〜これまでの登場人物(登場順)〜
ぐり…ぐらの先輩。文芸書担当。
ぐら…ぐりの後輩。熱烈ミステリおたく。ビジネス書担当。
ビジネス書のマネージャー…ぐらの上司。
ノンタン…色白美少年。歳は大台にのっている。趣味書担当
ラプンツェル…女王様系美女書店員。文芸書担当。
説明マン………?
店長…黒ずくめ美青年。年齢不祥。
ミッフィー…ホラー好きのお嬢様。日本語に疎い。
シンデレラ…カンチョーが趣味の用度係。

 *全員、書店員である(謎の説明マンを除く)

(zori wrote …)消えたスリップ

その朝、ぐりが出勤すると、新入社員のぐらが、新潮読ンダパンダと向かい合っていた。

 ぐりは、変わり者のぐらが苦手だったので、ちょっとドキドキしながら、挨拶した。

「おはよう」

 ぐらは返事をせず、パンダの頭を愛おしそうに撫でている。

「今日の朝ご飯は、パンダ。なんちゃって」

 さらなるぐりの言葉は、ふたたび無視された。悲しい気分になったぐりは、コンビニの袋からパンを取り出して、頬張った。

「ささいなことが重要なんだ!」

 そのとき突然ぐらが叫んだので、ぐりは130円もしたパンを落としてしまった。

「ホームズが、壁の落書きから殺人を見抜いたようにね。大切なのは、ささいなことなのだよ。ワトソン君」

 どうやらワトソンと呼ばれたのは、ぐりのようだった。

 ぐらが手にしているのは、新潮文庫版『シャーロック・ホームズの冒険』だった。熱烈ミステリおたくのぐらの、バイブルである。

 ぐらは、新潮文庫とポケミスを担当するためだけに、この森の書店に入社したのに、ビジネス書に配属されたため、悲しみのあまり、毎朝、新潮パンダに挨拶に来るのである。

「その些細な材料を、この灰色の脳細胞で料理すれば、だね……」

 床の上のパンを涙目で見つめるぐりに、ぐらがなおミステリ談義を押し付けようとしていると、ビジネス書のマネージャーが通りかかった。

「ぐら君、パンダに挨拶していないで、早く売り場に来たまえ」

「いま行きまーす」

 マネージャーが通り過ぎると、ぐらはエプロンのポケットから、今度はアガサ・クリスティを取り出した。

 ぐらがその解説を始める前に、ぐりは言った。

「さっき、ささいなことがどうの、と言ってたけど?」

「そうなんだ、3週間溜めておいたスリップが、消えたんだよ。まさにミステリー。このささいなできごとは、なにか重大な事件と結びついているに違いないのだ」

「ぐら君、引き出し整理していないから、ただ、なくしただけなんじゃ……」

 ぐりが言いかけたとき、廊下の先から悲鳴が聞こえた。

「うわあ! 助けてくれえ!!」

 それはまぎれもなく、マネージャーの声だった。

(あさふく wrote …)

バタバタバタ!

…ぐらの靴はいつもぶかぶかしていて、耳障りな音をたてる。立ち仕事をしているのだから、靴には気を使ったほうがいいのに。

と、いつも靴をピカピカにしているぐりは思う。

ハッ! そんなことを考えている場合ではなかった。今はマネージャーの一大事だった…。

いつのまにか考えていることが45度くらいずれてしまうのが、ぐりの欠点でもあり、愛嬌でもある。

バタバタバタ。

しかし、やはりウルサイものはウルサイのだ。

「ねえ、ぐらくん。こんな時になんだけど、靴はいいやつ履いたほうが良いよ」

老婆心ながら忠告してみるぐりである。…もちろんぐらは、聞いちゃあいなかった。

「どうしたんだ? …ああ!」

なかでも、趣味書担当のベテラン社員、ノンタンさんは大きな目をさらに皿のようにまん丸にして大声をあげた。

 

(はらかお wrote …)その人の名は…。

「ラ、ラプンツェルさん!」
ぐりも大声をあげた。
マネージャーを下敷きにして倒れているのは、文芸書担当のラプンツェルだった。
彼女の栗色の長い髪は、うねり渦を巻きつつ床一面に広がっている。
マネージャーは、それに絡まってしまい起き上がることもできず、ジタバタともがいていた。
「どうしたんですかっ?」
ぐりとノンタンは慌てて、両脇から彼女とマネージャを助け起こそうと駆け寄った。
「・・・・カ・・」
「えっ?」
「髪、踏むなって言ってんの!」
ラプンツェルがガバッと顔をあげ、美しい切れ長の目でガンをつけた。
突然、それまでむっつりと黙りこんでいたぐらが大声をあげる。
「謎はすべて解けた!」
ぐらは、自分のあごを右手の親指と人差し指で挟み、左手を腰にあてポーズを決めた。
「ささいなことが重要なんだ!
 ラプンツェルさんは、いつもそのズルズルと長い髪を一つに括っている。しかし、今日に限ってそれはほどかれていた。
つまり、犯人は・・・・・」

