顧問秘書の嘆き

                  〜第7章〜

 終了式も無事終わり、長い春休みと、ありがたくない通知表、宿題を抱えて家に帰った。結果を見ると、進級はできたようだ。 やれやれ。

 さて、この春休みでは今年度最後の特活がある。3月29日の地検(地質巡検)と、30日〜31日の校内合宿だ。特に地検は夏の本合宿にも 匹敵するものである。また、地検は、地学部の特活のなかでも唯一天気に左右されない活動でもある。いつものように天気予報を見て 一喜一憂しないで済むのは正直ありがたい。よって、この活動はなんとしてでも成功させなければならぬ。

 約1週間後に控えたある日、迫田先輩からメールが来た。「地検はいつなんだ?」という内容だった。29日だと伝えたところ、すぐに、「何時に何処だ?」 と、返ってきた。行く気満々じゃん!!で、その後迫田先輩の提案で他の人も誘ってみることに。先輩に他の3人のメールアドレスと 電話番号を聞いた。個人情報って、こういうとこから漏れるんですねー。イタ電してやるー。けっけっけ(冗談です)。

 早速電話したものの、3人のリアクションは薄く、手応えはなかった。結局、小林・岡田先輩は保留、小野木先輩には「面倒だから」 と言われ不参加となった。“面倒”と言いにくい理由でもスッパリキッパリ言い放つのが いかにも先輩らしいがこういう行事というのは 人数が多いほどオモロイものなので、やはり来て欲しかった。てゆーか先輩来なかったら誰が他3名の暴走を止めるんですか!? 後の2人は、返事の無いままだった。

 前日になった。地検の打ち合わせをする日である。やはり2人共返事は無かった。案の定と諦めていた時、小林先輩からメールが来た。 それを見てビックリ仰天、なんと今日来ると言う。今日来ると言う事は明日行くと同義語だ。いいねぇ。その打ち合わせでは、 明日の持ち物の確認、歩くルートの確認、地検に関する事の山口先生による特別講義等を行った。一部授業で聞いたような気もする語句が 出てきたが、すっかり頭から抜けていた。やばいなぁ。

 終わった後すぐに解散となり、家に帰った。家で「Yahoo!」の天気予報を見てみると「晴れ時々曇り」らしい。星を観るには芳しく ないが地検には十分の天気だ。よぉしっ、いけるぞっ!!こちらも万全の体制だ!いつもの面々4人+顧問2人に加え、小林・迫田先輩の 2人が参加する総勢8人の超豪華キャスト(?)だ。え?人数少ないから質素&貧相だって?……………え〜っと、そいつは気にしない方向でお願いしますね。さて、今日は早く寝るとするか。

 当日の朝、待ち合わせ場所の北朝霞へと向かった。自分の家は志木にあるので目と鼻の先である。眠い目をこすりながら家を出た。 化石は何個採れるんかなぁ。

 私が北朝霞についた時、そこには三田崎と小林先輩が待っていた。皆さん早いですねえ。

 小林先輩 「お〜おはよう」 
 塩野   「おはようです〜」
 三田崎  「ちょっと遅いんじゃない?」
 塩野   「時間前だからいいだろ!」

…のような会話をしていたら、北朝霞駅の中から中嶋が現れた。なんでだ?こやつは最近(と言っても1月頃から)入部した1年で、 卓球部にも所属している。ここには常々興味を持っていたらしいが、中々入部できなかったのだ。この地検に来る際も骨を折ったに違いない。 がんばるねぇ〜。

 すると中嶋とタッチの差で鈴木先輩が気配も無く現れた。一体どこから………?ふと見ると、走り去る車があった。なるほど、 これに乗って来たのか。

 なにはともあれ全員揃ったので、まずは新秋津まで出発進行!迫田先輩とは当初の目的地である黒谷駅で落ち合う予定だ。 先生は………どっかで会うだろ。なんら問題も無く西武秩父駅に着いた。ここまでは分かるのだが、この駅から連絡している御花畑駅の 場所が分からないのだ。ふーむ。

 その辺をウロウロしていたのだが、ある親切な方が指を指し示して下さった。ご丁寧にありがとうござ………って山口先生!! よかったよかった、これで安心だ。もう迷う事もないだろう。

