一話『師弟関係始めました』

○月○日・・・

今日・・・と言うか昨夜、正体不明の爺さんが突然家に現れた。









「どうぞ・・・お茶です」

「うむすまんな」

そう言って爺さんは居間にどっかりと座り俺の出した茶を啜る。

「ふむ・・・緑茶を飲むのは初めてだがこれは苦いまま飲むのかね?」

「ええ、和菓子は基本的に甘めなものが多いので口直しの緑茶は程々に苦いんです」

そう言って羊羹を出す。

「ほう・・・確かに・・・これだけ甘いと緑茶の苦さが逆にありがたいな」

そう言って羊羹と緑茶を交互に口にする。

「えっと・・・所で・・・爺さん」

「ゼルレッチだ」

「へっ?」

「私の名前は爺さんではない。キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグだ」

「はあ、それでゼルレッチさん、あなたは魔術師ですか?」

「いや違う」

即答だった。

「私は一応魔法使いと言う事になっておる」

ぎょっとした。

魔法・・・現在の魔術師達が到達しようとしきりに足掻いている・・・至高の領域。

そして現在残された魔法は僅かに五つ。

そんな魔法使いの一人だと言うのか?

「驚くことかね?」

俺の驚愕を見たゼルレッチ爺さんは面白そうに言う。

「え、ええ・・・まあ・・・」

「まあ驚いてもらえるのはありがたいがね」

そう言ってニヤニヤ笑う。

「で、話は何かな?」

「は、はい・・・そ、その・・・お願いがあります。俺を弟子にしてください!」

畳に額を押し付ける・・・いわば土下座だ。

「ほう・・・私の弟子になりたいのか?」

「はい、俺には目指さなくてはならない夢があります。でも・・・今の俺にはそれを叶える為の力も才能も無い。それでも目指したいものがあるんです」

「その夢はおぬしにとって大切なものかね?」

「はい」

もちろんだ。

これは俺が親父に誓った唯一つの夢であり歪な俺を満たす夢なのだから。

「その為に命すらも投げ出せるのか?」

そう言ったゼルレッチ爺さんの表情は先程までののほほんとしたものから威圧すら感じさせる重いものに変わった。

これこそが、魔法使いとしての顔なのだろう。

「・・・」

暫し迷う。

死ぬ事には恐怖は無い。

だが、誰一人も救える事無く死んでいく事は嫌だった。

命すら投げ出せるか・・・その答は・・・

「今は・・・その夢の為に命を投げ出せるか判りません。夢を叶える為には生き続けないと行けない事も判っています・・・でもそれでも俺は・・・」

「ふむ・・・どうやら死に急いでいる訳ではなさそうだな」

「へ?」

顔を上げるとニヤニヤ笑うゼルレッチ爺さんの顔があった。

「これで即答で『はい』と言った時には張り倒そうかと思ったが」

「えっと・・・つまり試したんですか?俺を?」

「そう受け取って構わん。それはそうと少年」

「すいません俺は衛宮士郎です」

「ほう、それはすまんな。で士郎、弟子にするしないの前に一つ尋ねたい。お主の得意魔術は何かな?」

「俺は・・・」

口ごもる。

落胆するだろうと自覚しているが取り敢えず言う。

「俺に出来るのは出来損ないの強化と投影、後は解析だけです」

「ほう・・・それはまた珍しいジャンルを得意としておるな」

「いえ・・・そうではないんです」

「そうではない?」

「俺はそれしか出来ないんです」

「それしか?と言うと、独学か?」

「いえ、親父に教わったのですが親父は一年前に亡くなりました」

「亡くなったのか・・・だが、お主の父も魔術師だった以上刻印を受け継いでいるのではないのか?」

「刻印は・・・俺は持っていません」

「なに?刻印を持っておらんのか?」

俺の返答にぎょっとして聞き返す。

その後もゼルレッチ爺さんは次々と魔術師としての知識を聞くが俺は悉く知らないと答える。

「こいつはなんとも・・・」

一通り質問を終えたゼルレッチ爺さんは溜息をつく。

「つまりお主、知識も何も無く、さらには魔術回路を常に再構成して魔術の鍛錬を行っていたのか?」

「はい」

俺の返答に返って来たのは深い溜息だった。

「しかし、お主の父も何故刻印だけでも渡さなかったのか・・・」

「いえ、多分刻印を渡さなかったのではなく渡せなかったんだと思います」

「渡せなかった?」

「俺は養子なんです」

以前親父から聞いたが魔術刻印は血縁の無い者に明け渡すのは不可能だと言っていた。

だから渡せなかったのだと思う。

「養子か・・・それは悪い事を聞いたな。それでもやるべき事はしておかねばならぬと言うのに、何を考えておる」

親父を侮辱した言葉に頭に血が上る。

「ちょっと待ってください!それは俺に才能が無いだけの事でしょう!俺を未熟と言うのは構いませんけど、親父の事を悪く言うのは止めてください!!」

「それは済まなかったな。だがな一つ訂正をさせてくれ」

「訂正?」

「そうだ。お前には才能が無いと言ったな。だがそれは間違いだ。回路がある時点で士郎お主には魔術師としての才はある。いまだ未熟な才だがな」

「俺に?才能が・・・」

「ああ、あの蔵の中にある外見だけの物、あれは魔力で創った物であろう?」

「えっ?そうです。最も以前気晴らしの投影で作り上げたガラクタですが」

何でそんな事を聞くのだろうと思ったが意外な言葉が返って来た。

「それだ。普通投影で創り上げた物がそんな長い時間姿を留めて置くのは不可能な筈。だがお前はそれを外見だけであるが可能としておる。その時点で既に異常なのだよ」

「・・・」

「鍛えれば中身まで再現できるのか・・・それとも外見だけが限界なのかは不明だが、どちらにしてもお前は強化を重点に置くよりも、今後はむしろ投影の方に重点に置いた方が良いだろう。投影が完成されれば強化も成長するだろうし」

「えっと・・・それはつまり・・・」

「ああ、お前はこれより私の弟子だ」

「あ、ありがとうございます!」

深く礼をする俺に苦笑交じりの声が聞こえる。

「礼は成長してからで良い。それはそうと士郎」

「はい?」

「最初に言っておくが私の鍛錬は厳しいぞ。覚悟は出来ているな?」

「それはもちろん!」

成長出来るならどんなに厳しい修行でも耐えてみせる。

「良く言った!覚悟しておけ・・・志貴以来の面白い弟子を手に入れる事が出来たな・・・さて、こ奴が大化けに化けるか、それとも途中で果てるのか・・・まあ見物させてもらうか」

後半の言葉は良く聞き取れなかったが言葉の意味は後々思い知る事になる。

“『万華鏡』の弟子になった人間は大抵廃人となる”・・・

この評判を聞くのは俺がゼルレッチ爺さんの弟子となってから数年後の事だった。



























二話『基礎を固めよう』

△月□日・・・

『色々と用意するものがある』と言っていた師匠がやってきました。

地獄の修行・・・その第一歩の始まりです。









「士郎邪魔をするぞ」

そういって師匠(そう呼ぶように強制された)がなにやら色々持ってきました。

「師匠?これは・・・」

「ああ、まずお前に関しては初歩の初歩から始めなければならんからな。その為に必要な物を用意してきた」

そう言いながら俺にはどんな用途に使用するのかわからない道具やら怪しいを通り越してかなりやばめの色の液体とか取り出す。

「取り敢えずまずは魔術回路の方から始める」

「魔術回路から?」

「ああ、最初の時言ったがお前は魔術回路を作成済みでありながら鍛錬の度に再構成を行う事を行っている。普通の魔術師から見ればそれは無意味、無駄の何物でもない。だからそれを直す。それとついでにお前の魔術回路を一つ残さず叩き開ける」

「直すと言うと?」

「普通は電源のスイッチの様に自分の意思で解放、閉鎖が出来る。お前の場合はそのスイッチを創る所から始めている。そうしなくても良い様に体で覚え込ませる」

「それと叩き開けると言うのは?」

「お前にある残りの魔術回路だが」

「その意味がわからないんですが」

「お前には二十七の魔術回路があるが現時点で二つしか常時使用状態になっておらん。それも開く」

そう言うと師匠は俺の手首を軽く掴む。

「それで具体的には?」

「簡単な事。最初は私の魔力で強制的に開けてからこの道具で開放状態を強引に持続させる。そうすれば自然に体が覚え込むだろう」

そう言って道具・・・見た目としては耐震用の安全ポールを小指の幅の更に十分の一くらいの大きさにまで縮めたといえば良いかもしれない・・・を取り出す。

「いやそれ死ぬんじゃ」

「大丈夫これで死んだ奴はおらん」

師匠の断言にほっとする。

「まあこれで脳みそが破壊された奴はおるが」

「それ脳死って言います!!現在の医学上死亡と同じです!!!」

「細かい事をいちいち言うな。女々しいぞ。では始める、いきなり壊れても困るからまずは十分毎に一つ開放していく。それまでに体調を整えておけ」

「あの・・・」

「いくぞ。己をしっかりともっておけ」

「だからそうじゃ・・・うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!









そして四時間半後・・・

「士郎よく耐えたな」

驚いた表情で師匠が俺を見る。

「師匠・・・俺も驚いています」

我ながら冷めた口調で反論する。

何と言うか・・・麻酔無しで外科手術?・・・いや生きたまま解体される食用牛の気持ち・・・これを分かる事の出来た非常に有意義な時間だった。

「と言うか・・・なんで首謀者の師匠が驚いているんです?」

「いやなに・・・体が崩壊するかと少し不安になったものでな・・・予想をはるかに超える頑丈な魔術回路だな」

「・・・」

俺はどうしてこんなとんでも爺さんの弟子となってしまったのだろう・・・

少し憂鬱な気持ちになっていると師匠が錠剤状の薬を俺に強引に飲ませる。

「飲んでおけ。少しは体の熱さも取れる筈だ」

確かに少しずつだるさと熱さが取れたような気がする。

「それはそうと士郎」

何だろう?師匠の表情に緊迫したものに変わった。

「はい?」

「一つ聞きたいがお前、養父に魔術回路を少しいじられたか?」

何を言い出すと思えば

「何もされていませんよ」

「では・・・これは一体・・・士郎少し休んでいろ」

「へ?師匠何処に?」

「少し知り合いを連れてくる」

そう言うと師匠は出て行き、それから三十分後金髪の軽そうな雰因気の男を連れてきた。

「えっと・・・師匠・・・この人は?」

「ワイか?ワイの名はコーバック・アルカトラス。取り敢えず死徒二十七祖の二十七位を張るもんや。よろしゅうな」

なんかこってこての関西弁が返って来ました。

「は、はい・・・俺は」

「自己紹介はええで。ゼルレッチから聞いておる。衛宮士郎やったな」

「はい・・・」

その時は頭がぼけーっとしていたので重要性が判らなかったが、裏側の世界で超大物と呼べる二十七祖が二人もここにいる。

「えっと・・・それで師匠・・・アルカトラスさんを連れて来てどうするんですか?」

「少しお前の魔術回路を見てもらおうと思ってな、コーバック早速頼む」

「あいよ。それと士郎坊ワイの事はコーバックでええで」

そういってコーバックさんは俺の身体をぺたぺた触れる。

「・・・」

時間が経つに従い飄々とした顔つきが驚愕に染まる。

(そんなに見込み無いのか?)

まあ覚悟はしていたけど。

とそこに

「おい・・・士郎坊」

「はい?」

「何やこの魔術回路・・・化け物かおんどれ?」

「は?」

いや死徒に化け物呼ばわりされるというのはどうなんだろう・・・

「やはりか」

「ああ、異常や異常。なんやって魔術回路がここまで育っとるんや?」

「私にもわからん。通常ならばどんな事をしても魔術回路は変化しない筈。それを・・・」

「ゼルレッチ、この坊主に関しては何が何でも秘匿せなあかんで」

無論だとばかりに頷く。

「あの・・・それって俺に見込みが無いからですか?」

「違う」

「どアホ、逆や逆」

二人に断言された。

「ええか?良く聞け?士郎。己の魔術回路数はゼルレッチからも聞いたと思うが二十七ある」

「はい」

「しかしや。ワイが少し調べてみたんやが、士郎己の魔術回路の実質は五百四十本ある」

「はい???」

もろに計算が合わない。

「あの・・・二十倍あるんですがそれはまだ魔術回路が」

「いいや違う。士郎お前の魔術回路は二十七だけだ。だがな、お前の場合一本の魔術回路に投入できる魔力量が普通の魔術師の魔術回路二十本分入る」

「へ?そんな事他の」

「あほな事抜かすでない。他の魔術師にゃあ・・・いや、ワイやゼルレッチですら不可能や」

「普通魔術回路の数は生まれてから数は変化しない。ましてや魔術回路の容量が増えて魔力量が増すなどありえぬ」

「だからこそ子孫何代も経て回路の数を増やすんや」

その常識を俺はいともあっさりと覆した化け物と二人に言いたい放題言われているな・・・

「とにかくや。おんどれの魔術回路は絶対にばれんようにしときや。他の魔術師連中にばれたら洒落にならへんで」

「それについては私の方で考えて置く・・・さて、士郎、体は動くか?」

「ええ・・どうにか・・・」

「次に回路の閉鎖の仕方を覚えてもらうぞ。無論体でな」

ものすごく不吉な言葉が最後に出てきました。

「体と言うのは?」

「魔術回路一つ一つに時限爆弾に模した魔力を叩き込む。回路を閉鎖すれば爆発しない。それを制限時間までに回路を閉鎖して爆発を食い止めて見せよ」

「あ、あの・・・師匠?まだ魔術行使には体きついんですけど・・・それに固定の道具は外されないんですか?」

そんな嘆願や質問も

「何を言うておる。固定したまま閉鎖せねば修行の意味もあるまい。では行くぞ、本気でせねば回路が一つ残らず崩壊するぞ。それと魔力を入れられた時は衝撃が来るだろうが、しっかり己を保っておけ」

この爺さん聞く筈もありませんでした。

「あの・・・お願いですから人の話を・・・ぎええええええええええええええええ!!!

結局・・・この日三十回は死に掛けた。

そのうち半分は三途の川越しに親父と会話が出来た。














三話『属性を探し出そう』

×月×日師匠から回路の開放、閉鎖更には肉体の鍛錬の指示を受けてから数ヵ月後・・・

ようやく魔術回路の開放と閉鎖を自由に出来るようになった矢先に師匠から新たな試練が与えられました。










「さて、士郎、魔術回路の方はどうだ?」

「一応快調です。やっと回路も自由に閉鎖開放も出来る様になりました」

師匠の質問に答える。

そうかと頷くと直ぐに本題に入る。

「でだ士郎、今回はお主の投影について話す」

「へっ?投影についてですか?」

「そうだ。取り敢えずお前の投影の特異性については話した通りだが、今日はどの様な属性か調べる」

「属性?」

「ああ、魔術師にはそれぞれ属性がある。大抵は五大元素のどれかだが、ごく稀に五大元素全てを属性として持つ者もいる」

「そんな人がいるんですか?」

「ああ、例えばこの地のセカンドオーナーを継いだ遠坂の当主はお前と同年代であり、その天才児だよ」

その言葉にややへこむ。

「まあ逆に一つの属性に優れている人間もいる。そういった者は大抵その分野における第一人者と呼べる位それを長けている」

慰めるように師匠が言葉を続ける。

「で俺の属性を探り当てると言う事ですか?」

「まあお前の場合確実に五大属性で無いだろうが」

そう言いながら幾つか魔具と思われる代物を机の上に広げる。

「取り敢えず一つずつ投影してみよ。それで確認してみよう」









そして数時間後・・・俺は『絶望』の師匠は『失望』の言葉の意味を思い知っていた。

「・・・こいつは・・・」

「・・・」

差し出された魔具を次々と投影していくがその全ては外見だけの張りぼて。

まあ普通の投影に比べて持ちが長いのが唯一の長所だけの。

「うーむ・・・」

流石の師匠も言葉が出ないようだ。

「やっぱり・・・俺って・・・」

「まあ待て。本当に未熟者かどうかまだわからん。だが一つだけはっきりした」

「?何ですか?」

「お前が一極に・・・投影に極めて長けた魔術師だと言う事がだ」

「一極に?」

「ああそれは間違いない。一般の魔術師であれば数分と持つ筈が無い投影の物質がこの時間になっても消える気配が無いからな。後は・・・お前の属性だ」

「属性?」

「ああ、このままむやみやたらに投影させても仕方ない。後はお前の属性さえわかれば・・・」

「属性ですか・・・」

俺の属性が何なのかわからないと話にならない。

俺達が揃って頭を抱えていると

「ゼルレッチおるか〜」

能天気な声を発してコーバックさんが飛び込んできた。

「何だ?コーバック、こっちは今取り込み中だ」

師匠がうんざりした表情で振り向く。

と、コーバックさんの手には西洋剣をもっている。

それも鞘にも入れず刃がむき出しの。

「??お前どうしたんだこれは?」

「ああ、『悠久迷宮』にあったものを取って来たんや」

「こんなものまであるのか?お主のあの迷宮もいよいよ異界となってきたな」

「ほっとけ。それでどや?判るんか?」

「魔剣の類だがそれ以外は実際に使ってみないと・・・」

そんな師匠の言葉も俺の耳には届いていなかった。

俺の視線はその剣に注がれいていた。

いつの間にか俺はその剣を見ただけで解析していた。

創造の理念の鑑定を、基本となる骨子の想定を、構成された材質を、製作に及ぶ技術を、成長にいたる経験を蓄積された年月すらもこの剣がこの剣としてある為に必要な工程全てを俺は理解し解析した。

「??士郎、どないした?」

「士郎?」

師匠とコーバックさんの声に我に返る。

「へ?」

「“へ?”では在るまい。いきなり目の焦点が合わなかったものだからどうしたものかと思ったぞ」

「そやで。で、どないした?この剣見てぼーっとしおって」

「い、いえ・・・実は・・・その剣解析していたもので

「剣を?」

「解析やと??」

「はい・・・信じられないと思えますが・・・見ただけでその剣を構成する全てを解析出来て・・・」

「・・・」

「・・・」

俺のしどろもどろの言葉に師匠達は絶句して顔を見合わせる。

まあこんな事信じる筈ないだろうなと考えていたら、

「士郎ならこの剣投影できるか?」

「え?え、ええ・・・多分」

「ならやってみい」

その言葉に押される様に俺は投影を開始する。

「投影開始(トーレス・オン)」

再度全身に魔力が駆け巡る。

「があああああ・・・」

創り上げる、俺にしか出来ぬ事を。

創造の理念を鑑定し、
基本となる骨子を想定し、
構成された物質を複製し、
製作に及ぶ技術を模倣し、
成長にいたる経験に共感し、
蓄積された年月を再現し、
あらゆる工程を凌駕し尽くし・・・

ここに幻想を結び剣と成す!!

