さらば朝高、そして地学部...

2000.3.18  


 早いものでもう卒業である。今思うと地学部での3年間はあっという間だった。まだまだやり残したことも多いであろう。そもそも僕はなぜ地学部に入部し、部長を務めたのだろうか? うーむ。
 
 

1 部員たちとの出会い 1997.4

 この朝霞高校に通い始めてまだ間もない頃、僕は中学から一緒で、毎朝一緒に登校していた3人と共にどこに入部するか迷っていた。3人とはしみ(中学時代、僕と共に囲碁部に所属しており、共に県大会で好成績を修めた)、前チン(中学3年のとき、しみと僕と同じクラスであり、野球部だった)、怜馬(当時それほど仲は良くなかったが...。園芸部だった)である。この学校では全員が部活動に参加しなければならなかったので、4人で結構真剣に考えた。当時僕は写真部を、前チンはテニス部を希望し、残る2人は決まっていなかったのだが、新入生オリエンテーションのときにその考えは大きく変わることになった。写真部は部員がいないということだ。僕がどこに入部するか再び迷い始める中、怜馬が物理部のペットボトルロケットと地学部のスライドに興味を持った。僕が怜馬に「ペットボトルロケットはどうなの?」と、物理部にはあまり入りたくないようなことを言ったため、部活見学の初日は地学部を見学することとなった。4人で地学室に入ると中には眼鏡をかけた優しそうな先輩がいた。この4月から部長を務めているおざわにーだった(近くにはデス、さわにー、周平氏などがいたと思うがあまり覚えていない)。するとおざわにーは僕たちにスライドを見せ、丁寧に説明してくれた。ところがその説明に誤りがあったことを僕はよく覚えている。オリオン座のベテルギウスとリゲルを逆に指したのだ。僕が逆であることを指摘すると、おざわにーは「詳しいね」と僕に言った。実は僕は安いものではあるが天体望遠鏡を持っており、3ヶ月ほど前から天体写真を撮っていた(固定撮影、拡大撮影)のだ。ガイド撮影の経験はないが、原理や方法などはすでに理解していた。先月の日食も実は写真に撮っていた(失敗したが...)。スライドを見て、アルバムを見て、その日は終わった。次の日は前チンが見たいと言っていたテニス部を見学したのだが、僕は初めから入る気はなかった。さらに次の日は二手に分かれ、再び僕と怜馬は地学部を、しみと前チンはテニス部を見学したのだった。その後の相談で結局僕としみと怜馬は地学部に、前チンはテニス部に入ることになった。
 地学部に入部が決まり、僕たちは地学室までやって来た。そしてドアを開けて中に入るとその場にいたみんなが僕たちの入部を喜んでくれた。さらに奥に入ると、もう1人1年生がいた。まっちゃんである。まっちゃんはおざわにー、デス、尊師さんと同じ中学で、さらにデスとは部活まで同じだったそうです(さらに、しみと同じクラスであった)。しばらくするとまた2人、1年生がやって来た。お笑い小僧と若ちゃんである。2人は部活見学のときにこの近くをうろついていて、ヨッツとの運命的な出会いにより入部を決めたそうです。みんなで自己紹介をしたりわいわい騒いでる中、生物部と1年生の人数を競っている人もいた(ちなみに勝ったらしい)。そういえば百足くんは?
 
 

2 97星見会 1997.4

 入部して間もない僕たちにとって初めての活動、それが星見会である。初仕事はそのポスターを描くことだった。そしてその当日、ヘールボップ彗星も見られると言うことでたくさんの人が集まった。始めにスライドを見てもらい(このとき僕は初めておざわにーが怒っているのを見た)、暗くなってから屋上で行った。途中で雲が出てきたが、この季節にしてはよく晴れたなあ。来てくれた人たちみんながヘールボップ彗星を見て感動(?)していた。
 
 

