この事件は士郎宛てに、琥珀から届いたある封書がきっかけだった・・・









ある日の午後、急に琥珀から士郎宛てに届けられたそれを不審に思いながら開けてみる事にした。

何しろ士郎と『七夫人』・・・特に料理を担当する琥珀とさつきとの付き合いはかなり親密だ。(無論先生と生徒と言う意味において)

何か連絡があるのなら、こんな封書でなく直接口頭で済ませる事が出来ると言うのに。

かと言って琥珀の名を偽ったものでもなく、封書の字体は間違いなく琥珀の直筆、中身も不審な物は無く、何かの用紙のようだった。

だが、その用紙こそ曲者だった。

「・・・何を考えてるんですか・・・琥珀さん・・・」

中身を見た瞬間士郎は頭を抱えた。

それも無理らしからぬ事なのかもしれない。

中に入っていたのは『婚姻届』であったのだから・・・

それも夫の欄にはきっちり士郎の名前が書き込まれ、妻の欄はなにも書き込まれていなかったが・・・

「何で妻の欄だけこんなにずらりと並んでいるんだ・・・」

十ヶ所空欄があった。

そして一緒に同封されていた便箋にはただ一言、

『衛宮様、頑張ってくださいね〜私達も志貴ちゃんとこれで夫婦になれました〜』

可愛らしく丸文字でそう書かれていた。

「何を頑張るんですか・・・」

突っ込む気力も無くなる。

本人にしてみれば親切心なのだろうが、士郎の脳裏には『老婆心』、『小さな親切大きなお世話』のフレーズが絶えず響く。

「と、とにかく・・・これは処分しよう。見つかったらどうなるかわかったものじゃない・・・て言うか確実に地獄を見る」

そう言って破ろうとした時、

「アルトリアちゃんこれ貰うわよーーー!!」

「タイガ!!それは私のお茶菓子です!!」

居間から何かが暴れる音がする。

もはや恒例行事と成った光景、アルトリアと大河の食糧争奪戦が始まったようだ。

(ちなみに第何回かは記さない。本人達の名誉云々の以前にあまりに多過ぎる為数えられない)