次の瞬間、俺の手にはそれが握られていた。

コーバックさんの手に握られているものと寸分違わぬ剣が。

「「・・・・・・・」」

師匠達が絶句している。

「真名を開放できるか?」

「え、ええ・・・えっと・・・」

使い方は既にこの剣が教えてくれた。

おもむろに窓を開ける。

目標は二十メートル先の庭に植えられている木の枝。

「・・・吹き荒ぶ暴風の剣(カラドボルグ)!」

俺の詠唱と同時に剣は目標目掛けて伸びていく・・・筈が・・・

「ありゃ・・・」

途中で勢いが無くなり力なく地面に突き刺さった。

おそらく俺自身の技量と魔力が足りなかったのだろう。

「こいつは・・・」

「呆れたのぉ〜」

背後から師匠達の呆れ果てた声がする。

「全くですね。すいませんお見苦しい所を」

取り敢えず投影した剣を消して師匠達に詫びる。

「はあ?何言っておるんや」

「見苦しい?とんでもない」

だけど師匠達から帰ってきたのは予想外の言葉でした。

「あの・・・どういう意味でしょうか?」

「どういう意味も何も」

「お主の出鱈目ぶりに呆れているんだ」

「ふつう考えへんで。投影した贋作が本物と同じ能力を発動できるなんぞ」

「だが、これでようやくはっきりした」

「ああ、そやな、己の属性は『剣』や」

「へ?いや、何で一度見ただけで容易く属性を・・・」

「一度見ただけでもわかるわ。己の剣の投影、今までの投影とはまるで違うやないけ」

「違う?」

「ああ、お主この剣を零まで遡り、そこから最初から創り上げていただろう。普通の投影はものの外観を創り上げるだけで中身は後回し・・・と言うより完全に無視しているだが、剣の時には順序がまるで違っている」

「中から創り上げるたあ出鱈目の極みや極み」

「は、はあ・・・」

「とにかくこれで指針は決まったな」

「はい?あの師匠・・・指針といいますと・・・」

なんとなく嫌な予感しか覚えず恐る恐る尋ねる。

「まずは強化・投影よりも」

「士郎自身を鍛えあげねばなるまい」

この言葉こそが俺の地獄の修行、本当の開幕であった。

「えっとちなみに理由は?」

「理由?知れた事」

「見ただけでも剣を投影出来るんやで。古今東西、ありとあらゆる剣を呼び出す事も、己は可能なんやで士郎。そんならまずは身体を鍛えて様々な剣を使えるようにせえへんと」

「そうすればお前の目標としている『正義の味方』に大きく近づけるではないか」

「まあ・・・論法は正しいですけど・・・それで具体的には・・・」

俺が嫌な予感が更に増大するのを自覚しながら、それでも尋ねずにはいられなかった。

すると、清々しい(俺には禍々しい)笑みを浮かべると

「取り敢えず基礎はできているからなお前は」

「せやから少し応用に発展してみようか」

「お、応用・・・」









そして有無を言わせる事無く連れてこられたのは・・・

「ど、どわあああああああああ!!」

「士郎〜少し遅れ取るで〜」

「もう少し気合を入れて突破せんか」

「無茶苦茶言ってるんじゃねえーーーー!!!この出鱈目師匠ども!!」

俺は正体不明の迷宮(後に聞いた話だと、コーバック師が創り上げ、自分すら迷ったと言う出鱈目迷宮『悠久迷宮』との事らしい)に叩き込まれ、そこで『まずは持久力(体力・魔力共に)をつける為』と称してマラソンをしていた。

『迷われて餓死したらわいらの寝起きが悪い』と言うお慈悲で道順こそはちゃんと提示されているが、何だここは?

一歩歩く毎に爆発する、凍てつく、雷が降り注ぐ・・・エトセトラエトセトラ・・・一般人なら瞬殺可能な罠が至る所に張り巡らされている。

継続的に身体に強化を掛けていなかったら焼死、凍死、感電死、何でもござれだ。

こんな所を走るなど、とんでもない事であるが、更にとんでもない事に

「士郎〜後五分でこのエリア突破出来んかったらここで一生過ごす事になるで〜

「ふざけんなーーーーーー!!!」

走るのも一苦労のここを規定時間以内に突破できなかったらここに封印される。

それを聞いた時俺は

(迷って出られなくのと、意図的に閉じ込められるのとどっちがマシなんだろうか?)

と、本気で考えてしまった。

ともかくも、コーバック師より飛び出した、無情の宣告(にもかかわらず本人は極めて楽しそうだった)に俺は死にもの狂いでトラップが渦巻く回廊を走り抜けた。

「ぜえ・・・ぜえ・・・ぜえ・・・」

「ふむ・・・そこそこのタイムやな」

制限時間五秒前でかろうじて突破した俺は大の字でぶっ倒れ全身に酸素を取り込んでいた。

強化で致命傷こそ免れたが爆発や感電での火傷や凍傷で全身痛くてしょうがない。

「まあ最初にしては上出来かの?」

「そうだな」

「取り敢えず士郎、これから毎日ここでマラソンしてもらうからな覚悟しておけ。それと魔術回路の再構成は全てに毎日少なくとも一回は行うように」

「無論エリアは変えていくで。無駄にでかいからのぉ〜ここは」

(覚悟なんか・・・出来るか・・・ついでに・・・こんな物騒なもん創るんじゃねえ・・・)

俺の声は吸い込んだ酸素と共に肺に消え外に漏れる事は無かったのである。













第四話『更なる固き誓いへ』

*月*日

昨日・・・俺は友を得た。









昨日俺は一人の男と出会った。

師匠の代理として色々持ってきてくれたそいつは、今の俺よりも遥かな高みを悠然と歩き己の道を信じて歩いていた。

そしてあいつは俺の夢を『すごい事』だと言ってくれた。

嬉しかった。

師匠だけでなく俺の夢を応援してくれている奴がいたと言う事が。

そして去り際に言った一言、『応援している』と言う言葉にも・・・

だから俺は・・・









「衛宮・・・おい!衛宮聞いているのか!」

「??へっ?」

「全くへ?では無いだろう!もう直ぐ卒業式だ。さっさと体育館前にに向かうぞ」

辺りを見渡すと確かに誰もいない。

どうやら知らず知らずの内にボケっとしてしまったようだ。

「悪い一成」

「侘びよりも先に行くぞ時間も惜しい」

「ああ」

俺は黒の髪に眼鏡の生徒・・・お山のお寺『柳洞寺』の住職の息子である柳洞一成・・・と早足で体育館に向かう。

「しっかし・・・なんで月曜が終業式なんだろうな?どうせなら土曜にやれば良いものを」

そう・・・今日は終業式、これが終わると長期休暇に入る。

一日登校日と言うか終業式をはさんでの休みではいささか中弛みの感も否めない。

「まあそう言うな衛宮。これもまた精神を鍛える修行よ」

そう言って語尾に喝と付け加える。

とかく一成は語尾に喝と入れたがる。

まあ、一成は筋金入りの堅物ゆえにこの様な台詞も実に良く似合う。

おそらく将来は頭を丸めて僧侶となるのだろう。

「それで衛宮。今日は時間はあるか?実は寺の者達がお前の料理に餓え始めていてな」

「つまりは差し入れ希望か?」

「うむ、父上も零観兄も衛宮の来訪を心待ちにしている」

「ああ、判った。ただ、今日は少し用があるから明日でも良いか?」

「判った。そのように伝えておこう。しかし、用事とは何があった?」

「ああ雷画爺さんの所に呼ばれているんだよ」

「ああ、お前の後見人の」

「ああ、進級の祝いにかこつけたドンちゃん騒ぎと少し見て欲しい物があるからって」

藤村雷画、親父が亡くなった後俺の後見人をしている、ここら一帯では一番の大地主である爺さんだ。

親父曰く『極道の親分みたいな爺』との事だが、これは勿論間違いだ。

『極道みたい』ではなく、正真正銘『極道の親分』である。

まあ極道とは言え、今世間を騒がしている指定暴力団の様に、一般市民を巻き添えにしたり組同士の抗争も起こさないし、やっている事はと言えば冬木一帯を管理する所だ。

だけど、時折黒塗りの車が来ては、何処からどう見てもやばげな連中がここに来ては、雷画爺さんにぺこぺこ頭を下げているのを俺は何度も目撃している。

そして・・・良い事なのか悪い事なのかは、極めて微妙だが、雷画爺さんはどうも俺を、いたく気に入っている。

以前冗談かどうかわからないが『お前が不肖の孫を娶って、組を継いでくれれば俺も何の心配なく隠居できるんだがな』等と言っていた。

無論俺としては丁重にお断りした。

藤ねえの事は嫌いではないが、この先一生、飢えたる虎の世話をし続けろと言われると、どうしても足踏みしてしまう。

ちなみに、俺が一成と知り合うようになったのは藤村組経由である。

と言うのも雷画爺さんと一成の親父さんは刎頚の仲だそうで、更に藤ねえと先程話に出た一成の兄である零観さんとは同級生でまさしく切っても切れない仲と言っても差し支えなかった。

後、雷画爺さんが見て貰いたい物とは多分、趣味で集めた秘蔵の単車の数々だろう。

手先が器用(と言っても中を解析しそこから開始するので器用なのも当然だが)なので、単車の整備を時折手伝って、その度に俺としてはおいしい小遣いを貰っている。

最も今回のドンちゃん騒ぎも藤ねえの魂胆だろうが。

「そうか、そう言えば高校はどうするのだ?俺達も春からは中学二年、考える時だと思うが」

「ああ、俺は地元の穂群原にする気だけど」

「そうか、俺もそこにするつもりだ。合格したらその時はよろしく頼むぞ衛宮」

「おいおい、気が早すぎだろ」

思わず苦笑する。

「おっと話が弾んだなそれよりも急ぐぞ。時間が無い」

「そうだな走るか」

「待て待て、廊下を走るのは校則違反だ。速く歩くぞ」

何処までも堅物な一成の言葉に俺も苦笑して

「了解、早歩きでな」

同じ歩調で付き合う事にした。









そして終業式も終わり、何時もの様に備品を直しも終わったが、それでも少し時間が空いた。

藤村組に向かうのは夜の七時で、今は午後の四時。

家に戻るのも良いが、それよりも・・・

「そうだな・・・誓うか・・・ここで」

俺は決意を固め、陸上部の部室に足を向けた。

「ようどうした衛宮?もうお前に直してもらうものは無いぞ・・・って走り高跳びの機材を貸してくれ?・・・ああ良いぜ。お前にはいつも世話になっているからな・・・え?鍵も貸してくれ?全部片付けるから?・・・判った、じゃあこれ鍵な。ちゃんと片付けて置いてくれよ」

幸い俺のクラスの奴がいたおかげで、さして苦も無く借りる事が出来た。

そしてそれを校庭の片隅に設置し、バーの高さを俺が今飛べる限界よりもさらに高くセットする。

すべての準備を整えると俺は制服の上着を脱いでから、おもむろに距離をつけて助走をはじめる。

そして大地を蹴り跳躍する。

だが、当然ながら跳べる筈もなくバーは身体に直撃しマットの上に転がり落ちる。

それを設置しなおし、俺は再び跳躍する。

五回・・・十回・・・二十回、四十回・・・

何度も何度も挑み、その度にバーは倒れる。

最初は下校途中の奴らに『何やってるんだ?』、『馬鹿じゃねーの??』、『やめちまえ』だのと嘲笑や罵声が掛けられる。

俺はそれを全て無視してただ挑み続ける。

やがて、冷やかすのも飽きたのだろう。辺りから少しずつ人の気配が消える。

そうしていると辺りに人の気配はすっかりなくなった。

いや、無くなったと思ったのだが、正確には二つ気配がまだ残っていた・・・

こちらを見ているのか動く気配はない。

見世物でもないが、見ているものを止める権利も俺には無い。

その視線を黙殺してただひたすらに挑み続ける。

挑み続けていれば必ず叶う筈だと己に言い聞かせて。

友との誓いを破らぬようにと・・・

あの日の夢を投げ出さぬようにと・・・

俺の弱い決意を強く・・・もっと強く強固な誓いとする為にただひたすらに跳ぶ。

既に挑む事二百?いやもしかしたら三百は届いていたかも知れない。

だが、次を行おうとした時、

「おい!そこで何をしている!!学校を閉めるぞ!!」

不意に先生に呼ばれ我に返る。

既に辺りには人影は俺とその先生だけだった。

おそらく宿直なのだろう。

「すいません直ぐ片付けます!」

俺は慌てて用具を片付け、倉庫に鍵を閉めてから鍵を返し、上着を着てから大慌てで学校を後にしたのだった。

走って自宅に帰った時には、既に六時半を回っていた。

「やべっ!!」

藤村組はここから走って十分だが、着替えとかしなければならないので、そうも悠長には出来ない。

土埃で汚れた制服をとりあえず自室に放り込み、軽く身体をタオルで拭いてから服を着替え直して、俺は大急ぎで藤村組に駆け出した。

無論戸締りはしっかり行って。

「あっ士郎さん、お疲れ様です」

藤村の家に着くと直ぐに若衆の人が出迎えに上がる。

「すいません遅れて。えっと藤ねえは?」

「士郎さんがあまりにも遅いので、直ぐにでも暴れそうです」

そこに奥から悲鳴と咆哮が聞こえてきた。

「大変だ!!お嬢が暴れだした!!」

「ひぃ!!虎竹刀持ってるぞ!!」

どうやらのっぴきならない事態のようだ。

「うわああ!!遅かったか!直ぐに止めますので」

「お願いしやす!!お嬢を止められるのは大親父か士郎さんだけなので」









結果はと言えば・・・ぼろぼろとなりながらも、どうにか俺は暴れる虎を捕獲する事に成功した。

「しーろーうー。この扱いあんまりじゃないの〜この前に続いて〜」

「うるさい少し反省してろ藤ねえ」

とりあえず藤ねえは客間に隣接して作られた座敷牢に幽閉の形を取っている。

さすがは雷画爺さん・・・と言うか藤村組。

藤ねえの捕縛施設も家とは段違いだ。

まさか藤ねえ反省用の座敷牢まで用意しているとは・・・

「全くだ、士郎坊すまんな。うちの不肖の孫が迷惑を掛けた」

そう言って頭を下げる雷画爺さん。

「いや、雷画爺さんが頭下げる事はないよ。藤ねえが大騒ぎするのは今に始まった事じゃないから」

「今に始まった事じゃないってどう言う事よーーーー!!」

後ろで虎が吼えてるが気にしない。

「まあそう言ってくれるのが幸いだけどな」

そう言って雷画爺さんは苦笑した。

「それと士郎坊この侘びと言ったら何だが、今日は家に泊まっていけ。明日から休みだろう?部屋も用意している。単車の整備も明日で良いから」

「謹んでお世話になります」









そうして始まった俺の進級祝い(にかこつけた)のドンちゃん騒ぎも終わって、(その時、俺は初めて志望している高校に藤ねえが勤めている事を知った。それを聞いた時、俺は入学する前に藤ねえがどうか転勤してくれる事を切に願ったのだが、儚い願いだったのは書くまでも無い)俺は客間と推測される和室でゆっくり寛ぎ、翌日には雷画爺さんご自慢の単車の数々を全て整備しその結果俺は目玉が飛び出るほどの小遣いをもらったのだった。











(注・・・ここから先は士郎の筆跡ではない。日記帳の余白に書かれていたものである)

「・・・何やっているの?あの男」

それを見た私は最初何をやっているのかわからなかった。

いや、している事はわかる、走り高跳びの練習をしているのは一目見てわかる。

わからないのはその高さだ。

何処からどう見てもその高さは高過ぎる。

その赤毛の青年の身体能力は決して低くはない。

だが、高く設定し過ぎだ。どう考えたって跳べる筈はない。

「走り高跳び・・・ですよね?」

私の呟きが聞こえたのか隣にいた妹が恐る恐る口にする。

「そうね。それはわかっているわ。でもあの男馬鹿ね。間違いなく」

私は断言する。

己の力量も身の程も弁えぬ馬鹿。

それが私の下した結論だった。

「そうですよね。あんなの跳べる筈ないですよ。あの人の飛べるラインを大きく超えちゃってもすし・・・さっさと諦めちゃえば良いのに・・・」

妹がそんな事を口にする。

口には出さないが私も同じ考えだった。

「それよりも急ぐわよ。あんな暇人の暇つぶしを見ているほど暇じゃないでしょ。私達」

「はい」

そう、今日はここの学校に少し用事があって来たのだ。

あんなくだらない見世物を見ているほど時間を持て余していないのだ。

まあ関係ない妹がついて来ているのは、終わった後買い物に出る為だけど。









それから一時間後、夕暮れから夜に変ろうとしている時間帯。

私の用事も終わり、さあ買い物に行こうとした時、ふと私は校庭に視線を向けた。

何をやっているのだろうかと内心苦笑する。

もうあの馬鹿も諦めてその視界に入るのは無人の校庭だけだと思っていたのに・・・

「え・・・」

「嘘・・・」

私も妹も呆然とした。

まだいた。

同じ場所で同じ高さで、延々と跳んではバーを倒し、それを直し再び挑む。

どうして?