3 97新入生歓迎観測会[芦ヶ久保] 1997.5

 ゴールデンウィークを利用して初めての観測に行ったのですが、1年生は僕とお笑い小僧とまっちゃんしか行きませんでした。しかたないよね。でも初めての観測ということで僕はこの日を楽しみにしていました。ところが木の子茶山までの道はかなりきつかったです(その後わかったことだが、わざわざ坂が急な道を歩いていた)。登っても登っても目的地には着かず、「まだですか」と先輩に聞いても「まだまだ」と言われるし...。ようやく到着した頃には汗だくだくでした。テントを張り(当時の地学部は大きいテントは1つしかありませんでした)、食事をとってから暗くなる前にまた少し登り、西の空がよく見渡せる所まで来ました。ヘールボップ彗星を見るためです。ただしここは路上なのでときどき暴走族の車が通過していきました。日が沈むと北西の空に肉眼でもはっきりわかるくらい明るい彗星が見えました。空にはたくさんの星が輝き始め、観測を開始しました(写真はたくさん撮ったのですが、後日現像に失敗し、すべてパアに...)。夜露の恐怖を初めて体験したのはこのときです。カバンがベトベト...。
 そしてヘールボップ彗星が沈み、テントへ戻ろうとした頃には、時折雲がかかる天気となっていました。戻っても2時間はなんとか晴天が持続し、その間に僕はガイド撮影をしている先輩たちとは別に1人で固定撮影をしていました。自分のカメラで。しかし念のため露出時間をデスに聞きました。「市川せんぱーい(昔はこう呼んでいたんだなあ...)」と僕が彼を呼ぶと、おざわにーが「こいつに先輩なんていらない。アキラくんでいいんだよ」と言ったのを覚えています。そういう扱いなの? デスは露出時間を教えてくれたのですが、間違っていたため、すべて過度の露出オーバーになってしまった。オイオイ...。
 雲が一面にかかると観測は中断され、待機となりました。しかし待っているだけでは退屈すぎるのでニッシーが散歩に行かないかと誘ってくれました。そこで僕たち1年生3人とおざわにーが一緒に行くことになり、県民の森の方まで話をしながら歩き回って時間をつぶしたのです。ところが戻ってきても天気は一向に回復しません。今度はテントで待機となりました。そう、このときに事件が起こったのです。僕が自販機のところへ飲み物を買いに行こうと外に出たとき、たまたま懐中電灯の光が外で寝ていたさわにーに当たってしまったのです。さわにーに激しく怒鳴られました。この先輩は危険だとすくみ上がりつつ感じました。さわにーは寝起きが悪いとあとで聞かされ、その後は寝ているさわにーを起こしてはならないと、1つの教訓にしたのです。
 結局もう晴れることはありませんでした。あとはテントをたたんで車に乗せ下山し、帰っただけです。
 



まだちょっぴり幼さが残っている気がしますね



 

4 増えた仲間 1997.6

 中間考査の終わった6月のある日、おざわにーが「7組か8組の新しい1年生が入ってくる」と僕たちに言いました。どうやら女子が2人入部するらしい。このとき僕はそれが誰なのか少し気になりました(僕は8組)。そしてその日地学室にやって来たのは、充分見覚えのある人物でした。三島衣恭(入学式のあと初めて教室に入ったときに隣に座っていて、いかにも頭がいいという何かを放っていたため、女子で最初に顔と名前が一致した)と照井さん(顔と名前は一致しなかったが、同じクラスであることは知っていた)だったのです。うわっ、何でこの人たちが...、そう思いました。まあそんなことはおいといて、最近やっている天気図の作成に取りかかりました。6月は気象通報月間となっていたので、ほぼ毎日天気図を描きました。中にはいやで逃げ出す人もいたけどね...。2人にとって初めての地学部がよりによって気象通報というのはどうなの?
 夏の合宿の計画が進む7月、また新入部員がやって来た。いちうである。彼はバスケ部からパソコン目当てでやって来たという。そしてすぐに彼も合宿に参加することになりました。
 
 

5 97夏の合宿[妙高高原] 1997.7,8

 妙高旅行記にも書かれているとおり、妙高高原に行って来ました。1年生の多くはこれが初めての観測となったのですが、準備とかはほとんど先輩たちがしてくれたので僕たちは十分にそれらの日々を楽しく過ごすことができました。しかしこのときが夏の合宿で一番晴れることになろうとは誰が思ったでしょうか。あまり書くと長くなるので、合宿中の様子は妙高旅行記を読んでみて下さい。
 



昼間はやっぱりトランプだよね
そういえばウノダウトなんていうものも...


あっ、あれは何だ?



 

6 第35回文化祭 1997.9

 初めての文化祭。このときもまた先輩たちが中心にやってくれたので、僕たちはあまり苦労はしませんでした。僕はスライドを(1年生はやっぱりこれか)、周平氏やおざわにーがプラネタリウムの説明を担当しました。そして今年から新たにやることになったのが、このホームページの紹介です。地学室の前の廊下にコンピューター室のパソコン(MacのLC)を並べてお客さんに見てもらおうというのです。その結果、地学室の前の廊下は常に人でいっぱいになりました。うれしいことです。プラネタリウムがこのくらい混んでくれるともっとうれしいんだけどなあ。
 



もっと地学部のアピールを!


さて、何のポーズでしょう?



 

7 97秋の天体観測会[芦ヶ久保] 1997.11

 この日は第1土曜、授業がありました。そのあとに行ったため、春に行ったときより大幅に時間が遅かったです。先日入部した橋本さん(後の技芸部部長)と西崎さん(本当はさんで呼んじゃあまずいんだよな、先輩だから)も行くことになったのですが、このとき数々の事件が起こりました。登山客にプチトマトを販売するプチトマトのキャッチセールス、誰かさんが白熊を見たという白熊事件、賞味期限が目前に迫ったやきとりが失踪したやきとり事件...。うーん。そして芦ヶ久保体感記にも書いてあるとおり、観測中は2℃まで気温が下がり、みんなは凍えてました。そんな中やったのが三島由紀夫ゲーム。みんなはまってました。しかし観測をする人はする人でまじめにやってました。ずっと晴天だったし...。最後にはほとんどがトランプをやってたけどね...。
 
 

