「こころみに」
ここのところ、天気続きなのが気に入らない。まるで外出するのが当然であるかのような健康的 な日和に出会うと、自分はそこまでの気分ではない、と腰が引けてしまう。
| 「よう睡骨、今日は最後だな。」
| もちろん、天気ひとつにそれほど大きく気持ちが左右されるわけではない。何かよいことがあっ | たなら、どんなに大雨であっても気分よくいられるし、悪いことがあったなら、晴れ晴れとした | 空などまず見ようともしない。しかし、こういうこともある。起こったことはあまり気に留める | べきことでもないのだが、暗い空を見ていると何となく不安に思えてくる。また自分には悩みが | 尽きないのに、太陽は燦燦と降り続いているのが、まるで嫌味のように思われて気分が拗ねてし | まう、というふうに。
| 「おい睡骨、おめえ酒臭えぞ。」
| 「昨日呑んだからな。」
| 「そら分かってるけどよ、ちょっときついぜ。」
| 蛇骨は鼻をつまむ。彼自身も相当呑むのだから、彼がきついというのは並一通りのことではない。 | 睡骨は、小さい動きで己が身を嗅いだ。
| 彼らはみな朝食中だった。蛇骨、睡骨、それに霧骨がいる。六つの膳の内、三つはすでに空であ | る。
| 「苛つきたくなる気持ちも分かるけどよお。」
| 物を食いながら、行儀悪く蛇骨は言った。
| 「幾ら金があるったって、俺たち七人隊が一商家の私兵におさまって、ぐずぐず日を過ごしてる | なんてな。その上……くっだらねえ女が兄貴に惚れやがって……。」
| 「ありゃ惚れてんのか?」
| 「毎日呼び出してるじゃねえかよ。俺、ここに来るまでに使いらしい不細工な女に会ったからよ、 | 睨みつけてやったぜ。そそくさと兄貴の部屋のほうに行きやがって。」
| 「まあ、俺らの立場じゃどうしようもねえからな。」
| 「ちっ、分別あるようなこと言ってんじゃねえや。深酒してるくせによっ。」
| 「……そりゃ別に関係ねえ。」
| 味噌汁を啜り飲む睡骨の隣で、ごそりと音を立てて霧骨が立ち上がった。
| 「おう霧骨、おめえもつまんねえだろ?ここ。」
| 蛇骨が声を掛ける。
| 「早くどっか違うとこ行けるようによお……。」
| 「まだ、ここに来て十日と経たねえぞ。」
| 「あん?」
| 「文句言ってるのはお前らだけだ。」
| 「別に俺は文句言ってねえよ……。」
| 椀の縁から口を離して、睡骨はぼそりと言ったが、出てゆく霧骨の背中には届かなかった。
| 上に立つ者が入れ代わり立ち代りする世の中にあっては、秩序の安定など望むべくもない。少し でも他人(ひと)に羨まれる財や権力を持つ者は、その地位や財産を守るためには、自衛の手段 | に訴えねばならない。現在、七人隊が身を置いているのは、まさにそうした必要性に駆られた豪 | 商の屋敷である。ほんの二月(ふたつき)ほど前、この近傍を制圧し小名となった者が、さらな | る勢力拡大を企図して領内の素封家に資金の提供を求めてきた。武力を背景としたそれは、実質 | 的な強制であり、命令であった。素封家の中でも規模の比較的小さな家の者は、あきらめて求め | られるだけの資金を供出した。しかし中には、資金力だけなら小名など軽く凌ぐという者もあり、 | そうした家では抵抗の気運が高まった。商人たちはそれぞれに兵を雇い、武力を展開した。幾 | つかの地点では、すでに衝突が起きている。遠からず全面的な戦に突入すると踏んだ彼らは、各 | 個に兵力の増強を推し進めるとともに、おのおの連絡を取り合い、広域的な自衛組織を完成させ | ようとしている。
| 蛇骨が不平を鳴らしたのには、大きく分けて二つの理由がある。一つは彼に特有のものであり、 | 分かりやすく言うならば味噌汁が好きかすまし汁が好きかというような好みの問題であって、顧 | 慮するに足りない。今ひとつは、これは傭兵という立場にある者なら理解できることだが、いま | だ腕を振るう機会に恵まれていない。七人隊は、この十日足らずの間に三度、荷駄の運搬に護衛 | として付き従ったが、いずれも事無きを得た。それは彼らにとっては当然喜ばしくない。傭兵の | 中には、戦いの中に身を置くこと自体を喜びと感ずるものが少なからずいるが、七人隊は多くが | その性向を持ち合わせていた。また働きに応じて報酬が支払われる出来高払い制が採られていた | ことも、彼らの戦闘への意欲を増幅させていた。
| 「あーあ、暴れてえしヤりてえし、暴れてえしヤりてえし。」
| 食後、蛇骨はぶつぶつと文句を言いながら睡骨の後をついて来て、そのまま彼の部屋の前に入り | 浸った。天気続きで、降り注ぐ日差しは朗らかなものだったが、蛇骨は目をつぶって眉間に皺を | 寄せて、もはや完成されたらしい文句をひどく大きな声で言い続けている。
| 「おい、うるせえぞ。いい加減にしろ。」
| 「暴れてえしヤりてえの!」
| 「お前の場合は暴れんのもヤるのも一緒だろうが。どうせ最後には殺しちまうんだろ。」
| 「分かってねえな。その過程が大違いなんだよ。」
| 「分かりたくもねえ、変態野郎が。」
| うるさい虫を追い払うように手を振りながら、睡骨は立ち上がった。
| 「おいおい、そんなこと言っていいのかよー……ってどこ行くんだ?」
| 「知らねえよ。てめえのいねえとこだ。」
| 「煉骨の兄貴のとこだろー。」
| 床を軋ませ部屋を出て行く睡骨の背に、蛇骨はじゃっかんの意地悪さを含んだ声を投げた。
| 七人隊が現在寝起きしているのは、雇い主が今回の決起のため新たに設えた、三十間四方はゆう にあろうかという広大な陣屋である。集められた傭兵はおよそ七十名。さすがの富豪も財産の三 | 分の一を使い果たしたと言われるが、そこは富を築く才覚に恵まれたものの鋭い嗅覚による判断 | である。彼らは金の使いどころを心得ている。この先もとこしえに財を生み出してゆくその土台 | を守るためならば、一時的な散財など、将来数多(あまた)の果実を収穫するために手放し土に | 埋(うず)める小さな一粒の種に過ぎない。
| 傭兵専用の陣屋であるから、色っぽい存在といえば飯炊きの女くらいしかいない。それも飯を作 | る時分にしかやって来ないから、男たちは欲求不満である。そのような中にちらほらと、おそら | く雇い主にとっては想定の外(ほか)の女の姿が混じるようなことがあればどうであろう。その | 姿は人目を引かざるを得ない。
| 最初にそのような女の姿が目撃されたのは、七人隊が一度目の荷駄の護衛のため出動した日の翌 | 日のこと。世間の人々はすでにだいたいが働きに出ているであろうという時分のことであった。 | 陣屋には門番などいなかった。下働きの娘らしい格好をした、女というよりは少女と言うべきそ | の異質な訪問者は、子ねずみのように門をすり抜け、元からそこにあった木を数本残しただけと | いったふうの殺風景な庭を、心細げに歩いていた。世間一般においては働き始めている時分でも、 | |