アジア太平洋平和フォーラムAPPF(Asia Pacific Peace Forum)の紹介
●2001年9月11日、ハイジャックされた米国の民間航空機4機が、ニューヨークの世界貿易センタービル2棟と、ワシントンの国防総省に激突しました。「9.11同時多発テロ」です。
●世界貿易センタービルが崩落する映像をテレビで見ていた多くの人々が、「このままでは米国による報復戦争が始まる」と危機感を感じました。そのうちの何人かは電話で連絡をとり、1週間後の9月17日、「民間人を標的にしたテロリズム反対 米国の報復攻撃は問題を解決しない 日本政府の戦争協力を許さない 9.17市民の緊急行動」という名称のデモ行進を行いました。わずか数日の呼びかけにもかかわらず、このデモには400人を超える人々が参加しました。
●その参加者を母体にして「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」が組織され、米国のアフガニスタン攻撃や、自衛隊の対テロ戦争支援に反対していきます。この流れはのちにWORLD PEACE NOWに合流していきました。
●一方で、米国のアフガニスタン侵攻や日本の戦争協力に反対する人々の中から、「米国の平和運動との連携を深めよう」という声も上がりました。建国以来、初めて米本土が攻撃された米国では、愛国主義の嵐が吹き荒れ、「テロとの戦い」が超え高に叫ばれ、連邦議会上下両院では、アフガニスタンへの戦争を開始する法案が可決していました。
●その中でただ一人、戦争に反対して反対票を投じた下院議員がいました。カリフォルニア州バークレー市・オークランド市選出の女性議員、バーバラ・リーさんです。米国との連携を求める人々は、「バーバラ・リーさんを日本に呼んで講演会を開こう」と考え、「バーバラ・リーさんを日本に呼ぶ会」を結成したのです。面識もなければ、紹介者もなく、米国の国会議員を日本に招聘するのは大変なことでした。しかし数度の訪米によって熱意が伝わり、バーバラ・リーさんは、2002年8月、ついに日本に来てくれることになったのです。
●この経験を通して、私たちは平和運動の国際的な連携の重要さを実感しました。そこでバーバラ・リーさんの招聘活動を終えた後に、「バーバラ・リーさんを日本に呼ぶ会」を、「アジア太平洋平和フォーラム(APPF)」として発足させたのです。
●その後、米国と同盟国がイラク戦争へと向かう中で、APPFは米国・韓国・英国などの平和運動団体との交流を広げるとともに、世界社会フォーラムへの参加などを行ってきました。また国内でもWORLD PEACE NOWの実行委員団体として活動しています。このホームページは、私たちの活動の記録です。