「やばい!また始まったか!」

おそらく今虎と獅子が大暴れしているのだろう。

早く止めないと居間が壊滅的被害を受ける事になる。

慌てて士郎は件の婚姻届を机の引き出しに押し込むと、部屋を後にした。

あまりに慌てていた所為か士郎は気付かなかった。

部屋の片隅で一部始終を見ていた視線の事を。









数日後、この日士郎は不定期の『七夫人』に対する料理教室の為に、『七星館』に出掛けていた。

留守番の面々は皆思い思いに寛いでいた(ちなみにメディアのみは士郎の料理教室に同席している)のだが、そこにレイがやって来た。

それも、ものすごく楽しそうな表情で。

「ねえ、皆ちょっといいかしら?」

レイの言葉に皆露骨に嫌悪をむき出しにした目で振り向く。

これから判る様にアルトリア達のレイに対する感情はすこぶる悪い。

一番良くてバゼット、メディア、セタンタ、ヘラクレスらの冷淡な傍観である。

特に、士郎を虎視眈々と狙っている面子にはレイは憎んでも憎み足りない怨敵である。

セラとリズは直接の接点は無いが、イリヤが敵視しているので彼女達もレイを敵視している。

更に意外な事にレイとカレン、性格も似通ってたこの二人仲が良いと思われるが、実はこの面子の中でも更に相性は悪い。

現にカレンはレイに視線を合わせようともしないし、レイはレイでカレンなど最初からいないかのように振舞う。

おそらく同族嫌悪なのだろうというのが全員の認める所だった。

「何か用?性悪泥棒猫」

「あら?機嫌が悪そうね凛」

「当然です。図々しい野良猫は今すぐにでも縊り殺したい気分なんですから」

魔術師としての顔で冷たく言い放つ凛に、ドス黒く、冷たい笑みで物騒な事を言い放つ桜。

だが、そんな二人の殺気を受けても涼しい顔でいられるレイもさすがと言うべきか。

「そう?でもその前にこれだけ見てくれるかしら?」

そう言ってひらりと紙切れを差し出すレイ。

それを見た瞬間全員が見事に食い付いた。

それは紛れも無い琥珀が士郎に贈った婚姻届だった。

「な、なによ!これ!!」

「あの子のマスターの奥さんがご主人様に送ったものよ」

慌てふためいた凛の言葉にレイは涼しい表情で返答する。

「???リンこれは何ですか?」

「ただの紙切れに見えますが」

「あら、アルトリアもメドゥーサも知らないの?これは婚姻届って言ってね、結婚の時にお役所に出すものよ」

レイのとても面白そうに発した発言に殆どのメンバーが婚姻届に集中する。

「ちなみにご主人様、これを目の前にしてとても悩んでいたわよ。誰に出そうか迷っていたのかしら?それとも本命はもういるけど、いつ出そうかで迷っていたんじゃないかしら・・・推測だけど」

そのタイミングを待っていた様に、更に火に油を注ぐ台詞を言い放つレイ。

「・・・セタンタ、今わざと間を空けて推測と言う言葉を使いましたね彼女・・・」

「ああ、それも小声でな。狡猾極まりねえな」

「むう、もはや夢魔の話など誰も聞いていないな」

ヘラクレスの冷静な指摘通り、火花が見事に散っていた。

レイは嘘を一言も言っていない。

士郎がこの婚姻届を目の当たりにして頭を抱えたのは事実だ。

だが、それはあくまでもどうやって誰にも見られずに処分するかについてであって誰に出すかではない。

レイは意図的に言葉を一部省き、自分の推測と言う形で全員が最も煽られやすい台詞を効果的な場面で使ったのだ。

「シロウの伴侶であるなら共に戦場に出れるだけの力量を伴わなければなりません」

口火を切ったのはアルトリアだった。

「でも、あの馬鹿を止められるような知性も持っていないといけないんじゃない?」

「それなら先輩と一緒に戦うよりも平穏な日常を作れる人の方が良いんじゃないでしょうか」

それに反論するように凛と桜が口を開いた。

「そうなの?じゃあ一番の候補は私ね」

それを聞き小悪魔のような笑みを浮かべるイリヤ。

「私だったらこの中でも魔術師としての実力も高いし、戦力にはヘラクレスもいるし、日常じゃ妹にもなれるしお姉さんにもなれるし」

「あら?そんな幼児体形で先輩が癒されるんですか?出る所も出ていなくて引っ込む所は出ているのに?」

血の雨上等の台詞を黒い笑みを浮かべて言い放つのは桜。

それに青筋が浮かぶイリヤだったがすぐさま反撃に出る。

「あら?無駄に出過ぎているよりはましじゃない?」

そこにレイが明らかに火を煽るのを目的で口を挟む。

「そうよね。ご主人様そんな脂肪だけよりもスレンダーな方が良いみたいね。何しろ私って言う実例があるんだから」

「そうよね。こんな野良猫が味方っていうのもむかつくけど」

「全くです。ですが夢魔の意見に今回だけは賛同します」

そこにやはり負けている事を自覚している凛とアルトリアが便乗しようとばかりに力いっぱい同意する。

孤立無援かと思われた桜だったがそこに助力が現れた。

「サクラ気にする事はありません。シロウにそちらの趣味があるのならサクラと私で修正しましょう。それに・・・」

メドゥーサがちらりと凛、アルトリア、イリヤを一瞥しそれから冷笑を浮かべ

「どんなに頑張っても出なければならない所を出す事も出来ない人達の言葉に耳を貸す必要などありません。あれは俗に言う負け犬の遠吠えと言う奴なのですから」

何かがぶち切れる音がした。

「ほう、言いますね・・・背高ノッポのドジっ娘もどきが」

「本当の事ではありませんか?半永久的に幼児体型のままで女性らしい魅力とは無縁の騎士王陛下」

人を軽く殺せる笑みを浮かべて、お互いの泣き所を的確に貫く。

「「ふふふふふふふふふふ・・・」」

いつの間にか完全武装の出で立ちで、いつでも取っ組み合える体勢を取るアルトリアとメドゥーサ。

それ所か、お互いの最強宝具を展開する気配すら見える。

その迫力たるや激発しようとした凛とイリヤはその気が削がれるほど。

だがそこに、

「二人ともやめた方が良いわよ。家を壊したらご主人様怒るわよ」

レイの言葉に二人とも動きを止める。

「ご主人様怒ってアルトリアに昔のあなたの故郷の料理を出すかも知れないわね。それがアルトリアに対する最高のお仕置きだって私話したし」

「ひぃ!!シ、シロウになんて言う事を吹き込むのですか!!後生です!!お願いですからあれだけは止めて下さい!!この素晴らしい食の楽園を地獄に変える気ですか!!夢魔!!!」

先程までの威勢など吹っ飛んで泣いて頼み込むアルトリア。

よほどのトラウマがかつての料理にあるのだろうか?

