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2004年6月11日文教委員会
大学法人の評価委員会条例を質疑
大学の外からも経済効率優先に拍車かけるもの



●法人化に当っての国会決議は守られるのか

○曽根委員 私からも条例案について何点か質問させていただきたいと思います。
 新大学問題を考える場合、今回は、定款条例ではなく、評価をする機関の方の条例を先に定めるという、私から見ますと、単純に見て、なぜ一緒に出さないのかということは不可解ですし、授業料等を決めるとすれば、法人を早く設立して正式に決めれば受験生にも間に合うわけで、予定額を決めて、では議会の議決はいつどういうふうに予定額についてやるのかなと。我々議会が何の意見も出せないうちに予定額が発表され、正式に決めるころにはもう実質決まっているということになりかねないという、さまざまな疑問があります。
 そういう点では、実態的には定款の条例、つまり大学法人本体の設立が、管理本部がもともと予定していた今回の第二回定例会に出したいという話を私も聞いたことがありますので、それから見て少なくとも半年ぐらい遅れる、という中で事態が進んでいるということだと思うんです。
 最初にこういう事態を、やっぱりそのまま進んでいくということが、私はやっばりあいまいで、もう一回踏みとどまって考え直すべきであるということを、基本的な立場として、まず表明しておきたいと思います。

 評価委員会について考える場合、私は評価委員会がもし大学の改革に役に立つとすれば、最大の問題は、大学改革に当たっての国会の決議、これをきちんと守れる保障を評価委員会として打ち出せるのかどうかということだと思うんです。
 というのは、評価委員会の機能にかかわる決議が国会で行われているわけです。
 例えば、「地方独立行政法人化に当たっては、雇用問題、労働条件について配慮して対応するとともに、関係職員団体または関係労働組合と十分な意思疎通を行うこと」とか、「独立行政法人の業務の実績の評定に当たっては、財政面の評価のみならず、社会的評価の観点を加味して行うこと」、また最も重要な問題としては、「大学法人の定款の作成、総務大臣及び文部科学大臣等の認可に際しては、憲法が保障する学問の自由と大学自治を侵すことのないよう、大学の自主性、自律性が最大限保障し得る仕組みとすること」などが書かれております。これは衆参で決議されているわけですが、これらを保障する、いわば第三者的な役割を果たせるのかどうかということが最大の課題だと思うんです。私は見る限り、そうなる保障がどう見ても見えないなというのが率直な感想です。

●都民の声に基づく第三者評価になるのか

 そこで、まず第一に、この七人の委員会の中に、都民の代表、それも公募などで客観的に意見のいえる代表者、または大学の学生や教員などの意見を反映する人たち、それから我々議会などの意見、それらが反映される、そういったメンバーの選び方が行われることが可能なのかどうか、この点からお聞きしたいと思います。

○宮下参事 まず評価委員会の評価というものは第三者評価でございますので、評価を受ける当事者がその評価委員会のメンバーに入るということはございません。
 それから、評価委員会の審議内容の専門性にかんがみまして、それにふさわしい委員を選任する必要があろうかと考えておるところでございます。
 他の例でございますが、国立大学法人、それから秋田県の公立大学法人の場合につきましては、評価委員会の委員といたしまして、他の大学の教員、それから企業経営者、公認会計士などの学識経験者が入っているところでございます。

○曽根委員 大学改革に、確かに第三者、大学の外の人の意見は必要だと思うんです。しかし、最も肝心な、大学の自治や学問の自由という問題については、これは評価委員会とは限りませんが、学内の当事者である学生や教員などの声を反映させなければ絶対に保障はできません。実際には今そういうことを反映できる機関がないのというのが実態です。 ですから私は、第三者的な評価委員会をつくる前に、現都立大学でも既に問題になっている大学の自治が事実上守られない事態を解決することをまず考えるべきだと思うんです。

