夕焼けの街に高い鐘の音が鳴り響きました。 人々は我先にと走り出し、逃げ惑います。 避難場所にされている教会の入り口は人で溢れかえり、 木製の厚い扉が重い音をたてて閉じられました。 その後に教会に来た人は一様に恐怖に満ちた表情をして、 他の逃げ場所を求めて走り出します。 街の西方の空に黒い影の群が現れました。 ゆっくりと近づいてくる影は空の主であるかのように威容を示します。 影は街の上空に到達すると、ゆっくり旋回をはじました。 獲物を探しているのでしょうか。 一人の少女が影を見上げていました。 顔には緊張の色が見えます。 一匹の影はその少女に目をつけたのか、旋回をやめ二度、三度と羽ばたきます。 そして影は急降下して少女に襲い掛かかりました。 漆黒の竜が朱の目を輝かせながら大きく口を開き、 少女を飲み込もうとします。 刹那、甲高い音を立てて夕陽の中を光が一閃しました。 抜き放たれた長剣が竜の鼻先を掠めました。 漆黒の竜、混沌竜は驚いたように首を上げました。 そして怒りに満ちた竜は、大きく息を吸い込みます。 「ヒューイ!!」 少女が叫ぶとそれに答えるように白い天馬が駆けつけます。 少女は天馬に飛び乗ると天馬の手綱を引きました。 天馬が跳びます。 高く、高く。 それを逃がすまいと混沌竜は口から黒い炎を吐きました。 混沌竜の吐く炎は、物質を燃やすものではなく生命力を奪う炎だとリファは仲間から聞かされていました。 リファは混沌竜の炎の横を通り抜け、混沌竜の上空まで突き抜けました。 混沌竜は一度地面に足をついて、すぐさまリファを追おうと羽ばたたきます。 リファは混沌竜の群がやって来た方向に向かって飛び、 混沌竜はそれを追いかけます。 そのような光景は街の各所で見られ、 リファと同じように飛竜騎士達が混沌竜に追われる形で飛んでいました。 「リファ!!」 その中の1人の飛竜騎士が大きく手を挙げリファに合図をしました。 リファは頷くと方向を転換します。 他の騎士たちも同じ動きをして、混沌竜達は一ヶ所に集まるかのように逃げる騎士を追い立てます。 騎士達はお互いが衝突する直前で天空に向かって急上昇しました。 混沌竜は標的を視界から見失い、他の混沌竜と衝突するのを避けるために旋回をしました。 ―1ヶ所に集まったのを見計らったかのように、街の各所から弓と魔法弾が放たれました。 混沌竜達は包囲攻撃された事を悟ります。 しかし、弓や魔法は混沌竜の咆哮と共にかき消されました。 歪む次元の壁『黒の領域』 それに怯む様子も無く、矢と魔法は第二、第三波と続きます。 短期間での連続発動の出来ない黒の領域の合間を縫うように矢と魔法の攻撃が混沌竜に命中し、 混沌竜の群は一匹、また一匹と地面に落下して行きました。 何匹かの混沌竜は包囲を強行突破しましたが、大半が落下した後、矢と魔法の雨は止み、 飛竜騎士団が降下して混沌竜にトドメを刺しに向かいます。 先ほどまで射撃を行っていた弓兵や魔導兵達も飛竜騎士団の支援に向かいました。 リファは1人の飛竜騎士と共に、包囲射撃を抜け出していた混沌竜を追っていました。 その飛竜騎士はリファの親友であり、美しい赤毛の長髪の女性でした。 名はシアラ、過去にリファを心配してヒューイに乗るのを止めよう注意したのが彼女です。 彼女はリファと同期で飛行騎士になりましたが、リファとは違い気丈で勇ましく、短期間で出世をし飛竜騎士になりました。 今、彼女の右手には黄金の騎槍が握られています。 その槍の名はヴェルトリヒト、聖魔大戦とよばれた古代の戦争で人間が魔族に対抗するために光の神が造った武器の1つです。 ラカール王国に秘蔵されている唯一の聖魔大戦時代の遺産ですが、 混沌竜の出現により已む無しと、飛竜騎士団に与えられました。 「リファ、しっかり援護してね」 シアラは混沌竜と飛竜騎士団との初戦でリファが怯んで動けなくなったのを見ています。 ですが、あえて今回の自分の援護にリファを指名しました。 シアラはいつも親友であるリファを心配し、リファに強くあって欲しいと思い、リファが生還した時は涙を流して喜びました。 「ええ、任せて」 リファは混沌竜を恐ろしいと思いながらも、シアラの期待を裏切りたくありませんでした。 そして、自分の命を守って大怪我をしたヒューイのためにも、同じ失態を繰り返さない決心をしました。 リファを背に乗せるヒューイも同じです。 あの墜落依頼、ヒューイは二度と落ちない事を己に誓っていました。 魔力の強い聖域の森で療養していた事、大幻獣であるケルブの側にいたことで、ヒューイの力は以前に比べて格段に強くなっていました。 その事もあってヒューイは以前とは見間違えるように果敢になっていました。 「たあぁぁぁぁぁぁっ!!」 シアラの手にするヴェルトリヒトが発光を始めます。 光の帯の名がつけられたヴェルトリヒトは闇に属する者を打ち倒すために創られた武器です。 「コォォォォッッッ!!」 混沌竜もシアラを近づけまいと応戦します。 口を大きく開き、咆哮と共に黒い炎を吐きます。 「薙ぎ払え!ヴェルトリヒト!!」 ヴェルトリヒトは発光を増し、光の帯を纏い始めました。 光の帯と黒炎がぶつかりあい、相殺されます。 シアラと混沌竜の双方に隙が出来ました。 シアラはヴェルトリヒトを再び起動させる為に集中力を高めなければならず、 混沌竜も黒炎を続けて放つ事はできません。 リファはその隙に混沌竜の眼前に飛び込み、混沌竜の目をランスで突きました。 混沌竜は激痛にもがき、リファを打ち落とそうと闇雲に暴れ始めます。 「リファ、離れて!!」 シアラの手にしたヴェルトリヒトが再び光の帯を纏っていました。 リファが急いで混沌竜から離れるとシアラは混沌竜に向かって光を振り放ちます。 光の帯が、混沌竜の首に向かって薙ぎ払われ、混沌竜の頭が体を離れ、空を舞いました。 混沌竜の体が力を失って落ちていきます。 強大な力を持つ混沌竜も、さすがに頭を失っては命を保てません。 リファとシアラが一息をついて周囲を見渡すと、街の上空では戦闘にほぼ決着がつき、残ったわずかな混沌竜も、ラカール兵に追い立てられて逃げ出したようです。 「ありがとう、リファ。助かったわ」 シアラは微笑み、そう言いました。 「いいえ、シアラに比べれば大した事じゃないわ」 「この槍があったからよ。私だけじゃとても立ち向かえなかったもの」 ヴェルトリヒト―聖魔大戦の遺産である武器を扱うには高い集中力と精神力を必要とします。 その力は強大ですが、精神的な負担が大きく、それを扱うには相応の力を必要とします。 シアラにはそれだけの力あるから、ラカール王国もヴェルトリヒトを与えたのでしょう。 シアラは、ラカール王国にとって救世主になったと言っても過言では無いかもしれません。 リファはそんな友人であるシアラを誇らしく、頼もしく思い、そして自分もシアラのように強くなりたいと願いました。