アインツベルン・・・
ドイツに領土を持つ、錬金魔術を主とする魔道の名門にして第三魔法『天の杯(ヘブンスフィール)』のかつての所有者。
しかし、今から千年前に失ってからその探求と奪還に全てを賭け、それは二百年前の冬木での地においての聖杯戦争を生み出し、大小さまざまな悲喜劇を産み落とした。
しかしそれも終わりを迎える。
第五次において、『聖杯戦争』は想像を超えるイレキュラー・・・死徒二十七祖第二位『六王権』最高側近『影』と当時は『錬剣師』としてその異名を轟かせていた衛宮士郎、この二人の登場、そしてとの遭遇によって戦争は破綻し『大聖杯』は完膚なきまでに破壊された。
それだけでも十分な大事である筈なのだが、わずか半年足らずの内に『蒼黒戦争』が勃発。
人類いや、世界存亡の危機に立たされ、協会もそのような事に目を向けている暇はなくなってしまった。
そして終戦を迎え、協会は各地の残党討伐と復興を新院長ウェイバー・ベルベッドの指揮の元着手する事になったのだが、アインツベルンだけは姿を見せる事は無い。
調査を行わせると居城には人の気配は無く、士郎の元に身を寄せているイリヤスフィール・フォン・アインツベルン以外は行方不明となっていた。
その為協会は『蒼黒戦争』においてアインツベルンはイリヤを残し全滅したとの公式見解を発表、その件はそれで決着したかに思えた。
しかし、実はアインツベルンは『蒼黒戦争』に参加すらしていない・・・いや、この大戦争が起こった事すら知る事は無かったのである。
事の発端は『聖杯戦争』も終局を迎え、三咲市において出現した第十三位『タタリ』を志貴達が滅ぼしてからすぐの事にまで遡る。
この日、『タタリ』との戦いの傷も癒え、『六王権』探索も中休みと言う事もあり、士郎は久方ぶりに新都のコペンハーゲンへバイトに向かった。
夕食の準備は凛と桜がこなしてくれるので心配は何もない。
この日は定時までバイトに従事し、帰宅の途についていた。
そして家までもう少しと言う所で士郎の足が止まった。
周囲の空気が明らかに一変していた。
「人払い・・・いい加減出てこいよ」
士郎の呟きを聞いていた訳ではないであろうがあちこちから次々と人影が姿を現した。
その数十五から二十、体型から見て女性が多い様だが、その服装は現在士郎の家でイリヤと共に居候しているイリヤ付きのメイドであるセラ、リーゼリットのそれと酷似していた。
そしてその表情には、全員変化は無く、色も無い。
冗談でも比喩でもなく本気で人形のようだと士郎は思う。
「・・・シロウ・エミヤ様でいらっしゃいますね?」
代表してなのだろうか、一人のメイドが一歩進み出て優雅に一礼、確認するかのように問いかけた。
「そうだ・・・と言えば」
「死んでいただきます」
その言葉と共に魔術の詠唱準備を始める者、自分の背丈以上のハルバートを構える者さまざまであるが士郎に向けられた殺気は本物だった。
いや、殺気と呼んで良いものかどうか士郎としては判断に苦しむ。
殺気と言うものは多かれ少なかれ人の負の感情によって産み落とされる。
怒り、憎しみ、恨み、悲しみ。
相手を心の底から『殺したい』、その決意によって生み出されるのが殺気だ。
しかし、今自分を包囲している人影にはそう言った類の殺気が欠片も見受けられない。
例えとしては奇妙だが、むしろゴミを捨てる、害虫を駆除する時に人が抱く心境、それに近い。
「なんでまたいきなり死ねと来るのか・・・それを教えてもらえれば幸いなんだけどな」
「無用です。我々の役目は貴方様の速やかな抹消、そして主の保護に他なりませんので」
「主?」
士郎の疑問にこれ以上答えるつもりは相手側には無かったようだ。
「お覚悟を」
そう言うや一斉に士郎一人を殺さんと襲い掛かる。
しかし、それもすぐに潰える。
上空より姿を現した鉛色の巨漢が襲撃者達を一瞬で薙ぎ払ってしまったのだから。