 例えば先日も、学生の意見をちゃんと聞き、説明してほしいという長谷川さんという学生の方の陳情が不採択になってしまいましたが、あのときに大村参事が発言した、来る者は拒まずだというのも、実態には全く合っていないんだという意見が、その後私たちのところに届きました。
 二月ごろに、例えば院生の方々がちゃんと連絡しアポイントをとって大学本部を訪ねようとしても、絶対に会わない、意見は聞かない、大学事務局を通しなさいと。文書で質問状を送っても、それにはまともな回答をしない、というような事態がやっぱり繰り返されているそうです。
 ですから、今、大学側から意見が来ていないというようなお詰もありましたが、とんでもない話で、要望しようにも全くルートが遮断されているという事態があることがわかりました。結局、ルール違反でというか何といいますか、とにかく押しかけてこない限りは話しも聞かないという態度が現に行われていることを、この評価委員会などで解決できるとは思いません。

 それから、教員からも相変わらず厳しい批判が出ていますし、とりわけ助手の方ですね、私も助手の問題についてはあんまり取り上げたことがないんですけれども、最近、理事長予定者の高橋さんが、「助手の仕事っていうのは毎日毎日ずっと試験管洗い続けているんだというふうに都の職員から聞いた」という発言を、「財界」という雑誌でやっています。
 実際にどうかと聞いたところ、そんなこと全くないそうです。大体、試験管というのを理学の研究室で使っているところは今ほとんどないそうです。実態が全くないことを都の職員から説明をされたといっているわけです。高橋さんにどうやって客観的な事実として助手が今果たしている大学での役割を知ってもらって、その助手の今の職責や身分や、それから学問的な、非常に専門的な高さ、こういったものに見合った報酬や職業としての地位を保障するか。
 これはまさに評価委員会の評価にかかわる問題ですが、こういったものが、今、大学管理本部を通して保障されていないというのが実態だと思うんです。当然、大学の方々からの声も上がっていると思いますが、(評価委員会を)もしつくるんであれば、こうした問題を客観的に評価するという保障が、まず最低限必要だということを申し上げておきたい。

●大学の生命・教育研究予算はどうなるか

 中でも、評価委員会が評価するものの中には教育研究があります。この評価について先ほど他の委員の方からその評価の根拠を、認証機関を選んで決めるというようなことがありました。
 実際に、それでは大学の中で教育研究予算というのは、どのように決められ、評価委員会はどのような形でこの教育研究予算について評価をするという仕組みになっているんでしょうか。簡潔にお答えいただきたい。

○宮下参事 大学の予算の話でございますけれども、予算につきましては、法人の経営方針に基づきまして経営者議会において審議し、理事長が決定するということになります。

 それから、予算執行に関して評価委員会がどうかかわるかということでございますが、予算執行そのものについて評価するというよりは、予算執行を通じてその法人経営あるいは教育研究活動がどのようになり、中期目標がどのように達成されたかという観点から、評価委員会は評価することになると、このように考えております。

○曽根委員 大学の生命ともいえる教育研究の質、そういう問題については、大枠としてまず大学の中で経営者議会で決められてしまう。その評価についても、評価委員会は認証機関のアドバイスといいますか、そういう意見を踏まえて意見をいうんだけれども、それはあくまで中期目標や中期計画の枠の中であるという意味では、今、大学の研究予算が配分されている決定の仕方に比べても、はるかに、いわば経営的な観点からの配分が行われる危険性が高いと思います。
 現実に今、都立大学で、先日私も指摘したように、極めて一方的、独断的な傾斜配分が研究費の分野で行われていて、私のところに届いている話でも、本当に理不尽な話が聞こえてきています。
 特に人文学部がまさにやり玉に上がっているわけですけれども、ある学科では、今まで学術定期刊行物が三百五十八冊、昨年度までで購入していたものが、ことしは傾斜配分でかなり減らされてしまったために、百三十二冊購入が不可能になって、三七%削減せざるを得なくなった。
 ほかの学科でも七十五種類の日本の中での雑誌が二十二種類購入を中止せざるを得ない。洋書といいますか、海外で出版されているものはほかの一般書店では入手が困難なのでそちらを優先せざるを得ないけれども、これも来年度は四十二種類ぐらいの、いわゆる海外での雑誌もほとんど買えなくなってしまうだろうというふうにいわれているそうです。
 これでは、特に院生などの研究はほとんど不可能になります。したがって、研究を本当にまともにやろうと思ったら、都立大学の図書館に行ってもないわけですから、東大に行くとかそういうところに行って研究をせざるを得ないということにもう追いやられてきます。