8 遊んでばっかりの日々 1997.11〜1998.3

 この時期は寒くて野外活動ができないというのでずっとあそんでばっかりでした。トランプはもちろんのこと、パソコンゲーム(信長の野望、ゼトリス、ぷよぷよなど)などはもう毎日の日課でした。8時まで残っていて警備員に怒られたこともありました。今思うと、こういう時期に観測の技術などを学んでおく必要があったのではないでしょうか。そう、技術力の低下が目立つようになったのはこの時期なのです。
 4月から誰が部長になるか、という問題もありました。現在の1年生から選ぶことになるのですが、候補として僕としみとお笑い小僧があがりました。話し合ってもなかなか決まらないので、ポーカーで負けた人が部長ということになりました。その結果負けたのはお笑い小僧でした。僕はツーペア、しみは10のワンペア、お笑い小僧は2のワンペアでした。部長がお笑い小僧に決まり、ほっとしているのもつかの間。実は数日後にはおざわにー、デスの口から次の部長は長島だと、ヨッツに報告するのでした。
 



スキーはいつやってもいいものだ


三送会


山田君、重いっ!



 

9 新入部員と雨、雨、雨ーっ 1998.4,5

 新学期が始まり2年生になった僕たちは、体育館で入学式が行われている頃、新しいクラスのことについて話をしていました。理系の2年7組に地学部員が集まったのです。その数5人。そしてもうひとつ、この日から僕は部長を務めることになりました。初仕事は新入生オリエンテーション。ですが時間配分を間違えたので失敗に終わりました。その後の部員勧誘の際に、今年は女子を多く入れようということになり、しみとお笑い小僧を勧誘に派遣し、僕はおざわにーと共にスライドの説明をしました。このときのことはあまりよく覚えてないのですが、入部することになる者はみんな見学に来たようです。中でも中森さんは下校しようとしているときにしみに無理矢理(?)連れてこられたそうな。
 新入部員は6人でまあ標準的だろう。しかしみんなの性格はバラバラです。個性豊かでいいってことかな。6人とは皆川、大貫さん、中森さん、ダンディー、おぎっち、吉田クンです。この6人にはまず始めに望遠鏡の組み立てからやってもらったのですが、特に女子は???だったようです。初めの2,3日はこのようなことをし、近々行う新入生歓迎観測会に備えました。しかし観測会当日はあいにくの雨で次週に延期されました。ところがその日も天気が悪くまた延期...。こんなことが何回あったでしょうか。観測ができないので今度は気象通報をやったのですが、この時点で皆川は挫折し、永久に気象通報をやらないと宣言すると、お笑い小僧ととてもとても仲が良くなりました。「そういえば皆川もよく笑う」と気づいたときにはもうすでにお笑いブラザーズを結成していました。逆に気象通報をしっかりやるようになったのは大貫さん。このとき僕は「次の部長はやっぱ大貫さん?」と思ったのですが...。
 
 

10 大貫大反乱 1998.6

 新入生歓迎観測会をあきらめ、夏の合宿や文化祭の計画案を検討するこの6月4日の会議で僕はかつてない恐怖を体験しました。大貫大反乱と称されたこの出来事は。詳しくは都合上書けませんが、僕にとって大貫さんの存在というものが大きく変わりました。「大貫は上に立つ人間じゃない」としみも言うほどです。以降、大貫大反乱は記念日となり、地学部に永遠に語り継がれていくことでしょう。(参照:1年間を振り返って)
 
 

11 岩石採集[長瀞] 1998.6

 今年度最初の野外活動がこれです。昨年度は地質をやらなかったので、今年は岩石プレパラートを作ろうということになり、その岩石を長瀞まで取りに行ったわけです。ところが道に迷って大幅に遅れてしまい、ヨッツの怒りが...、でもなかった。それどころかみんなはヨッツの姿を見て笑っていた。あのスタイルはイカすべきだと思います。まあそんなことはおいといて、いざ石を拾おうとしてもどれがどういう石かほとんど分からず(石灰石だけはみんな分かっていたようです)、結局は先生をあてにしてしまいました。もう少しちゃんと調べておけば、道に迷ったり石の判別ができないなんてことはなかったでしょう。たくさんの石を分別して新聞紙にくるみ、かばんに入れて持って帰りました。おーもーいーー。
 


 
             ボートを見送る5人          四元隊隊長の撤退



 

12 98夏の合宿[妙高高原] 1998.7

 今年の合宿も妙高高原となったのですが、昨年、信越本線の横川軽井沢間が廃線となったため、今年は中央本線の甲府、松本経由で行くことになりました。そのため朝早くに朝霞台に集合となりました。西国分寺ではさわにーと尊師さんが、松本では僕とおぎっち以外の全員が(松本事件)それぞれ置いてけぼりを食らい、その結果3時間遅れで現地に到着したのです。合宿中の天気は3夜とも満足できず、写真もほとんど撮れませんでした。しかし小川で遊んだり(誰かさんが散髪をしてたなあ)、料理を作ったりとアウトドアの方は十分満足できたのでは?(僕だけじゃないよね...)合宿中の詳しい様子は地学部日記(妙高編)をご覧下さい(また省略してしまった...)。
 



醤油注ぎ師


地学部ファミリー
ちなみにこのときの食事のメニューはカレーライスでした


Only 雑談
実は夏休みには芦ヶ久保も行ったのですが...