私の頭の中にはそれしか思い浮かばなかった。

飛べる筈がない。

そんなむきになって、挑まなくても既に判っている筈。

なのに・・・

私はあの馬鹿から目を離せなくなった。

そんなに跳躍力も上がっている訳ではない。

無駄な事を繰り返している筈。

それなのに・・・眼が離せなかった。

決して諦めないその姿勢が、とても眩しく尊いものに思えた。

感傷かもしれない。

それでも私はそう思った。

「・・・頑張れ・・・」

不意に隣からそんな声がした。

言った本人も驚いた様に口元に手を押さえている。

私も妹も動けなかった。

もしかしたら飛べるかもしれない、ありえないことを考えてしまったから・・・

だが、そんな試みも唐突に終わった。

「おい!何をしている!!学校を閉めるぞ!!」

この学校の教師なのだろう、彼に大声で注意を促している。

その声に私達もはっとした。

「か、帰るわよ」

「はい、姉さん」

そう言い私達はそそくさとその場を後にした。

何かしでかした訳ではないのだが、どこか後ろめたいものを何故か感じたからだ。

ここであの男とは縁は切れるはずだと思ったのだが・・・それが間違いだったと知るのは数年後の事だった。

(下に何かを消しゴムで消した形跡が残っている)






















第五話『体を鍛え上げようその一』

〜月〜日

師匠達の言葉から数日後再び師匠達がやってきました。

それも過去類を見ない無理難題を持ち込んで・・・









「士郎」

「じゃまするで〜」

師匠とコーバック師(何時の間にやら師匠となっていた)がやって来た。

「師匠、それにコーバック師お疲れ様です。それで今日の修行内容は・・・」

「その前にや、まずは士郎魔術回路確認するで」

そう言って人の身体をぺたぺた触る。

「ふむふむ・・・おい何や・・・これ」

「どうだ?コーバック」

「魔力量増加しとる。ゼルレッチそろそろ魔力隠さんと洒落にならん」

「そうか・・・順序は違うがそろそろ頃合か・・・」

俺は師匠の下に弟子入りしてから加速度的に(もしかしたら魔術の事とかよりもすごい勢いで)成長した危険予知に促されるがままに恐る恐る尋ねる。

「えっと・・・師匠頃合と言いますと・・」

「ああ、お前の魔力の大半を回路ごと封印する」

「回路ごとですか?」

「そうや。それに合わせて毎日やっておった魔術回路再構成も三日に一回に回数落とす事。それもええな?」

「良いんですか?以前師匠達毎日の再構成は少なくても数年は日課にしろと・・・」

半年前に出された指示を思い出し質問を返す。

「状況が変わった。お前の魔術回路の成長・・・と言うよりもこれは掘り下げと呼んだ方が良いかも知れんが」

「その速度がわいらの予測以上やったんや。これ以上はわいらでも未知の領域や。せやから今まで以上に慎重に行っていくさかい再構成の速度を落とす」

「は、はあ・・・」

「全く、一体どういう生物や?己は」

すごく理不尽な事を言われているよな・・・俺。

「雑談はそこまで。では士郎お前の魔術回路二十七の内二十五を封印する」

「えっと師匠その封印って最初の時みたいな衝撃は?」

魔術回路強制開放、更には開放閉鎖訓練時に味わった地獄を思い浮かべる。

「そうじゃな。封印するだけでなく色々調整もするから・・・あの時以上と見て良いだろう」

あっさりとこの爺・・・人に対して死刑宣告を突きつけて来ましたよ。

「あの・・・それってもう少し穏やかには・・・」

「出来る筈がなかろう。何を言っておる?では始める」

「あの・・・お願いですから是非とも人の話を・・・あんぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!

人ならぬ咆哮が響き渡った。









人間・・・慣れとは恐ろしい。

あれほどの衝撃を受けて意識を保っているとは・・・

「師匠、これで封じたんですか?」

体調等は特に異常を感じないが・・・

「ああこれで良い。暫くは二つの魔術回路で修行を継続するように」

「己が使えるのは強化と投影だけやから問題は特にあれへんやろ。せやけど再構成はさっき言った様に三日に一回にしとけや」

「・・・わかりました・・・」

「さて・・・では次が本命だが」

「本命といいますと?」

この時点で俺はある意味あきらめの境地に立っていた。

「無論お主の体を鍛え上げる。まあ基礎的な鍛錬は欠かさず行っているからな、その手間は省ける」

「いわば応用のようなものや」

「応用ですか・・・」

無性に嫌な予感がする。

と言うか嫌な予感しかしない。

「まあ鍛えるのなら」

「実戦が一番ええやろ、それに運が良ければ、名の知れ渡る武器も投影出来る様にもなれる一石二鳥や」

「いや、コーバック師、あくまでも良ければですよね?」

「まあせやの」

「そんな細かい事を言うな女々しいぞ。様はこいつを使い、お前を平行世界に飛ばす。そこで修行をせよ」

そう言って差し出したのは七色に光る短剣。

「・・・」

一瞬で魅入られた。

それと同時に呑み込まれかけた。

「!!や、やばい!!士郎気ぃしっかり持ちんかい!!」

派手な音と共に脳天をぶん殴られた。

「!!!ぐおおおおおお・・・」

おいこら・・・似非関西弁死徒・・・何でぶん殴りやがった・・・星が見えたぞ、スターが!!

川原が見えたぞ!!!いやマジで。

「やばいとこやったな・・・ゼルレッチ!おんどれも不注意が過ぎるわ!!士郎の解析が普通でない事は当に知れておろう!!」

「すまん、コーバック。少々油断しておった」

「まあ・・・わいとて、ここまで反応するとは思わへんかったが」

珍しい事にコーバック師が師匠に怒鳴りつけている。

「えっと・・・師匠・・・俺どうしたんですか?」

脳天の傷みにこらえて尋ねてみる。

「ああ、宝石剣の解析を自然に行ったようだ」

「宝石剣?」

「そうや。ゼルレッチの愛剣、かつてこの星に落ちそうになった月を叩き返したバケモンや」

「お前の場合零から解析するからな。その影響がもろに出た様だな」

「・・・」

もはや何も言うまい。

常識とかを論じた所でここでは通用する筈がない。

「で、・・・それを使って平行世界に島流しするんですか?」

「口が悪いのぉ〜」

「まあ似たようなものだ」

「いや・・・似たようなものって・・・できれば否定して下さい」

「これで色々な戦場にお前を送り込む」

「戦場ですか?」

「ああ、取り敢えず手始めに・・・」

取り出したのは・・・歴史の教科書??

嫌な予感が更に膨大する。

「ここはどうや?」

「いや、ここはまだ早い。精神的にな・・・ここに送るか」

「せやな。ここにしとこか」

「と言うわけで決まったぞ士郎」

その言葉と同時に俺の背後で空間が歪んだ。

「えっ?し、師匠!!俺を何処に飛ばす気ですか??」

「はははっまあ楽しみにしておけ」

「まあこっちで一時間たったら向かえに行くからそれまで気を張ってけや〜」

「ぎええええええ!!何処に送るか説明してからにしろやーーーーー!!!この外道共ーーーー!!!!」









そんでもって気づいてみれば・・・

そこはなんか細々とした路地裏だった。

地面はアスファルトでなく固く踏み固められた土、そして両脇をコンクリートのブロックでなく木の柵で固めている。

しかも電灯、電柱の類は一切見当たらない。

「何だ?ここ・・・日本の様だけど・・・」

そう呟きながら路地裏を出ようとすると。

「御用改めである!!」

そんな大声が大通りから聞こえてきた。

「御用改め??」

嫌な予感がする。

ふと除いてみると、行灯や蝋燭の明かりに照らされた木造の建物から予想通りの方々が出てきた。

色とりどりの着物に袴を着たちょんまげ姿の男達が日本刀片手に飛び出し、その後を追って今度は見覚えのある半纏を着た男達が飛び出してくる。

おそらくあれは・・・幕府方の京都治安維持部隊『新撰組』・・・

「間違いない・・・ここって・・・幕末の京都」

いきなりなんちゅう所に落とすんだ・・・

頭を抱えたかったがそれ所ではなかった。

俺を見つけたのか追われている方(維新志士達なのだろう)が俺に斬りかかって来た。

数にして三人。

「怪しき出で立ち!!覚悟!!」

「ま、マジでか!!投影開始(トーレス・オン)!!」

とっさに眼についた刀を投影し浪人たちに応戦する。

いい刀を投影したのか、鍔迫り合いにも決して負けていないし、使い手が良いのか体が歴戦のつわものの様に動く。

「くそっ!!」

足で鍔迫り合いしていた浪人を蹴り飛ばし距離を置き背後から斬りつけようとした浪人を袈裟切りにする。

無論峰打ち、血は一滴も出ていないし命に別状も無い。

ただ頚動脈を痛烈に打ったので昏倒したが。

同じ要領で二人目を胴打ちで打ち倒す。

気絶はしていないが強烈な一撃に蹲り胃の内容物を嘔吐して悶絶している。

最後にもう一度切りかかってきた三人目の手首を打ち、刀を落として柄で鳩尾を突く。

痙攣しながら地面に倒れ付す。

「ふう・・・」

ここで辺りを見れば、新撰組の一人が浪人に囲まれている。

俺は何の迷い無く助けに向かった。

「覚悟!!」

「くっ!!」

「させるか!!」

一人と鍔迫り合いをしている所にもう一人が斬りかかろうとする所を俺の刀が受け止める。

「!!何奴!!」

その詰問を無視して相手の刀を脇に逸らしてから先程と同じ要領でがら空きとなった脇腹を一閃する。

「がはっ!!」

一声うめき声を上げて地面に伏せる浪人を油断無くみてから背後を見るとその隊員は浪人を切り伏せていた。

無論だが、その刀からは鮮血が滴り落ち、浪人も既に絶命している。

「・・・」

これがこの時代、この場所の掟なのだ。

殺さねば殺される。

頭でわかっていても俺は許容する事がどうしても出来なかった。

「そなた・・・何者か?」

と、俺が助けた新撰組の隊員が怪訝そうな表情で俺を見ている。

当然だろう。

この出で立ちにこの髪では。

「えっと・・・失礼しました!!」

下手なごたごたは御免だったので身を翻し走り去る。

無論足に強化を掛けて。

「あっ!!ま、待て!!」

後ろから呼びかける声がするが無視して疾走する。

追いかけてくる気配はあったが、めちゃくちゃに路地を駆け抜けている内に気配も途絶え、ようやく一息ついた。

「ふう・・・どうにか撒いたかな?」

しかし・・・どうにかせねば・・・俺のこの姿ではめちゃくちゃ怪しい奴だ。

下手すれば問答無用で切り捨てられる。

どうにか良い手を考えないとな・・・









だが、俺の思案など無駄な努力だった。

夜が明けると俺はあっと言う間に新撰組に捕まった。

この服装に髪じゃ当然だ。

ただ、何故か俺は縄で縛られずに、詰め所に連れて行かれた。

そこには明らかに風格の桁が違う武士が数人俺を待っていた。

その中には昨夜俺が助太刀した人もいる。

「沖田君、彼か?」

「はい間違いありません。夜でよく見えませんでしたが、服装やなによりあの赤毛を見間違える筈がありません」

ま、まさか・・・彼があの新撰組一番隊隊長沖田総司・・・

「さて・・・見ない顔だが、京に来るのは初めてか?」

「は、はい・・・」

「そうか・・・なら知らぬのも無理は無いだろうが、今の京は危険極まりないぞ」

そりゃそうだろうな・・・今幕府方と反幕府との最前線のような場所だからな、ここは。

「何しろ朝廷は完全に異人の排斥を打ち出しているからな。既にここ一月で京だけでも百人近くの異人が斬り殺された」

??なんか変だな?

俺の知る幕末とは少し毛色が違う。

「あの・・・本当につかぬ事を聞きますが、何故朝廷はそこまで強気に?それに更に言えば異人がどうしてこんな大量に?後、何で京都がそんなに危険極まりない場所に?」

「そんな事も知らぬのか?異人開放政策を打ち出した幕府と完全鎖国を目指す朝廷との対立が続いて百年余りとなると言うのに」

へ?何だそれ?

「そう、朝廷の都だったのも今は昔。この京都は幕府と朝廷の最前線なのだぞ」

「へ?」

おい、どういうことだ?

大きく違うぞ事態が。

ふと見渡して改めて気付いたが、新撰組の隊士の面々には明らかに外人と思われる人物もいる。

「あの・・・すいません・・・実は俺・・・」

そう前置きして中国から来た者なのだと敢えて嘘を言った。

「そうか、ならば知らなくても当然だろうな」

「それでどうしてそんな事態に?」

そう尋ねる俺に彼らは親切にも教えてくれた。

その話を総合するとこの平行世界の歴史のターニングポイントは関ヶ原の戦いだった様だ。

俺の知る歴史と同じ様に、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が関ヶ原で戦ったのだが、その経緯はまるで違った。

俺の世界では西軍に裏切りが相次ぎ一日経たずして東軍の勝利に終わったのだが、この歴史では裏切りは起こらず、膠着状態が続き、一週間後には家康の息子秀忠が率いる別働隊が東軍に加わり、一時東軍有利となったのだが更にその別働隊を追う様に西軍に味方していた上杉軍が駆けつけ乱戦が起こり、結局両軍痛み分けの形で軍を退いた。

その後、家康は朝廷を半ば無視する形で征夷大将軍の就き、江戸幕府を開く。

それに対抗するように三成を始めとする豊臣家は朝廷に帰順の意思を示し日本は長野の諏訪湖を境として東西二つに分断となった訳である。

以後百年近くは睨み合うだけの冷戦状態が続いていた様だが、百年後それまで朝廷側であった越後の上杉家が幕府への帰順を宣言。

それをきっかけとして八代将軍吉宗が率いる幕府軍は朝廷軍を僭称する豊臣家の攻撃を開始し、その結果一気に京都を奪還(幕府側の視線)、更には反乱軍に囚われた皇族も救出(これも幕府側の視線)も試みたのだが、これは豊臣家によって阻まれた。

豊臣家は皇族を連れて九州大宰府に新たな朝廷を開き幕府側と対決姿勢を改めて示し、長い内戦が繰り広げていた。

その後、幕府側が国力の増大を目論み海外との貿易を盛んに行ったのに対して朝廷側はそれに真っ向から対立。

海難事故で漂着した英国人などを異人との言う理由で次々と処刑していったらしい。

その理由からか西洋文明も大量に流入し、日本は分断されての内戦状態でありながら欧州の列強とは対等に渡り合える立場に成長していた。

まあそれも朝廷側が列強にそこまでかたくなな態度を示していた為に列強が幕府側に肩入れしていた為でもあるが。

つまり今の時代の京都は幕末の混乱期と言うよりは内戦の混乱下にあると言う事か・・・

「今のところは幕府側も押しているが、朝廷側もかなり粘っていてな。もう一押しで完全に京都も奪還できるのだが」

「まあそれはそれとしてだ・・・お前行く当てはあるのか?」

と、今まで黙っていた隊士の一人が俺に尋ねる。

あ〜そうだった。

当然ながら俺に行く当てなどある筈が無い。

と、俺が答えあぐねていると

「お主さえ良ければここにいても構わんぞ」

「えっ?それはありがたいですが・・・良いのですか?」

「何構わんよ。今までも何人も保護してきたのだ。一人増えても大差無い。それに、沖田君も一目置くほどの剣の使い手だ。稽古などをこちらが頼みたい位だ」

「いや待って下さい。俺には剣術とかはまるで駄目ですよ。そんなものは教わっていないですし。実戦でそこそこ鍛え上げただけです」

「それならば尚更問題ない。いまだ道場剣術の隊士もここには多い。君の様な実戦慣れした者が是非とも欲しいと思っていた頃だしな」

困った。

俺が沖田総司に比肩する剣の使い手だったのは、一重に投影した刀のおかげに過ぎない。

本物の俺の実力は剣道の基礎は齧ったものの、目の前にいる内戦の混沌を生き抜いている猛者には遠く及ばない。

後は先程言ったように『悠久迷宮』突破時に鍛え上げた位だ。

(いや待てよ・・・)

ふと逆に考える。

ここにいればその猛者達から剣を教えてもらう事も出来るのではないか?

