次のページへ  堺・山川・向坂文庫へ  表紙へ

 
社会主義への道は一つではない
                    −フルシチョフ報告と劉少奇報告を読んで−
                                                                          山川均
*一九五六年一〇月二八日稿。「中央公論」一二月号掲載。ここでの底本は川口武彦編『道を拓く』(社会主義協会  一九九一)。長文のため二ページに分けて掲載。全文(zip)

                                      一
 いまから六、七年前、昭和二五、六年のころには、私の多く接触する社会主義の同志たちのあいだでは、ソ連の現状をどのように評価するかについて、盛んに論議がたたかわされていた。当時わが国でも、宗教的な信仰をもってソ連を礼賛する人々は、ソ連では社会主義はすでに完成され、いまや社会主義社会から共産主義社会に移りつつあるのだと主張していたが、社会主義社会というものの概念においても、また社会主義社会から共産主義社会への推移についても、我々は異なった見解をもっていた。我々のあいだでは、問題は、ソ連が社会主義社会から共産主義社会に移りつつあるかどうかではなくて、ソ連の現状は社会主義社会と名づけうるかどうかということであった。ソ連の現状は、いままで我々が社会主義社会という言葉によって理解していた社会体制からは、いちじるしい隔たりがある。ソ連の現在は、すくなくとも無条件に、説明なしでは、社会主義社会とは呼ばれないという点では、我々のあいだにほぼ意見は一致していたのであるが、しかし同志のある者は、これだけでは満足しなかった。スターリン時代になって、ソ連は社会主義とはまったく違った方向に進んできた、それはもはや反省や自己批判や誤謬の清算といったようなことでは、本来の道−社会主義の道−に引きもどすことのできないほどの、本質的な変質をとげた、現在のソ連は、社会主義の体制とは本質的に異なった体制に変質してしまったものであって、そこから社会主義への発展はもはや不可能である、ソ連が社会主義に発展するためには、もういちど民衆が立ち上り(そのばあい武装した反乱の形をとるかもしれない)、もういちど革命的な政治上の変革がなければならない−ある同志たちはこういう見解をもっていた。
 
 私じしんは、すくなくともある点まではこの見解に一致した。私はソ連の変質を認めるが、しかし社会主義的建設の基礎となるものは失われていない、一九一七年の革命の歴史的意義は生きている、ソ連はきわめて異常な道ではあるが、このロシア的な道をつうじてでも、窮極は社会主義に発展する可能性があると考えた。ソ連の現在は社会主義社会でないまでも、もはや資本主義社会でないことは明らかである。では資本主義でもない社会主義でもない現在のソ連はいったい何なのか。我々は資本主義から社会主義への推移の間に、こういう異常な、いわば病的奇形的な社会体制が、例外的にせよ現われるということを、かつて予想していなかったから、こういう体制をいいあらわす適当な呼び名をさえも持っていなかった。それで私は、当時、我々の主催していた社会主義研究会の会報に書いた一文の中では、この官僚専制のもとに経済が計画化されている状態を国家資本主義と呼んだこともある(注)。私はこの一文のなかで、こんごソ連がこのような国家資本主義(それは社会主義の道からの重大な踏みはずしと誤りを意味するものであろうとも)から正常な社会主義の体制に発展するならば、ソ連の歩んだ道も資本主義から社会主義への一つの道−ロシア的な一つの道−なのである、またこれと対照的なイギリスのばあい−当時イギリスでは、労働党政府によって国有化政策が着々と進められていて、これこそが社会主義実現の正しい道であるという見解が強まっていた−労働党の現在の政策によってイギリスが社会主義国家に変革されるとしたならば(それは疑問ではあるが)、これもまた資本主義から社会主義への一つの道−イギリス的な一つの道−として認めなければならない、そしてロシアでもイギリスでもないその他の国々は、歴史的に与えられた条件によって、それぞれの異なった社会主義への道を発見しなければならない、そしてマルクシズムの社会的発展の法則は、ソ連のばあいだけに働いている法則なのではなくて、イギリスのばあいにもひとしく働いている法則でなければならない、それはマルクシズムの政党が国家権力をにぎった時にだけある法則ではなくて、マルクシズムの政党が存在さえもしていないところにおいても、同じように働いている法則なのだ、という意味のことを書いたのであるが、これは当時、我々のあいだで論議されていた問題について、私の立場を説明したものであった。私はソ連における経験の歴史的意義をきわめて大きく評価し、肯定的にも否定的にも、そのなかには貴重な教訓がふくまれており、これから学ばないことは、我々の怠慢だと思う。そしてソ連の歩んだ道は、いいにせよ悪いにせよ、社会主義への一つの道だったことさえも認めようとするのであるが、しかし、それは一つの道でしかないものである。そして一つの道でしかないものが、もし唯一の道であることを要求するならば、その瞬間から、それは貴重な教訓をふくむ実験ではなくなって、社会主義への道を妨げる障害物となり、国際社会主義運動にとってマイナスの要素ともなるのである。
 