「ヘラクレス」
「無事か」
士郎の傍らに立つのはヘラクレス。
既に戦闘モードに入り、その手には大剣が握られている。
「先程イリヤが目的と思われる敵襲を撃退した折にもしやと思い駆け付けたのだが正解だったようだな」
「ああ、正直この数は少し骨が折れるから助かったよ。で、イリヤ達を襲った奴らって?」
「イリヤ曰く、アインツベルン製の戦闘用人造人間(ホムンクルス)だと言う事らしい」
ヘラクレスの返答になるほどと士郎は頷く。
「じゃあこいつらももしかして」
「服装など一致する箇所が多い仲間とみて間違いなさそうだ」
だからかと納得した。
色の無い表情も、負の感情の無い殺意も。
そしてヘラクレスの一撃を受けたにも関わらず、腕は折れ、腹部を吹き飛ばされ腸が零れ堕ちたにも関わらず、苦痛の呻き声を発する事もその顔を歪める事も無く、無表情で立ちあがる人造人間(ホムンクルス)。
「殺すのは面倒だが四肢を吹き飛ばずなり斬り落とす。殺すのは相当に骨が折れるぞこやつらは」
「らしいですね。貴方のあれ受けて無表情で立ち上がれるって事自体がいささか信じられませんから」
士郎の語尾に重なる様に、人造人間(ホムンクルス)達は再度、士郎の命を奪い取らんと躍り掛かった。
士郎達が自宅に帰宅したのはそれから一時間後だった。
「シロウ!!大丈夫!!」
帰宅してすぐに士郎に飛びついて来たイリヤに
「ああ大丈夫。ヘラクレスが援護してくれたから」
笑って頭を撫でる士郎。
「もう!止めてよね!シロウ!!私は立派なレディなのよ!」
その扱いに憤慨するイリヤだったが、ヘラクレスが連れてきた・・・と言うよりも抱えて来たそれを見るやその表情は魔術師のそれに切り替わる。
「イリヤ、こいつらは」
「ええ間違いないわ。アインツベルンの人造人間(ホムンクルス)ね。ヘラクレス、そいつらは中庭にでも放っておいて、バゼットがここに押し掛けた連中を放棄している筈だからそこにまとめておいて」
「わかった」
イリヤの言葉に一つ頷き、ヘラクレスが中庭へ踵を返す。
「大丈夫なのか?無造作に」
「問題ないわ。全員、両腕、両足を砕いているし、魔術を使う奴に関しては舌を引っこ抜いておいたわ。魔眼を使う奴がいれば眼も潰す所だったけど、幸いそう言った奴はいなかった。現状ではあれはもう意思を持つ置物とさして大差はないわ。まあそれでも念には念を入れてセラとリズに監視させているけど」
相当に物騒な事を言っているが、士郎も特に何も言わない。
言っても仕方ないと思うし、何よりも下手の事を言えば災難は自分にも降りかかるからだ。
ひとまず居間へ移動する。
「おう、帰ってきたか」
「やはり士郎君も襲われましたか」
「ええ、ヘラクレスが援護に来てくれたおかげで無事に撃退出来ましたが」
居間に入ってきた士郎をセタンタとバゼットが出迎える。
腰を下ろした士郎の膝に白猫が丸まる。
先日紆余曲折、想像を超える修羅場の果てにしぶしぶ同居を認められたレイだ。
ちなみに凛、桜、アルトリア、メドゥーサ、カレンは所用で数日間衛宮邸から離れている。
暫くするとヘラクレスが戻って来た。
「それでイリヤ、ここと俺を襲った奴らは例外なく」
「ええ、アインツベルンお手製の戦闘用人造人間(ホムンクルス)。とは言っても私やセラと違って感情や思考、痛覚は完全に排除された汎用型とでも言えば良いかしら、性能は雲泥の差があるけどリズのそれと近いと思えば良いわ」
「狙いは俺の命と主の奪還だと言っていたが」
「たぶんお爺様の命令ね。私を奪還して新たな聖杯戦争の準備を始めたいのか・・・」
「待ってください、イリヤスフィール。確か『大聖杯』はもう」
「ええ、シロウの手で完全に破壊されたからこの地でまた『聖杯戦争』を行う事は不可能よ。それこそ新しく『大聖杯』を作り直さない事には」