そうなれば師匠達の目論見通り、俺自身の実力も上げる事も出来る。

それに行くあても無いのも事実、それならば・・・

思案した末、俺は近藤勇を始めとする新撰組の面々に頭を下げた。

「・・・ご迷惑で無いようでしたらお世話になります」

こうして俺は新撰組の保護下で歴史の違う京都の生活を始める事となったのだった。

第六話『身体を鍛えあげようその二・・・殺す覚悟』









「はあああ!!」

「せいや!!」

道場において裂帛の気合が木霊し、木刀同士がぶつかり乾いた音が響く。

やがて木が肉体を打つ音と共に終わりを告げる。

「参りました」

俺は構えを解いて相手に一礼する。

「・・・更に腕を上げたか衛(ウェイ)」

そう淡々と言って俺に背を向ける仏頂面の若い男。

新撰組三番隊隊長、斉藤一はその一言だけ言うとさっさとその場を後にした。

俺がこの世界に来て既に一月が経過した。

俺は今も新撰組に厄介になっている。

一応大陸(中国)から来た事にしているので『衛(ウェイ)』と名乗っている。

厄介になり通しでは申し訳ないので炊事や洗濯、掃除など手伝える事は率先して行うようにしている。

今の俺の身分は新撰組の見習い隊士に落ち着いている。

また時間を見ては他の隊員、運が良ければ隊長クラスの人に稽古をつけてもらっている。

そのおかげか俺の腕前もましにはなった・・・と思う。

「衛さん更に腕も上げましたね」

一息つく俺に沖田さんがやってくる。

「そうなんですか?俺には良くわかりませんが」

「それは私も太鼓判を押します」

「名高い沖田さんにそう言われれば安心できます。斉藤さんには他愛ないと思われているかも知れませんが」

「ははっ煽て過ぎですよ衛さん、それに斉藤さんも態度はああですが、衛さんの事を気に掛けているのも事実ですよ」

「ええ、それはわかっているんです・・・」

俺は苦笑しながら言った。









これには訳がある。

俺がここに厄介になってから暫らく経った時の事だ。

新撰組は毎晩、各隊で京都の各地区の夜警を行っているが見習い隊士である俺は不定期に各隊に混ざり夜警を行っていた。

この夜は斉藤さん率いる三番隊に付き従っていた。

暫く隊の殿でついて歩いていると背後から複数の敵意に満ちた気配を感じた。

さらにそこへ、前方からは

「外敵に魂を売った幕府の犬共め!!」

そんな声と共に複数の侍が現れた。

後ろを見れば何時の間にか取り囲まれている。

おそらく先程の気配はこれだったのか?

包囲された状況であったが、斉藤さんを始めとした三番隊の面々は慌てふためく事もなく

「朝廷側の志士か・・・総員二人一組で敵に当たれ」

声もなく頷く三番隊。

「衛、お前は俺について来い」

「はい」

「かかれ!犬共に天誅を!」

俺の語尾に重なるように双方共に一斉に抜刀する。

「おおおお!!」

「でりゃあああ!!」

たちまち刀同士がぶつかりあう、戦闘が始まる。

俺も斉藤さんの背中を守るように敵と相対する。

「神国を穢す異人め覚悟!!」

その一撃を受け止めるのではなく受け流し、がら空きの腹部に峰打ちを叩き込む。

「げはっ!!」

口元から空気を吐き出し、悶絶する。

更に顎目掛けて膝蹴りを叩き込む。

口の中かそれとも舌を切ったのか、血と折れた歯を撒き散らしながらもんどりうって倒れる。

相手が激痛で動けなるのを見計らって右側面から現れた新手と相対しようとしたが、それを一閃の内に他の三番隊員が斬り捨てる。

見れば、戦闘は未だ続いているが、やはり新撰組の中でも屈指の猛者が揃っている三番隊の個々人の力量と朝廷側の志士とでは差がありすぎた。

次々と敵を切り伏せて屠って行く。

「・・・っ!!ひけっ!ひけっ!!」

司令官と思われる男の叫び声と共に志士達は夜の闇に消えていった。

「隊長追いますか?」

三番隊の隊員の一人が問い掛ける。

「必要ない」

それに対しての斉藤さんの返事はただ一言だった。

「夜警を続ける、詰め所に報告を、それとこいつも連れて行け」

「はっ」

俺が戦闘不能にした男は既に縛られて連行されていく。

「・・・衛、今回も殺さなかったな」

「え?ええ・・・」

そう、この新撰組に世話になってから俺はまだ一度も相手を斬り殺していない。

頭ではわかっているのだ。ここでは殺すか殺されるか二つに一つしかない事くらいは。

だが、いざ直面すれば、どうしても殺す事に躊躇いを覚えてしまう。

殺さずに済む方法があるのではないかと。

だから最終的には殺す事無く敵を生け捕り、もしくはみすみす逃がす場面に多々出くわしている。

その件については各隊長や隊員、特に俺の事を快く思っていない隊員達からは批難の的となっている。

内容は軽く窘められるから口を極めて叱責されたりと様々だが、五番隊隊長武田観柳斎さんからは侮蔑と皮肉の混じった声で罵倒されている。

噂では俺が朝廷側の間者に違いないと言いふらし、一部の隊員はそれを信じつつあるという。

「お前の戦闘能力は今や卓越したものにまで上り詰めた。見習いの立場でありながら短期間でここまでの技量を身につけた。それゆえ武田などはお前を危険視しているのだろう」

「・・・斉藤さんも俺が間者だと?」

「お前の性根は間者に相応しくない。だが、お前が手心を加えているとしか思えぬ所業には俺も憤りを感じている」

「・・・」

実際、俺が斬り殺さなかった所為で後ろから襲われた事もある。

幸か不幸かすぐさま気付いた他の隊員の手で事なきを得たが、その様な幸運、何度も起こらないだろう。

「衛、お前はもう少し、腹をくくる事だ」

「・・・何を」

「自分で考えろ」

突き放すようにそう言った後、斉藤さんは一言も口を開かなかった。









「私も・・・と言うよりはおそらく隊の全員、衛さんのやり方には不満を持っています」

沖田さんですら穏やかな口調であるが俺の姿勢を暗に批判している。

「でも殺さずに済むのならそれで」

「ええ、それで済めば良いです。でもそれをしてはならない時も必ず出てきます。その時にはどうするのですか?衛さん」

「・・・」

「斉藤さんや私もそれを心配しているんです。殺すしかない状況に追い詰められた時、一瞬の躊躇いによってあなた自身が命を落とすのではと・・・」

そこに

「おう!沖田そこにいたか!おう衛も!丁度良い!!」

十番隊隊長を務める原田左之助さんが威勢の良い声で飛び込んでくる。

豪放無頼を人格としたような人で、良くも悪くも裏表は無い。

新撰組隊長の中で唯一槍術を使う原田さんの十番隊は、先陣を切る事が多い。

「原田さん?どうされましたか?」

「ああ、局長が全隊員に召集をかけた。直ぐに行くぞ」

「えっと・・・俺もですか?」

「当然だろう。どっかの馬鹿が根も葉もねえ噂流しているが、おめえはうちの隊士だろう」

どうやら原田さんは噂を欠片も信じていないらしい。

それはありがたかった。

「ちいとばかり覚悟に欠ける所があるが、骨のある奴だからな。俺と真っ向からやりあえる奴なんて早々いねえからな」

そう言って豪快に笑った。









詰所の中庭には既に全隊士が揃っている。

俺は目立たないよう、一番隅の所に隠れるように立つ。

「揃ったか」

近藤さんが副長である土方さんに確認を取る。

「衛は?見当たらぬが」

「いえ、あそこに」

「うむ、全員揃ったか・・・今日、急遽集まってもらったのは他でもない。本日、我々にとって看過出来ぬ事が発覚した」

そう前置きして衝撃的な事実を告げる。

「朝廷側がこの京の都を大々的に焼き払う計画を実行に移そうとしている事が判った」

一斉にざわめき出す。

かく言う俺も内心では充分に混乱していた。

「静粛に!!」

そこに土方さんの一喝が響く。

静まりかえった所に再び近藤さんの声が響く。

「この計画は以前より噂として囁かれていたものだったが、これが実際に計画されている事が発覚したのは先日の事だ。お前達は先日朝廷側の志士が一人こちら側に亡命してきた事は知っていよう」

「坂本龍馬殿ですな」

俺も最初聞いた時は驚いた。

「うむ、彼が亡命して来た際、朝廷側の重要書類を数多く持参してきた。その中に京の都焼き討ちに関する計画書が含まれていたのだ。更に先日、衛が生け捕りとした志士も同じ事を吐き、また朝廷側に潜り込ませた間者よりも同様の件が伝わった。これにより朝廷側の京の都焼き討ちが計画、実行に移されようとしていると断定された」

「しかしよ局長。そんな事をして連中に何の得があるって言うんだ?」

原田さんの疑問に近藤さんが淀みなく答える。

「幕府の治安維持能力に疑問符を付けさせ人心を不安にさせるのが最大の目的だろう。また、坂本殿の話ではこれは朝廷側の最強硬派の画策らしい、『異人共が跋扈する京は既に穢れた。よって京を浄化の炎で清め、その後正しく美しき京を作り直す』と公言しているらしい」

「・・・」

場に沈黙が支配する。

だが、それは怒りの沈黙だ。

俺も怒りを抱いている。

そんなくだらない理由でこの都を焼き払うと言うのか?

どれだけの人が死ぬと思っている?

どれだけの人が家を失うと思っている?

路頭に迷うと思っている?

「全員思いは同じ様だな。そう、そのような蛮行、京の治安を守る以前に人として、侍として断固阻止せねばならぬ!」

力強い言葉に全員の意思が一つとなった。

「一人たりとも民に死者は出さず、一戸たりとも焼失させる事もなく朝廷側の蛮行を阻止する!!」

『おお!』

全員が一斉に頷く。

「今日は全員英気を養え!今夜朝廷側に奇襲をかけ、出鼻をくじく!!」









そして夜。

新撰組は時間を割って隊毎に、夜陰に乗じる用に詰所を出る。

詰所には今回の戦闘に耐えられぬであろう新入りの隊士のみが残っている。

俺は三番隊と行動を共にして所定の場所に到着した。

「・・・斉藤さん、あれは・・・」

「判らぬか?あれは旅籠『池田屋』だ」

「いや、池田屋というのはわかるのですが・・・なんですこの大きさ・・・」

そう言いたくなるのも無理はない。

目の前の池田屋はこの時代の旅籠の大きさを明らかに逸脱し、ほとんど武家屋敷の広さだ。

と言うか門があれば武家屋敷と完全に間違える。

「ああ、衛さんは知らないんでしたね。池田屋は表向きはお上の許可を得て開業している旅籠ですが、実質朝廷側の定宿・・・いえ、隠れ拠点の一つとなっているんです」

そこに三番隊の隊員が親切に教えてくれた。

「隠れ拠点?」

「ええ、表向きはお上の許可を得て営業していても実質は朝廷側という施設はこの京には複数存在しています。内実はどうであれお上が許可を出している以上我々も手を出す事は出来なかったのですが、事態がここにいたり上も攻撃を認めたんです。また連絡が伝わるのを阻止する為今回判明している拠点全てに奇襲をかける事になりました。ちなみにこの池田屋は現在確認できている中でも最大級の朝廷側の隠し拠点、それ故に局長の指揮の下、一番、二番、三番、そして十番隊が攻撃を仕掛けます」