 (注)そのごも一、二の場合に、私はソ連体制を国家資本主義と呼んだことがある。しかしげんにソ連体制とは異なるものが国家資本主義と呼ばれているばあいもあって、混乱をおこし、妥当でないと考えたので、私はまもなくこの用語を使わぬことにした。しかし、それから数年後に読んだユーゴスラヴィアの理論的指導者カルデリの論文のなかでは、ソ連体制を国家資本主義と呼んでいる。
 
                                      二
 ちょうどそのころ、スターリンは外国の一訪問者に、「社会主義の実現には二つの道がある」と答えて、人々に意外を感じさせたことがある。スターリンがこう答えたとき、彼が念頭においたものは、彼じしんの歩んでいる道のほかに、もう一つは当時、世界の注目をひいていたイギリス労働党の社会主義政策だったと思う。当時私は、スターリンが二つの道を認めたのは確かに進歩であるが、しかし社会主義への道は、暴力革命か平和革命かといったような、二者択一的なものではない、社会主義への道は、正確にいえば、二つではなくて多くであると批評したことがある。
 これにくらべると、本年二月のフルシチョフ報告が、資本主義から社会主義に推移する変革の過程は一様ではなくて、いろいろの形態で行なわれることを認めたのは、社会主義革命にたいするはるかに高い、そしていっそう現実に忠実な認識を示したものだということができる。社会主義革命が、それぞれの国の歴史的にあたえられた条件によって当然に異なった形態をとるということは、いわば社会主義の常識といっていいことなのであるが、多くのばあい、この常識はあんがい常識となっていなかったように見える。しかしげんに中国では、ソ連とは異なった道で社会主義政権が出現し、ソ連とは異なった道で社会主義の建設が進められている今日では、この常識はなに人もが受け入れなければならないものとなった。そしてソ連指導者に、社会主義革命の多様性を公然と認める必要を感じさせた少なくとも一つの理由は、おそらく中国の社会主義的発展だうたと思う。その意味では、フルシチョフ報告が社会主義革命の形態の多様性を認めたことと、同じ報告が、社会主義はいまや二国的なワクを越えて世界的な体制となったといったこととの間には、密接な関係がある。
 
 それぞれの国は、それぞれ異なった形態の変革の過程をつうじて社会主義に到達するのだとしても、そのいずれにも共通している一つの条件は、社会主義的変革を意識した目標とする社会勢力が、国家権力をにぎるということである。このような社会勢力は、近代的な労働者の階級を中心にして、その指導のもとに集まる、働く農民をも含めての広い意味での勤労者と、おおかれすくなかれ知識水準の高い社会層であって、それは勢い階級性をもった勢力である。こういう階級的な勢力が政治的に支配している状態なしには、資本主義から社会主義への変革を考えることはできない。そのうえ、このような階級勢力が政治的に支配している状態とは、ただ一回の総選挙で社会主義の政党がたまたま国会の議席の過半数をしめて内閣を組織したというだけではなく、それ以上の意味をもつものである。すなわち社会主義的な階級勢力が政治的に支配している状態とは、この支配が安定した持続性をもつことであって、それは資本主義国家では、資本主義的な階級勢力−それを代表する資本主義の政党−が持続性をもって支配している状態が必要なのと同じである。社会主義的な階級勢力の安定した政権が確立されているこのような状態は、資本主義国家におけるブルジョアジーの独裁と対照して、プロレタリアートの独裁と呼ぶことができる。
 
 プロレタリア独裁という言葉をこういうものとして理解すれば、資本主義から社会主義に移る変革の過程がどのような形態をとるにしても、この変革の過程における政治の本質は、プロレタリア独裁でなければならないということになる。しかし「独裁」という言葉そのものが、多くの人々には、これとは異なった印象を与えやすいばかりでなく、プロレタリア独裁を肯定しつつ「独裁」という言葉を使っている人々も、つねにこれと同じ意味をもたせて使っているとはかぎらない。すなわちプロレタリア独裁の思想を支持する人々も、これをロシア革命において経験された政治の特殊な形態をさすものとして主張したばあいが多いという事実も、争うことができない。レーニンはプロレタリア独裁にはそれぞれの形態のあることを認めているのであるが、しかしレーニンの見解のこの方面はおおく顧みられないで、プロレタリア独裁によるソヴェト体制こそはプロレタリアートがその支配を実現することのできる実際的な形態であるという主張の方が、主として取り上げられたといっていい。エンゲルスはパリ・コミューンをさして、これがプロレタリア独裁だといったことがあるが、初期におけるイギリス共産系の理論家は、パリ・コミューンは厳密な意味ではプロレタリア独裁ではなかった、なぜならば、それは普通選挙によって選出されたものだからと説明しているのを読んだことかある。このようにソ連において経験されたような、反対階級から選挙権や政治的自由をハク奪し、軍隊と秘密警察の機構による反対勢力の弾圧によって維持された階級支配(事実は階級による支配ではなくて、個人独裁による官僚支配)、これこそがプロレタリア独裁だという考え方は、敵の陣営ばかりでたく、社会主義じたいのなかにおいてさえも行なわれていたことは争えない。
 
