『真なる死神』、七夜志貴。

世界最高クラスの暗殺者一族七夜の血を受け継ぎ、死を司る『直死の魔眼』保有者。

更には聖獣を使役する『極の四禁』をも手にした現世界において屈指の力を持つ人間。

だが、そんな彼にもその生涯においてただ一度だけ完膚なきまでに敗れた実戦があった。

それは『裏七夜』頭目に着任してまだ間もない頃。

その頃は『七夫人』もまた生涯の盟友『錬剣師』衛宮士郎も加わっておらず、一人で仕事をこなしていた時の話である。









その仕事は日本や欧州を仕事場としていた志貴にしては珍しく南米で行われた。

この依頼自体はさほど苦も無く完遂した。

殆どの死徒死者は襲われた事すら気付く事無く、塵と化した。

だが、一番大本の死徒が自分の息子までも犠牲にしてようやく作り上げた、ほんの僅かな隙を突いて、逃走を図ったのだった。

「ちっ!逃すかよ!」

無論全速力で追跡を開始する志貴。

だが、さすがに大本の死徒だけあり逃げ足だけは速い。

七夜の高速移動法『水月』でも追い付くのは難しい。

やがて死徒と志貴はジャングルに入り込む。

森は志貴達の本拠地であるが、やはり奇襲ではなく追撃と言う形ではその本領を発揮できない。

「仕方ない白虎出るぞ」

(御意)

このまま追いかけっこをしても仕方ないと判断した志貴は最速の攻撃法を持って仕留めるべく。白虎を神具に変えようとする。

だが、それを朱雀が止めた。

(主よ!!)

(??どうした朱雀?)

(お戻り下さい!!周囲が異界と化しております)

「異界だと?それは・・・な、なに?」

立ち止まった志貴は一瞬自分が何処にいるのか判らなくなった。

確か自分はジャングルを走っていた筈だ。

だが、ここは何だ??

木々は消え失せ、地面は形も大きさもばらばらな水晶の板を手際よく接続した様な・・・いやもっと言いえて妙な表現があった。

蜘蛛の巣だ。

水晶によって作られた蜘蛛の巣・・・それはこの世のものとは思えない美しさを誇り・・・恐怖を醸し出すものだった。

志貴は知らず知らずの内に息を呑み込んだ。

視線の先から何かがやって来る。

「敵か?」

慎重に『七つ夜』を構え相手の出方を伺う。

そして輪郭がはっきりした時志貴は

「なんだ・・・あれは・・・」

『真なる死神』とは思えない呆然とした声でそう呟いた。

やってきたもの・・・それはなんと表現したら良いのか・・・形としては志貴より二回り・・・いや五回りくらい大きな・・・巨大な蜘蛛だった。

しかしその身体もこの地面と同じく水晶で構成されている。

それに何よりも志貴をして目の前のそれに心底から敵わないと思い知らされたのは・・・

「線も・・・点も・・・ない・・・」

そう見えないのではない、見にくいでもない。

正真正銘目の前のそれには死を示す線も点も・・・存在していなかった。

「う・・・嘘だろ・・・」

真祖であるアルクェイドですら、きわめて細く小さいものだったがそれでも見えていた。

だが、目の前のそれには存在すらしていない。

「一体・・・こいつは・・・」

何もかも不明だが言える事は唯一つ、自分はとんでもない奴の巣に迷い込んだと言う事。

「そうなると・・・あの死徒におびき寄せられたか?」

(そうでもなさそうです)

玄武の視線の先には、塵となりつつあった死徒の死体があった。

その表情には恐怖も苦痛も無い。

おそらくそれを感じる暇すら与えられる事も無く文字通り瞬殺されたのだろう。

(やばい・・・やばすぎる・・・)

志貴は知らず知らずの内にじりじりと後退していた。

目の前の化け物もそうだが、あの存在よりも自分が極めて危険な状態に追い詰められていると思い知ったのは身の内に存在する退魔衝動。

いつもなら表に出てきたがるというのに、今回に限ればその形跡すらない。

ただひたすらに志貴の内面の奥底に潜り込み、災厄が終わるのをひたすら待っていた。

それはあの化け物が自分の手には負えないと宣言したも同然の事。

(逃げるしかない・・・)