新撰組の精鋭の中でも選りすぐりの三隊に加え切り込み部隊である十番隊を投入するとは・・・

「無駄口はそこまでだ。所定の位置についた様だな」

斉藤さんの言葉に俺達は口を噤み、臨戦状態に入る。

「・・・衛」

そんな中斉藤さんが俺に視線を向け口を開く。

「はい」

「・・・覚悟を決めろ」

「・・・覚悟・・・」

そう言ってから斉藤さんは池田屋に向けて駆け出す。

それに俺達も一斉に駆け出して行った。

見れば近藤さんを始めとする全員が池田屋前に集結している。

「よし、既に他の隊は各拠点に攻撃を開始したと知らせが入った。こちらも始める」

きわめて低い声で近藤さんが言うと全員が無言で頷く。

そして目配せで一人の隊士が入り口を締め切った雨戸を叩く。

「御用改めである!ここを開けよ!」

反応はない。

「っ・・・御用改めである!!直ぐにここを開けよ!」

まだ反応はない。

「聞こえぬのか!御用改めであるここを・・・」

「!!」

その時、向こう側から猛烈な殺気を感じ取った俺は咄嗟に隊士の腕を引っ張る。

「!衛何を・・・!!」

間一髪だった。

俺がその場から強引に離れさせると一秒違いで槍が雨戸を突き破って突き出されたのだから。

少しでも躊躇していれば彼を突き刺していた。

「!・・・すまぬ衛」

「野郎が!!」

入れ替わりに飛び出してきた原田さんの槍が雨戸を突き破る。

「ギャッ!!」

雨戸越しに断末魔の声が聞こえる。

「雨戸をぶち破れ!一気に雪崩れ込む!!」

近藤さんの号令の下、大槌を手にした隊士が雨戸を叩き壊す。

中に入れば朝廷側の志士は勿論、池田屋の従業員、果ては丁稚までもが手に刀や包丁、槍を持ち身構えている。

「全員が朝廷側だというのかよ・・・」

「御用改めである!!貴様らに京の都焼き討ちの嫌疑が掛かっておる!!全員武器を捨て投降せよ!!」

近藤さんの投降の呼びかけに対する返事は槍を持った丁稚達の突撃だった。

「あくまでも抵抗するか・・・斬り捨てよ!!」

号令の元一斉に抜刀する。

「行くぜ!野郎共!!」

まずは十番隊が原田さんの号令の元丁稚達を血祭りに上げて更に突撃を仕掛ける。

「一番隊!十番隊を援護します!」

「三番隊続け・・・」

突出した十番隊を援護するように一番隊と三番隊が左右から戦闘に突入する。

「二番隊!!我らは一階を制圧する。猫の子、いや蟻の子一匹たりとも外に出すな!!」

その合間を縫うように永倉新八さん率いる二番隊が一階の制圧に動き出す。

あちこちで鉄と鉄がぶつかる音が響き、それを制するように人が倒れる音、そして断末魔の絶叫が響き渡る。

「行くぜてめえら!!このまま上の階に上がり、池田屋を完全に制圧する!!」

敵を次々と屠りながら入り口正面の大階段を上り二階に展開する十番隊。

「三番隊十番隊の後ろを守る。続け」

その後ろを三番隊が、

「一番隊、二番隊が一階を制圧するまで階段を死守せよ」

一番隊は大階段の防衛に当る。

「・・・衛」

「はい」

「ここからが本番だ。覚悟を固めろ」

斉藤さんの言葉に反応したわけではないが部屋から次々と朝廷の志士が姿を現し抜刀していく。

ほんの一瞬互いににらみ合い、それから双方、同時にぶつかり始めた。


第七話『身体を鍛え上げようその三・・・忘れえぬ』









「おおおお!」

「うりゃあ!」

怒号に近い気合の咆哮と共に三番隊と朝廷の志士は刃を交える。

廊下や時には障子や襖を蹴り倒し、部屋をも戦場として空間を広げて、敵を葬ろうと躍起になる。

激しくぶつかり合うが少しずつ、俺達三番隊が優勢となっていく。

二人一組で戦い合い死角をなくす戦闘法が功を奏している。

「衛、気を抜くな。まだまだ敵はいる」

次々と敵を切り伏せながら斉藤さんが俺に声をかける。

「はいっ!!」

返事もそこそこに右側面から現れた新手の一撃をかわし、峰で腹部に叩き込む。

うずくまった新手の後ろでは劣勢に立たされ孤立しかけた味方に敵が斬りかかろうとしている。

それを見た俺はすぐさま力の限り蹴りをその男に叩き込む。

軽く飛ばされた男は俺の狙い通り、刀を振り上げていた敵を巻き込みもんどりうって倒れる。

そこを救援に駆けつけた別の味方が刺し殺す。

「・・・」

「衛、今のは上出来だ」

背後から斉藤さんの声が掛かる。

だけど・・・俺は手を下さず、他人に自分の尻拭いをさせたようなものだ。

俺が半ば自己嫌悪に陥っている内に戦闘の音も少なくなり、代わりに血臭や様々なものを混ぜこんだ饐えた臭いが辺りを支配する。

見れば周囲には朝廷側の志士達の死体があちらこちらに転がっている。

「・・・二階は制圧したか?」

「そのようです」

「被害は?」

「数名負傷しましたが、戦闘に支障が出る者はおりません」

「それと十番隊は?先程から姿が見えぬようだが」

そんな質問に頭上からの音が答えた。

「・・・どうやら十番隊は先に三階に上がったか・・・原田の奴飛ばしているな・・・急ぐぞ。十番隊を孤立させるな」

斉藤さんの言葉に頷き俺達が三階に向おうとした時、俺の耳に何かくぐもった声が聞こえた。

「??」

「衛さん、どうしました?」

立ち止まった俺を怪訝そうな表情で隊員の一人が聞いてくる。

「今、声が聞こえませんでしたか?」

「声?いや私は特に・・・まさか生き残りが?」

最初、拍子抜けしたような声を発したが直ぐに考えうる事態を予測したか表情をこわばらせる。

「隊長」

「・・・念には念を入れる。衛、声は何処から聞こえた?」

「あちらからなんですが・・・」

俺も正直言えば自信はあまり無い。

何しろ俺が指差したのは直ぐ壁の行き止まりなのだから。

だが、斉藤さんは直ぐに、

「池田屋は実質朝廷の拠点、何が仕込まれていてもおかしくない。全員くまなく調べろ」

声が聞こえた周囲の調査を命じる。

無論俺も密かに解析を使って池田屋の構造を調べながら調査に入る。

直ぐにおかしな点が見つかった。

不審な空間が存在している。

ためしに、行き止まりの壁を叩いてそれから、別の壁を叩く。

やはり音が違う。

すると、別の箇所を調べていた隊員が巧妙に隠された紐を発見、それを引っ張ると壁が引き上げられ、新たな通路が現れる。

「隠し通路・・・いや、隠し階段か・・・」

斉藤さんの言う様に通路は直ぐに終わりその右手側には下に下りる階段がある。

そして例のくぐもった声のような音もはっきりと聞こえてくる。

「衛、どうする」

「・・・行きます」

「よし、俺と衛で降りる。他は二階をくまなく調べろ。同じ仕掛けがあるやも知れぬ」

そう言って俺と斉藤さんは階段を下りる。

「・・・頻繁に使われているな」

確かに階段には埃は全くといって良いほど落ちていない。

それに燭台もかなり回数使われた形跡もある。少し降りると壁越しに戦闘の音が聞こえる。

「一階を素通りして地下に行くと言うのか」

その言葉通りそれから直ぐに地下室に俺達は到着する。

そんな俺達をまず出迎えたのは先程とはまた違う饐えた臭いだった。

血臭ではなく汗と何か妙な臭いが充満している。

「これは・・・」

「・・・」

俺が疑問に思う中、斉藤さんは表情をしかめ、一点に歩き始める。

慌てて俺もついて行くとそこには予想外のモノがあった。

そこは牢屋になっており、複数の女性が横たわっている。

薄暗く詳しい状態は判らないが、肩や胸の部分が上下しているのを見ると死んではいないようだ。

「一体・・・彼女達は・・・」

俺が未だ現状を把握出来ない中斉藤さんは暗闇に眼が慣れたのか俺よりも詳しく状況を把握していた。

「全員異人だな。衛、連絡が回っていないか?先頃より異人の女達がかどわかしの被害にあっている事を。それも京全域で」

その連絡は聞いたし、現にかどわかしにあいそうになっていた異人の女性達を助けた事もある。

「まさか・・・朝廷側が」

「どのような意図かは知らぬが奴らがかどわかしに関わっている事は間違いあるまい。この臭いや女達の状態から推移して女達は」

その時、俺の耳にあのくぐもった声が飛び込んできた。

その声の方向に視線を向けるとそれと同時に奥から異人の少女が薄暗がりからこちらに向って駆け出してくる。

ろくに服も纏わず全裸に近い状態で俺達の姿を認め何か言葉を発しようとしたが、いきなり仰け反ったと思ったら、惰性のまま床を転がり俺の足に当って止まった。

見ればしみ一つない背中には袈裟斬りの真新しい傷が生まれ、そこから真っ赤な鮮血が流れ落ちる、どう見ても致命傷だった。

少女は俺を見上げ、必死に手を差し出してくる。

俺は当然のようにその手を握り締める。

それを見て安堵したように僅かに表情を綻ばせ、その表情のまま頭を垂れた。

それを見ても俺の心に動揺は出てこない。

だが、静かな怒りだけが少しずつ水位をあげつつあった。

「けっ、汚らわしい汚物が、おかげで刀が汚れた・・・!ぬっ!な、何奴!!」

数は六人、だが見苦しい事に全員全裸、褌すらつけていない。

「・・・御用改めだ。貴様らには京の都焼き討ちに加え異人の女達のかどわかし、更に乱暴狼藉の疑いが加わった。武器を捨て投降せよ」

斉藤さんも侮蔑の色も露わに警告を発する。

乱暴狼藉、その言葉で俺にも彼女達に何があったのか察する事が出来た。

「し、新撰組だと!」

「ひ、怯むな!新鮮食いとはいえ数は俺達の方が上だ!返り討ちにしてやる!!」

男達が刀を抜いて臨戦状態に入る。

俺はそれを冷めた目で見ていた。

しかし、俺の感情はどうしてもこれを聞かなくてはならなかった。

「・・・一つ聞く。なぜ殺した」

あえて主語を抜いたが男達には通じたようだ。

「なぜ?愚問だな。ここの汚物どもは罰当たりにも神聖な都である京に足を踏み入れた。本来であれば直ぐに駆除する所だが、我々に奉仕すれば命は助けてやると言うのに恩知らずにも逃げおった。本来であれば我らの寛大さに感謝すべきだと言うのにだ。だから成敗したのよ。もっとも、蛆虫を斬った所為で刀が汚れたがな」

そう言って少女の亡骸に唾を吐きかける。

その身勝手極まりない言い分と死者を愚弄する行いに俺の怒りの水位は臨界点を超えた。

だが、頭と身体は異常なほど冷め切っている。

感情の赴くままに暴れても待っているのは死だけと言う訓戒をいやと言うほど身体に叩き込まれたからだ。

「そうか・・・」

言葉少なく、だが、俺は生まれて初めて明確な殺意を露にして刀を構えた。

斉藤さんも無表情の中に怒りを滲ませて、刀を構える。

「志士だ、侍だと言う以前に貴様らは人としての道を踏み外した。獣にかけるべき情けは持ち合わせてはおらぬ」

「戯言を、始末しろ!」

そう言うや俺達に襲い掛かる。

振りかぶったその一撃を容易くかわし、俺は、刃を向けて、初めて人を殺す為に斬った。

左の脇から首を両断し男は・・・正確には男の首は驚いた表情のまま、床に落ち、それに続いて胴体も倒れ伏す。

人を殺したと言うのに俺の頭はまだまだ冷え切っている。

既に二人目が俺に肉薄、右の脇腹から俺を斬ろうと刀を振りまわそうとしている。

それを俺は刀の軌道上に自分の刀で遮る事で防ぎ、二人目の腹目掛けて、脇差で突き刺す。

苦痛の表情で後ずさる男に何の容赦も示さず、首元と肩の境目に刀を埋め込み、そのまま鎖骨や肋骨を叩き折りながら心臓や肺を切り裂いていく。

手に骨の砕ける手ごたえや肉を引き裂く感触が伝わってくる。

そしてそれは同時に俺が他人の命を奪っていると言う事実に他ならない。

それでも俺は止まる気はない。

見れば斉藤さんも既に二人を倒し、三人目に断罪の刃を叩き込んでいる。

「そ、そんな・・・あ、あああああ!!」

仲間が全員倒されたと見るや最後の一人・・・少女を殺し、亡骸を冒涜したあの男が刀を振りかざし俺に踊りかかる。

動揺しきったその一閃を俺はかわし、同時に一閃で男の両手首を両断した。

「ひっ!ぎゃあああああ!!」

同時に足首も切り落とす。

「あ、あああああ・・・」

刀に加え手と足を失った恐怖と痛みのあまり声も出ないらしく、男は四つん這いで俺達から逃げようとする。

逃がす気はない。

だが、このまま嬲り殺しにする気はもっとない。

俺は男脇腹を蹴りつけてから心臓部分目掛けて刀を突き刺した。

「があああ・・・。た、たすけ・・・」

「あの子もお前たちに散々助けを求めただろう。それに対してどう遇した?」

俺の質問に答えるまでも無く、男から力は抜け落ち、そのまま事切れた。

そこまで見届けた後、俺は静かにまずは少女に手を合わせる。

「衛・・・斬ったか」

「はい・・・はははっ・・・情けないですよね。俺、感情で斬りました。力無き者を容易く殺し、死者を冒涜する奴らに感情を抑えることは出来ませんでした・・・」

「それは人として当然の感情だ。もしもあの場面ですら斬らなかったらお前を殴っていた」

「斉藤さん?」

「衛、お前の理想は尊い。そしてこの時代では貴重なものだ。だが、それを貫き続け、それが元で死ねばお前の尊き理想は愚者の夢想に堕する。お前もそれは最も良しとせぬだろう」

「・・・」

斉藤さんの言葉に無言であるが強く頷く。

「その為に時には己が手を血で染め、命を理不尽に絶つ事もあろう。己が奪った命の数と重さに押し潰されそうになる時もあるだろう。今のお前のように・・・その時には忘れるな」

「忘れるな?」

「そうだ。己が奪ってきた命を、お前の前で死んだ命を、その者達の事を。そうすればお前が殺してきた者達はお前の中で生き続ける。それがせめてのも弔いだと思い、最期の最期までみっともなくても、無様でも生き続けろ」

「・・・」

俺にはまだ良く判らない。

それでも斉藤さんがこの人なりに俺を励ましてくれている事だけは判った。

「・・・俺にはまだ良くは判りません。でも斉藤さんの言葉を俺は魂に刻みます。俺は誰かを守る為に誰かを殺します。死に逃げず、生き続けます」

「・・・それでいい。生き続けていけばお前自身が納得するお前だけの答えに行き着くことだろう」

俺の言葉に僅かに表情を綻ばせてそう言ってくれた。

「隊長!!」

そこに隊員が一人降りてきた」

「隊長、ここでしたか!!それにしてもここは・・・」

「それよりもどうした」

「はっ、三番隊総出で調べましたが二階にこの階段以外の仕掛けは見当たらず、仕掛けはここだけのようです」

「ご苦労、直ぐに何人かここの確保に回せ。それと牢屋にかどわかされた上に狼藉を受けた異人の娘達がいる手厚く保護せよ。この旨局長にも伝えよ『朝廷側が近頃騒ぎとなっている娘達のかどわかしに深く関与している可能性がある』と」

「はっ!!」

そう言って階段を駆け上がるのと入れ違いに別の隊員が転がるように降りてきた。

「今度はどうした」

「隊長!至急十番隊の救援に!!連中、三階に精鋭を揃えていたらしく十番隊が手を焼いています」

「っ・・・原田の奴先走るからだ。衛十番隊の救援に向かう」

「はいっ!!」









階段を駆け上がり、二階に到着しても俺と斉藤さんは止まる事無く、三階に繋がる階段を目指す。

そこに

「斉藤さん!衛さん」

沖田さん率いる一番隊の面々が駆けつけて来た。

「沖田、階段はどうした」

「ええ今四番隊が救援に駆けつけて近藤さんの命で四番隊が階段防衛の任に就きました」

「松原が来たか・・・そうなると他の制圧が済みつつあると言う事か」

「ええ、山南さんからの報告だと殆どの拠点は制圧され残るはこの池田屋と五番隊が担当している場所だけです。五番隊には六、七番隊が救援に向っている筈です」

「そうか、それよりも急ぐぞ原田ですら手を焼く精鋭だ。遅れれば被害が大きくなる」

話しながら階段を目指す俺達だったが、会談に近づくにつれ周囲の状況は野戦病院と変わりなくなってきた。

戦闘の跡も生々しい至る所で、負傷した隊員達が傷の手当てを受けている。

「斉藤、沖田!遅かったじゃねえか!!」

憎まれ口を叩く原田さんだったがその表情には疲労の色が濃い様に見受けられる。

「原田、先走りすぎたな」

「俺もそれを認めざるおえねえ。おめえの所が来てくれなかったら押し返されていたかも知れねえからな」

「かなりの奴らか」

「それもあるが奴ら狭い階段を利用して数の不利を補っていやがる。うかつには攻め込めねえ」

「つまりは朝廷側は階段を上りきった所に陣取ってこちらに一対一の戦いを強いていると」

「ああ、力任せに押し切ろうにも槍とかで刺されちまう。現にその戦法で何人かが負傷を負っちまった。おまけに奴らあそこから動かず、俺達が疲弊するのを待ってやがる」

「沖田、下は?」

「ええ階段は援軍に駆けつけた四番隊、一階及び中庭等は二番隊が警戒に当っていますが・・・」

「だが、二階のような隠し階段が存在しないとも限らん。下手をすれば首謀者に逃げられる恐れもある。どうにか阻止しなければ・・・」

そこに俺が進み出る。

「斉藤さん、俺が道を切り開きます」

「衛?」

「衛さん・・・何を!」

突然の名乗りに原田さん、沖田さんは驚いたように俺を見るが、斉藤さんは俺の名乗りを予測していたように一つ頷く。

「やれるか・・・」

俺は無言で頷く。

首謀者に逃げられればまたこのような蛮行を画策するやも知れない。

それくらいは俺でもわかる。

今回は様々な要因でぎりぎりこちらが察知したが、次もそうだとは限らない。

見逃すかもしれないのだ。

そうなれば京は焼かれる。

そして、地下での悲劇が繰り返されるやも知れない。

たとえ俺はこの世界の人間で無いとしてもそのような事見過ごせない。

俺は更にこの手を血で染める、守る為に。

俺の意思を汲み取ったのだろう、斉藤さんは一つ頷く。

原田さん、沖田さんも俺の覚悟を察したのか何も言わない。

俺は静かに階段を上がり始める。

今まで十番隊の猛者を次々と撃退してきた敵は俺を見てあからさまに侮っている。

何しろ次に現れたのは無名の俺なのだから。

だが、俺にとっては敵のこの油断こそが最大の好機。

足に強化を施し、一気に距離を詰めて一人の腹部に刀を突き刺す。

「!!」

「な、何!!」

刺された方も、隣にいた奴も、いやその後ろで陣取っていた連中も皆、突然の事にあっけに取られている。

その隙に、刀を引き抜き、その勢いのまま隣の奴を一刀の元に切り捨てる。

その光景にやっと我に返ったか真後ろにいた奴が槍を突き出す。

それを俺は最小限の動きでかわし、間合いをつめて心臓部分に刀を突き立てる。更に脱力したその手から槍を奪い取ると、それをただなんの雑作もなしに突き出し、更に後ろの敵を葬る。