 こういう事態が今からもう起こっているわけですが、こういった傾斜配分が、私から見れば非常に独断的、極めて、いわば新大学構想に反対している人たちが多い学部にしわ寄せする形で行われる。学問的な価値だとか質だとか問題にならないです、もうこれは事実上。というような事態が、これからもずっと行われている危険性が高いと思うんですが、この点について、評価委員会は本当の意味で、客観的な根拠でこの学問研究の予算配分について物をいうことができるんでしょうか。改めてお聞きします。

○宮下参事 評価委員会は東京都に設置する付属機関でございます。それから、大学は来年度、法人として東京都から離れて独立するということになります。法人の予算執行等について、評価委員会がこうすべきである、ああすべきである−一評価はいたしますけれども、こうしなさいということは、まさに大学の自主的な運営を外から阻害するということになりますので、あくまでも評価委員会は大学運営について客観的に評価をして、事後的な評価をいたしまして、法人が評価委員会の意見を踏まえてみずからそれを変えていくということが必要であろうと思います。したがって、評価委員会が予算についてあれこれ物を申す、予算執行について、直接的にこうしなさい、ああしなさいということは適当ではなかろうかと思います。

 それから研究費についてのご発言がありましたけれども、研究費につきましては、前の委員会でも申し述べましたが、今四つある大学の中で研究費の予算の単価がそれぞれ異なる、あるいは執行方法が、都立大については講座ごとに配分してこれを執行するとかいう形で、執行の仕方が異なるということがございまして、来年度一つの大学になるわけですから、単価をひとつ統一しなきやいけない、それから執行方法についても統一しなきゃいけないということで、今年度からトライアルとして実施しているところでございます。
 既に基礎的な研究費については同一の単価で各大学に配分してございます。競争的な研究を促す必要があるということで、傾斜配分研究費はまだ配分してございません。
 これは、今、申請を出していただいているところでございます。その中諸に基づいて審査をいたしまして配分する予定でございますので、今配分しているのは、研究費の全体の中の一部ということで、昨年と比較して足らないという話がありますが、これは後々、傾斜的配分研究費が、七月ごろを目途にしておりますが、配分するということになっておりますので、そういう意味で研究環境が非常に劣悪になるというようなことはなかろうかと思ってございます。そういう点でご理解をいただきたいと思います。

○曽根委員 今年度の予算配分について基礎的配分と傾斜部分−−傾斜部分は競争的な研究費と。競争的研究費というのは、知事が新大学での構想をしているように、実業界に貢なっていますけれども、知事が選ぶ評価委員会のメンバーですから、基本的には実業重視、産業界に貢献できるというコンセプトを中心に進んでいくと思います。

●中身とともに財政的にも財界お抱え大学に

 例えば評価委員会の評価として、都が現在出している大学の運営費の大半の、百五十億円ぐらいですか、かなりの部分を東京都の予算で大学に出しているわけですが、こういう都の補助といいますか、負担額が基本的に削減されて独立的な経営を高めていくということは、知事の構想や、今、大学改革で進めている方向と一致していくわけですから、財政的には非常に評価委員会で評価されていくものであると思いますが、財政的な見通しといいますか、そういう方向についての評価委員会での評価はどういうふうになるのかを教えてください。

○宮下参事 大学が法人化されました後も、その財源というのは、運営費交付金が主たるものになるということで、これは変わりがないわけでございます。ただし、その予算執行について法人の自主性がより高められるということで、運営がこれまでより、より一層弾力的になるということがございます。その予算執行等について評価委員会がどうかかわるかということにつきましては、先ほども申しましたが、中期目標を定めますので、中期目標がどのように達成されているかということで、予算執行そのものを直接それについて評価委員会が評価するということはございませんが、その中期目標等を通じて、予算執行の結果、大学側が目標に対して達成がこうなってきたということを間接的に評価するということになろうかと思います。

