「寒い日」
部屋の中にいても息が白く凍るような、そんな日。なるたけ寒気に肌をさらさぬように、人々はみなしっかりと袖を閉じたり腕を組 んだり、耐えがたいところをどうにか耐えて行き交っているのに、子どもらは、どうしてかこの寒さを耐えるものでなく、楽しむべ | きものと捉える感性を持つようで、力いっぱいに走り回ったり、お互いにいたずらを仕掛けては押し合ったり、へし合ったり。剥き | 出しの腕や足を、真っ赤に火照らせている。十分に布地を纏えているとは言い難い子らもいる。だがそうした子らを区別する子らは | いないし、遊びに夢中になっている彼らの目には、とにかく大勢でいることが楽しくて、その身につけているものの違いなど、そも | そも映ってはいないのだ。
| だからといって、ふざけて体をぶつけ合ったりしようという時に、相手と自分の目線とがまるで合わないくらいに違ったなら、さす | がに気づかないというわけにはいかない。おや、ずいぶん大きな奴が混ざっているぞと思うし、明らかに異質なものを捉えた時に、 | 誰もが一瞬は陥るあの小さな恐怖感という罠に捕らわれて、あっと体を硬くする子どももある。そんな子どもらに向かって、その大 | きな体をしたものは言う。
| 「ええもん見せたろかあ。」
| 包み込むような上方訛りと発言の内容によって、子どもらの中に小さくあった恐怖心が、とん、と次の展開への期待感に入れ変わる。 | 瞬きを忘れた円らな瞳が幾つも向けられた先、若い男が立っている。人を安心させるにはどうしたらよいか、よく心得ているらし | いこなれた笑顔。裾の短い山袴のようなものを穿(は)き、上衣は袖無し長めのものを、腰のところで締めている。寒々しいといえ | ば、これほど寒々しい恰好をしている者もそうはいないが、何よりおかしいのは、肌を覆う衣が少ないのは経済的に貧しいからであ | ろうと思われるところが、この晴れた日に下駄を履いたり、耳や手首を奢侈品で飾ったりするなど、むしろ暮らしに余裕のある遊び | 人風であるところ。自ら好んでのこの恰好であるなら、よほど寒さに強いのか、己の好みを優先する酔狂者であるのか。
| 「いくでー。」
| 背中を軽くこごめて、何か出してくるように腕を動かす。それを先に覗いてやろうと動く子どもあり、前に立つ大きな子の肩に懸命 | に顔を乗せてくる子どもあり。
| 「ほら!」
| 「わっ、氷!」
| 「まんまるだ!」
| 群がる子どもら。小さな手と手が交差して、男の手から我勝ちに氷を奪おうとする。どこかの家の軒先に、出しっ放しになっていた | 桶にでも張っていたものであろうか。円さといい厚さといい、なかなかに見事な造形。目に見えるものすべてに触れたがる子どもで | なくとも、ついつい魅せられて足を止め、顔を近づけ、手を伸ばしてしまいたくなる、そうした冷たい輝き。
| 「重いから気いつけや。」
| もっとも年長らしく見える少年の手に、男は氷を委ねる。委ねられた少年の、誇らしげな瞳の輝きは、その手の平の上に危なっかし | くのせられた、美妙なる自然の円鏡の放つそれに、優るとも劣らない。
| 子ども達のはしゃぎ声が、少し男を離れて、男の方でも見守る目つきになり、一歩二歩、遠ざかる。この辺りは長屋が立ち並ぶ。大 | 抵は平屋建てだが、男が背を向けて立っている辺りのものは二階を有している。その二階……ちょうど男の頭上辺りに位置するとこ | ろの雨戸と障子が、そろって半分ほど開いている。
| 「無邪気でええなあ、子どもは。」
| 「あなたの馴染み具合も相当なものでしたよ。」
| 「ほうかあ。」
| 「ええ、とても。」
| 「なあ白、お前……。」
| 往来に立つ男は、体の向きは変えないまま、ぐっと胸を反らせて、後ろを見る。
| 「さむないか?」