 

13 第36回文化祭 1998.8,9

 この文化祭でやったことは前回とあまり変わっていません。プラネタリウム、スライド、ホームページ...。新たに追加されたことと言えば、岩石プレパラートと大貫さんが思案した「星座別基本性格」くらいでしょう。ということで合宿後の夏休みはこれらの準備に追われました。始めに取りかかったのは岩石プレパラート。本当は夏休み前に仕上げる予定だったのですが間に合わず、結局この夏休みに持ち越しとなったのです。作業過程は先日取りに行った石を分析し、削り、スライドガラスに貼り付けて、石が透けるまで削る(磨く)といった感じです。削る段階で話の方に夢中になってると(雑談をしながらのんびりやるのです)、気づいたら石がなくなっていたという人(お笑い小僧など)もいました。また同時進行で天体写真の焼き付けなどもし、「他の人は岩石プレパラートね」と言うといやな顔をする人もいました。
 



プラネタリウムのナレーションの録音


 


 9月になり新学期がスタートすると少しずつ焦りが出てきました。プラネタリウムの投影機ってどうなってたっけ? 昨年の文化祭では投影機のモーターの力が弱かったので、もっと強力なものに変えようということになったのですが、ギアがうまく噛み合いません。そんなことをしているうちに体育祭が終わり、地学室での授業が中断されると、今度はドーム作りが始まりました。9月は休日も部活をやったのですが、その中のある日、2つの事件が起こりました。財布ドロ事件と地学室停電事件です。この2つの事件も1年間を振り返ってに詳しく載っています。そんなことが起こったりしながら、文化祭は確実に迫ってきました。



ドーム作り開始
ここで何度も失敗するんだよなあ


 


 文化祭当日は7時集合でした。投影機をチェックしているとミスが発覚しました。モーターで回転する方向が逆だったのです。これでは春の空の次が冬の空になってしまう...。しかし北半球と南半球を逆にすることで難なく解決しました。よかった...。地学室の掃除を済ませると開会式でした。そこでは文化祭参加団体のPRというものがあり、僕としみが何も考えずに参加しました。そのため本番でしみは浴びている照明の光を利用して...。あれでよかったんでしょうか? 本人はウケを狙ったそうですが...。
 一般の方たちが入場すると昨年同様、地学室の廊下は人でいっぱいになりました。プラネタリウムでは僕が説明を、大貫さんがBGMを担当し、ほとんど休む間もなく無交代で粘りました。途中でギアがはずれて手動になったりもしたけれど、なんとかやることができました。ホームページはもちろんのこと大貫さんの星座別基本性格は予想以上の人気となり、常にその前は満員御礼。うれしいことです。
 



地学室前の廊下
一般の方が帰った後なので人はあまりいませんが...


 


 2日間の文化祭も終わり、表彰式(閉会式?)ではなんとわが地学部が表彰されました。地学部という名前が呼ばれた瞬間、本当にびびりました。僕がステージに上がり、賞状を受け取ると、後ろから「ぶちょー」 小林だ。思わず笑ってしまいました。しかしなんでまた地学部が...。地学室に飾ってある賞状を見ると、過去に何度か文化祭で表彰されたことが分かります(そのうちの1枚はあの工藤さんの代のものです)。そのときの文化祭はどうだったのでしょうか? そんなわけで今年の文化祭は大成功、と思ったのですが後日の反省会で大変なことが...(1年間を振り返って)。
 



この数秒後、ドームは部員たちによって崩れ去った

  
ポンおじさん地獄



 

14 98秋の天体観測会[芦ヶ久保] 1998.11

 1年生が天体写真撮影をしないまま、とうとう11月になってしまいました。今年の天気は異常で(エルニーニョが大きく関係している)、こんなことがかつてあったでしょうか? ということで1年生は初めての芦ヶ久保となりました。やっとできた観測にも書いてあるとおり、遅れて現地に到着した僕たちが目にしたのは、自転車でやって来た尊師さん。「ほんとに自転車で来たの?」と誰もが疑いましたがやはり本当でした。このとき僕も来年自転車で来ることを決意したのです。
 この日はよく晴れました(この季節だったら当然ですが...)。しし座流星群の日が近かったため、たくさんの流星を見ることもできました。木の子茶屋の看板の明かりが気になりましたが、それでもこの一晩でたくさんの写真が撮れ、みんなはとても満足していたようです。
 
 


昨年ほどは冷えなかったが...


あの自転車は?


うわさの巨大滑り台
みんなはまってたよね?



