「理想の人」
備考:三十代前半の二人
| 少し遅れてやって来たパーティ……。格式高いその家の主人、今宵のホストは、完璧に洗練された動作と言葉で、ローレンスを迎え た。
| 「忙しい君に、ゆっくりしていってくれとはなかなか言えないが……。」
| 白銀の髪が一束、乾いた初老の、しかしシミひとつない額の上に落ちている。
| 「娘さんはどちらに?おめでとう、と申し上げねば、今日の内に。」
| 「向こうにいる。あれの誕生祝いのために開いたパーティだ。今日ばかりはみなにちやほやされるので、嬉しそうだよ。」
| そう言って細めた目で、主人は広間の一角を見る。そこには会場内で最も大きな人だかりができている。良家の子女ばかりだという | ことは、匂い立つような品の良さから明らかであって、そのまぶしく華やいだ様に、ローレンスは何か自分とは違った世界を見るよ | うな目つきを寄せる。それは無論、おかしなことだった。彼は、良家の中でも極めてきらびやかな血筋を誇る一族の出であったのだ | から。
| 「わたしのように、そろそろ中年の域に入ろうかという者には、少し足を踏み入れにくいような雰囲気ですな。」
| 「何をおっしゃるか。独身でいる内は誰もが人生の花盛り。男なら女、女なら男の、色っぽい視線を集めずにはおかないものです。 | さあ、お引き合わせしよう。」
| 主人の先導で、ローレンスはその若やいだ一団の下へと向かう。普段の付き合いに親疎の差はあるものの、今宵の主役である娘も含 | めて、どれも知った顔ばかり。
| 「おっ、これはこれは。ローレンスの若殿が。」
| 最初に振り向いたのは、家同士の付き合いの古さから、幼少期よりよく見知った顔の若き男爵。
| 「おいおい御一同、道を開けろ。美しい花に夢中になるのもほどほどに。払うべき敬意を忘れた男に、世のご婦人がたの評価は厳し | い。」
| 「獣と同じですものね。まだしも本物の獣の方が、用心すべきものと分かりやすくていいですわ。」
| 高さはありつつも落ち着いた声の響きとともに、コツコツと誇らしげな靴の音がして、ふわり、とまさに一輪の花が咲きいでるよう | にひとりの女性が目の前に現れた。それは今宵の主役であるこの家の令嬢。ローレンスもよく知ったはずの顔だった。しかしその姿 | に、ローレンスは小さな違和を感じる。どこか、違う人物のように見える。
| 「どうなさったの、ローレンスさん。」
| 「いや、あなたは、この家のご令嬢だと思うのですが。」
| 「そうですわ。」
| 「一人娘の?」
| 「そうですとも。」
| ほう、とローレンスはまるい目を見開いて瞬く。
| 「女性というのは……魔的なものです。」
| 「褒めてらっしゃるの?」
| 「無論です。昨日までのあなたはフリージアの愛らしさ、今宵のあなたは艶(なま)めくカトレア。驚いたのです。」
| 「実はみなさんそうおっしゃいますの。わたし、そんなにも田舎娘っぽかったかしら。」
| 「誤解を恐れず言うならば、形を整える前でもダイヤはダイヤ。しかし磨き抜かれたその姿には、やはり精髄の凄味というものがあ | るのです。」
| くすり、と細く白い五本の指で、花弁の唇を隠しつつ令嬢は笑った。
| 「構いませんわ。自分でも鏡を見ていて、何だか変な気がしていましたもの。それに、嬉しいんですの、みなさんびっくりなさるか | ら。」
| 「急に甘い言葉をかけてくるような男には、用心なさい。」
| 「あら。」
| すでに心当たりがあるといった顔。令嬢の背後に立つ男達が、ざわざわと互いを見やって、にやりと笑い、中のひとりが端正な口元 | を操りながら、柔らかにローレンスに言葉を投げる。
| 「卿、我々は若く、皮相的にしか物事を見ることができません。しかしその薄っぺらさゆえ、腹の中も見せてしまった通りでして。 | 決して嘘をつくことはできません。目の前の令嬢の美しさに、思わず口をついて出てしまった言葉の数々、衷心からのものと、誓っ | て申し上げます。」
| 「いや、なに……。」
| 真綿の無差別な優しさで、ローレンスはそれを包み込む。
| 「若さに対しての、汎用性ある文句に過ぎない。行動を信奉する時代だからこそ、ともかくも気をつけるようにと大人は言ってみる | ものなのです。なぜならば、まがりなりにもそうした覚えが、彼らにもあるので……。」
| 「まるで年老いたもののような言葉を。」
| ローレンス卿、と大きく手を振り、首を傾げ、ため息混じりに男爵が語る。
| 「あなたほど、行動が最上の美徳とされるこの世界に、長く身を置いているものがありましょうか。あなたが、それを望んでおられ | るとは思わないが。しかし家格の高さに優れた人格、加えて実務家としての傑出した手腕、何より……。」
| 独身、と誰かが口笛を吹くように呟く。
| 「そう、あなたは、もう長いこと独り身をしておられる。我々の口の端にも、頻繁に上ろうというもの。失礼ながら、誰が最も“効 | 果的な働き”をするかという、その品のない噂話の中の、ひとつの対抗馬として。」
| 「そうした噂話は幾つか聞いたことがあります。その中に登場するわたしは、まるきりの別人のようで。」
| 「お笑いに?」
| 「いや、そのような働きひとつしない自分の怠惰を、恥じる次第で。」
| 「卿はお忙しいのですもの。」
| 薫り高い風がさっと吹くように令嬢の声が響いて、人々の耳目を集める。
| 「単に勤め人であるから忙しい、ということではありませんわ。それだったら、この場には他にも定まった職をお持ちの方が大勢い | らっしゃる。そうではなくて、卿には高い志がありますから、それのために、己を日々練磨してゆくことに、お忙しいのですわ。」
| 「何という寄り添ったお言葉だ……!」
| 人々の中から次々とため息が漏れる。令嬢に対して、それまで以上に深く好ましい印象を抱いたがゆえのものもあれば、麗人にその | ような言葉をかけてもらったローレンスに対し、彼の極めて高いというべき社会的地位と名誉ともあいまって、少なからぬ妬心(と | しん)を抱いたがゆえのものもあった。
| 「そうは言いましてもご令嬢。」
| と男爵が、せっかちらしく口を開く。
| 「卿にはご一族の血を正しく未来へと継いでゆく責任がおありですから、もうそろそろそのような話が具体的に持ちあがったとして | も不思議ではありませんし、そうなった場合、いったいどのような血筋からも見目からも教養からも、優れた女性が選ばれるのかと、 | 我々には願うことすら叶わぬ夢物語でありますから、好奇の瞳を瞬かせたくもなってしまうのでして。」
| 「それはもう。」
| 令嬢は微笑む。
| 「わたくしとて、その好奇の眼差しを寄せるひとりにならざるを得ませんわ。けれども……。」
| 滑らかに動いていた紅唇が、何かに気づいた様子で明らかに中途で閉ざされる。丸みのある額の下、聡明な輝きを放つ目見(まみ) | が見つめる先へ、人々も一斉に顔を振り向ける。
| 屋敷の使用人がひとり、速足に彼らの下へと近づいてくるところであった。
| 「何だ。」
| とあと数歩で互いにぶつかろうかというところ、屋敷の主人が尋ねると、使用人は足を止めてぐいと主人に顔を寄せ、
| 「ローレンス卿にお会いしたいという方が。」
| 潜めた声で、早口に告げた。
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