(zori wrote …)

「つまり犯人は……」
 ポーズを決めたまま、ぐらは、一同を見渡した。
 ぐらの鋭い眼光を当てられた4人は、思わず息を飲んだ。さきほど、解体場の鶏のような悲鳴をあげていたマネージャーまでが、ラプンツェルのEカップの谷間から、ぐらを見上げている。
「犯人は……」
 南極の流氷のように凍てついた、緊張の瞬間……。
「この中にはいなーい!!」
 ぐらは、びしっと天を指差した。
 一同呆然のなかを、ぐらは満足げに退場しようとした。そのとき、
 ……こけた。
 ラプンツェルが、ぐらのぶかぶかの靴の踵に指を引っ掛けたのである。
「しゃらくせえ!」
 ラプンツェルは、その顔からはとても想像できないドスのきいた声を張り上げた。
「何が犯人だあ! 何の犯人だよ! 事件がまだ起きてねえじゃねえかあ!」

 ラプンツェルは、長い髪をメドゥサのようにブンブン振り回した。一瞬でも、ぐらのペースに巻き込まれたのがくやしくて、八つ当たりしているのだ。
 そのとばっちりを食ったぐらは、よろけた拍子に、床に落ちていたパンを踏んづけてしまった。
「ふっふっふ。この灰色の脳細胞によれば……」
 激怒したラプンツェルたちが、売り場に戻ってしまったあとも、ぐらはポーズをつけて、悦に入っている。
「ヒントは、失われたスリップと、解かれていたラプンツェルの髪だ。この名探偵ぐらには、もう分かっている。だが、まだ情報が少なすぎる。名探偵たるもの、種明かしは証拠が固まってからなのである。はーっはっはっは」
 高笑いするぐらの隣で、ぐりが、ぺちゃんこになったパンを持ち上げて、涙ぐんでいた。
「事件はこれから起こるであろう。はーっはっはっは」
 そのぐらの言葉を裏付けるように事件が起きたのは、夕方の混雑時のことだった。第一発見者は、色白美少年ののんたんであった。

(あさふく wrote …)美少年?

 そう、ぱっちりとした目と色白の童顔のおかげで、ノンタンは「紅顔の美少年」と言えなくもなかった。
 だが、入社してすでにウン十年。とてもそうは見えなかったが、すでに年齢は大台に乗っている。(まぁ、書店員には年齢不詳な輩が多いから、不思議でも何でもないのだが…)とにかく趣味書ヒトスジというベテラン社員なのである。常連のマダムの間では、店の看板青年と評判が高かったが、仕事は遅かった。いや、丁寧なのだった。
 今日も今日とて、混雑しているレジは何のその、棚に一重二重と群がるお客様も何のその。マイペースで納品をしていたノンタンであったが、ふと、おかしなことに気が付いた。
 料理書の棚が変だ。…何より愛している棚だけに、異変にはすぐ気が付く。それが書店員のサガである。

(しろ wrote …)

 普通の人が見たのではおそらく気づくまい。それは本当にささいな異変だったのだ。
 (この納品のしやすさは…?そして今日はまだ一度も手を切っていない…)

そうだ、オビが全然ないぞ、ノンタンは思わず声に出してしまった。

「セツメイしよう!オビとは『腰巻』とも言われる本の飾りである!」
だれだ、あんた。
「オビは確かに装丁上は目立っていいが、書店員にはとても嫌われている。まず、指をきりやすい。棚に本を差す際に爪の中を切ったりすると拷問のようだぞ。更に!破けやすい。オビがちょっと傷んだだけで売れないってことはよくあるのだ。きれいなおびじゃないとヤダァ、とかオビ付を注文したいとか面倒なお客も現れるってぇ寸法だ。オビがついてると古本屋も高く買うしね。
ってことでオビがないと納品がしやすいのだ!わかったか!
そしてさすらいの説明マンは去っていく!さらば!!」

「しかしなんでオビが全部ないのかなあ。」
ノンタンは腕組みをして考え込んでしまった。

(はらかお wrote …)美青年?