「よっしゃああ!敵の陣形が崩れた!!十番隊、三階に行くぞ!!」

「一番隊!!続きます!!」

「三番隊遅れを取るな」

俺が均衡を崩したのを見て原田さん、沖田さん、斉藤さん、三人の隊長が号令を下し先頭に階段を駆け上がる。

俺への対処に向おうとしていた敵は駆け上がってきた隊長達にどちらに向えばいいのか一瞬迷う。

その迷いが命取りだった。

階段を上りきった原田さんの槍が、沖田さん、斉藤さんの刃が次々と敵を死に誘い、俺も確実に葬り去って、どんどんと押し切っていく。

更に十番、一番、三番の各隊も順調に階段を上り戦闘に加わり一気に三階の戦闘は三階全域に広がりを見せ、戦闘は乱戦の様相を呈してきた。

そんな中俺は、戦闘を続けるうちに孤立していた。

孤立と言っても敵も殆どは斉藤さん達に意識が向き、俺を狙う奴は殆どいなかった。

ならば俺はこの隙に首謀者を探そう。

単独行動だが、これだけの乱戦では隊で動くのは不可能。

それにこの混乱に乗じて首謀者に逃げられては元も子もない。

俺はすぐさま、行動を開始、襖を叩きつけるように開いて中を確認、時に敵と遭遇したらすばやく斬り捨てて先を急ぐ。

そして一番奥の部屋の襖を蹴り破りながら飛び込むと、そこにはあからさまな隠し通路で今にも脱出しようとしている二人の男がいた。

「!!な、何奴か!!」

俺を見るなりうろたえたような声で後ずさる一人に対してもう一人は俺を見ても表情一つ変えることなく刀を抜く。

「御用改めだ。貴様らには京の焼き討ち、異人の娘達のかどわかし、更に彼女たちに対する乱暴狼藉の嫌疑がある。速やかに刀を捨て投降せよ。さもなくばこの場で斬り捨てる」

刀を突きつけて警告を発する。

「な!!わ、私に対してなんと言う無礼な!!私が誰か知っての事か!!」

「知らないよ」

こちらの世界に来て数ヶ月程度で朝廷の人間など判る訳等無い。

俺の世界でよほどの有名な人物で無い限りは。

「くうううう!!何と無礼極まりない!!ええい!岡田何をしておるか!!さっさとこの無礼者を斬り捨てよ!!」

「岡田?」

まさかと思うが一応確認する。

「まさか・・・岡田以蔵??」

「ほう、俺を知っているか」

まさかが的中した。

岡田以蔵、幕末の京都で『人斬り以蔵』の異名をとった凄腕の剣客。

こんな奴が相手とは・・・

「何をしておる!!さっさと・・・」

「やかましい」

そういうや何と、岡田は後ろでわめいていた男を斬り捨てた。

「・・・味方だろう、その男」

「俺が受けた命はこの男の護衛、そして事が失敗したらこいつを斬り捨てる事、任務に背いた訳ではないが」

「・・・その様子だと京の焼き討ちは朝廷の総意ではなさそうだな」

「無論だ。朝廷にも理性はある。西郷さん達が情報を流した甲斐があったと言うものだ」

「情報??・・・!!もしや坂本龍馬の亡命は」

「そう言う事だ・・・話が過ぎた。俺も死ぬ訳には行かぬ。悪く思うな」

そう言うや俺に襲い掛かる。

俺も戦闘準備は当に整っている。

岡田の一撃を受け流し、返す刀で一撃を浴びせかけるが、岡田もそれを察知したか容易くかわす。

「手錬れか・・・」

声の色に感心じみた色が滲み出る。

俺としても一撃をここまで容易くかわされるとは思わなかった。

予測できていたが実戦に相当慣れている。

後方からは剣戟の音が徐々に近づいてきている。

「時間を取る訳には行かぬ。直ぐに決着をつける」

そう言うや再び刀を振るう。

そして俺もそれに対抗するように、刀を構える。

おそらくこれで決まる、そう確信していた。

だからこそ次の光景を信じる事が出来なかった。

突然、岡田が後ろから何者かに刺されていた。









第八話『身体を鍛え上げようその4・・・妖刀村正』

「ぐうう・・・」

思わぬ奇襲に脇腹から出血していたが、命に別状はなさそうだ。

「ちっ、咄嗟にかわしたか。かわさなければ楽に始末してやったものを」

そう言って、隠し通路から出てきたのは見た限りは岡田と同じ位の歳に見えるが、その眼光は鋭すぎる。

岡田が、理性ある猛獣ならばこの男は血に飢え理性を失った狂獣だ。

「っ・・・岩倉の犬がここにいるとは思わなかった。貴様、別の場所で京都焼き討ちの準備に入っていたのではなかったか?」

「突然新撰組の連中が殴り込みを仕掛けた。聞けば、主だった拠点が軒並み潰されたではないか。おかげで京を神聖な炎で浄化する計画も頓挫した。それが貴様や西郷達の裏切りとはな」

男は心底忌々しげな表情と声で岡田を睨みつける。

「ふん、どちらにしろ無茶な計画だったに決まっていよう。現実を見ず、理想だけを求めても」

「ほざけ、貴様の首を手土産に西郷共も処断してやる」

そう言って男は岡田に斬りかかる。

それを咄嗟に割って入り刀を交える。

「!!邪魔をするな!小僧!!」

「くっ!!」

力任せに押し返されそうになるが、それを受け流し、横に逃げたところに首元に狙いを定める。

しかし、それを強引に身体を反転させる事で逃げる。

「こ、この小僧・・・そんなに死にたいか」

殺気が爆発的に膨れ上がり、この男の身体が一回り大きくなった錯覚を覚える。

だが、それに怯む事無く、刀を構え直す。

「曲がりなりにも同じ陣営のよしみだ、一つ助言してやる。この男、俺とも互角の立会いを演じた男だ。小僧と侮れば死体となるのは貴様だぞ」

その声にはっとすると、いつの間にか隠し通路から脱出しようとする岡田の姿があった。

既に止血は施されている。

「岡田貴様・・・逃がすか!!」

「それはこっちの台詞だ!!」

俺と男が同時に岡田に迫ろうとするがお互いの存在に気付いたと同時に刃を再び交える。

お互い岡田を追いたくても相手が邪魔をして動くに動けない。

その間に岡田は隠し通路から脱出してしまった。

「ちっ・・・」

もう追えないと判断したのか男が俺と改めて向かい合い刀を構える。

俺も負けじと刀を構え直す。

「・・・岡田の捨て台詞、戯言ではないようだな。その剣の腕前、新撰組、それも異人にしておくには実に惜しい」

俺の構えを見て男が吐き捨てるように呟いた。

「だが、異人である以上、神国である日の本に足を踏み入れた、それこそが罪、己の浅慮を悔やみ、罪を購え」

「ざけんな。異人だろうがこの国の人だろうが同じ人間、それに変わりはねえ」

「戯言を!!」

そう言うやもはや問答は不要と見たのか一気に距離を詰めて鍔迫り合いを繰り広げる。

「ぐううう・・・」

「おおおおお」

流石に相手の方に一日の長がある。

徐々に押され始める。

このままだと押し負ける、そう判断を下しわざと力を緩める。

「!!」

案の定、力を入れすぎた男はたたらを踏み、体勢を崩す。

その隙を突いて鍔迫り合いから抜け出し、改めて刀を構え直し、斬り付ける。

速度、角度共に申し分の無い一撃だったが、それをぎりぎりのところで男に止められる。

「くっ!!」

「ちぃ!!」

更に出鱈目に振り回された・・・いや、出鱈目に見えてもそれは的確に俺を捉えている・・・一撃を受け止め僅かに後退する。

その隙を突いて男も体勢を立て直している。

「この・・・がきが!!」

怒髪天を突くその表現がぴったり来るほどの怒号を発して男が斬りかかる。

それを受け止めるような愚考は犯さず、受け流し、軌道を逸らす。

時には反撃をしながら何合も打ち合う。

その内身体に違和感を覚え始める。

全身に小さい痛みを感じる。

何だと思い間合いを取って自分の身体を確認すれば、いつの間にか身体中の至る所に刀傷が見受けられる。

幸いと言うかどれもこれも皮膚を軽く斬った程度で深刻な重傷は一つもない。

だが、どう言う事だ?

俺が記憶する限り、一太刀だって身体を触れていない筈。

しかし、俺にはそんな疑問を解消する暇も与えられなかった。

「でりゃあああ!!」

「くっ!はああ」

再び繰り出された一撃を俺は受け流す。

その時、肩口から小さく血煙が舞うと同時に小さな痛みが起こる。

まさか・・・そう思ったと同時に繰り出された二の太刀を受け止める。

今度は右手の甲に痛みが走る。

触れてもいないのに斬られている?

かまいたちを発生できると言うのかこいつ?

一瞬そう思ったがその考えを否定する。

いや、そんな芸当が出来るなら既にこんな長時間俺と斬り合いをしなくても最初の内に俺は奴に両断されている筈。

何よりもあの不意打ちの時、岡田を刺すなんてまだるっこしい事をせずとも、これで仕留められた。

そうなると・・・無意識的に使っているのかこいつ?

そんな俺の困惑を見透かしたように男が嘲笑を浮かべる。

「これか?これこそ徳川を恨み、憎み、滅ぼすその為に妖刀と化した刀『村正』だ」

村正?

おそらく妖刀と言えばすぐに思いつく刀だが・・・

「こいつはな刀を抜けば血を見ずにはいられない。そして標的の身体を嬲る様に切り刻んでいくのさ。くくくっ、どうだ?少しづつ身体を切り刻まれ死んでいく恐怖は」

悦に入った笑みで俺を追い詰めるように押しこんでいく。

「嬲る様に?」

俺の呟きに男は同意する。

「そうさお前も恐ろしかろう、避けても避けても身体を切られていく恐怖は!異人よ。神国日の本を穢し続ける罪、それを自覚させるのにこいつほど相応しい刀は無い。怯えながら無様に死ぬがいい!」

そう言って振り下ろされる刀を受け止め受け流し再び避けるが、今度は頬を斬られる感覚を覚え・・・

「!!」

澄んだ音を立てて俺の刀が折れてしまった。

村正は日本刀としては最高ランクに位置する業物。

それに対して俺の刀も業物であるが、相手が悪すぎた。

「ははっ、刀も折れたか勝負あったな」

一歩踏み出し今度こそ俺を斬り殺そうと一歩踏み出す。

「覚悟をきめ」

男の声は俺の怒りに満ちた声に遮られる。

「・・・ふざけるなよ」

「??」

思わぬ言葉を受けたのか男の足が止まった。

「何が『徳川を恨み、憎み、滅ぼす』だと?『その為に妖刀と化した』?その刀を妖刀に貶めたのは貴様らだろうが」

俺の激しい怒りに困惑しているようだが構うものか。

村正だと認識した瞬間、俺はその刀の根源を解析していたのだから。









その刀は名のある刀匠達が鍛え上げたまさしく名刀だった。

刀には数多くの同胞がおり同胞達は戦場で名だたる兵達に振るわれながら武を競い、華々しく戦い、そして戦場の中でその生涯を閉じていた。

だが、それこそが刀として生まれたもの達の誉れ。

その刀もいずれは戦場で激しく戦い、そして数多くの同胞と同じく戦場で果てるものと信じていた。

戦乱が終わるまでは。

戦乱が終わった後刀は『徳川に仇名す妖刀』の烙印を押され妖刀に貶められた。

同胞の数が多すぎたが故の悲劇だったのかも知れない。

幕府を開いた男の父と祖父が殺された際用いられたのが同胞達だった。

それ故に刀は妖刀になった。

しかし、それを確固たる地位にしたのは刀ではなく刀を取り巻く人間達だった。

彼ら・・・特に反徳川を掲げる者達からしてみればその刀はまさしく反徳川の象徴だった。

彼らはその刀に徳川への恨み辛み、憎しみ全ての負の想念を注ぎ込み続けた。

それは少しづつ刀を縛っていく。

そして気が付けば刀は妖刀の風評にがんじがらめとなり、もはやその地位から抜け出すことはかなわぬ夢となった。

周囲の風評により刀は永久に妖刀の烙印を押され続ける事となった。

その無念、悲しみはいかほどのものか?

刀として兵との戦いを繰り広げる事も出来ず妖刀として拝められ、恐れられ、そして憎まれ蔑まれた。

それは歴史によって確定された消し様の無い烙印。

それを背負い刀は静かに時を流れる・・・









「・・・そんなに妖刀が良いか?だったら本物を見せてやる。投影開始(トーレス・オン)」

俺は折れた刀を投げ捨て、それと同時に俺の手には男の持つそれと寸分違わぬ刀、『村正』が握られている。

「!!貴様何処から刀を・・・それに、何だその刀・・・」

男がやや後退するがそれも無理の無い事だろう。

俺の握られる『村正』には吐き気がこみ上げて来るような妖気が滲み出て来ているのだから。

だが、奴らがこれに怯える等滑稽もいい所、何故ならば、

「何を怯える?これはお前達がこの刀に込め続けてきたものだ」

そう言って静かに構える。

同時に魔力を注ぎ込む。

「くっ・・・おおお!死ねい!」

「・・・『お上に仇名す破滅の妖刀(村正)』!」

得体の知れない恐怖に怯え、突っ込んできた男を迎撃するように、俺は静かに真名を唱え刀を振るった。

交差すると同時に俺の脇腹と男の右腕が斬られ、血が舞う。

しかしそこから異変が起こった。

「え?」

拍子抜けする声が男から発せられると同時に男の口から大量の血が零れ落ちる。

「ぁぁぁぁぁ・・・」

訳が判らないと言いたげに俺に視線を向ける。

そのままの体勢でその眼から生気は失われ畳に倒れ付した。

「それがお前らの怨念だ。お前はお前達の怨念に殺されたんだ・・・」

そう呟くと同時に俺は投影を解除して村正を消してからちょっとした作業を始める。

岡田の最初斬られた男が帯刀していた刀を抜いてそれを男の心臓目掛けて背中から突き刺した。

何しろ『村正』の怨念で身体の内部はずたずたになって死んだが、一見するとさしたる外傷も無しに死んでいるのだ。

ある程度の致命傷と思われる外傷を作らないと怪しまれる。

死者に鞭打つ行為だが止むを得ない。

とそこへ斉藤さん達が現れた。

気付けば周囲の戦闘の音は殆ど聞こえない。

どうやら池田屋全域で戦闘は終結に向いつつある様だ。

「衛、無事か」

「はい。すいませんはぐれてしまって」

「構わん。あの乱戦ではやむを得ん・・・それでこれは?」

そう言って斉藤さんが視線で事情の説明を要求してくる。

俺も大部分は真実をしかし、『村正』の件は話さず、自分の刀を折られ、やむを得ず死体から刀を奪いそれで男を刺し殺したと創作した。

「なるほどな・・・どうやら朝廷にひびが入り始めたと言う事か」

「斉藤さんそれよりも衛さんの傷の手当てを。全身傷だらけじゃないですか」

「そうだな。池田屋は完全に制圧したようだな。あとは奉行所に任せるとしよう。局長達と合流するぞ」

「はい」









池田屋はまさしく凄惨な状況と化していた。

至る所で斬り殺された朝廷側の志士の死体が転がっている。

だが、三階二階の状況は一階と比べるとまだましだった。

一階に下りれば、そこはまさしく地獄絵図だった。

池田屋の従業員や丁稚、女中までもが刀や包丁、錐を持った状況で死んでいる。

抵抗しようとして斬り殺されたのだろう。

「局長、池田屋制圧完了しました。丁稚、女中を数名拘束した以外は全員死亡」

「こちらの被害は?」

「十番隊五名重傷、三名軽傷・・・一名死亡」

「一番隊、四名軽傷」

「三番隊三名重傷、一名軽傷」

「二番隊九名重傷二名死亡」

「そうか、土方や山南からも連絡が入り主だった拠点は全て制圧したと言う事だ」

近藤さんの言葉に全員が安堵の表情を浮かべる。

「また、斉藤や衛が見つけた異人の娘達は全員保護した。だが、よほど手ひどい扱いを受けたのだろう。怯えきって、こちらともろくに話そうとしない」

詳細は既に聞いたのだろう、俺も含めて全員の表情が歪む。

「また、各拠点にやはり異人の娘達が同じ扱いで囚われていたと報告が入った」

「そうなると・・・」

「ああ、朝廷一部の暴走と言うよりも朝廷全体の関与すら視野に入れたほうがいいかも知れん。だが、それは後々の事だ。ここは後任の者達に任せる。皆帰るぞ」

『おう!!』









詰所に帰り一通りの手当てを受けたあと、俺は個人的に近藤さんに呼ばれた。

部屋に入ると近藤さん、土方さん、山南さんを始めとする新撰組の隊長、重鎮が勢揃いしていた。

思わぬことに足を止めるが一先ず下座に正座する。

「衛済まぬな。急に」

「いえ・・・それでいかなるご用件で」

「うむ、お前が遭遇した岡田以蔵についてだ」

その言葉に俺は内心ほっとした。

てっきり、男について聞かれるかと思ったから。

「と言いますと」

「今回の御用改め、坂本龍馬のもたらした情報が無ければ動く事もままならなかった。動けたとしても隊単位、新撰組全部隊を動かす事は出来なかっただろう」

「・・・」

「斉藤から聞いたが、岡田以蔵は今回の坂本の件把握しているような口ぶりだったそうだな」

「はい、それに『西郷さん達とも』とも言っていました。

その言葉に座がざわめく。

「西郷・・・まさかあの・・・」

「そうなると大久保も西郷側と見ていいかも知れん」

「近藤さん、もしや薩摩が反朝廷を?」

「そこまでは判らん。どちらにしろ此度の一件、もはや我々だけで判断できる問題ではなくなった。上には私から上申するとする。衛、ご苦労だった。明日にでも詳しい話は聞かせて貰うが、まずは傷を癒せ。傷が癒えた後はもうしばし三番隊預かりとして働いてもらう。良いな」