決断を下した志貴は迷い無く

極鞘・白虎

己が手に 『双剣・白虎』を握り締め

疾空

後退でなく逃走を開始した。

だが、事もあろうに水晶の蜘蛛はただ一跳びで疾空を発動した志貴に追いついた。

「!!」

咄嗟に全身の肉体を酷使して方向転換する。

ほぼ同時に志貴のいた空間を右の前足が切り裂いた。

「はあ・・・はあ・・・」

背中に冷たい汗が滴り落ちる。

よもや疾空に匹敵する速度を持つ敵がいるとは思わなかった。

いや、間違いなくあの蜘蛛の速度はそれ以上。

あの一跳びどう考えても軽く跳んだとしか思えない。

それはすなわちスピードで振り切るのは不可能だと言う事。

だが、蜘蛛は更に先程と同じ速度で志貴を今度こそ瞬殺せんと迫る。

だが、志貴も既に双剣を捨て

極鞘・玄武

『聖盾・玄武』を招聘し神壁の霧で身を守る。

霧壁

霧の壁は予想通り蜘蛛の一撃を防ぎきる。

『聖盾・玄武』をかざしながら油断する事無く一歩また一歩確実に下がる。

その後を追うように蜘蛛もまた追いすがり猛攻を加える。

それを完全に防いでいたかに見えたが・・・絶望的な音が志貴の耳に入る。

それは初めて聞く、ありえない音だった。

いかなる攻撃も防ぎ志貴を守り通してきた『霧壁』にひびが入った。

「!!」

全力を注いでひびを修復させる。

だが、直ぐにひびは更に大きくなって再び生み出される。

「!!」

咄嗟に志貴は盾も手から放し、今度は灼熱の剣を構える。

極鞘・朱雀

襲い掛かってきた蜘蛛にカウンターを浴びせかける形で一撃を叩きつける

煉獄斬

さすがに高速で迫ってきた為に避けきる事は出来なかった。

『神剣・朱雀』の一撃を灼熱の炎と共に受けてまともにいられた奴はいない。

しかし、志貴は驚愕を通り越して呆れ果てた。

「なんなんだ・・・こいつは・・・」

煉獄斬の一撃をあろう事か受け止めていた。

若干焼け焦げたような形跡こそあるがそれだけ。

それ以外は傷一つつけていない。

「!!!おおおおおおおおおおお!!」

咆哮を上げると志貴は渾身の力を込めて『神剣・朱雀』をバットのようにフルスイングし、蜘蛛を野球のボールの如く吹き飛ばした。

体勢を崩したのか地面を転がる蜘蛛。

しかしそれもすぐに立ち直り再度志貴に迫る。

それを迎撃するのは最後の神具、

極鞘・青竜

槍を地面に突き刺す。

竜脈獄

次の瞬間には蜘蛛の周囲には無数の隆起が現れ、蜘蛛を地面に飲み込もうとする。

暫しもがいていた様だがその抵抗も空しく蜘蛛は大地に埋もれ、埋葬された・・・かに見えた。

地面が平静を取り戻すと同時に水晶の地面にひびが走る。

そのひびからあの前足が姿を現し、蜘蛛が再び地表に姿を現した。

大地の圧力に潰された様子も無く、ダメージを受けている気配すらも無い。

「冗談も・・・たいがいにしろよ・・・」

対する志貴の息は相当上がっている。

休む暇を文字通り与えられず四つの秘技を繰り出した事への肉体的、魔力的な疲労もさることながら、自分にとって奥の手である『極の四禁』がまるで通用しなかった事による精神的な疲労とショックがむしろ深刻だった。

(主よ!我らを聖獣にて再度招聘を)

その時青竜の言葉が無ければ茫然自失のまま志貴は瞬殺されていたかもしれない。

その言葉に我に返り、地面に投げ捨てた『聖盾・玄武』・『双剣・白虎』・『神剣・朱雀』を、そして自身の手に残る『豪槍・青竜』を聖獣へと立ち返らせる。

極鞘・玄武

極鞘・白虎

極鞘・朱雀

極鞘・青竜

振り下ろされた蜘蛛の一撃を猛烈な水の壁が圧力を持って弾き飛ばし、風の如く接近し猛虎が蜘蛛の胴体に噛み付き、志貴から遠ざけ、蜘蛛が怯んだ隙に紅蓮の巨鳥は蜘蛛を持ち上げ、青き神竜が尾を使い吹き飛ばす。

「はあ・・・助かった・・・」

(いえそれよりも主よ急ぎこの場を)

「判った。お前達も無理をするな。頃合を見て退け」

((((御意!!))))