どのくらい時間がたったであろうか。
辺りが急に騒がしくなり、ノンタンはハッとわれに返った。
そこいらじゅうで、ため息と嬌声があがっている。
その意味を理解し、ノンタンも彼女らとは別の意味でため息をついた。
あの人が店頭に出ると、お客の流れが悪くなり仕事にならない。
ザッと人垣がわれ、全身黒ずくめの美青年がノンタンの目の前に立った。
エゴイストの香りを漂わせながら、その人は長く美しい指で、けだるげに前髪をかきあげる。
そのしぐさに興奮した客の何人かが卒倒し、店長お抱えの救護班に担がれていく。
「ノンタン、どうしたんだね?」
彼は軽く腰をかがめ、深く甘い声でノンタンに囁いた。
「わざわざ耳元でしゃべんないでくださいよ」
ノンタンも年齢不詳だが、それに輪をかけて分からないのがこの店長だ。

(zori wrote …)

 本人は少なくとも10年間、27歳だと主張し続けている。そして、「店長の前で店長の年齢に触れた者は、その翌日から会社に姿を見せなくなる」という噂を、この森の書店で知らない者はない。
「この私に、そのような口をきくものではないよ」
 耳に息を吹き掛けられ、ぞわわわわ…としたノンタンは、店長の美顔を掌で押し退けた。バランスを崩した店長に、お抱えの護衛班が駆け寄る。
護衛班に支えられた店長は、優雅に手を振り、お抱えの狙撃犯がノンタンに向けた銃口を下げさせた。
「ま、跳ねっ返りの君も、可愛いがね。ところで、趣味書の鬼とまでいわれた君が、棚の前で茫然と突っ立っているとはいったい、どういうことかね? 私の心臓は、心配のあまり、冷凍室で凍らせてしまったコーラの瓶のように、砕けてしまいそうだよ」
 ノンタンは、帯がなくなっているいきさつを、説明した。
「帯というものは、破れると、本の隙間に挟まり込んでしまうものだ。ほら、それをごらん」
 店長が指差したのは、破れた帯であった。帯の半分は、平積みの下敷きになり、もう半分は、ストックの引き出しに巻き込まれている。
「分かったかね、紅顔の美少年君」
 店長のその科白にノンタンは動揺しまくりながら、破れた帯を取り除こうと、ストックを開けた。

(はらかお wrote …)美しいって罪なのよ。
動揺しているノンタンを尻目に、お客の叫び声があがる。
「うぁぁ、俺のの店長に触らないでくれぇぇぇ」
「ゆりちゃん!おいしいわ。おいしすぎる絵柄よ!月の光が凝ったような美青年と穢れを知らぬ天使のような美少年がっ・・・・」
「ヤスコお姉さまっ、新しいストーリーが湧いてきたわ。題して『書店員禁断の恋−僕だけの店長−』よ!」

ぴったりと寄り添い、一見仲良く会話をしているように見える二人に、よりいっそう辺りが騒がしくなってしまった。
店長には私設ファンクラブがあり、一部コアなファンが同人誌も出しているほどなのだ。
一時期、店長のデマチイリマチをする人々で、店の前が大渋滞になって以来、彼は自家用ヘリで店の屋上からの通勤を余儀無くされている。

「・・・・店長室に来なさい」
店長は話を続けることを諦め、ノンタンに背を向けると、西洋貴族のように優雅に腰を折りお客たちに挨拶をした。

幸せそうなため息と共に、バタバタと人々がドミノのように倒れていった。

(zori wrote …)

 そのころ、ぐりは、休憩に食べるために買ってきたパンを手に、趣味書の前を通りかかった。朝落としてしまったのと同じ、好物のメロンパンだ。
 ビニール袋から取り出し、かぶりつこうとしたとき、
「きゃああああ!」
 趣味書のコーナーから悲鳴が聞こえた。女のような悲鳴だが、たしかにノンタンの声だ。驚いたぐりは、パンを落としてしまった。
 ストックの中には、「しぇー」の格好のまま死後硬直した死体が詰め込まれていた。その首には、ラプンツェルの髪ゴムが巻き付けられ、死体の周りを、ぐらの3週間分のスリップと、趣味書の帯が埋め尽くしている。

(あさふく wrote …)シェーッ!

バタバタバタ。
…背後から聞きなれた足音が聞こえてくる。
「どーしたんだ!事件か?事件だな!事件なら僕だ!」
バタバタバタ。
ぐらくんだよ…。と、なんだか厄介なことがおこりそうな予感を胸に、ぐりは音のするほうを振り返った。
「ぎゃっ!」
否、振り返ろうとした瞬間、鉄砲玉のようにやってきたぐらに突き飛ばされ、大好きなメロンパン共々、床へとダイビングした…。
「あ、ゴメンゴメン。気をつけて」
「…気をつけるのは、そっちだろう」
「だって事件の香りがプンプンするんだぜ。これが興奮せずにいられる?」
「…ああ、僕のメロンパン」
またしても会話の成立しない二人だった。
しかし、ここは本屋である。そして夕方の混雑時でもある。店員がブラブラしていられるほど安全な場所ではない。