| 不自然な体勢から発する声は、彼本来のものよりも細く、高い。
| 二階から、往来を見下ろしている顔……欄干の向こうに見えるそれは、声を聞かずに遠目に見たなら、女だろう、とさして疑念も抱 | かず納得してしまいそうなほどに、白く小さい。その顔が、少し傾く。
| 「紅虎、あなた、自分の恰好分かってますか?」
| 声を聞けば、男と分かる。落ち着きはらった、すんなりとした響き。
| 「分かってるよー。」
| 往来の男、紅虎は、体勢を戻して、今度は体全体でくるりと振り向く。
| 「そやけど、わいは動いてるからな。あの氷取ってくるのも結構難儀したんやで。それに比べて……お前、ずーっとそんなとこ座っ | とってからに。」
| 「黒蠍は、真冬に滝に打たれて、半時近くもぴくりとも動かなかったそうですよ。」
| 「あいつはおかしいんや。」
| 「そうですね。しかしわたしは、あなたや黒蠍に比べれば、よほどましな恰好をしていますし、少し寒いくらいのほうが、頭がはっ | きりするようで、好きなもので。」
| 「少し寒いっちゅう……朝やないと思うけど……おっ。」
| 長屋の方を向いていた紅虎が、何の気なく往来側に目をやると、子どもらが怖々転がして遊んでいた氷が、ちょうど彼の足元めがけ | て近づいてきているところであった。くすんだ藍色の、ちんちくりんな着物を着た子どもが走ってきて、抱きつくように、透きとおっ | た光の輪を押し止める。あっ、と声を上げた子どもらの表情は、笑っているものもあるが、どことなく不満らしく見えるものが少々 | 多い。叫びたてる声から推し量るに、どうやら転がしては投げ、転がしては投げの遊びには、転がっている途中の氷を押さえたも | のが、次に投げることができる、という決まり事がいつの間にやらできていたらしいのだが、その権利を、藍色の着物の子が連続し | て獲得してしまっている、つまり、この数回、その子しか氷に触ることができていないというのだった。
| 「そうか、そうか!」
| 紅虎は手を打った。
| 「ひとつしかないもんな。ああ、こらいかんかった!」
| 「他にないの?」
| と責めるような口調で尋ねてくる子、泣き出しそうな顔をして一心に紅虎を見つめてくる子……。藍色の着物の子は、半分は傍観者 | らしく、しかし半分は何か気まずい当事者といった感じの表情で、首を伸ばして周りを見たり、紅虎のほうを向いてにやにや笑った | りしている。
| 「よし分かった、氷探しに行こう!」
| どこに?、と詰め寄る子どもら。
| 「水があるところや、どこや。」
| 「川行ったらある?」
| 「川は動いとるもん。元気のあるやつは汗掻くから凍らんのや。」
| えー、という声が上がる中に、はいっ!と手を挙げた利発そうな女の子。
| 「お地蔵さんの池は?」
| 「お地蔵さんの池?どこや、それ。」
| 「お地蔵さんの山にあるの。向こうの……。」と西の方を指さす。「山の中に、小さいお地蔵さんがいらっしゃるんだけど、すぐ前 | にこれくらいの池があるから、みんなお供え物ができないの。」
| 「へえ、かわいそうなお地蔵さんや……。」
| 女の子が両手を広げて作ったわっかを、紅虎は腕を組んでしかつめらしく吟味する。よし、と表情の硬さを解きつつ頷く。
| 「そこに行こう。」
| 人肌に長く接していると氷はどんどん溶けてしまう、というと藍色の着物の子はふーんと澄ました顔をしつつも、素直に紅虎の手に 氷を委ねた。その時見えた丸く小さな手の平は真っ赤で、まるで燃えてでもいるようだった。長屋の壁に、紅虎は氷を持たせかけて | おく。誰か盗らないかな、という声に、見張りがおるから大丈夫や、と二階を指さす。
| 「それか、中に入れといてもうて、お前も来るか?見てるよりおもろいで。」
| |