「メドゥーサも程々にしておきなさいよ。ご主人様自転車の貸し出し止めるわよ」

「なっ!卑劣極まりないと思わないのですかレイ?私の唯一の楽しみを奪うと言う事が?」

ここまでは強気であったメドゥーサであったが、次の台詞で一気に真っ青になった。

「思わないわよ。それかあなたの麗しいお姉さん達との楽しい夢見せましょうか?」

「ひぃ!!!そ、それだけは・・・それだけは・・・」

涙目で食って掛かるメドゥーサを適当にあしらうレイ。

そこに今まで沈黙を守っていたカレンが口を開いた。

「ねえ先輩方ここで話していても埒が明かないわよ。いっそ衛宮士郎本人に聞いてみたら?」

その言葉に一同は改めて目標(獲物とも言う)を定める。

そんな中レイが始めてカレンに視線を向けて声をかける。

「どういう風の吹き回し?」

質問と言うより詰問だった。

それに対してカレンは例の如くドス黒い笑みを浮かべて

「皆さんが途方に暮れているみたいでしたので。神に仕える者としては迷える子羊を導くのも仕事ですので」

「それって子羊を狼の口の中に誘導するのも導くと言うの?」

「さあどうでしょう?」

そこまで言ってからカレンとレイは笑い合う。

「あなたに対する認識が変ったわ。気に入らないって事は変らないけど、ある事じゃ私達気が合うみたいね」

「そうですね。私も一時だけなら、あなたとは上手くやれる気がして来たわ」

この瞬間士郎にとって悪夢のコンビが誕生した。









さて、そんな惨劇の準備が着々と自宅で進められているとは露にも知らぬ士郎はと言えば・・・

「勘弁してくださいよ琥珀さん。家じゃこういった話題はかなり慎重に取り扱わないとならないんですから」

「すいません衛宮様」

料理教室も終わり、休憩と称して居間でお茶を飲んでいる時に改めて琥珀に例の婚姻届について尋問していた。

「でもね、士郎君もそろそろ身を固めるとかそういった事も考えないと、学校も卒業するんだし」

「それは・・・その意見には一理ありますよ、アルトルージュさん。でも日本じゃ普通は一人しか結婚できないんですよ」

「知っているわよそんな事」

「だったら・・・」

「ですが士郎、ここに例外中の例外が存在しているのです。もう一組例外が増えた所で対した問題にはならないでしょう」

「いや、なりますシオンさん」

そこで大きく息をつく。

「しっかし・・・まさか琥珀さんだけじゃなく全員が共謀していたとは・・・」

そう言ってその場にいる『七夫人』に朱鷺恵、更に志貴も軽く睨みつける。

それに対して、朗らかな笑いで返す者、『何か問題でも?』と疑問に満ちた表情で見返す者、しきりに恐縮するものさまざまであった。

「ははは」

「笑い事じゃない。志貴お前、自分の奥さん達の暴走食い止めようとは思わなかったのか?」

「いやそれが全然」

「お前な・・・」

思わず脱力する。

それでも士郎がさらに反論しようとした時、

「坊やそろそろ戻らないと夕食の時間に響くんじゃないの?」

「それもそうか。とりあえず志貴この件に対しては後日ゆっくり話し合う事にしとく」

「ああ判った。じゃあ士郎気を付けてな」

「言われなくても気を付けて帰るさ」

そう言って士郎とメディアは『七星館』を後にした。

「志貴、士郎『気を付けて』って意味ちゃんと把握したのかな?」

「多分してないだろ。と言うかレン、本当か?レイがあれを見つけたって?」

志貴の問い掛けに猫から少女の姿に変ったレンはこくりと頷いた。

「そっか・・・繋がっていない様で繋がっているんだな二人とも・・・??何、偶然レイが婚姻届の紙を取り出したのが見えただけ?まあどっちでも良いけど・・・修羅場が待っているんだろうな・・・向こうじゃ」