○曽根委員 ちょっとわかりにくい質問をして申しわけなかったんですけれども、私が大変心配しているのは、同じ「財界」という雑誌の中で高橋理事長予定者が、百五十億円の現在都が穴埋めしている不足分をどうしていくのかというふうに質問を受けて、今後、不必要なコスト、特に人件費を削らなければなりませんといいながら、「四、五年で収支をとんとんに持っていきたい」というふうに明確に答えているんですね。つまり、四、五年で都の出している百五十億円を、基本的にはもらわなくてもやっていける大学にしていきたいということを、理事長予定者としての構想としてもう打ち出しているわけです。
 これは恐らく中期目標の中にも当然、理事長予定者ですから、それに近いものが打ち出されていくでしょうし、それが承認されれば、評価委員会は、先ほどいわれた東京都から運営交付金をもらわなくても済むように、中期目標ですからたぶん六年間ですか、六年ぐらいで交付金ゼロにしていけるような大学ということで着々と進めば、これは評価されるものだと思うんです。
 これ自体が、私、本当に東京都の大学として、あえていえば都立の大学たり得るのかということが大変心配です。
 最終的に、もし、都の交付金は要りません、とんとんでやっていけますというふうに本当になっていった場合、これは果たして都立の大学というふうにいえるものになるんでしょうか。その点、どうお考えですか。

○宮下参事 東京都からの運営費、交付金をゼロにするというようなことは考えてございません。地方独立行政法人法におきましても、設立団体は、その法人に対して必要な財源措置をするということになっておりますので、そのような形で今後運営をしていくことになろうと思います。

○曽根委員 管理本部はそうは考えていないかもしれませんが、理事長予定者自身は、収支とんとんというふうにいっています。これがどういうことを意味するか、私もこの雑誌の範囲の中でしかわかりません。
 しかし、もしこれが交付金がなくても大学は独立経営でやっていけると−−−恐らくそういうことじゃないかと思うんですね。だとすれば、お金の点でも、東京都に依存しないで済むということになって、一般論でいえば、独立行政法人ですから、より独立して、ひとり立ちしていくということは、もしそれが中期目標の中へ盛り込まれていけば、これは極めて手放しで喜ぶ話になってしまう。しかし、東京都がもうお金も出さなくていい大学というのは、果たして東京都の財産、建物、人、物を使って、それを結局、独立化させ、お金の点でも縛られない、全く本当に独立の大学になってしまうという危険はないのかということを私は大変危倶するわけです。

 例えば、私立大学でも今ほとんど経営は独立でやっていますが、大体四、五%ぐらいの国の助成金が、私学助成が出ています。しかし、私立大学の中には、帝京大学のように五%程度の国の補助をもらうために、学生から寄附を集めちゃいけないとか、いろいろ制限が加わる。それから、学生のために体育館とかいろんな施設を用意しなきゃならないとかいろんな基準がある。国のわずかな助成金をもらうためにそういうことを苦労するよりは、もう助成金減らされてもいいから、そっちの方で財源を稼ごうというふうに私は踏み切っていると思うんですけれども、ほかの大学に比べて帝京が本当に補助金少ないそうです。
 それだって、全体の数%にすぎないわけで、そういう大学が出てくると思います。
 私は、首都大学東京ができた場合、高橋さんのいうことが本当に文字どおりやられるとすれば、東京都からお金をもらいません、しかし口も出さないでという方向にどんどん突き進んでいく危険性があると思うんです。
 そういう点で、当然ながら今百五十億円東京都が出しているお金を肩がわりするのは経済界でしょう。大体、今、企業からの積極的な資金をもらって実業貢献の研究を広げていこうということを方向としたら。
 そうすると、事実上、東京都の大学から産業界お抱えの大学になっていくんじゃないか、実態がそうなってくるということが大いに考えられると思うんです。
 また、石原さんの大学構想を応援する財界人のグループもできているようですから、そのことは財界の方からも大いに歓迎されると思うんです。
 こういった方向を本当に認めてよいのかというふうに(考えれば)、やっぱり都民が求めているのかということを、私は改めて厳しく検討する必要がある。都民の声が反映されない評価委員会を作ったって、第3者評価にもならなければ、大学の中の自治や学問の自由を守ることも出来ません。
 そういう点で、評価委員会は、形としても独立行政法人法に伴うものですからわたし達は反対ですが、実態としても、まともな機能を、大学改革に役立つまともな機能を果たすことにはならないということを申し上げておきたいと思います。

