「星」


二人で空を見ていた。紺碧の天蓋(てんがい)に無数の輝きがちりばめられている。
「美しいものですな。ことにこの季節は」
七夕の頃、こうして夜空にたなびく天の川を見上げていて、想い合う男女の故事に思いを馳せぬ
者はおるまい。
「思い出される恋しきどなたかなどおられますかな」官兵衛が尋ねた。「いやいや」と半兵衛は
首を振った。
「この年になって女々しく誰かを想うことなどありませぬよ」
白く尖った横顔が浮かび上がって見える。遥かな夜空に、またそれに溶け込むかのような彼の漆
黒の髪を背景として。美しいと官兵衛は思う。それはまったく、あの遥か高い空に天の川を望む
かのような心持であった。
「高いですな」
空に、官兵衛は腕を伸ばした。漆黒の闇に溢れる輝き。溢れて、溢れて、空にまばゆく、しかし地
上には一滴たりとも落ちてはこない。酷いものである。思うさま見せつけてとりこにして、結局そ
れを限りに逃げてしまおうというのである。
「半兵衛殿」
隣にたたずむ人を、官兵衛は振り向いた。
「よろしいですかな」
「何です?」
にこりと柔和に笑う彼の黒髪が風に揺れている。それに手を伸ばして官兵衛は触れた。冷たい感
触がして、後はするりと抜けていく。何度も何度も、すくったと思うとすり抜けていく。「もどかしき
は人の力ですな。天の無情と……」
つかむことはできない。ただ、その手に触れたひやりとした冷たさに堪らない心地よさを覚える。
願わくは、いつまでもここにあって欲しいと……




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「変わらずにはいられない」
備考:みんな死んじゃってる話です。あの世ではけっこう普通に暮らしてます。


昨日久しぶりに森蘭丸に会ったという話をした。
「そういえば、この間の花火大会の折には半兵衛殿はお休みでしたからな」
「夏風邪でして」
「そうそう」
それでその久しぶりに会った蘭丸の姿が、実に驚いたことになっていたので、重治は本当に驚い
たのだった。
「どうなっていたのです」
茶を運んできた十助が尋ねる。

蘭丸は見るからに変わっていた。あんまり変わっていたのでまずは誰だか分からなかった。
「そんなにおかしいですか」蘭丸は困ったように我が身を顧みた。
「いや、おかしいということではありませんが、しかしまた何だってそんな風なことに」
「それがよんどころない事情がありまして」
「そうでしょうな」
「実は近頃お館さまがなかなか振り向いてくださらぬようになって……」
蘭丸の云うお館さまとはすなわち現世にある内に仕えていた信長のことである。重治の覚えてい
る限りでは常に阿吽の呼吸で、とても深い情愛と信頼関係で結ばれていた主従であったが。
「いったいまたどうして」
「流行です」
「流行?」
「今、我が国の人々が住まう区域には、どんどんと西洋の文化が流入してきております」
「確かに」
「その最たるものが」
「最たるものが?」
「金髪美女」
「ほー……」
なるほどと思わぬでもないが。基本的に男の性(さが)などというのは安直にできている。
「美女だけなら良いのです」
「というと」
「西洋には金髪の美少年もいるのです!」
「なるほど……」
「しかも目は青ですから」
「青ですな」

「それで」と茶をすすりながら久作が云った。
「蘭丸殿はやってしまわれたわけですな」
「そう、やってしまわれた」
「金髪碧眼」
「それなりに似合っておられたが」
「まあ、目鼻立ちのくっきりした方ですから……」
それにしてもこの頃は確かに西洋の文化をよく目にする。その珍しさに、目に新しい輝きにどう
したって人々の心は奪われがちだ。
「黒髪も良いものですがな」
腕組みしながら秀長が云った。
「しかしまあ生まれた時から見慣れたものですから、ああ新しい色を見せられては惹かれるなと
いっても、それはなかなか難しい」
と自分の髪をいじりながら云う重治のその口ぶり、その性格、秀長らはまさかと嫌な予感を覚え
た。「まさか……」
「やってみようかなわたしも」
弾むような声だった。

「やめてください!」
とあの場では叫んでおいた。しかし正直あれくらいであきらめるような人とは思われない。
「美容院に一人で行かせないことですよ。あとカラーコンタクトを入手させないように」
「とにかく一人にさせないことです!頼むぞ、十助」
「しかし便所や風呂の中までは……」
「ううむ、確かにそこまでは難しいな。よし、ここは兄上に勝るとも劣らぬ策士を呼ぼう」と云
うと手に持った携帯を使って久作はすぐさま誰かを呼んだ。しばらくして、
「久作殿、お呼びですかな」官兵衛がやって来た。
「おお官兵衛殿、よくお出で下さった」
振り向いた三人は、しかし次の瞬間絶句した。きらりと光る明るい髪色。それを披露するように
一回転して官兵衛は白い歯を見せポーズをとった。
「瞳の方もバッチリですぞ!」




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