 同じことは、ソヴェト制度そのものについて言えるのであって、ブルジョア民主主義の三権分立主義の政治形態にたいして、パリ・コミューンはたんなる立法機関ではなくて、行政権をも司法権をもその手に集中していたもので、これこそがプロレタリア民主主義を実現した政治形態なのであって、ソヴェト制度は、こういうパリ・コミューンの伝統を継ぐものだと主張されていた。そしてすくなくともある時期までは、このソヴェト制度こそが、プロレタリア独裁の一般的な形態であることが、公然と、または暗黙のうちに、主張されたのであった。しかしパリ・コミューンは、ある動乱期には適切な政治形態だったかもしれないが−−あるいは、あの動乱期には唯一の可能な政治形態だったろうと思われるが、それにもかかわらずきわめて非能率的なものだったことは、多くの研究者の意見が一致しているようである。そこでもしパリ・コミューンが永続していたとしたならば、はたしてあのままの政府形態が維持されたかどうか、これにたいしては、私は否定的な答しか考えられないと思う。いずれにせよ、もし、ソ連において実践に移された独裁政治の形態とその支配の方式とが、ソ連にあたえられた条件のもとではプロレタリア民主主義を最もよく実現することのできるプロレタリア独裁の一つの形態だったという主張なら、私はここではあえてそれを肯定も否定もしょうとしているものではない。ただ私は、それがプロレタリア独裁の唯一の普遍的な形態であるという要求を否定しているだけである。そういう要求は、いうまでもなく、社会主義への変革過程の多様性を否定しているものだからである。
 そこでプロレタリア独裁ということを、資本主義国家においてはつねにブルジョアジーが政治的に支配している状態が持続しているのと同じ意味で、プロレタリアが政治的に支配している状態をさすものだとすれば、社会主義への変革の時期における政治の形態はそれぞれの国で異なるということは、プロレタリア独裁(ブルジョア民主主義にたいするプロレタリア民主主義という意味での)か民主主義(西欧的なブルジョア民主主義の諸制度という意味での)かという問題ではなくて、プロレタリアートの独裁がどのような形態で行なわれるかという問題なのである。
 
                                      三
 ここで最近の中国共産党八全大会における劉少奇の報告から、中国の指導者がプロレタリア独裁をどういうものとして理解しているかを見ることは、有益なことだと思う。
 「世界のすべての国家の実質はみな階級の独裁であって、問題はいかなる階級がいかなる階級にたいして独裁するかである」―これが劉少奇報告の基本的な考え方である。では、すべての国々で、支配される階級は政治的権利と政治的自由をハク奪され、言論、集会、結社の白山をハク奪され、秘密警察によって監視され、政治的意見を異にするものは暗から暗に粛清され、人民は国家権力による弾圧によって支配されているかというと、もちろんそういうことはない。そこでこのばあい、階級独裁とは、特殊な政治形態をさすものではなくて、実質的にはある階級が政治的に支配することになっている状態をさしているもので、したがってプロレタリアートの独裁ということも、マルクスがアメリカの共和政治はブルジョアジーの独裁にほかならぬと言ったばあいと、全く同じ意味に理解されているものと見てよかろう。そしてこういう意味でのブルジョア独裁は、すべての資本主義国家のなかのもっとも民主主義的な国においても行なわれているのであって、同様にプロレタリアー卜の独裁も、ある一定の政治の形態によらなければ行なわれないものではなく、民主主義的な制度と方法をつうじても−−たとえそれが西欧的なブルジョア民主主義的な制度と方法であっても、その時その国の諸条件のもとで、それが民主主義の原則を生かすことのできるものでさえあれば−−そういう制度と方法をつうじても行なわれうるものである。すなわちこういう意味に理解されたプロレタリア独裁は、いかなる場合にもソヴェ卜という政治形態をとらなければ行なわれないとか、いかなる場合にも英雄的な個人の独裁とそれをとり巻く特権階級の支配の形をとらなければ行なわれないとか、いかなる場合にも秘密政治警察の網の目を張りめぐらさなければ行なわれないとか、またはいかなる場合にも、複数の政党が存在しては行なわれないとか、自由な普通選挙制があっては行なわれないなどというものではなくて、反対に、ソ連の経験したような峻厳な形態をとることの方が、むしろ例外であって、それはソ連の特異な条件から生まれた特異な現象だということにもなる。そして資本主義から社会主義への変革過程においてプロレタリア独裁がどのような形態で現われるかということは、この変革の過程が一様ではなくて、いろいろであるということの全てではないにしても、重要な一つの様相であることはいうまでもない。
 