「セツメイしよう!」
あ、出た。
「本屋の店員は、常にお客様の不可解かつ理不尽な質問にさらされているのだ!「タイトルのうろおぼえ」「出版社のまちがい」「あやふやなジャンル」「完全なる勘違い」…etc。と、どれをとってもお客様に非がある!しかぁし、いつだって「申し訳ありません」となるのがサービス業!
お客様はホントウに神様か? 危険な疑問だ!
ああ、話がそれたな。
とにかく夕方の混雑時には、その質問もピークに達するということだ!そんな時に、担当外のものを聞かれるのは店員にとって恐ろしいことなのだ!わかったか!わからなくてもわかったか!
そして、さすらいの説明マンは去っていく!サラバ!」

ぐりとぐらがそんなこんなですったもんだしている頃、第一発見者のノンタンは、ストックを静かに閉め…、バタン。と、気絶した…。

(zori wrote …)

「ノンタン!」
 異変に気付いたぐりは、ノンタンに駆け寄った。話し相手がいなくなったぐらも、ぐりに続き、ぶっ倒れたノンタンを覗き込む。
 ぐらは例の名探偵ポーズをつけて、興味深げな顔をした。
「これはまさにミステリー。ノンタンの目が、消えてしまったのだ」
「それは違うよ、ぐら君。完全に白目を剥いているだけだよ。ノンタンは色白だから、白目が背景に同化して、消えたように見えるんだ」
「そ、そうか。カメレオンみたいなやつだな。理屈としては、ポワロの失われた手紙と同じだな」
 ぐらはそう言うと未だかつてどの先輩にも向けたことのない尊敬の眼差しを、ぐりに向けた。
「さ、さては名探偵。ライバルとみた」
 尊敬された経験の少ないぐりは、思わずそっくり返り、「えっへん」のポーズをとった瞬間、潰れたメロンパンをさらに踏みつぶしてしまった。
「う、うーん」
 そのときノンタンが呻いた。
「ノンタン、しっかりするんだ」
 ぐりは傍らにひざまずき、ノンタンのほっぺを、ぺちぺち叩いた。

「店長室に呼ばれているじゃないか。呼び出しをすっぽかしたら、どんな目にあうか……」
 店長専用の「お仕置き室」の光景を思い浮かべ、ぶるっと身を震わせたぐりの背後から、聞き覚えのある声がした。
「そいつを気付かせればいいのね?」
「そ、その声は……」
 振り返ったぐりの目に、三つ編みにした髪を鞭のようにブンブン振り回す、ラプンツェルの姿が映った。
「ちょっと退いてね、坊やたち」
 ラプンツェルは人払いをしながら、ぐりに近づくと、髪の鞭を振り上げた……!

(はらかおwrote …)女王様

「きゅう」
ノンタンから奇妙な声がもれた。
「ああっ、泡吹いてるよぉっ。しかもひくひくしてるよ!」
ぐりが止めるまもなく、ラプンツェルの髪ムチは、思いっきりノンタンのツボにはいってしまったのだ。
「・・・やりすぎたわ。初めての坊やには濃厚過ぎたわね」
長い髪をかきあげ、ラプンツェルはセクシーにため息をついた。
「当分目を覚まさないわよ。・・・いま彼、天国にいるから」
モーゼの十戒のようにザザッと人垣が割れる中、女王のように優雅に、威風堂々とラプンツェルが退場する。
残されたみんながホッとしたのもつかの間、突然彼女が振り返り、ぐりを指差し言った。
「そこの仔猫ちゃん、忘れてたけど先程から店長がお呼びよ」
まさしく、生まれたばかりの仔猫のようにぶるぶるふるえていたぐりは、その言葉を聞くと一瞬気が遠くなり、ぐったりとぐらにもたれ掛かった。