「はい、それでは失礼します」









後日判明した事だが、薩摩と朝廷とは異人の扱いに加え、段階的開国か完全鎖国かで修復不可能なほど関係にひびが入り、薩摩は幕府帰順を決定。

それに薩摩と友好関係にあり朝廷とも距離を取っていた土佐が同調し、それが坂本龍馬の亡命から始まり、別名『京都紛争』と呼ばれる新撰組と朝廷の一夜の戦闘に繋がる。

更にこれにより幕府と朝廷の力関係が完全に崩壊、これがこの世界での戊辰戦争を勃発させる事になるのだが、それは俺がこの世界から立ち去った後の話である。





第九話『身体を鍛え上げよう・・・帰還』

あの『京都紛争』より半月の月日が流れた。

俺は受けた傷は軒並み浅かったので傷の手当てを受けたその日の内に復帰を果たした。

今でも三番隊預かりの身として警邏等を行っている。

そんな俺であったが、人を斬る時には斬れる様になった。

まあ、もっぱら峰打ちばかりで本当に斬らざるおえない時だけ斬り捨てる様にしている。

人によっては『相も変わらず甘い』と罵るが斉藤さんや原田さんなどはそれなりに支持してくれている様だ。

またあの日、保護された異人の女性達だが、心の傷は相当に酷く、療養生活を続けていると聞く。

そんなある日、この日は警邏も終わり、自室で就寝しようとしていた矢先、

「おい、士郎」

「うひゃあああ!」

背後からいきなり声をかけられた。

振り返ればそこには見知った人の顔。

「って、コーバック師」

「おうわいや」

驚いた・・・何しろ俺の背後は直ぐ壁だから。

「でどうしたんですか?」

「どないもこないもあらへんわ。そろそろ時間やで」

「へ?時間って・・・」

「わすれたんか?こっちの時間で一時間経ったら迎えにいく言うたやろ」

「ああ・・・」

「マジで忘れとったんかい!」

「いや・・・あまりにも濃密な時間を過ごしていたんで思わず・・・」

それと師匠達、きっと面白がって放置しているのではと思ったのは俺だけの秘密だ。

「なるほどなぁ・・・確かにええ面構えになっとるわ。色々経験したみたいやのぉ」

「ええ、おかげ様で。それで直ぐに」

「いや、己も色々挨拶せなあかんやろその後でええ。こっちの世界で言えば・・・今日の草木も眠る丑三つ時にしとこか」

そうなると午前二時過ぎ・・・あと四時間強と言った所か。

「わかりました。で場所は?」

「己を最初に落とした場所でな」

「判りました。ではその時に」

「おう」









コーバック師が戻ると直ぐに俺は部屋の整理を始める。

元々それほど荷物も持っていない。

強いて言えば来た時に着ていた服位のもの。

そして戸棚からあらかじめ書いておいた脱隊届けを取り出しそれをもって近藤さんの部屋に向う。

ちなみに脱隊は局中法度で禁じられているが、俺のような保護を目的とした見習いに関しては例外扱いとなり、局長及び副長の許可があれば脱隊が認められる決まりとなっている。

許可がもらえるかどうかは極めて微妙であるがいざとなれば夜陰に乗じて逃走するしかない。

それはそれでお世話になった人達の顔に泥を塗る様で心苦しいが、止むを得ない。

そうして近藤さんの部屋に着く直前、突然近藤さんの部屋から

「それは本当かよ!!」

原田さんの怒号が響いた。

「な、何だ??」

思わずそう呟いたが、直ぐに襖が開かれる。

「誰だっ!!・・・って衛か」

部屋から見た事のないほど険しい表情をした原田さんだったが、俺の顔を見て表情を緩める。

「衛だと?丁度良い、衛、入ってくれ。少し話がある」

さらに俺だとわかったのか近藤さんが俺を呼ぶ。

何事かと室内に入れば、沖田さん、斉藤さん、原田さんそして、近藤さん土方さんが揃っている。

「?衛、どうしたその服装は?」

「はい、その実はお話が」

「そうか、奇遇だな。こちらもお前に話がある。まあ座れ」

近藤さんに促されて下座に正座する。

「・・・」

それからしばし沈黙が支配する。

「あ、あの・・・」

流石にその沈黙に耐え切れなくなり口を開こうとした時、近藤さんがおもむろに驚くべき事を口にした。

「衛、すまぬ!!何も聞かず隊より抜けてくれぬか?」

「・・・へ?すいません近藤さん、一体どうしたのですか?急に」

俺の素朴な疑問に答えたのは原田さんだった。

「武田の阿呆がとち狂いやがったんだよ」

心底憎々しげな声で吐き捨てる。

「武田さんが衛さんの事を嫌っていたのは衛さんもご存知だと思います」

それは言われるまでも無い。

最初から俺の事を胡散臭い奴と決めてかかり、俺が新撰組預かりとなるのを最後まで反対していた。

また預かりとなった後も俺が今まで敵を斬らなかった事を口実に口汚く罵るなど日常茶飯事、時には集団での稽古をつける名目で俺を私刑にかけようともしていた。

(これについてはこっそりと沖田さんの稽古用の竹刀を投影した上で返り討ちにしてやった)

だが、『京都紛争』後はと言えば俺が際立った功績を挙げた事もあってか、忌々しそうな視線を投げかけるのと、未だ俺が積極的に斬らない事に皮肉を投げかける以外特に被害は被らなかったのだが・・・

「水面下でこそこそ動いていたんだよあのやろう」

「水面下?」

「流言をまき、密かに育てていたのだ。大まかに言えば『衛は朝廷側の間者、近々新撰組と幕府の重要情報を携え朝廷に戻る気』だと」

「・・・斉藤さん、それを信じた人いたんですか」

「武田の奴、用意周到にも証拠と証人も捏造したようだ。我々が気づいた時にはかなりの数の隊士にこの話が浸透し、幾人かは信じてしまった」

「更に間が悪い事にその中に血気に逸る者も何人かいて・・・」

「俺を斬ろうとしていたと」

「ああ」

「今の所は永倉や松原達が抑えているが、正直それもどこまでもつかわからん」

「それ故にだ。衛、身勝手きわまる言い草は重々承知している。だが、ここにいればお前の命は間違いなく危ぶまれる。隊を抜けてくれぬか」

近藤さんはそう言って改めて頭を下げる。

「近藤さん、実は・・・」

そう言っておれは懐から例の脱隊届けを差し出した。

「!!これは」

「急な話で申し訳ありません。国許に帰らなければならぬ事情が出来てしまい・・・」

「そうか・・・いや、これは渡りに船と言うべきか。脱隊についてはこの場で認める。土方、お前もいいな?」

「異存は無い」

「うぬ、で衛、直ぐに出るのか?」

「はい、元々荷物もありませんでしたし部屋も片付けています脱隊の許可が下りたら直ぐにここを後にする気でした」

「判った。沖田、斉藤、衛を裏口から出してやって」

そこまで言った時、外がやけに騒がしい事に気付く。

「??なんだ」

「ちょっと見てきます」

そう言って原田さんが出て行った。

だが、直ぐに血相を変えて戻って来た。

「局長!やばいぞ。武田が五番隊を使って衛を探している。衛の部屋が片付けられているのを見て衛が脱走を図ったと言いふらしてやがる」

そこに永倉さんと松原さんが駆けつけて来た。

「局長、申し訳ありません。武田を止めきれませんでした」

「詰所を片っ端から探しています。急いで衛を」

「判った。武田は私のほうで止めておく。沖田、斉藤、衛を」

「はい」

「・・・承知」









俺は近藤さんの部屋から裏口へと沖田さん、斉藤さんの案内で裏口に連れて行かれる。

「申し訳ありません。沖田さん、斉藤さん、俺のせいでこんな騒ぎを」

正直それが忸怩たる思いだ。

「いや、お前のせいではあるまい衛。武田が勝手に暴走しただけ。お前に責は無い」

「ええ、衛さんの今日までの働きを見れば間者という疑念を持つ事自体がおかしな話なのです。それに煽られる方も煽られる方ですよ」

そう言ってくれて少しは気が楽になる。

「衛、急いでここから離れろ。ここにも何時来るか判らん」

「はい、斉藤さん、沖田さん、今日まで本当にありがとうございました。近藤さん達にも衛が厚く礼を言っていたと伝えてください」

「判った・・・!もう直ぐ来るな。衛、行け」

「ええ、ここは私達で上手く口裏を合わせますからその隙に衛さんは」

「はい、ではお元気で」

そう言って一礼した後、俺は振り返る事無く詰所を後にした。









闇夜を駆けて俺は京都を出鱈目に走る。

俺の目的地を知られないようにする為だ。

俺が落ちた場所は既に把握済み、なんの問題も無い。

問題があるとすれば時間ぐらいだろう。

ようやく一刻半が過ぎた頃、後半刻隠れながらコーバック師との合流場所に向わなければならない。

しかも、どうやら俺が詰所にいないと察したのか先程から五番隊隊士を見かける。

「いたか!」

「いや、いない!」

「草の根分けてでも探し出せ!奴は幕府の重要情報を携え脱走を図った事は明白!何としてでも捕らえよ!まだ遠くには、行っていない筈だ。抵抗する場合はその場で斬り捨てても構わん!」」

意図的に流したのか、知らないのか(多分前者だろうが)どうやら俺は脱隊ではなく、脱走した事になっているらしい。

「ったく、まさか最後の最後でこんなサバイバルやる羽目になるとは・・・」

愚痴りながら俺は隠れながら進むのを繰り返す。

時間も残り僅かだが、ようやく目的の場所に近づいた時、

「いたぞ!!衛待て!」

「ちぃ!」

遂に見つかってしまった。

咄嗟に峰打ちで昏倒させるが、咄嗟に相手も合図の笛を吹き鳴らし甲高い音が夜空に響き渡る。

もはやこそこそ隠れて進むのは時間の関係もあって無意味、まもなく俺を探す隊士達が殺到してくる筈。

一気に走りだす。

「いたぞ!」

「追え!」

後ろから追っ手の声が二重、三重に聞こえてくる。

「待て!衛、逃げれば罪は重くなるぞ!」

当然だが、それに待つ筈も無く、俺は走る。

そこから細かい裏路地に入ると出鱈目にだが、確実に合流地点に近づいていく。

また入り組んだ路地を利用して一時的に追っ手を撒く事に成功した。

「くそっ逃がしたか!」

「探せ!まだ遠くには行っていない筈だ」

「まさかもう京を出たのは」

「案ずるな京を出る道は全て封鎖している。外に出れる可能性は無い!奴は袋の鼠だ」

隊士達が散らばるのを確認し、更に気配が完全になくなったのを確認して改めて合流地点に急ぐ。

約束の時間まで残り五分、ようやく合流地点に到着した。

「おお、士郎、遅かったな」

「コーバック師・・・もう来ていたのですか」

そこには既にコーバック師が俺を待っていた。

「いやの、己相当追われておるからの少し時間を巻いて待っておったんや」

「・・・今回は感謝しますよコーバック師」

感謝七割、皮肉三割を交えた声で応じるが、ゆっくりもしていられない。

ここにも何時追手が来るか判らないのだから。

その旨を伝えるとコーバック師も頷く。

「せやの。それじゃまあ、帰るで士郎」

「はい」

そう言うや、俺が最初落ちたのと同じ歪みが現れ、そこに俺とコーバック師は飛び込んだ。









そして気が付けば俺としては数ヶ月ぶりの我が家の居間の光景が広がり、

「士郎戻ったか」

うちの師匠二人は茶請けの煎餅をかじりテレビを見てしっかりとくつろいでいた。

「えっと師匠方、何処から見つけました?」

「まあ固い事言いっこなしやって。よく言うやろ『勝手知ったる他人の我が家』って」

「言いませんよ」

「それにしても・・・」

「??」

ゼルレッチ師が俺の顔をまじまじと見つめ満足そうに頷く

「コーバックの言う通り良い顔になって帰ってきたな士郎」

「ええ、色々教わりましたから」

本当に言葉で言い尽くせないほど、多くの事をあの世界で俺は教わった。

良くも悪くもそれは俺の血肉としてこれからの俺を支えていくだろう。

「さてと、今日はゆっくりと休め。また明日から別の平行世界に飛んでもらうからな」

「えっと・・・まだ飛ばしますか」

「当然だ。お前は発展途上だもっと鍛えなければならぬからな」

「まだまだ送るで」

二人共、顔が滅茶苦茶笑っている・・・間違いなく楽しんでやがる・・・

まあ良いか・・・俺は様々な平行世界に飛ばされて実力を上げて投影できる宝具を手に入れる。

そして師匠達はそんな俺を見て楽しむ・・・ギブアンドテイクになる・・・だろう・・・多分、いやおそらく・・・

そんな事を考えている内に眠ってしまった。








幕間・・・『歴史を背負うと言う事』

〜月〜日

並行世界修行ツアーを初めてから(俺の世界で)早三ケ月、

あらゆる世界に飛ばされた俺はあちらこちらで大小様々な事を学び続けていた。

もちろんだが宝具も片っ端から登録している。

中でも先日古代インドに飛ばされた折に『猛り狂う雷神の鉄槌(ヴァジュラ)』を登録できたのは大きい。

何しろ注ぎ込む魔力に関係なく一定の破壊力は保障されているし、何よりも真名に偽りなしの雷を思わせる速度。

おそらく今後の俺の主戦力となるだろう。

それはさておいて今俺はと言えば・・・イギリスにいた。

いや、イギリスと言うのは正確ではないだろう。

俺が今いるのはイングランド王国王都ロンドン、ここに来た(落とされた)のはこちらの時間で一年前、

巧妙と言うか根回しは万全と言うか、落ちて来た時には傭兵としてギルドに登録されており、俺はイングランド軍の傭兵として戦闘の日々を送っていた。

今、イングランドはドーヴァ―海峡を挟んだヴァロア王朝フランス王国と戦争状態に突入していた。

それも今から百年以上前から。

ここまで言えば分るだろう。

そう、俺は今歴史に名高い百年戦争の時代にいる。

百年戦争をしているが、戦況は一進一退、

いや、一時、イングランドはフランス領を完全併合するほどの勢いを見せていたのだが、近年(無論俺はその当時はいない)フランスに盛り返されていた。

と言うのも今から二年前イングランド軍が包囲陥落間際であったフランス中部の都市オレルアンに突如として現れたフランスの英雄の存在があった。

その英雄の名はジャンヌ・ダルク。

年端もいかぬ一人の少女の登場によりオレルアン守備のフランス軍は崩壊寸前から持ち直し、包囲していたイングランド軍を撃退、更には現フランス国王シャルル7世の即位に少なからぬ功績を成した。

これにより彼女はフランス軍からは救世主、聖女と呼ばれ崇められていた。

しかし、それも過去の事、今彼女はイングランド軍の囚われの身となっている。

そして宗教裁判が行われているのだが、俺はそれに関心を示す事は無かった。

結果など分かりきって居る。

彼女は魔女の烙印を押され火刑に処される。

そして裁判の結果は俺の予想通りとなり俺が目的地に到着した翌日彼女は旧フランス領の都市ルーアンにて即日火刑が執り行われる事になっている。

さて、俺が長々とそのような事を述べたのには無論理由がある。

俺は先日傭兵ギルドの仲介で、さるやんごとなき方から依頼を受けていた。

その依頼内容は『死刑に処されるであろうジャンヌ・ダルクを救出せよ』と言う驚くべき内容だった。

更に驚愕すべき事にその依頼主はイングランド摂政ベッドフォード公、すなわちイングランド軍、それもそのトップが仇敵を救出せよと依頼してきたと言う事になる。

「君の噂は聞いているエーヤ(この時代での俺の偽名だ)。若いにもかかわらず数多くの達成困難な作戦を成功に導いた凄腕だと。ギルドより推薦されたよ」

摂政の賛辞をある程度聞き流し俺は本題に入る。

「で、ベッドフォード公、依頼であるならば受けるのが筋ですがあえてお聞きしたい。何故オレルアンの聖女を?」

聞く必要はないのだが、あえて尋ねてみる。

「・・・エーヤ、君は彼の乙女を処刑、それも万が一にも火刑に処した暁にはどうなると思う?」

「そりゃイングランドにとっては祝福すべき事になるでしょう。フランス軍の精神的な要であるジャンヌ・ダルクを魔女として処断するのです。ましてや火刑に処されれば最高と言って良いでしょう。おそらくフランス軍の士気はガタ落ちになりイングランドに更なる勝利をもたらすでしょう」