 

15 しし座流星群観測会 1998.11

 33年ぶりにしし座流星群がピークとなるようなので、この日の22時、僕たちは地学室に集まりました。次の日は物理の実験レポートの提出、英単語テストがあったので、観測開始の0時まではそれらに備えました(結局間に合わず、レポートは未完成のまま提出し、英単語テストは過去最低点を大幅に更新しました)。OBとなった周平氏やニッシー、そしてその友達も加わり、観測がスタートしました。僕と周平氏は天文台のところで流星写真を撮り、他の人(おざわにー、尊師さん、怜馬、お笑い小僧、まっちゃん、皆川、中森さん、ダンディー、おぎっち、吉田クン、ニッシーとその友達)は交代で流星のカウントを始めました。途中でデスも加わり、にぎやかさを増した4時14分、僕がちょうど見ているところを火球が流れました。明るさは満月くらい。カメラはそこを向いていなかったのですが、本当にきれいだったといまでもそう思っています。この火球が流れた瞬間、大きな歓声があがり、辺りはしばらくざわつきました。しかしその後は目立った流星も見られなくなり、空には雲がかかってきたため、5時には観測を終了、地学室へ撤収しました。みんなが物理室で寝たり、家へ帰ったりする中、僕はずっとレポートづくりをやっていました...。おかげでその日の授業は眠いったりゃありゃしない!



こりゃあもう晴れないね...


60枚のうち流星が写ったのはこれ1枚でした
情けない...



 

16 惑星観測会 1998.12

 去年の二の舞にならないように計画したのがこの観測会です。とはいっても参加者は僕を含めて4人。屋上で行いました。火星、木星、土星、月を対象とし、いつも使っているP-2とは別にミューロンの望遠鏡を使用しました。この望遠鏡は口径が実に大きく、惑星観測にはもってこいとのこと。ただし専用のアイピースアダプターがないので、撮影ができないのが残念です。このときこの望遠鏡で見た土星はカッシーニの溝までくっきり見え、みんなは大いに感動していました。しかしこの日は平日。時間に限りがあったため8時にはお開きでした。
 
 

17 1年教習と地学部トランプ 1999.1〜3

 新年が明けると1年生を教習する事になり、文化祭以降毎日やることとなった気象通報(1人が週1,2回を受け持ち自宅でやる。もちろん試験前の分も)の他に、望遠鏡から写真の焼き付けまでをもう一度確認、練習しました(地質に関しては激しく否定されたため行わなかった)。今年の1年生(特に女子)は不幸にも観測会のときですらあまり望遠鏡に触れられず、今日まで来てしまったのです。全ての過程が一通り終了すると、あるものが残りました。そう、焼き付けに失敗した大量の印画紙です。どうせ捨てるのならと1年女子が半分に切り、ポスカで数字やアルファベットと記号を書きました。地学部トランプです。そのトランプでしばらく遊んでいると、大きすぎるという苦情が出たため、数日後には4分の1サイズまで作り出しました。お前ら一体何枚焼き付けに失敗したんだよ...(54/2+54/4=41枚)。その後半年ほどこのトランプは使われましたが、ある日ヨッツにバレて没収、処分されました。大貫激怒?
 



空手チョーップ! うわあーっ!



 

18 新入部員は大漁 1999.4

 ついに僕たちも3年生となってしまいました。時が経つのは早いものです。ここで部長職も2年生に譲る計画もあったのですが、適任がいないこと、昨年いろいろと問題(?)があったことを踏まえて、文化祭までは部長は僕がやることとなりました。さて、今年も来年度の部費を増やすために(地学部は文化部で3番目に部費が多い)1年生を多く入れる(部費は活動実績と部員の人数によって決まる)ということになりました。そして新入生オリエンテーションでは(今年は体育館の改築のため、朝霞市民体育館(?)で行った)またまたミスを...。人前ではなかなかうまく話せないものですね。
 1年生の部活動見学が始まりました。昨年の経験から、女子だけを勧誘する事になり、1日5人ペースで約1週間粘りました。そのある日、僕や大貫さんが地学室でスライドの説明をしていると(当然真っ暗)、後ろの水道のところでしみが暗幕を開けて雨量計のタンクを洗っていました。「暗幕閉めてよ」と言うとしみは「俺はこれ洗ってんの!」と勢いよく反発し、結局閉めてくれませんでした。僕らもその場にいた1年生(清水さんがいたらしい)も一瞬固まった程です。誰もが地学部に悪い印象を与えてしまったと思ったことでしょう。
 このようなことがあったにもかかわらず、9人の1年生が入ってくれました。ドラ、ボス、げんきくん、井元さん、星野さん、草間さん、野島さん、赤間さん、清水さんがその9人です。例年通りまず初めにやるのは望遠鏡の組み立て。初めはみんな手こずるよね? そして新入生歓迎観測会の準備に取りかかりました。今度は晴れてくれるのかなあ。



うーん、構え方が少し違う気が...



