「祝」


話し合いの場で、相手とぴたり意見が合うというのは気持ちの良いものだ。短い時間で全てが
完了し、互いに好印象を持ち、さらに親睦を深めるための時間まで持つことができる。これも事
前の協議が十分になされていたお陰だ。
空港に降り立ったところで、海原は大勢の記者団に囲まれた。
「今回の結果を外相自身はどのように評価されますか」
「弊社の電話による世論調査では、非常に良い前進であったというのが8割近くに上っています
が」
「これほど完璧な結果を収めた、その要因は何であったとお考えですか」
ふふんと笑って、それらの一つ一つに海原は上機嫌な答えを返した。
「思いは国民と同じだ。実に素晴らしい結果だったと思っとる。今後○○国との間には各種の条
約、取り決めがなされ、それは間違いなく両国の発展につながるだろう。何より、互いに仲良く
なって何が悪いことがあるか。要因については、無論それぞれの国の交渉役に当たった者達が実
に良い働きをしてくれたということだろうな。特に誰というのでもなく皆の労をねぎらいたいが、
しかし実は一人、特別に祝ってやろうと思っている奴がいてな」
口先滑らか、積極的に飛び出した外相の言葉に、取り囲む人々はいっせいに詰め寄った。「それ
はどなたですか!?」

一応、様々な種類の新聞を取っている。天津は外交官だ。日本国内、世界各国、あらゆる情勢を
把握しておかねばならない。
それにしても、まさかこれほども自分の名が、一面に踊る日がやって来ようとは思わなかった。
『外交巧緻!国内世論の評価高く!』
『外相上機嫌、口も滑らか。最大の功労者は旧友の外務次官か』
『二人三脚でたどり着いた祝い酒。戦友のバースデー祝いも兼ねて』
『外相しみじみ“天津(あいつ)がいたから…!”』
今は朝の七時半。もちろん、前日にどんなめでたいことがあったところで勤務を休むことはでき
ない。国際情勢が止まることはないのだ。
そんな朝っぱらから電話が鳴った。こんなに早くに鳴る電話が、良い内容であった試しはないが。
受話器を手に取りその声を聞いたところで天津は大いに驚いた。「総理?」

その後はもう散々だった。総理から始まって各閣僚、大物議員、外務省の先輩、同輩、また久し
く連絡を取っていなかった大学時代の友人等など。
その中の全員が、心の底からの祝福をくれたわけではない。いや口ではどう云ったところで、そ
の心中においては多少の冷やかしを含んでいる。
「やあ、大滝だ」
「どうも……」
「海原はいい右腕を持ったな」
「どうも」
「羨ましいよ。あいつのコメントを読んだかい?『おれにとって天津(あいつ)は欠くべからざ
る存在だ。おれが煮詰まっている時には有効な助言を与えてくれる。おれが一人で突っ走ってい
る時には、冷や冷やしながらも見守っていてくれる。そうしておれがへまをしてしまった時には、
いの一番に駆けつけて励ましの言葉をかけてくれる。まったく、広い世間を見回してみても、
んなに出来た女房役はおらんだろう。まさに内助の功というやつだな、はっはっは』」
最後の笑い声は海原のものか、それとも記事を受けて大滝が発したものか。その記事を読んでい
ない天津には分からなかった。とりあえず、そこまで書いてあるのだったらスポーツ紙だろうと
思う。
「ところで大滝さん」
「うん?」
「何で、わたしの番号をご存知なんですか」
「何でってそりゃあ……はっはっは、いいじゃないか、そんなことは!」
「…………」

今日は始まったばかりだ。これから外務省に向かう道中、その行き着いた先、さらにいったいど
れほどの祝辞を貰うことになるのか。同時に、海原のコメントへの冷やかしを貰うことになるの
か。
海原のコメントは、大滝から云われたものばかりではなかった。
『あいつがいなけりゃおれは駄目だ。あいつはおれのブレーンだからな』
『比翼の鳥というやつだ。いつも一体で飛んでんのさ』
『おれ達が一体でいる限りは、日本の外交は安泰だ』
『つまり我が国の外交を気にかけるなら、同時におれと天津の関係も気にかけてくれということ
だよ!』

こんなにも、多くの人々から一斉に祝われた誕生日はない。同時に祝われるということが、これ
ほどありがたくない誕生日もなかった。
執務室に到着してようやっと一息ついたところに大臣室から内線が入った。聞こえてくる声のい
つもながらの元気の良さに、人の気も知らずにと少し拗ねた気分になる。
「どうした、何だか元気がないじゃないか」
「別に、少し疲れが溜まってるだけさ」
「ああ、そうか。それは無理もないな。どうだ二、三日休暇を取っては」
「いや、こういった疲労感は嫌いではないからな。それに休んだりなんかすると慣<れてない分
かえって落ち着かんよ」
「はは、それはそうかもしれんな。しかしお前にぶっ倒れられては困るし、とりあえずいつもよ
り早く帰るなりして体調管理は万全にしておけよ」
「分かってるよ」
「それと」
「うん?」
「その、あれだ……」
「何だ」
「誕生日」
「ああ」
「な、一応、おめでとう」
「何だ、一応って」
「はは、おめでとう」
「ありがとう」

ちんと受話器を置く。妙なものだ。自分が、ではなくて海原がである。あれだけ新聞に大々的に
出ていて今更口ごもることでもないだろうに。それともあれだけ前面に出てしまうとは思ってな
かったから、ついついいつもではないような照れが入ってしまったのだろうか。
「次官、○○国との貿易協定の概要が出ましたが」
「説明に来てるのか」
「はい」
「よし、通してくれ」
「はっ……」
秘書官がちょっと変な風にこちらの顔を見ていたのに気づいた。持っていた書類で天津は何とな
く顔を隠した。また秘書官らが戻ってくる前にとその表情を改めようとする。
(妙なもんだな)
今度は自分が、である。
結局、どこかでは嬉しいと感じてしまっているのだ。こうして祝われることが嬉しい。しかも海
原一人に云われた途端にその心境は変わってしまったのであるから、どうにも自分自身へのごま
かしもへったくれもあったものではない。「知らん内に焼きってのは回ってるもんだ」
ともかくもこの顔は誰にも見せられんぞと思って、最後にくすりと天津は書類の陰で笑みを漏ら
した。扉を開けて、こちらを窺っている様子の秘書官に、入れ、と澄ました声をかける。




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