 御花畑駅でのハプニングは私がここに来るまでひたすら駆使してきたパスネットが使用不能だった事(山ン中だからしゃーないか) と、中嶋がホームで自分の持ち物をぶちまけてしまった事だった。さっさと拾って電車に乗りこんだ。乗りさえすれば問題は起きんだろう ………と思っていたが、突然の問題勃発!!なんと中嶋の切符が無くなったのだ!!さしずめホームでぶちまけた時に拾い忘れたのだろう。 あ〜りゃま。追加料金用意しとけよ。でもどうしてこの部の特活は平穏にいかないのだろうか。しばらく探したらあっさり発見。 ぐしゃぐしゃのレシートの間に挟まっていたようだ。心配させやがって。

 黒谷駅に着いて久々に強張った身体を伸ばすことが出来た。降りたのは私らだけだった。そこで見たのは改札口のベンチに1人で 座っていた迫田先輩の姿だった。何か物悲しい………。山口先生が言うには新井先生ともここで待ち合わせらしい。まだ来てないようだ。 ふう。こりゃ、しばしの休息だな。

 山口先生が黒谷駅をバックに記念撮影しようと言い始めた時、新井先生が歩いてくるのが見えた。唯一自家用車で来た人である。 大変ですねぇ。とにかく、新井先生も合流して、これで全員揃って出発となる。さあて、見るものは早く見ましょうや。

 黒谷に来てまず見るものは黒谷断層である。それは山の中にあるので登って行く。一般常識で考えるならハイキングは適度な運動と 森林浴で身体に良い筈である。しかし問題はこの季節。なんとその山は立派な杉で覆われていたのだ!!小林先輩の話では条件が揃えば、スギ花粉が飛んでいく、テレビで放送されているような映像が実際に電車の中で見られるというから驚きだ。 スギ花粉症の新井先生・迫田先輩にとって、さながらこの世の生き地獄のような光景だったろう。ま、ワシには関係無いな。

 前日に先生が話していたが、黒谷断層とは、下は1500万年前の砂岩、上は2億年前のチャートでできている長さ15kmの大断層である。 前に説明を聞いた時はすごそうな感じがしたが、実際見た所、こんなもんか、という感じだった。ピンとこなかったのは自分に知識がないからなのか。一応地質巡検と言う事になっているので、ここでは断層の上に行ってチャートの一部を砕いてサンプルを採った。 上から降りて来ると、断層にそって登れそうな所がある(登って良いのかは不明)ので登り、そこでさっきと同じように下の層の砂岩も 採集した。中嶋は上まで登ろうとしていたが、さすがに危険なので説いて止めた。

 全員無事に降り、(登ったのは私と中嶋と鈴木・迫田先輩)一息ついていた時、山口先生がある物に反応した。それは今降りてきた 所にあったデカい岩。先生によると礫岩だそうだ。先生が採集を試みたが、礫岩というだけあってやはり固い。ついにはえが抜けてしまい、 ハンマーを代えざるを得なくなった。しかし、ハンマーを代えても全くダメだった。先生が諦めたので、先生に変わって自分が持っていた 最重量ハンマーを思いきり叩きつけた。てぇりゃあぁぁ!!ガコンッ!!

 それでも岩はビクともしなかった。ぬううっ!俺に逆らうたぁ良い度胸だ!こうなりゃとことんやったるでぇ!!………という おぞましい(?)程の執念でなんとか岩を砕き、小指ぐらいの破片を採った。くはー、チカレタ。

 その次に行ったのは聖神社なる所だった。なんでも、和銅山開発の為に建てられた神社で、ここでは新代三紀の礫岩・砂岩を拝む事が 出来るらしい。しかし結局はトイレ休憩だけに寄っただけのようになってしまった。休憩の時間中は洗練された地学部的トークが炸裂!! 内容はと言うと、「神とは何か」から「神社の木はなぜ大きいのか」を経由して「スギ花粉の恐怖とその防止方法」まで脱線した。 さぞかし神様もうるさかっただろう………。もっとも、地学部は神を信じない主義なので、どうでもいいのだが。新井先生だけは本堂の中を 覗いたり、神社の裏にまわってみたりしていた。これが本来地学部のあるべき姿だよな。とにかく、細かい事は抜き抜き! 地検の真の目的は「楽しむ」ことなんだからな!はぁ〜………言い聞かせている自分が哀しい………。

 休憩を終えてから向かった先は郷平橋の下。聖神社から約6kmの道のりである。通常、6kmなんて大した事では無いが、カバンに入れて おいた最重量ハンマーが歩くたびに骨盤に当たって痛いのなんの。帰ってから見ると見事な青アザが………。え〜んえ〜ん。