 

19 99新入生歓迎観測会[芦ヶ久保] 1999.5

 見事晴れました。しかし電車に乗っているときに夕立に遭い、帰還説も出されました。僕はその帰還説を押しのけるような形で先に進み、木の子茶屋に到着しました。テントを張ってからも雨はしばらく降り続き、ついには雷も鳴る始末。僕が雷の写真を撮っていると(結局写っていなかった)、テントの中ではやはり大貫さんがトランプを始めました。ほんと好きだねー。
 ところで今回の観測会の参加者はなんと19人。とてつもなく多い。テントが4つでも足らないくらいです。ここでテント、雨と来れば次に考えられるのは...、そう雨漏りです。この地獄を味わったのは、不幸にも15年もののテントに決まってしまった1,3年の女子でした。しかしその後2時間足らずで雨はやみ、さらに0時ごろにはきれいな星空が広がったので、すぐに観測を開始しました。2台の望遠鏡のうち1台は、ヨッツが直々に1年生に教えるのに確保し、もう1台で他の人が写真を撮りました。気づくとブルーシート(おnew)にくるまって雨を避けていたダンディーもすでに復活しており、積極的に写真を撮っていました。ですがやはり地学部。一通り全員が撮り終わると、そのほとんどはテントへ撤退してしまいます(ヨッツが睡眠モードに入ったせいでもある)。たとえ撤退しなくても外で雑談、雑談、雑談...。雑談もいいけど何しにここへ来たんだっけ? これじゃあ目的が分かりゃしない。
 



ひとりでふたり


 


 やがて夜が明け片づけが始まると、それまでおとなしかった大貫さんが動き出しました。テントがしっかり拭けていないのを見て、皆川に対して怒ったのです。怖えー。
 片づけが終わり、6連の集合写真も撮り終わったら下山です。途中の儀式もしっかり行われました。トラブルもあったけどなかなか楽しかったです(しかし実は僕が行った観測会で一番記憶に残っていない。なぜだろう...)。そしてこの観測会をもって3年の女子は活動を終了することになるのでした。
 



タイミングがずれたか...


20 NHK出演 1999.6

 これが3年間で一番のビッグニュースだったのではないでしょうか? あのときこう言っておけばよかったなあと、今でもそう思ってしまいます。知識不足が証明された番組となってしまいましたが、それなりによくできているはずです。当時、僕はこれを機に地学部はよい方向に大きく変わっていくと予想しましたが、逆に悪い方向に変わっていってしまったような気がしないでもありません。というのはまた長くなるので後で書きます。古井戸さん、瀧田さん、波木くんが入部したのはちょうどこのころだったよね?
 そうそう、NHKの収録当日のことは「地学部、ついにTV進出!」をご覧下さい。



スタジオの様子



 

21 校内宿泊とOA 1999.6

 はじめ計画では芦ヶ久保へ行こうってことになっていたのですが、参加者が僕と1年生若干名となってしまったので、急遽校内宿泊に切り替えました。参加者は13+1名。えっ、+1って? それは本人なら分かりますよね? さらにこの日は先日収録したNHKの番組が日本中へ放送された日でもありました。21時ちょうどに放送が開始されると(もちろん地学室では見ることはできない)、地学室に集まっていたみんなは叫び(?)ました。「地学部が日本中に飛んだ!」
 しかし肝心のヨッツが来ない。しかたないので警備員(新任)にヨッツの館(地学準備室)と屋上のドアを開けてもらい、準備を始めました。しばらくしてヨッツがやって来ましたが、天気はあまりよろしくありません。1時には観測をあきらめ、ヨッツは撤退しました(初めは行方不明扱いだったが、後に朝霞警察署の近くで愛車CR-Vを停め、中で寝ていてことが本人の証言より判明した)。そしてまたもや目を光らせたのは大貫さん。すぐに何名かでトランプがスタートしました(+1も紛れていた)。しかも屋上で。僕とダンディー、それから1年生数名は校舎で肝試しを始めました。1人ずつ出発し(脅し役は交代)、305教室で合図として窓から手を振ることになっていました。ダンディーは美術室に身を潜め、1年生を脅かしまくっていました。ある意味プロです。そのたびに悲鳴が校舎中に響き渡る...。そして最後はダンディーだったので準備のため地学室へ来る途中、僕のストロボの光がたまたまダンディーを照らし、さらに偶然休憩のために地学室へ降りてこようとしていた大貫さんの目にそれが映り、大貫さんはこれまで誰も出したことのない音量の悲鳴をあげました。「キャーーーーーーーーッッッ!!!」 さすがダンディー、その気がなくても脅かすとは...。しかしそのダンディーも僕の脅しには大いに驚いたのでした。
 その後はみんなでトランプをやり、明るくなってから帰りました。(いいのかよこのままで...。そういえばヨッツは?)



あれ?



 

22 月食観測会[黒目川]と化石採集[皆野]
 1999.7

 先日、ドラと下見に行きました。その本当の目的は近場で観測ができる場所を探すためだったのですが...。屋上では時間的に無理なので、結局そのわくわくどーむの近くで観測をしました。とは言ってもほとんどの人は眺めているだけでしたが...。来年は皆既月食があるのでまた楽しみです。
 



食の最大
拡大撮影法で撮影(直焦ではできなかった)


ひとり制服の人がいる...


 


 化石採集は無理矢理行ったというイメージが強く、そして思ったよりも大変でした。日差しが強く、暑い中ハンマーでカンカンカン...。手にマメができました。収穫はまあまあ(?)だったのでよしとしましょう。どうなるのかな、文化祭...。
 
 

23 99夏の合宿[妙高高原] 1999.8

 この出来事は「最後の妙高高原夏合宿」にとーっても詳しく記載されているので、読んでみて下さい(恐ろしく長いです)。一言で言ってしまえば、天気には恵まれなかったものの、ほとんどのことがうまくいったのです。
 



暗闇にて



 

24 第37回文化祭 1999.9

 3年生最後の活動です。そのため僕はこの文化祭の計画はだいぶ前から(投影機の設計は1月から)立てていました。そんなわけで最後の文化祭でやることは...