(はらかお wrote …)店長室

「・・・・・・・・・・失礼いたします」
巨大な扉の両脇に立つ、黒服でサングラスをかけた男の一人に取り次いでもらったぐりは、店長室に恐る恐る足を踏み入れた。
店長の姿はない。
手持ち無沙汰なぐりは、チャンスとばかりに辺りを見まわした。
売り場よりも広いその部屋は、上品さを失わない程度にきらびやかでいて、かつ歴史を感じさせる高級な調度に囲まれている。
しかし、そのなかの何点かは、ぐりにはわからない用途のものがあった。しかもなにか不穏なものを感じさせる。
ぐりはその一つに顔を近づけ、その物体に絡まった薔薇を指先で、かき分けてみた。
「遅かったね」
不意に店長の美声が響き、ぐりは電撃ショックを受けたようにびくっと跳ね上がった。
恐る恐る振り返ってみると、深紅の薔薇を一輪持った店長が、毛足の長い絨毯を踏みしめ、ゆっくりと歩み寄ってくるところだった。
「君があまり待たせるから、薔薇の刺をとって暇をつぶしていたんだ。・・・・ほら」
店長のそれだけで芸術品のような指は、血が滲んでいる。
「すすす、み」
ぐりは、恐怖のあまり謝罪の言葉もきちんと言えず、逃げ場を求めジリジリと後退してしまう。
とうとう、さっきまで観察していた薔薇で飾られた鉄の処女の隣においつめられてしまった。
もう、それがなんであるか気がついていたぐりは、自分がその中に入れられるのを想像して呼吸困難に陥ってしまう。
「さて、どうやってお仕置きしようか。
フフ、そう怖がらないで。わたしが、可愛い仔猫ちゃんに痛い思いをさせることができないのは、わかっているだろう?」
ぐりはコクコクと必死にうなずいた。
「良い子だ」
店長は血の滲む指先で、ぐりの顔をくっと持ち上げ微笑んだ。

(zori wrote …)

ああああああ……僕はもうダメだあああああ……店長の餌食になって、あんなことやこんなことされて、骨までしゃぶられちゃうんだあああああ……!!!
 恐怖と歓び極まって、ぐりは失神してしまった。
「今日は大忙しだ」
「まったくだ。1日に1人救護しようと100人救護しようと、給料は同じなのに」
 担架を担ぎながら、救護班はブツブツ呟いていた。いくら店長側近の救護班とはいえ、彼らも妻子持ちのサラリーマンなのである。
「こいつ、色黒だなあ」
 担架の足のほうを持った救護班の1人が、ぐりを覗き込んで、言った。
「やや? 髭の生えかたも変だぞ。左右に3本ずつ平行に生えている!」
 担架の頭のほうを持ったもう1人は、驚きのあまり、手を離してしまった。

「変なことなど、何もない!」
 そのとき、店長の美声がとどろいた。
「君たちはあの名作『ぐりとぐら』を呼んだことがないのか!?」
 そう言って店長は、芝居がかった仕草で嘆いた。
「な、なるほど! 店長、そうだったのですね! ノンタンさんが紙のように色白なのも、ラプンツェルさん髪がズルズル長いのも、偶然ではなかったのですね!!」
 担架に載った頭のほうを、救護班に落とされたぐりは、痛みで気が付いた。
「う、うーん」
 そのとき、店長室のドアが、バタンと開いた。
「て、店長…!!」
 入ってきたのは、ノンタンだった。色白の肌に、ラプンツェルの三つ編みの縄目がくっきりと、ピンク色に刻印されている。
「どうしたんだね? 君、その縄目、オシャレだね。縄文土器のようだ。しかし、いくらこの私に見せびらかしたいからって、私とぐり君のひとときを邪魔しちゃいけないな。それとも、3人で楽しみたいのかい?」
「いえそのあの……。あっそうだ、事件なんです、店長!」

(あさふく wrote …)そのころ…。

「ううむぅ」
いつものポーズで、ぐらは考え込んでいた。
同僚のぐりは、半べそをかきながら店長室へ呼び出されていったし、さっきまで気を失っていたセンパイ社員のノンタンは、ラプンツェルの髪ムチのショックから我に返るやいなや飛び起きて、どこへともなく走り去ってしまった。
お客はあいかわらず棚の前にワンサカ群がっていて、ぐらの担当であるビジネス書のコーナーもきっと大混雑していることであろう。
しかし、目の前には三度のメシより大好きなミステリが転がっている!
これを見逃して何の人生ぞ。そうだ、この事件は僕のために用意されたに違いない。僕が解かなくてどうするんだ。ははははは。
勝手に自己完結してしまったぐらは、こっそり死体入りのストックを開けた。
ぎっしりと詰め込まれた3週間分のスリップは、僕への挑戦状に違いない!