そう呟き思わず手を合わせて士郎の冥福を祈ったのだった。









一方・・・『七星館』を後にした士郎はメディアの転移魔術によって衛宮邸の中庭に到着していた。

「さてと・・・夕食だけど・・・」

そこまで言った時、不意に背筋が凍てつくのを自覚した。

「な、なんなんだ?・・・これ・・・」

士郎には覚えがある。

これは明らかにレイを初めて連れて行った時と同等、いやそれ以上の殺気。

「ぼ、坊や・・・私・・・急用思い出したから少し出掛けるわね」

この殺気に当てられたのか、真っ青な顔で全速力でこの場を後にするメディア。

「じゃ、じゃあ・・俺も・・・」

そう言って同じく全速力で逃げようとした士郎だったがそれは敵わぬ事だった。

「ゲット」

そんな冷淡な声と共に繰り出された赤い布にあっと言う間に拘束される。

「え?ええええ?」

そして引き摺られる様に中庭から室内に運ばれていく。

「えっと・・・ひとまず・・・なんでさ」

居間まで強制連行された士郎はひとまずこの言葉を口にした。

目の前には怖い位満面の笑みを浮かべるアルトリア、凛、桜、イリヤ、メドゥーサが士郎を取り囲み

その向こう側では

「ああ申し訳ありません衛宮士郎。先輩方に強要され、あなたを生贄に捧げる形となってしまいました」

ばればれの演技と嘘泣き(その表情は腹黒い笑み)をしたカレンと、

「ご主人様私じゃ力になれないわ」

口調は詫びる様に、でもその表情はニヤニヤ笑いを耐えているレイがいた。

「演技するならもう少しばれにくい演技しろや!!性悪シスターにサド猫」

思わず二人に思いっきり噛み付く士郎。

そこへ凛が一歩前に進み出る。

「ねえ士郎、これなんだけど」

「へ?これって!!!!」

士郎の表情が強張る。

凛の手にあるのは紛れも無いあの婚姻届。

「こ、これ・・・何処から・・・」

「先輩の使い魔ちゃんが持って来てくれました」

「レーーーーイ!!お前かーーーー!!」

今の状況も忘れて自分の使い魔に詰め寄る士郎。

「シロウ、夢魔にばかり構っていないで私達の方も見ていただけますか?」

アルトリアの手で中央に引き戻される。

「それでシロウ私達が聞きたい事は一つだけです」

一斉に頷く一同。

そして士郎は聞きたい事など判っていた。

「えっと・・・一先ずだな・・・」

そう言って少しづつ後ろにずり下がる。

ずり下がりながらグローブを片手だけ脱ぐ。

「逃げられると思っているの?士郎」

「逃げないと俺の命に関わると思うからな」

苦笑して手早く何の変哲も無いナイフを投影する。

そして全員が士郎を追い詰めようと一歩踏み出した瞬間、後ろ手でナイフを上空に放り投げる。

『!!』

全員が一斉にそのナイフに視線が向いた瞬間を見逃さず詠唱を唱える。

「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」

ナイフは瞬時に爆発する。

爆発とは言え、ただのナイフ、それも魔力など殆ど込められてもいない、クラッカーが鳴ったような音と共に煙が立ち込めただけだった。

だが、それで充分だった。

目晦ましと注意を引き付けるのには。

「けほっけほっ・・・」

「ちょ、ちょっと・・・士郎は?」

「あーーっ!シロウ逃げたーー!」

イリヤの指摘通り既に士郎は煙にまぎれて既に中庭を飛び越えて逃走していた。

「直ぐに追うわよ!」

凛の一声で直ぐに動き出す。

「あらあら大変ね先輩も」

「本当ね」

居間に残されたのは、我関せずとばかりにお茶を啜りながら悪者の笑みで笑い合うカレンとレイ。









その後・・・徹底的に逃亡を続けた士郎は奇跡的に逃げ延びた。

その後レイとシオンに要請して婚姻届に関する記憶を抹消した上で現物を切り裂いた後、燃やし尽くした上、灰を靴で踏み潰し土にまぶして完全に隠滅したのだった。

だが、その後も琥珀らが定期的に婚姻届を届けその度に士郎はそれを完膚なきまでに処分していく事になったのであった。

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