●新型投影機の設計、開発(長年の夢であった電動化を図る)
●電源装置の改修(操作性の向上)
●流星発生機の設計、開発(しし座流星群のシュミレーション)
●ドームの組み立て(直径約4m)
●惑星模型(発泡スチロールを塗装)
●星座占い(Ver.3 大貫発案)
●天気図の解説(Ver.1 大貫発案)
●天体写真パネル(モノクロのみ)
●しおりの作成(従来通り)
●岩石プレパラート(従来通り)
●ホームページの紹介(従来通り)

などです。準備の方は夏の合宿の後から着々と進められ、新学期が始まる頃にはこれらの半分近くが終わっていました。体育祭が終わってすぐドームの組み立てが急ピッチで進められました。1,2日目で骨組みが、3日目で外側が、4日目で内側が、そして5日目で内装が終わり、後は生徒会から支給される暗幕を掛けて完成というところまできました。ところがこれで安心してしまったのか(準備が間に合うか分からなかった)、多くの1年生が手を抜くようになってしまったのが残念です。「もう終わりでしょ?」 そんなことありません。肝心の投影機と流星発生機が完成していないのです。「うわー、やべーよー」
 



木星の塗装中


ドームの組み立て開始
チームワークが大切になる


ドーム内部の様子


 そしてその当日がやって来ました。なんと6時集合。時間通りに来たのは僕と元樹君だけでした。とはいってもこの時点で完成していないのは投影機だけで(一応投影だけはできるのだが...)、構造が分からない人が来たからといって作業が進行するわけではないので。その人たちには地学室の掃除をしてもらいました。そして点呼の30分前にはなんとか電動で動くようになったのです。ここでちょっとBreak。ふーっ。
 点呼が終わり一般公開の時刻となりました。客が来る、来る、来る...。そんな中1回目の上映がスタート。練習をしたものの本番でもやはり心配でした。「途中で壊れなきゃいいけど...」 そうそう、今年のドームは何かが違う。そう、空調をコントロールできるようになったのです。従来の扇風機だけでは涼しくなりません。そこで毎年毎年ドームの中で扇いでいる人を思って(異常な高温となる)怜馬が自宅の冷風機を貸してくれたのです。そのおかげでドームの中は10人入ってもとても涼しい。怜馬君最高!
 トラブル発生! このトラブルで電動はもう不可能と断定、手動に切り替えて回すことにしました。しかし手動だと小さな手ブレでもドームにはそれが大きく影響し、誤って激しく回転させてしまった暁には、ドームの中のほとんどの人は酔ってしまうのです。このことに注意し、ゆっくり回すのは至難の技であります。ですがそれも僕や大貫さん、中森さん(もちろん他の人たちも)はうまくやり遂げ、1日目は無事終了したのでした。
 2日目は8時集合。昨日よりはゆっくりできました。上映スタート。しかし僕は昨日からイヤな予感がしていました。「スポット球が切れるのが早すぎる...。電圧が高すぎたかな?」 しかもこの電球は近くの店では置いておらず(買ったところは品切れ中)、昨日のうちに買うことができなかったのです。そこでもしものときに備えてクリプトン球を4個ほど買っておきました。「もし全部切れたらお陀仏や。切れないことを願おう」 この時点で予備は2個あったのですが、残念ながらすべて切れてしまいました。そこでそのクリプトン球をハンダづけし、無理矢理投影機に取り付け、1時間近く中断されていた上映を再開させることができました。
 



鈴木君と...


地学部大集合!


 


 そして地学部が本性を現すときがやって来ました。ドームの破壊です。このときだけは誰もが狂ったかのように破壊し尽くすのです。
 



ドーム破壊開始


組み立て5日、破壊5分 うーむ


 地学部は表彰まではいかなかったけれど、それなりの好成績を修めたのではないでしょうか? 僕は結局、文化祭では3年間どこにも回ることができず、ずっと地学室にいた気がします(現実にそうである)。クラスの出し物の方も手伝った覚えはなく(現実にそうである)、クラスの人には多少迷惑をかけたかもしれませんね。
 



地学室前の廊下

 
 


25 部長継承と引退? 1999.9〜11

 ドーム破壊後、僕はしみと次の部長、副部長、会計を誰にするかを相談しました。前々から考えてはいたのですがなかなか決まらず、8時になってしまいました。どんな組み合わせにも必ず致命的な欠点があるので、ここはあまり深く考えず、消去法で考えることにしました。その結果選び出されたのが、部長皆川、会計兼副部長中森さんです。そしてそれを後日の文化祭の反省会で発表し、3年生は形式上引退となりました。でももちろん事実上はまだ引退していません。結局しみは10月まで、まっちゃんは12月まで、僕は3月まで顔を見せることになるのです。
 11月の芦ヶ久保へ大学の指定校推薦の面接後すぐに自転車で行ったり(ケガしたし...)、星見会に参加したりしたのは、まだ地学部を引退したくないという気持ちがどこかにあったからかもしれません。しかしいつまでも僕が地学部にいては、1,2年生は自分たちが先導するという力が芽生えなくなり、怠けてしまいます。実は知識不足の原因はこれだったのかもしれません。「知ってる人がいいや」ではダメなのです。自分から知ろうという心を持たなければダメなのです。
 