(しろ wrote …)

「@*+$%%$★◎〜〜!?」
言葉にあらわせない音が、ストックをひらくなり辺りに響き渡った。近くにいたお客たちが何事かと飛びのき、遠巻きになる。
ぐらは慌てて
「や、何でもありません!ご心配なきよう。」
と揉み手して営業スマイルを振りまいておいて、ストックをのぞきこむと、呆れ顔でストックの奥に潜んでいるモノに言った。
「…やっぱり、まーず君だね…。何やってんだよ、こんなトコで…」

「ここで説明せねばなるまい!この書店では、よりグローバルな店作りを目指す為太陽系惑星からの研修制度をとっているのだ。『まーず君』と呼ばれた彼(?)はその名のとおり、火星からやってきている。ちなみに本名は『ガルリィンヌッドゥスゴロヴ=カルビンカリグ』とかいうそうだが、誰も憶えてくれないらしい。ちょっと気の毒だ。
まーず君はご想像のとおり、手が無数にあるため納品の早さは人間の数倍である。あとはお客が怖がらなければすべてうまくいくのだが…。
あ?設定がムリヤリすぎ?作者がSFにしようとしているのが見え見えだって?それをいっちゃあおしめぇよ!
…………さらばっ!」

とにかく、さきほどの声はビックリしたまーず君の悲鳴だったのだ。
「チョットキニナルコトガアッタノデ…。」
「ま、まさか、君、探偵やろうとしてるんじゃないだろーね!!」「トニカク、コノすりっぷ、ミテクダサイ」
彼は3週間分のスリップから一束抜き出して、ぐらの目の前につきだした。

(茜wrote…

「カウンターお願いしまーす」
その時、アルバイトの女の子の声が響き渡った。
「あ!ま、まーず君!?」
何ということであろうか、ぐらが見ようとしたスリップを手に取ったまま、まーず君はカウンターへと走り去ってしまった。
「...スリップ置いていってくれよ」
ちぇっ、と舌打ちをしたぐらの背後に、ひっそりと現れた人影。
「叫び声...血の匂い...。ああ、なんてステキ」
「うわあ!」
すぐ後ろで突然呟かれて、ぐらは驚いて振り返った。
「...な、何だ、ミッフィーじゃないか。驚かせるなよ」
「ふふ。恐怖におびえる人々の悲鳴...うっとりですわ」
「人々って...僕と誰?」
そこに立っていたのは、アート配属のミッフィーだった。ぐらの同期で、店内で1、2を争うホラー好きの彼女は、なんだか楽しそうに微笑みながらあらぬ方向を見つめている。
(ところでこの店は、よその売場にこんなにフラフラ出歩いていて本当に大丈夫なのだろうか。ちょっと心配)
「...ミッフィー?」
「何かしら」
「あ、いや、なんだかトリップしてるみたいだったけど」
「ほほほ、そんなことはございませんわ。...あら、いけない。新刊をかっぱらいに参りましたのに、忘れるところでしたわ」
「か...かっぱらいにって言い方は、やめたほうがいいんじゃないかな」
「...あら?新刊をいただくときの、専門用語ではありませんでしたの?まあ、わたくしてっきり...。お恥ずかしいですわ。ご親切にお教えいただいて、ありがとうございます」
ミッフィーは、彼女の出現に調子を狂わされっぱなしのぐらに向かって、とても上品に丁寧なお辞儀をした。...ホラー好きとは信じられないくらいの上品さで。

(zori wrote … )

 カウンターではちょっとした騒ぎが持ち上がっていた。
 まーず君がその256本の腕で、レジを乱打していたのである。
「特打チ! 特打チ! 特打チ!」
 カウンターに群がり始めた客をよそに、レジ打ちに熱中したまーず君は、握りしめていた証拠のスリップを、宙に放り投げた。
 雪のようにスリップが舞う。
 ぐらはすかさずそれをキャッチした。
「な、なんと! これはダイイングメッセージなのだ! つまり、死ぬ間際に死者が残した、犯人を示唆するメッセージなのだ!」
 妙に説明口調でぐらが言うと、死者という言葉に反応したミッフィーが振り返った。そのミッフィーに、ぐらは指を突き立てた。

「犯人は、おまえだ!」

「まあ! どういう了見ですの? 私に中指をおったてるなんて」
 ぐらは自分の手を見つめた。中指をそろそろと引っ込めて、人指し指にチェンジする。
「まあ、とにかくだ……」
 そう言って、スリップの束をかざす。
「み○ず書房、築地○館、扶○社、池田○店! これら一見何のつながりもない出版社の頭文字をつないでみよ。み、つ、ふ、い。つまり、ミッフィー、おまえが犯人だ!」

(はらかお wrote … )

「戯けたことぬかしてんじゃ、ないでございますわよ」
ミッフィーはつんとあごをあげ、軽蔑のまなざしでぐらを一瞥した後、彼の手からスリップを奪い取った。
「めん玉ひん剥いて、残りをよおっく御覧あそばせ。
群○社、雷○社で「ぐら」になるじゃありませんこと?
つまり、あなたも犯人ってことですわね」
「う、うぬ〜」
さっそく、ゆきづまってしまったぐらだった。
しかし、負けず嫌いのぐらは、営業中だというのに、犯人の痕跡を見つけようと四つんばいになって通路を探し回る。
その時、彼の背後に
音もなく忍び寄るものの影があった。