●単位バンクについて

 最後に一つだけ、単位バンクについて。
 私ちょっと今まで質問する機会がなかったんですが、評価委員会が直接はこの単位バンク問題は評価はしないそうですけれども、単位バンクの登録科目としてどういう大学や、またはいろんな学生の活動を認定するのかというのは、だれがどういうふうに決めるのかを聞いておきたいと思います。

○大村参事 単位バンクで、他大学の授業その他についても評価して、大学の授業として認定するということを考えてございますが、現在のところ、まだ具体的にどういう大学のどういう科目ということは決めてございません。これから単位バンクの検討部会で検討し、また個々の具体的な科目をほかの大学の科目なんかの設定を見まして、それを評価して単位バンクの登録にしていくというものでございます。

○曽根委員 基本的には大学の中で決めていくことになると思うんですが、この同じ雑誌に西澤さんという学長予定者が単位バンクのことについて発言をしていて、例えば今、人文学部でやっているような学問ですね、こういうのをやりたい学生は東大などに単位バンクで行ってそちらの単位を取ればいいじゃないかということを発言しています。
 私、そういうことを考えられるんであれば、これからできる−−−これは予定ですが、新首都大学東京には旧都立大学が同居しているわけですよね。同じ校舎、同じ教室を使って、旧都立大学の授業が行われているわけですよ、同時並行で。ですから当然、単位バンクの単位として、旧都立大学の先生の授業は、新大学、首都大学東京に入った学生にも、同じ校舎の中でやっているんですから、極めて合理的な話として、同時進行している旧都立大学の講義を取れば、それは首都大学東京の単位として認めるということがあってしかるべきだと思いますが、いかがですか。

○大村参事 新しい大学と現在の大学の科目に関してでございますけれども、一つの科目を両方の大学が二面から正式の授業として認める場合と、それから現在の大学の単位を単位バンクを使って新大学の学生が受けられるようにするというものと、それぞれ出てくるというふうなことになると思います。
 基本的な部分につきましては、それぞれの新大学、現大学で設定する科目を設けますけれども、特に最初の年度は一年生しかいない新大学、そして二年生以上のいる現大学というふうな中では、いろんな科目について柔軟に対応して、両方の大学の学生がそれぞれ受けられるようにしたいというふうに考えてございます。

○曽根委員 これは当然の話といえば当然の話なんですけれども、しかし私はこういうことをきちんとやっぱり認めていくべきだと思います。
 そして、首都大学東京に入った学生にも、都立大学の先生がもし首都大学の方には行かないで旧都立大学に残って学生を教育するというような人があらわれた場合、その先生の授業を取りたいと思えば、それは単位バンクとして授業を受けて認めるということは当然あり得ると思うんです。
 そういう中で、私は現都立大学で行われている教育研究の中身と、首都大学東京で新しく行われる予定の教育研究の中身、これが学生によって選ばれていくと思います。もし首都大学東京がスタートしたとしても、その先、学生自身にとってどちらが本当に学び研究にいそしむことができる大学になるのかということが、その後にも選択があるということです。
 私は、はっきりいって首都大学東京の行く末というのは、このまま突き進めば、そういう学生たちの選択によって本当に見捨てられていく。そうなる前に、現大学の存在価値、特に中で培われてきた蓄積というものを改めて評価して、それを全面的に取り入れた大学づくりというものを考えないと、本当に学生に選ばれない大学になってしまうということを最後に申し上げて質問を終わります。

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