 

26 本当の引退と卒業 2000.3

 3月8日、僕たち35期生は卒業しました。今後はそれぞれの道を進んでいくことでしょう。この地学部での3年間は、たとえほとんど部活に出なかった人にとっても、十分楽しく、価値のあるものだったのではないかと思います。後輩である皆さんも僕たちの今後の活躍を期待していて下さい。最後に卒業した3年生の言葉を添えます。
 
 
 

 私が地学部に入ったのは本当に偶然といえます。あえて言い訳をするとすれば、中学校から同じ部活動をしていた元部長さんが入部するといったからではないでしょうか。そう考えますと部長とは長い付き合いになります。18才の私にとって6年間は実に長い。お互いに相手の良い所も悪い所も知り尽くしていますよね。さてその部長さんはきっと3年間の思い出を書き綴っていると思いますので、私はあえて違う切り口でこの3年間を端的に表してみたいと思っています。

《地学部活動で出た私的な結論》

 @星は星座を憶えるより「きれいな星だなぁー。」と眺めるぐらいで良い。
 A天気はその日・その時になればわかるし、今日・明日の天気を知りたければ下駄を投げれば良い。(他の方法としては祖母に聞くなどがあります。)
 ※私の地学力は天体も気象も少しかじった程度ですので悪しからず。


副部長会計: 清水 英明  





地学部での思い出

 地学部での思い出はやはり、日々の地学室での雑談ではなかったかなあと思う。そして、その雑談でよく笑ったなあと思った。また、思い出といえば、夏の合宿や芦ヶ久保での合宿は、はずせないだろう。とても、星がきれいに見えた時、この山を登ってきてよかったなあと思います。合宿では本当に多くのいい思い出ができよかったと思います。また、この地学部に入り、いい思い出がいっぱいできよかったです。
 


老中: 江田 直也  





地学部員体験記(仮)地学部現役の皆様へ

 早いもので地学部に入部してもう3年近くが過ぎますが、無事にこの春卒業できることを嬉しく思っています。ところで、僕がこの部に入ろうと思ったきっかけは、休日や夏休みにみんなで一緒に山や川へ行き、ゆったりのんびりと過ごしたいということだったので、十分過ぎるほど楽しむことができて満足しています。
 ただ、妙高高原へは一度も行かれなかったことはとても心残りです。また、2年生のときの文化祭や3年生になってからは鉄道模型や、生徒会の役割と重なって文化祭の準備や普段の活動をしなかったうえに、たまに顔を見せて場を乱したことを申し訳なく思います。
 3年間の中で部内の対立や闘争(?)もありましたがテレビ出演など、大切な体験ができました。(本当は嫌だったんだけど後から考えるとよかったです。)
この後も、取材などの依頼が来ることがあったら、やってみてください。また、合宿のときもしテントなどに余裕があったらぜひさそってください。最後に、去年持っていった冷風機は寄付します。プラネタリウムや、糞暑いとき使ってください。(温風にもなります。」お世話になりました。

無線: 西村 怜馬  




 3年間を通してあまり部活動には参加はしなかったけれども、夜どおしで山の上できれいな星空を見たり、文化祭で一つのものを作り上げたりと、それなりにはいい思いができたんじゃないかと思います。部活動にほとんどといっていいほど参加せずにほかのみんなにめいわくをかけてしまい本当にしつれいなやつだとおもいますけれど、ほんの少しの間参加させていただいた時にはいい経験をさせていただいてよかったと思っています。
 


テント: 高橋 一宇  




 私は、3年間地学部に籍を置きましたが、2年生の後半あたりからあまり出席しませんでした。しかし、1年生の夏の観測会などで、天体写真の撮影をはじめ、日常生活では体験できないような事を体験できたのがとてもよかったと思います。
 


連絡: 若林 利和  




 私は3年間地学部に入っていたのですが、あまり出席しませんでした。でも必ず観測会には参加し、天体写真を撮るなどとても楽しい体験ができました。ありがとうございました。
 


料理: 照井 明美  




 私は全然不まじめで、活動に参加しなかったのでみんなにはすごく迷惑をかけたように思います。でもたまに出る観測会に快くむかえてくれるのがとてもうれしかったです。ありがとうございました。
 


四サ: 橋本 裕子  




地学部の3年間で得た物は、同じ趣味(地学ではない)の知り合いだった。地学部などにとらわれずに、もっと遊んでおくべきだった。後悔。
 


PC: 松村 岳彦  


 
 


2000.1.1初日の出
新たな時代の幕開けだ!

さらば地学部!
(OBとしてしばらくはまだ顔を出すだろうけど...)


 


作 30代地学部部長: 長島 新一  



注:  本文制作中に卒業式を迎えたため、冒頭と文末での時制が多少異なります。

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