(あさふく wrote … )

「…なにやってんの〜?」
ぬぅっと伸びてきた影に気付いて、ぐらの注意もさすがにスリップからそれる。
そして、自分を見下ろすその影の正体に気付くと、ギョッとして、握りしめていたスリップをボトボトと落としてしまった…。
「んな。なんだ、その顔は」
「…ハハハハ。店長にやられた〜」
力なく乾いた笑いをもらしたのは、ようやく店長から解放されたぐりだった。思わず絶句しているぐらに視線を流すと、頬に愛らしく貼り付けられた4本のひげをはがす。
さらに、ぐいっと顔をぬぐうと、浅黒く塗られていた不健康な色のドーランの下から健康的な肌色があらわれた。
「『ぐりとぐら』はネズミだからって…」
「…それで、その顔に?」
さすがに気の毒そうにたずねるぐらである。
しかし、ぐりはそんなぐらに恨みがましい視線を向けた。
「どーして、いつもいつもいつもいつも僕ばっかり!!! ぐらくんだって、ぐらくんだって、ぐらくんだって!!!」
「…そりゃ、店長はキミのほうがお好みのようだから」
悪気はなかったが、火に油を注いでしまうぐら…。
フルフルと握りこぶしを震わせたぐりは、運命の不条理に我慢できず、思わず死体入りのストックをガツンと蹴飛ばしたのだった。
その途端、ぐらが手を打ち合わせて躍りあがる。
「…そうか! わかったぞ、ぐりくん!」
「はぁ?」
「キミが今、このストックを蹴飛ばしただろう! それで分った! それでこそ、ワトスンくんだ!」
「…はぁあ?」

(はらかお wrote … )

「うぐっ?!」
突如、まだ四つんばいだったぐらは人様には言えない個所に、
衝撃を受け、そのまま前のめりに倒れた。
「まあ、そんなことすると指が折れてよ」
それまで、呆れて傍観していたミッフィーが、
今度は心底心配した様子で、いつのまにやらぐらの背後に仁王立ちになった人影に駆け寄った。
陰陽士が印を結ぶ時のように、手を組み両人差し指を重ねておっ立てているその人は、文芸書担当兼用度係のシンデレラだった。
「だって、してくれと言わんばかりに、
かわいいお尻を掲げてるんだもの。期待に添わなきゃ」
シンデレラは小さなかわいらしい足で、ぐらのお尻を駄目押しにつついたあと、アルカイックスマイルを見せた。
「……」
ぐらは抗議をしたかったが、激烈な痛みに言葉も出ない。
ぐりも驚愕のあまり言葉を続けることができない。
「そうだ、頼まれてたノンスリ持ってきたの。
でもどうして、こんなに減るの早いのかなぁ。
それも、ここんとこ急になんだよね」
シンデレラはエプロンのポケットから、
小さなピンクの丸く平べったい容器をいくつか取り出した。

「ここで説明せねばなるまい!ノンスリとは商品名「ノン・○リップ」の略であり、事務仕事のときなどに使う滑り止めのことである。
類似商品として「めく〜○」などといったものもあるが、この森の書店では「ノン・○リップ」の使用人口のほうがはるかに高いのだ。書店では主に、スリップを処理するときに使う。
また、嫌がらせをするときに、そっと相手の手の甲に乗せてみたりもする…。
えっ?やらないって?それをいちゃあおしめいよ!
%%%%%%%%さらばっ!」

「まあ、嬉しいわ。私このピンクのべほべほしたヌメコウじゃないと、うまくスリップを操れないんですの」
「…%ヌ、ヌメコウって言い方もやめたほうが、い、いいん、じゃ…。うッ」
「ぐ、ぐら」
力尽きたぐらを慌ててぐりが助け起こす。
「まあ、てっきりこれも専門用語かと…。ご親切にお教えいただいて、ありがとうございます。ひとつ賢くなりましたわ」
手を斜めに口元にあて、コロコロと嬉しそうにミッフィーが笑った。

(zori wrote … )