同時に志貴はその姿を消す。

『水月』を使い離脱を開始した。









志貴が逃走を開始したの同時に蜘蛛が再び姿を姿を現す。

だが、それに四聖は構える事も無く静かに対峙する。

(落ち着かれよ。こことは違う星を束ねし者よ)

蜘蛛の動きは玄武の言葉に急速に止まった。

(ワレヲシッテイルカ・・・)

驚く事に言葉を解している様だ。

(無論、水星を束ねし王よ)

白虎がその問いを肯定する。

(ハナシノワカルモノタチノヨウダナ・・・)

そう言い蜘蛛・・・いや、死徒二十七祖第五位に数えられるタイプ・マーキュリー『ORT』は完全に殺意を収めた。

(貴殿の住処に無断で侵入した事については、我らが主に成り代わり我らが詫びる。ここは我らの顔を立てて退いて頂きたい)

何時にない低姿勢で提案する朱雀。

それは目の前の怪物が四聖をもってしても容易に倒せる相手でない事を明確に現していた。

(・・・ヒトツキキタイ。アノニンゲンガオマエタチノアルジカ?・・・ゲセンナ・・・ワレヲウワマルセイジュウ、ソレモ、セイジュウノオウトタタエラレルオマエタチスベテシタガッテイルノカ?アノニンゲンニ・・・ナニユエカ?)

(そうだ。あの方は我らの最初の主の力を正統に引き継がれし方。我らがその命を賭けるに相応しき器を持つ方・・・)

青竜が全員を代表してそう宣言し、残りの三体も頷く。

(・・・ワカッタ。コタビハヒコウ・・・アルジニツタエテオケ。ワレハタダシズカニタタズムノミ。モシイマイチドココニアシヲムミイレルナラバ・・・ヨウシャハシナイ・・・)

そう言い『ORT』は背を向けその場を立ち去った。









「もしもし・・・父さん?俺・・・ああ依頼は終わった。今日はこっちで泊まるよ・・・いや、怪我とかはしてないって。かなり狡猾な奴で手間取って・・・少し疲れたから・・・大丈夫。むしろ怪我してるんだったら万難を排してでも戻るって。翡翠達もいるんだし・・・うん、充分に休んだら帰るから」

『ORT』の住処から離れてようやく辿り着いた町で一息ついていた志貴は宿を取ると、直ぐに日本に連絡を取り宿泊の意思を伝える。

黄理は多少は訝しがったもののとりあえず納得してくれた。

「ふう・・・」

ふと自分の手を見る。

小刻みにその手は震えていた。

武者震いではない。

「恐怖で震えているな・・・」

自分を騙せない事を判っていた志貴は認めた。

あの大蜘蛛に自分は恐怖していると・・・

ここまで志貴に恐怖を植え付けさせたのはあの蜘蛛が最初だろう。

第二時遠野七夜攻防戦で出会った軋間紅摩の時も恐怖を感じたが奴の場合意識の全てが黄理に向けられていた。

真祖の姫でありまもなく志貴の妻となるアルクェイドは最初こそ恐怖より畏怖が強かったが、今ではあの能天気ぶりを四六時中見ている為か畏怖も薄れてしまった。

純粋に志貴に対して恐怖を叩き付けた相手は紛れも無くあの蜘蛛が最初だろう。

出来れば最初で最後にして欲しいが・・・

(主よ・・・戻りました)

そこに志貴の体内から声がかかる。

四聖が帰還してきたようだ。

「ああ、ご苦労だった。あれは?」

(ご安心を、我らの話を聞き此度は退いてくれました)

「話?あいつと話をしたのか?それにお前達あれの正体を知っていたのか?」

(はい、ただ我らもあれの正体を思いさすのには多少時間がかかりましたが・・・)









「そうか・・・あれは第五位『ORT』だったのか・・・」

四聖よりあの蜘蛛の正体と伝言を一つ漏らす事無く伝えられた志貴は深く溜息をつく。

(あれは星を束ねる王の中では特に異常な生態を誇ります。我らが聖獣形態で本気で戦っても引き分けが良い所でしょう)

「勘弁してくれ。お前達が本気で戦えば世界自体が崩壊する。その為の神具だろう?」

(はっ)

(主よ・・・水星の王には)

「当然あいつには近寄らん。線も点も見えない、神具も通用しない、そんな奴と闘えるか」

吐き捨てる様に呟く。

「それにしても・・・くくっ・・・完全に負けたな・・・」

敗北だった、完敗だった、惨敗だった。

だがここまで見事な敗北だと、悔しいよりもむしろ笑いすらこみ上げてくる。

そしてあれとは金輪際係わり合いになりたくないとも思い知った。

「まっ、『ORT』についての依頼が出て来たら速攻断るとしよう。あれが能動的に動かないと言うなら好都合だ。あれを刺激しなければ良いだけだからな」

(御意)









その言葉通り、七夜志貴はその長くない生涯の中で二度と『ORT』と相対する事は無かった。

そして志貴自身、この敗北は誰一人として語る事はなかったのでこの話は歴史の闇に埋もれる形となったのである・・・

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