 向かっていた途中には古墳があった。古墳といってもなんてことはない、ただの円い丘だった。でも、見に来る人って埋葬されている人から見れば所詮は墓荒しなんだよなぁ。

 アザの痛さにひーひー言いながらやっとこさ橋の下に着いた。塩野・中嶋の運動部兼部組は飄々としていたが、その他の方々は ぐでぐでになっていた。日頃の運動不足ですな。着いたらすぐに「凝灰岩の層を探せ」という課題を出された。大まかな地形の地図は あるのだが、砂岩と泥岩の見分けすら出来ん素人にたった2cmの凝灰岩の層を見つけろなんてまず不可能。自転車も乗れないのに競輪を 志すようなものである。結局見つからず早々に切り上げて代一次化石採集を始めた。先生の言うことには、地層に平行な向きにタガネを 入れれば欠片が薄く剥がれるため化石が見つかりやすいのだとか。そのコツは体得したが、化石は一向に見つからない。ま、そう簡単に 見つかるのもつまらないんだけどな。化石は数個しか見つからなかった。その時、張り切りすぎたのか、砕けた岩の破片で手の甲を切って しまった。いて〜よ〜。

 大した収穫もなかったので有名な前原の不整合を見に行った。この不整合は不整合面がくっきりと分かるので地学的にも貴重で、 学習にも良いのだと看板に書いてあった。でも私らには豚に真珠だろうなぁ。毎年恒例の不整合前の記念撮影をして、奥の荒川の河原 (といっても砂だらけだが)で昼食をとった。食べ終えた後はいよいよこの地検の真の目的である第2次化石採集である。今までのは あくまで前座。ここからが本番である。

 そのポイントは昼食をとった場所の少し下流のところで、普通の人が見ても石がゴロゴロ転がっているだけの何の変哲もない河原である。 しかし、ここにはいくつとも知れない化石が今も眠っているのだ。私が持っている最重量ハンマーもここからが本領発揮である。あー、 手がウズウズしてきた。さて、いっちょ派手にやりますか!!

 そこから後はまさに地獄絵、修羅場、無法地帯。中には狂乱状態に陥った人(私ですが)もいた。この最重量ハンマーの威力には凄まじい ものがあり、他のハンマーで叩いても傷付かなかった石であっても「ぬお〜〜っ!!」という雄叫びとともに即刻粉砕。しかも狂乱状態に なっている野郎が振り回しているのでは他の部員もたまったものではない。心なしかみんなワシから離れていたような………。

 時の経つのは早いもので、もう帰ることになった。みるとだいぶ日が傾いている。ここで数時間も粘った甲斐あって、20弱の化石が 見つかった。先輩の評価は平年並だそうだ。ついでに一年分のストレスも一気に放出し、気分も爽快!人間我慢ばかりしていては体に毒ですからな。

 しかし問題はここからである。化石は誰が持っていくんだ?先生は「自分で採ったもんは自分でもってけ」と言っていたのだが、そのほとんどは私がもっていく羽目になった。なんで?一人でこんなに採った記憶はないのだけれど………。

 結局、逃走を試みたものの無駄に終わり、地学部ファミリーが採った化石を自前のリュックに入れて新井先生の車のある郷平橋まで 運ぶことに。行きと違って上り坂なので正直キツい。良い意味でとらえれば筋トレなのだが、文化部の活動で筋トレするなど聞いたことが ない(演劇・吹奏楽は別)。テメェら………後で覚えてろよ。

 車に化石を積み、新井先生とはここでお別れ。お疲れさまでした。化石は明日学校に着くだろう。さて、よい子(?)はお家に帰りましょ。

 来た道をひたすら戻り、皆野駅に到着。電車が来るまで20分ぐらい待つようだ。この一日で一番長い休息時間だ。今日も頑張ったなぁ。 ぼーっと物思いにふけていると、電車が来た。この長瀞ともお別れである。

 帰り道では何事もなく無事に帰ることができた。全員寝過ごすこともなく、いたって平穏なものであった。やはり皆さんお疲れのようで 終始無言………………とは、そうは問屋がおろしまへん。疲れていようが何だろうがこの地学部からトークが消えることは絶対無い。 って言うか、この部活からトークパワーを取ったらいったい何が残るんだ?

 ふは〜、疲れた。しかし、これでへこたれるわけにはいかない。なんせ明日・明後日には校内合宿がキッチリ予定されている。 嬉しいことだが、勘弁してくれぇ〜。目標はカメラ撮影の基本を学ぶ(!)こと、アンタレス星食を観測すること、地学部的トークに磨きを かける(?)ことだ。とにかく気合じゃ〜。でも曇ったら寝かせて頂きますでは、来年度も朝高地学部を宜しくお願いします。





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