「イリヤまさかとは思うが」
「そのまさかでしょうね。お爺様は私を使って新たな『大聖杯』を作る事を画策している。でなければ基本的に動こうとしないお爺様が・・・と言うかアインツベルンが動くなんてありえないし」
士郎の危惧にイリヤは他人事のような口調でそれを肯定する。
「そうなるとさらに襲撃が起こる危険性があるって訳か」
セタンタの声は危惧と言うよりも、襲撃を心待ちにしているそんな喜色がにじみ出ていた。
「危険性だけで論ずるなら十分あり得るでしょうね。アインツベルンにとって聖杯・・・いえ、『天の杯(ヘブンスフィール)』成就は悲願ですもの・・・目的と手段が入れ替わったとしても」
士郎は改めて師のゼルレッチの言葉を思い出す。
アインツベルンには関わるなと・・・
しかも、士郎にとって厄介ごとはアインツベルンだけに留まらない。
未だに本拠地も不明な『六王権』一派の捜索も、魔術協会の積極的とは程遠い協力体制の所為で梃子摺っている。
こんな時にアインツベルンと言う刺客による不意打ちなどされた日にはたまったものではない。
士郎としては本気で頭を抱えたくなる。
しかし、それも
「士郎」
突然現れた新たなる来訪者の出現で解決策が見える事になったのだった。
ドイツ、アインツベルンの居城。
部外者は十一年前の衛宮切嗣以外、誰一人たりとも入れる事の無かったこの城を『代弁者』スタイルの士郎は歩いている。
イリヤは士郎の背後に士郎に守られているようについていき、二人の背後を守る様にヘラクレスが付き従う。
時折、士郎達を襲う影もあったが、大抵はヘラクレスの一撃がまかりなりにも人の形をしていたものをただの挽肉に変える。
ごく稀に士郎の一閃が切り伏せる事もあったが。
魔術的な防衛はイリヤが全て解除していく。
そんなやり取りを何度か続けて行く内に目的地にたどり着いた。
重々しい扉を開ける・・・事はせず、面倒だと言わんばかりにヘラクレスの剣が攻城槌の様に扉を吹き飛ばす。
そこは礼拝堂、周囲のステンドグラスにアインツベルンの歴史を刻みこんだある意味アインツベルンの聖域に当たる場所。
そこに一人の老人がいた。
「イリヤ、あれが」
「ええ、お爺様、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。最も誰も彼もアハト翁と呼んでいるけど」
「通り名か」
「そう思って間違いないわ」
そんな内緒話を圧するように
「さて・・・ようこそと言って良いものか」
凍てついた空気を圧するほどの怨念じみた魔力の奔流。
抗魔力を持たない一般人や半人前魔術師などそれで殺せるほどの魔力もイリヤ、ヘラクレスはもちろんの事、ゼルレッチ、コーバックお手製の抗魔力性能を誇る士郎の服には全く通用しなかった。
「お初にお目にかかると言って良いものかアハト翁」
それに対抗するように士郎も『代弁者』としての声で応ずる。
「アインツベルン八代目当主アハト翁へわが師、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグより代弁を伝え」
その語尾をかき消すように
「イリヤスフィールを渡せ」
執念、妄執を言葉にすればこうなるのかと思いたくなるほどの重く、暗く、纏わりつくような声がアハトより漏れ出た。
「イリヤスフィールは聖杯の器、いや、新たなる『大聖杯』の礎。貴様になど渡すか。『大聖杯』を生み出し、今度こそアインツベルンは聖杯を手にし、その栄光を取り戻す・・・」
その眼は覇気とそれをも圧する狂気に満ち溢れていた。
「・・・ふぅ・・・」
その狂気に満ち溢れた執念を前に思わず士郎はため息をつく。
「あのな・・・お前らのその狂った執念がその聖杯を完全に狂わせた事を理解しておけよ」
「だからなんだと言うのだ」
