいえたり、行動にできたり、それを養うことが特別活動ではないんでしょうか。三年間を通じて、そのように特別活動で養ってきたことを、卒業式では覆してしまう。学習指導要領といいながら、一番大事なことを踏みにじっているんじゃないんですか。 ○井出指導部長 入学式や卒業式は、学校生活に有意義な変化や折り目をつけるものであり、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、新しい生活の展開への動機づけを行い、学校、社会、国家など集団への所属感を深める上で、よい機会になるというふうに考えております。 ○大山委員 それは、その学習指導要領の解説の中で書いてあることですね。 あれこれいっても、結局学習指導要領の特別活動、この中に卒業式というの書いてありますよ、入学式、卒業式などにおいてはその意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとする、これ一行入っていますよ。 しかし、それは、この特別活動という学習指導要領のねらいとしたところは、あれこれいっても、きちんと自主的なこの特別……間違ったことは間違ったとか口に出して、行動に出せる、そして自分の意見を持って発言できる力を養うというのが特別活動ではないんでしょうかね。 ですから、学習指導要領を率直に読めば、そのように書いてあります。 ところが、都教委は自主性どころか、国歌に際して、自主性どころか入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針、こういうのまで出して、自主的どころか、会場の設営についてとか、国族の掲揚は舞台の壇上正面に掲揚するとか、国旗とともに都族を合わせて、その向かって左に国旗で、右側に都族、こういう、そんなところまで事細かく決めているわけですよ。 それで日の丸の揚げ方から何から何までがんじがらめにして、生徒に考えることさえやめさせているわけですね。決まっているとおりに従え、それで学習指導要領に基づいて築いてきたものを、最後の卒業式で崩しているというふうにいわざるを得ません。 二〇〇三年十月、一○・二三のこの通知以降の通知だとか通達、すべて撤回をするように求めて質問を終わります。 |