こちらの質問に質問で返された俺はイングランドに有利な未来予想図を口にしたが、どうやら摂政閣下のお気に召されなかったようで、

「本当にそう思っているのかね?摂政の立場ゆえ真実を口に出来ぬと言うのであれば遠慮はいらぬ言ってみよ」

さすがと言うべきか、見抜かれていたようだ。

「・・・ではあえて言わせていただきましょうベッドフォード公、正直フランス軍の士気が落ちる可能性は薄いでしょう。むしろフランス軍の士気が逆に跳ね上がる可能性があります。救世主と崇める聖女がよりもよって魔女の烙印を押されて処刑されればフランス軍はこちらの想像をはるかに超える程激怒するでしょう。しかも先程公が申していたように万が一にも肉体を灰とする火刑に処されたとすれば事態は最悪です。フランス軍は聖女の敵討ちを叫び、末端の兵士までイングランドへの怨嗟と憤怒がいきわたるでしょう。そしてそれにイングランド軍が持ち堪えられるかどうか」

「・・・安心したよ歴戦の傭兵である君の率直な意見を聞けて。私も同じ意見だ。出来れば彼女を捕えるのではなく戦場で討ち取るべきだった。もしくはブルゴーニュ軍に始末を付けさせるべきだった。それをわざわざ身代金を差し出してまで手中に収めたかと思えばこのようなくだらぬ事をしおって!」

後半は半ば吐き捨てるような口調だった。

「おかげでやらなくても良い汚れ仕事をこちらがせねばならなくなった。オレルアンの乙女を処刑すると言う汚名を。それなのにあの馬鹿者共が!」

このままいくと愚痴になりかねないので話を元に戻す。

「それでベッドフォード公、彼女を救出した後はどうなさるので?フランスに送り返すのですか?」

俺の質問に我に返ったのか、咳払いを一つすると俺の質問に応ずる。

「いや、それこそ本末転倒、彼女をフランスに送り返せば処刑したほどでないにしても、フランス軍は彼女を象徴として祀り上げ、更に勢いを増す事になる。実はだエーヤ・・・今回の仕事はむしろ救出した後こそが本番なのだ」

そのあと彼の口から発せられたのは・・・ある意味予想できた、だが、眉を顰めたくなる内容のそれだった。









旧フランス領、ルーアン。

この日、ヴィエ・マルシェ広場には群衆が集結し、異様な熱気に包まれている。

広場の中心には柱に括りつけられたうら若き少女、そして群衆は彼女を口々に魔女と罵り続ける。

「静まれ!」

そこへ司祭と思われる男の声が響く。

「これより魔女ジャンヌ・ダルクの火刑を執行する!執行官!刑の内容を」

続いて前に進み出た男が朗々と彼女の罪を述べられる。

「・・・以上をもってここなる罪人ジャンヌ・ダルクを異端、魔女と認め火刑にてその汚らわしき肉体をこの地より抹消する!」

「火を付けよ!」

同時に四方から松明を持った兵士が油を十分に含ませた薪に火をつける。

これにより少女の命運は決まり、さぞかし、無様な悲鳴を上げ、みっともなく命乞いをするものと思いきや少女は静かに眼を閉じ、

「・・・神よ・・・今貴方の身許へ・・・」

祈りを捧げ、この地で果てる運命を許容していた。

そのありように執行官ですら思わず息を呑んだ、その瞬間

「猛り狂う雷神の鉄槌(ヴァジュラ)!!」

聞きなれない言葉と共に天空から何かが飛来、台座の一部を破壊し地面にめり込んだかと思ったら、突然大爆発を起こした。

思わぬ事に群衆も兵士も執行官や司祭もパニックを起こす。

そんな中、ジャンヌを括りつけられた柱はあの爆発で宙を舞い数十メートル離れた路地に倒れるかと思われたが現れた人影が交差するやジャンヌを拘束していたロープは切られ、彼女は異様な人影の腕の中に納まっていた。

遠目から見ても男の様だが、その顔はぼろきれを巻いただけの即席頭巾で完全に隠されて何者なのか判別する事が出来ない。

その人影は人一人抱きかかえているとは思えぬ身軽さで民家の屋根に駆け上るやそのまま逃亡を図る。

「・・・・っ!な、何をしておる!魔女を連れ戻さんと悪魔がやってきたのだぞ!討ち取れ!悪魔も魔女もろとも討ち取るのだ!」

司祭の号令に我に返った兵士たちが次々と弓矢を番え弦を引き絞る。

しかし、

「投影開始(トーレス・オン)吹き荒ぶ暴風の剣(カラドボルグ)!」

人影が腕を振るうや弓は全て断ち切られその用途を成せれなくなる。

「な、なんだあれは!」

「ええい!追え!追わぬか!!魔女と悪魔を討ち取るのだ!」

だが、再び何かが飛来するや大爆発が広場の随所で起こり混乱は収まる事を知らず、結局混乱がやっと収束した時には人影もジャンヌもいずこかに姿を隠し、捜索しようにも目撃者を探す事すら困難な事だった。









処刑場から首尾よくジャンヌ・ダルクを救出した俺は足に強化を施し、一目散にルーアンから遠ざかる。そしてルーアンからある程度距離を取った森の奥深くまで着く頃には陽も傾き闇が支配しようとしていた。

「・・・ここまで来ればそう易々と見つからないだろうな」

何しろこの森は街道から大きく外れ旅人すら滅多に足を踏み入れる事は無い。

仕事を完遂させるにはうってつけの場所だった。

「あなたは・・・一体・・・」

そこでようやく状況を呑み込めたのか俺の腕に納まっていたジャンヌ・ダルクが声を発する。

「・・・」

それに俺は答える事無く彼女をそっと地面に下す。

「もしや・・・主の御使いなのですか?」

喜色を浮かべそんな事を尋ねる彼女に俺は苦笑を浮かべ、ぼろきれを脱ぎ捨てながら

「・・・いや、残念だけど俺はそんな御大層なものじゃない」

と否定する。

「そうなのですか・・・」

あからさまに落胆するが気を取り直したのだろう。

「では陛下から私の救出を依頼されたので」

「まあ・・・半分は正解だ」

そう言って俺は頭を掻きむしる。

正直、この先をやるのは気が咎める。

だが、遂行しなければならない。

依頼だからだけではない。

ここで彼女を生かすないし、歴史の表舞台に復帰させる事の重大性を認識していればそのような無責任極まりない事は絶対に出来ないからだ。

決意を決めて腹を括り、俺はジャンヌ・ダルクに投影した虎徹を突きつける。

「・・・オレルアンの聖女ジャンヌ・ダルク、貴女に選択を与える。これから先歴史の表舞台に立つ事無く一人の女性として生きると誓えば命は助けよう。だが、まだフランスの為戦おうと言うのであれば貴女をここで殺す」









「殺すのですか?」

俺はベッドフォード公に尋ねた。

『ジャンヌ・ダルクを救出後は彼女を二度と表に出さぬようにせよ』と言われ考ええる可能性を口にした。

しかし、それに対して公は首を横に振る。

「いや、確かに究極の手段としては殺害もあるだろう。だが、特に殺す事に拘る事は無い。要はオレルアンの乙女が今後、歴史の表舞台から消える事を神の元に誓約すれば見逃して構わん。要は奴がフランス軍に戻らなければいいのだからな」

なるほどと頷く。

欧州では誓約は絶対のものだ。

ましてやそれを神に誓うのであれば敬虔なキリスト教徒の彼女が破る事は出来ない。

「だが・・・奴がそれを拒むのであればその場で奴を殺せエーヤ。オレルアンの乙女のフランス軍復帰は我々にとっては火刑に処される事と同等の最悪の事態だ。それだけは阻止せねばならぬ」

「・・・判りました。それでその後は」

「案ずるな。既にこちらで手は打ってある。君はジャンヌ・ダルクの死刑阻止に全力を尽くせ」









「・・・」

切っ先を目の当たりにしても彼女の表情に恐れはない。

むしろ強い意志を秘めた瞳で俺を見返す。

その瞳の強さに俺は改めてこのうら若き乙女が歴史に名を残す英雄ジャンヌ・ダルクなのだと再認識した。

「申し訳ありませんがそれに応ずる訳にはまいりません。私は神よりの言葉を聞きフランスの解放を誓いました。たとえどのような苦境に立たされようとも、それを我が身可愛さに破る事は出来ません」

「この場で死ぬ事になっても?」

虎徹の切っ先を更に近づける。

少し切ったのか血がにじむ。

それでも彼女に恐怖は見受けられない。

「たとえ死ぬような事になっても・・・ここで命惜しさに全てを覆す事は出来ません」

もはや死は眼前まで迫っていると言うのに彼女の瞳には一切の揺らぎもない。

それに思わずたじろぐ。

一瞬だがここで見逃そうかとも考えるがそれを振り払う。

そう、それだけはしてはならない。

俺が・・・この時代の、嫌この並行世界の住人でない俺が歴史を捻じ曲げる行為だけは。

俺が最初の並行世界から帰還してすぐ、俺は師匠達からある注意、いや、警告を受けた。

それは『故意に歴史を捻じ曲げる行為は厳に慎めと』と言うもの。

『これは最初に向かう時に話すべきだったが士郎、今後もお前にはあらゆる並行世界に飛ばす。その際に歴史の分岐点に等しい事態が幾度となく起こるだろう、その時お前が主導となって歴史を捻じ曲げる事だけはするな』

『その世界、その時代の人間が必死こいて知恵を絞り、思慮に思慮を重ねその上で決断された事に己が協力するそれはまだ許容できるがのぉ』

『その時代、その世界の人間でない者が歴史を捻じ曲げると言うのは同時に歴史を・・・いや、その世界全てを背負い込むと言う事に等しい。士郎、お前がその並行世界に骨を埋める覚悟があるのであればまだしも、それもなく一個人の感情で歴史を弄ぶがごとき所業だけはするな。並行世界でどのような行為をしようと自由だが、それを行った場合お前を破門にしたうえで、その世界に置き去りにする』

常日頃飄々とした二人が今まで見た事の無い険しい表情を浮かべて警告を発する二人に俺はこの二人が歴史と言うものにどれ程敬意を表しているのかが容易に推察できた。

『歴史に敬意?当然であろう。歴史と言うものはその時代時代で人が懸命に考え、妥協し時には強硬手段を取り、時には血を流し、時には手を取り合い、あらゆる人の営みの上で積み上げてきたそれが歴史だぞ』

ゼルレッチ師はそう答え、コーバック師も同感だと頷いていた。

だからこそ俺の独り善がりな思いだけで歴史を変える訳にはいかない。

ここが俺の世界でないのだから尚更だ。

「そうか・・・恨んでも良い。憎んでくれて構わない」

そう言い虎徹を構え直す。

それを見ながら跪いて祈りの体制を取る。

一瞬、この土壇場で趣旨を変えたのかと思ったが、よく見れば違う。

その表情は全てを・・・ここで死ぬ事すらも受け入れ、飲み込もうとしている姿だった。

その上で神に祈りを捧げている。

俺の表情は歪んでいただろう。

正直これほど気圧されるとは思わなかった。

だが、それでも後に退く気は・・・ない。

俺の惰弱な心を独り善がりな偽善を飲み込み、虎徹を振りかざす。

その瞬間、いつの間にか姿を現していた月の光が虎徹の刃を弱々しく照らす。

そして風の切る音と、それに遅れるように液体が草を叩く音、そして重量のある物体が大地に倒れる音が連続して響いた。









「・・・そうかオレルアンの乙女を殺したか」

「はい」

それから半月後、俺はベッドフォード公の元を訪れ仕事の完遂報告を行っていた。

ジャンヌ・ダルクを斬り殺した後、俺がまずしたのは彼女の遺体を完全に隠蔽する事だった。

その事を考慮してあえてあんな森深くに入り込んだのだから。

用心に用心を重ね一際目立つ巨木の陰に隠れるように穴を掘り終えてから彼女から服をはぎ取る。

無論だが俺には特殊かつ異常な性癖もないし、あれほど高潔な乙女を辱める腹つもりもない。

まあ、脱がした時に彼女の均整のとれた美しい姿に僅かであるが見惚れたのは事実だが。

あくまでも万にいや、億に一つの可能性で彼女の遺体が見つかった時、その素性がばれない為の処置だった。

そして服を離れた所に埋めてから全裸の状態のジャンヌ・ダルクをそこに埋葬した。

完全に隠蔽するのであれば彼女の遺体や服を灰にするのが一番良いのだが、彼女の最期の姿を思い返すとそれは躊躇われた。

ましてや、いくら街道からも離れているとはいえ焼いた後の煙を絶対に見られないと言う保証は何処にもない。

である以上、そうおいそれと人が入りそうにない場所に人知れず彼女を埋葬する、それしか手がなかった。

それから俺は人目を避ける様にロンドンに帰還したのだが、その時にはルーアンでの出来事は大きく捻じ曲げられていた。

『魔女を火刑に処す寸前、晴天であったにも関わらず、突如天空より雷が落ち魔女を呑み込み魔女はこの世から姿を消した。その後上空より得体の知れぬ笑い声が聞こえた、おそらく魔女を連れ戻すべく悪魔が現れたに違いない』

これはイングランド側。

『聖女に助けの手を差し伸べるべく神が使徒を差し向けた結果聖女は救われ、そのまま聖女は使徒と共に神の身許へと旅立った』

これはフランス側と実際の真実とは大きくかけ離れたものになった。

しかもイングランド、フランスとで話が百八十度違うと言うのも笑える。

おそらくベッドフォード公も相当に苦心したのだろう。

今回の影響を可能な限り小さいものとする為に。

どちらにしてもオレルアンの聖女ジャンヌ・ダルクはもはや二度と歴史の表舞台に立つ事は無い。

「で、オレルアンの乙女の遺体は・・・」

「街道から大きく外れた森の奥にある巨木の陰に埋めました。無論墓標もありません。仮に見つかったとしても身元の分かりそうなものは軒並み奪った状態で埋葬しましたので、ジャンヌ・ダルクだと判明する可能性は極めて低いでしょう。判別する技術も現れるかも知れませんがそれは十年、いえ百年単位での話。少なくとも俺や公が生きている間は」

「心配はないと言う事か」

肯定の意味を込めて俺は首を縦に振る。

「なるほどなご苦労だった。これは報酬だ。受け取るがいい」

そう言うと金貨の詰まった革袋を執事が差し出す。

それを開けて中身を確認する。

「・・・確かに。ではこれで」

「ああ待ちたまえ。どうかな一杯」

そう言うと今度は執事が酒を注ぎ俺に差し出した。

だが、俺はそれを一瞥すると。

「公、申し訳ないが俺は酒が飲めない。それに飲めてもこの酒を飲む気にはなれない。毒入りの酒を飲むほど俺も酔狂じゃないんでね」

その言葉を聞くとベッドフォード公の表情が歪む。

「勘が良いなエーヤ」

「勘と言うよりも憶測さ。今回の事は絶対にばれてはならない。その為には真実を知る者は少ない方が良いに決まっている。そしてその真実を知る者の中で一番危険なのは俺だ。万が一にも俺の口から真実が明らかになれば、最悪な事になる。ならば口封じに葬ってしまえ・・・違いますか?」

「・・・いやはや傭兵に留めておくには実に惜しい。」

俺の言葉に拍手をして賞賛する。

これが小悪党じみた下劣な笑みであればいくらでも悪態をつけるのだが、ベッドフォード公のそれは何処までも真剣で生真面目なもの。

そして俺に向ける視線は沈痛なもの。

おそらくはこれも本意ではないのだろうが、今回の事を考慮して心を鬼にして俺の暗殺を命じたのだろう。

だが、その言葉や表情とは裏腹に周囲から騎士が姿を現し俺に剣を向ける。

「しかし残念だエーヤ、その洞察力もう少し鈍ければ君の死を栄誉あるものに出来たのだが・・・仕方があるまい。死んでくれたまえ」

「残念だが俺はまだ死ねないのでね」

「この状態でどうやって逃げられるのかね?君を殺すのは誠に忍びないがこれも仕方のない事。諦めて死んでくれたまえ」

そう言うや騎士達が一斉に俺に襲い掛かる。

だが、それと同時に俺の足元の床が消え失せ、俺は重力に従いその穴に落下していく。

完全に見えなくなるまで騎士達があっけにとられた表情で俺を見下ろしていたのが印象的だった。









気が付けば俺は懐かしの家に戻っていた。

向こうで一年以上過ごしたと言うのに、こちらではわずか一時間半。

つくづくでたらめだなと思う。

「ご苦労だったな士郎」

「結構やばかったのぉ士郎」

「ええ、正直あの人数はまだきついですし」

そう言って大きく息を吐いて寝転がる。

「・・・師匠」

「ん?」

「何や?」

「歴史を・・・背負うと言うのは・・・重いですね」

俺の独白に師匠達は揃って

「「当然だ(や)」」

不敵な笑みを浮かべてそう断言した。

戻る