地声に戻った士郎に対する返答はらしいと言えばらしいしあんまりと言えばあんまりだった。
「理解してないのかよ・・・第三次でのお前らの焦りがお前らの悲願とやらを完膚なきまでに破壊したんだと言いたいんだが」
「だからどうした。アインツベルンの栄光の前ではそんなもの細事にも値せぬ」
「わかっているのか?お前らが呼び出したアヴェンジャーによってなにがもたらされる所だったのかそれを判っていたうえでその台詞を吐くと言うのか?」
「だから何だと言うのだ!!」
売り言葉に買い言葉とはけだし名言であろう。
「てめえらが呼び出したアンリマユの所為で世界が滅び、何億の命が消える瀬戸際だったって言いたいんだよ!!いい加減理解しろ!!石頭のくそ爺!!」
ぶちきれた士郎の罵声への返答は
「それがどうした!!世界?何億の命?我がアインツベルンの悲願の前にはそんなもの塵芥の価値すらないわ!!」
当然なのかどうなのかわからぬが、視野が悲願の成就にしか行かぬほど狭くなった亡者の負けず劣らぬ罵声だった。
しかし、それを聞いた瞬間、士郎から激昂も憤激も何もかも消え失せ、言葉を発する事を止める。
それをアハトは相手を論破したと思い込んでいるようだったが、それは大間違いだった。
士郎は論ずる事を止めたのではない、諦めたのだ。
自分と目の前の怪老との間には決して届かないであろう・・・それこそ並行世界レベルの分厚くおそらく決して届かないであろう高すぎる壁が存在している事に今更ながら実感したのだから。
そしてアハトは気付かない。
士郎の眼に宿る圧倒的な侮蔑と軽蔑の色を。
そして士郎とヘラクレスに守られているイリヤの眼に現れた諦観と憐みの色を。
「わかったか!小僧さあ早くイリヤスフィールを渡せ!!そして貴様の命をもって偉大なるアインツベルンの悲願を妨げた事を償え!!」
しかし、その言葉に応じたのは士郎でもイリヤでもなかった。
「ほう、ずいぶんと偉くなったものだな。小僧風情が」
「!!」
妄執にのみ囚われていたその眼に別の色が浮かぶ。
声は聞いた事は無い。
姿も見た事も無い。
しかし、二世紀に長き時を生き抜いてきた老人はその声だけで誰が来たのか理解した、いや、してしまった。
慌てて翻した視線の先には妄執の果てに堕ち果てた自分以上の生を生き抜いてきたにも拘らず、そのようなものに堕ちる事も無く、その眼光は鋭く猛々しい。
そして周囲の澱む妄執の空気を存在するだけで吹き飛ばし霧散させるその存在感。
このような存在早々いる筈もない。
紛れもなくそれは
「キ・・・キシュア・・・ゼルレッチ・・・シュバインオーグ・・・」
信じられない、いや、信じる事が出来ないそう言わんばかりの声をかろうじて絞り出し、思わずよろめく。
だが、すぐに体勢を持ち直したのは見事と言うべきか。
例えそれが虚勢だとしても。
「な、なぜ貴殿がここに!確かに貴殿は『大聖杯』完成に立ち会ったがそれはあくまでもトウサカの師父がゆえの縁に過ぎぬ!そ、それがどうして」
「忘れたのお爺様、ここにいるシロウはキシュアの一番新しい弟子である事を、そして、シロウに『大聖杯』破壊を命じたのは他ならぬこのキシュアよ」
イリヤの言葉に二重の意味で眼を大きく見開くアハト。
士郎がゼルレッチの弟子である事を今の今まで忘れていた事の驚愕と『大聖杯』破壊がゼルレッチの命だと言う驚愕の。
「な、何故!」
「貴様らの無様さに失望したからさ。私があれに立ち会ったのは確かにトオサカの縁も一因だが、『冬の聖女』ユスティーツァの覚悟と、それによって生み出された行く末に興味を持ったが故。だが現実にはどうだ?他の家と奪い合う無様さはまだ許容出来るが、その果てに自らの暴走で自らの手に御しえれぬものを生み出し育てた愚劣さ、聖女が『大聖杯』で意思を持っていたのならばさぞかし失望しただろうよ」
ゼルレッチの声には僅かな憐みがあったが、それをかき消すほどの怒りと軽蔑が色濃く残されていた。