 であるから劉少奇報告は、いま中国に実現されている政治形態を、これこそが、またはこれのみが、プロレタリア独裁のヒナ型であるとはいわないで、「プロレタリア独裁の一種の形式である」といっている。そしてこのように理解された
 「プロレタリア独裁は、無産階級が国家機関にたいして確乎たる指導をすることを求めるばかりでなく、もっとも広大な人民大衆が、国家機関に積極的に参加することを求めるものである……無産階級は、広汎な社会主義を受け入れることのできる大衆と同盟を結び、はじめて最大多数のものが反動階級にたいする独裁を造り上げ、社会主義を実現できるのである……」
 この独裁の性格を説明して、報告はこういっている−−
 「われわれの人民民主専制は、労働階級を主とする人民大衆の、反動階級、反動派および社会主義革命に反抗する搾取者にたいする独裁である。われわれの民主は少数の者に属するのでなく、絶対多数の者に属し、労働者農民その他のすべての労働人民から、社会主義と祖国とを擁護するすべての人民にいたるまでに属するものである……」
 「わが国の人民民主専制と人民民主統一戦線にあって、民族ブルジョアジーは一種の特別な地位を占めている。抗日戦中に革命根拠地の政権機関は、すでに民族ブルジョアジーの若干の代表を参加させていた……人民共和国の成立以後も、民族ブルジョアジーとその党派は、さらに多くの代表をプロレタリア独裁の性質の国家機関に参加させ、労働階級と共産党と共に、社会主義の事業にあって政治上の同盟を保持しつづけている……」
 
 中国における民族ブルジョアジーのこういう特殊な地位を説明して、報告は民族ブルジョアジーの弱小なこと、しかも社会的に大きな影響をもっていること、というのは彼らが近代工業を発展させ、過去の民主主義革命を指導し、新民主主義革命にさえも参加したためだという事実をあげている。そして対日抗戦中に組織され、そしてはやくから共産党と協力関係にあって社会主義の建設を支持している民主的諸党派とのあいだに、共産党は今後も長期にわたる「共存と相互監視」の関係をつづけるというのである。
 こういう階級独裁は、通俗的な念味での『独裁』とは異なったものであって、通俗的な意味での独裁がデモクラシーの否定として、デモクラシーに対置されているのにたいし、これは「絶対多数者」のデモクラシーであり、デモクラシーそのものである。(これをブルジョア・デモクラシーにたいしてプロレタリア・デモクラシーと呼んでもいい。)そして
 
 「わが国の社会主義事業が勝利発展するにつれて、われわれの人民民主統一戦線の範囲はいよいよ広範になり」「最も広汎な統一戦線と愛国主義の団結は、われわれのプロレタリア独裁をそこなわないばかりか、プロレタリア独裁の強化と発展に有利である。」
とされているように、プロレタリア独裁は、ますます多くの民衆とますます広範な社会層をその政権に参加させ、これをデモクラシーのなかに包容することによって強化されるのであって、プロレタリア独裁が強化されるということは、デモクラシーの否定がますます強まるとか、国家権力による反対階級の圧迫がいっそう峻厳になるということではなくて、社会主義的変革を推し進める階級が政治的に支配している政治の形態や支配の方法が、しだいに緩和され、プロレタリア独裁がまだ弱体だった最初の時期における峻厳さがなくなって、力を用いることがますます少なくなるということと同意語なのである。そして報告が
 「社会主義改造か完成するまでは、階級闘争は引きつづき存在するし、改造か完成した後も、社会主義と資本主義との立場、観点、方法のあいだの闘争はなお非常に長期にわたって継続する。われわれがこのような闘争を進める主な方法は説得、教育の方法である……」
 
といっているのは、中国におけるプロレタリア独裁の成長が、もはやこういう段階に達したという認識をいいあらわしたものと見てよかろう。そしてこのような意味でプロレタリア独裁が強化され、ますます多くの民衆と広い社会層とをそのデモクラシーのなかに包容してゆくなら、とうぜんにプロレタリア独裁は−−中共中央委政治局の『プロレタリア独裁の歴史的経験について』によれば−―「自己の独裁という条件を活用して共産主義を実現し、人類の融和を実現することによって、自己の独裁を次第に消滅させてゆく」べきものである。
 これが中国の指導者によって理解された意味での、プロレタリア独裁なのである。
 
次のページへ  堺・山川・向坂文庫へ  表紙へ