「士郎、ご苦労だったな。あとの事は私が処分しよう。お前達は早く城を出ろ」
「判りました」
そう言ってゼルレッチに一礼するとイリヤを伴い、ヘラクレスと共に礼拝堂を後にする。
と、イリヤが一瞬だけアハトに視線を向ける。
「・・・」
何か言いたげだったが、結局何も言わず、士郎とヘラクレスに守られながら礼拝堂から姿を消した。
「ま、待て!イリヤスフィール!!」
アハトは呼びかけるが、イリヤはもう振り返る事も無く、礼拝堂を後にしていく。
士郎とヘラクレスが守っている以上、アハトがイリヤをどうこうする事など不可能だった。
「イリヤスフィール!!」
しかし、そんな事などお構いなしなのかイリヤの後を追おうとするが、足が一歩も動かない。
いや、足どころか指先一つまともに動かす事が出来ない。
「これは・・・」
二世紀を生きてきた自分が気付く事も出来ないほど鮮やかな手並みの束縛、言うまでもなくその犯人は目の前のゼルレッチに他ならない。
いつの間にかアハトの足元に魔法陣が刻み込まれている。
「な、何を!」
「まあ、せめてもの慈悲と言う奴だ」
そう言うと懐から彼の愛剣であり、最強の切り札宝石剣を取り出す。
「!!」
それを見た瞬間、表情を強張らせる。
「わ、私を殺すのか!」
「なぜこれで殺さねばならぬ。殺すのならば士郎にやらせている」
そう言いながら静かに詠唱を口にする。
ゼルレッチの詠唱が響く度に宝石剣は光り輝き、同調するかのようにアハトを拘束する魔法陣が胎動するように点滅を繰り返す。
「で、ではいったい何を・・・」
「お前達の悲願とやらが成就された世界に送るだけだ」
詠唱は最終段階を迎え、宝石剣は直視できぬほどの光を周囲にまき散らし、点滅していた光は連動するように膨張しアハトを飲み込み、光が完全に消滅した時にはアハトはいかなる比喩抜きでこの世界から姿を消していた。
そしてアハトは知りえぬ事であるがこの城にいた全ての人造人間(ホムンクルス)もまた同じ魔法陣で拘束されており、拘束の役割を果たした全ての魔法陣もまたここにはいない術者の詠唱に合わせて点滅を繰り返し膨張、飲み込んだ後には全て消えていた。
その直後、魔法陣は跡形もなく消滅し、何が起こったのかその痕跡すら残す事は無かった。
その光を客観的に確認できたのは城の正門まで戻って来た士郎達だけだった。
「これが第二魔法・・・」
「客観的に見るとこうなるのか・・・」
始めて見るそれをイリヤは呆然と眺め、修行の一環で幾度となくこれを受けた士郎はやや呆れ気味でそれを眺めていた。
「終わったぞ」
「師匠、お手数をお掛けしました」
いつの間にか現れたゼルレッチに士郎は深々と頭を下げる。
「構わんさ。『六王権』が発見されておらぬ現状、あのような愚物に状況を一変されるようなことをされては傍迷惑でしかない」
「それで・・・キシュア、お爺様達は・・・」
「残らず送ってやった。『アンリマユ』が顕現された並行世界に。せめてもの慈悲だ」
慈悲なのかどうか極めて微妙だが、アインツベルンの悲願が成就した世界に送った点では慈悲と言えるかもしれない。
成就を見れるかどうかは彼らの運次第だが。
「では戻るぞ。士郎、今日は休め。明日からまた探索を頼む」
「わかりました」
その夜、士郎はイリヤの部屋を尋ねた。
部屋に入るや開口一番
「・・・後悔してるのか?」
帰ってきてからずっと表情は固く、見る人によっては泣く寸前の様にも見えるイリヤに士郎は躊躇いがちに声をかける。
「・・・後悔・・・しているかもしれないわね。お母様も、キリツグもいなくなってからはお爺様と城の皆が私にとって家族・・・のようなものだったのかも知れない。でも・・・お爺様達は誰も彼も私を聖杯の器程度しか見ていなかったから本当の意味で家族はセラとリズだけだったのかな?」
誰に聞かせるわけでもない独白を士郎は相槌を入れる事無く聞き役に徹する。
返事など本人が期待している筈がない事を誰よりも承知していたのだから。
「やっぱり寂しいのかもしれない。なんだかんだで家族として暮らしてきたから。あ、でも今はシロウが一番の家族だけどね」
おどける様に言うイリヤを無理に慰める事はせずに軽く頭を撫でてから、
「そっか、じゃあ大丈夫だな」
意識してのそっけない返事にイリヤはいつもの調子でむっとする。
「もうシロウ!こういう時は傷心のレディを一晩かけて慰めるところよ!」
「そうは言っても大丈夫そうに見えたし」
「本当シロウってば鈍感なんだから!」
すっかり元の調子を取り戻したイリヤはいつもの様に士郎に向かって年不相応でありながら外見相応の罵声を飛ばす。
そんなイリヤが来てから当たり前となった光景がそこにあった。
一方では穏やかな未来に歩を進めていたが、無残な未来を眼にする者もいた。
気が付いた時アハトは先程と同じ礼拝堂に倒れていた。
「ここは・・・くそっ!何が魔道元帥だ!我がアインツベルンの悲願を滅茶苦茶にしおって!!」
最初何倒れているのか理解出来なかったが倒れる直前の事を思い出すに従い士郎の、そしてそれを使嗾したゼルレッチへの怒りに満ち溢れていた。
「必ず・・目に物を見せてくれる・・・その為にも是が非でもイリヤスフィールを取り戻さねば・・・」
悲願にしか視野が向かっていない怪老は礼拝堂の扉を開こうとする。
扉?
確か、扉は先程ヘラクレスが完膚なきまでに破壊した筈・・・そんな事を思い出そうとしたが、その時には礼拝堂の扉は開かれ、それがアハトの最期の思考となった。
開くと同時に黒き汚泥がアハトを呑み込み、礼拝堂を瞬く間に満たし、アインツベルンの歴史を描いてきたステンドグラスは薄氷よりも容易く砕け散った。
奇しくもアハトはこの並行世界で最後の人類となった。
自らが悲願と豪語していた『天の杯(ヘブンスフィール)』の成功例となった『アンリ・マユ』の手で・・・
もはや地球上に殺す人類もいなくなり『アンリ・マユ』の猛威はこの惑星から抜け出ようとしていた。
だが、それを許さぬものがいた。
宇宙空間に立つ一つの人影、真空の世界にも関わらず、そこに当然の様に立つ人影。
「・・・もう手遅れか・・・いや、そもそも俺達が動くのはどうしようもないほど手遅れになった時だって言っていたな」
そう呟くとその手に一振りの剣を握りしめる。
それを脅威と認識したのか地球上から『アンリ・マユ』は触手をその人影目掛けて突き出すが、どれも命中しない。いや、命中はしているがどれもこれも突き抜け、その人影を仕留めたようにはとても思えない。
そんな無駄な抵抗にも思えるそれを尻目に人影は高々と剣を振り上げる。
「・・・剣神より下賜されし(バウンティ)」
気負いはなく、感慨もなく
「報奨の剣(ソード)」
真名の解放と同時にその剣は世界を全て斬り裂く。
いや、斬り裂くと言う生易しいものではない、剣が通った瞬間全てを撃ち砕く。
そして、瞬く間に世界は無へと消え去った。
『アンリ・マユ』もまた共になすすべなく消滅していく。
当然と言えば当然、いくら人類全ての悪を負って立つとはいえ『アンリ・マユ』は人が創り出した神に過ぎず、それを討ち取った側は未だ末席に位置するとはいえ、正真正銘本物の神なのだから。
「終わったの?」
そこへ人影に寄り添う様に新たな人影が現れる。
「ああ、きっちりとけじめをつけた」
「そう・・・ごめんなさいね。本来なら・・・」
「いや、こいつは俺がつけるべきものだ。それにこれが俺達、剣の神霊が負うべき仕事だから」
そう言って安心させるかのようにかすかに笑ったかに見えた。
「さて・・仕事も終わったし・・・帰るか」
「ええ」
その言葉を最後に二つの人影は姿を消しそこは正真正銘無となった。