「シンデレラさん、手は洗っておいた方がよろしくてよ。おケツは大腸菌の温床ですから、ぐら君にカンチョーなさる習慣もやめたほうがよろしくてよ」
 ミッフィーは苔色のエプロンを優雅に摘んで、ヨーロッパの淑女風のお辞儀をした。
「それから、スリップの減りが早いのは、ぐり君が食べているからですわ。それでは、ごきげんよう」
 ミッフィーが立ち去ったあと、青ざめたぐりに、一同の視線は集中した。水を打ったような沈黙のあと、シンデレラが用度係の責任感から口を開いた。
「ぐり君、ほ、本当にスリップ食べてるの?」
「うわーん」
 ぐりは急に泣き出した。涙がドーランをすっかり洗い流し、茶色い滝となって、苔色のエプロンにボトボト落ちる。
「だって、美味しそうだったんだよお。ピンク色でぷるぷるぷよぷよしてて、小さいころお母さんに作ってもらったハウス食品のインスタントゼリーにそっくりだったんだよお!」
 ぐりが泣き出したのは、罪悪感からではなかった。シンデレラがぐらにカンチョーした指で触ったノンスリップを、自分が食べてしまったことが、あまりにショックだったのである。
「そうだ。つまり、ぐり君がストックを蹴飛ばしたせいで、その中で眠っていた被害者は驚き、心臓マヒを起こしてしまったのだ。被害者は、心臓病を煩っていたに違いなーい」
 ぐらの解説を聞くものは誰もいなかった。みんな、傍で聞いていた客までもが、ぐりに同情の眼差しを注いでいる。

(あさふく wrote …)

「フフフ」
「だ、誰だぁ!? 僕の推理を鼻で笑い飛ばすのは!」
 周囲の目は、哀れに取り乱すぐりに集っているというのに、得々と自前の推理を披露していたぐらは、険しい顔で周囲を見回した。まったく、自意識過剰にも程があるのだ…。
「ぐりくん、泣くのはおよし。また店長がキミの涙を嗅ぎつけてやってくるじゃないか」
「…あ、あれ? ぐろセンパイ?」
 ドーランはすっかり落ちたものの、ぐりの頬には、まだヒゲが2本残っていた。それを気障な仕草で取り去ると、その「ぐろ」と呼ばれた黒髪のハンサムは、優しげに垂れた目じりをさらに下げ、優雅にニコリと微笑む。
「…ぐろ? センパイ?」
 ぐらの頭の中は、足元の死体を忘れて、ぐるぐると推理を始めていた。
 センパイというからには、きっと、ぐりとどこかで一緒だったのだろう。大学か高校か? いや「森の本屋」のエプロンをつけているぞ? 内部の人間ということになるな。しかも腰エプロンだ! …つまり、つまり…?
「そうか! ぐろさん。アンタはつまるところ、リファレンスの人間だ! ぐりくんが前にいた山の本屋から、この店に異動になったんですね!」
「そうだけど、誰だい、キミは」
「…ぐらくんの推理が当たるなんて」
 ノンスリップを食べてしまった衝撃よりも、さらなるショックが襲い、またしてもフラフラと血の気が下がったぐりは、その場に倒れそうになっていた。
「すいません、失礼いたします。失礼いたします! お客様、後ろ失礼します! いらっしゃいませ!」
 そのとき、ヒステリックな声がして、ザワザワと遠巻きにぐりやぐらやぐろを取り囲んでいたお客様の壁が崩されて、慌てふためいたノンタンが戻ってきたのだった。
「あ、ちょうどいいところに! そのストックはすぐ取り替えるから。ぐりもぐらも手伝ってくれよ! 店長が見たいと言ってるんだ。すぐに店長室に持っていかないと…」
 せ、せっかく解放されたのに、またあの店長室へ…と、思わず蒼白になったぐりは、へなへなと棚にもたれかかり、泣きそうな顔で、ここ「森の本屋」に異動になったばかりのぐろに助けを求めるような視線を送ったのだった。
この変人ぞろいの「森の本屋」にあって、「山の本屋」でお世話になったぐろは、まるで天使の如く、汚れない存在に思えたのだ…。

(はらかお wrote …)美貌の殺し屋

「・・・・・・失礼いたします」
誰がノックするか、しばらくもめた後、
ジャンケンに負けたぐりが泣きそうになりながら、
店長室の巨大な扉を叩いた。
彼の後ろには、ストックごと青コンに死体をのせ、
店員一同が並んで扉が開くのを待っている。
ぐりは冷や汗をかきながら、
ガチガチに固まって待ったが、なにも返事がない。
しかし店長室の中からは、かすかに音楽が聞こえており人の気配はある。
助けを求め、みんなとついでに後ろに控える黒服にも視線を向けてみたが、だれもぐりと目をあわせようとはしない。
みんなひどいよぉ%%%。ぐりは本当に涙をこぼしながら、恐る恐る扉を開いた。

「%%%あ、の%%%失礼しま%%%!きゃひっー!」
突如、長い足が虚空を切り裂き、
ぐりの鼻先ギリギリをかすめて蹴りだされた。
「て、店長、なになさってるんですかぁ」
白目を剥いて気絶したぐりを抱きかかえ、
ノンタンが困惑して、目の前の月光よりも美しい黒尽くめの人影に問いかける。
そこには、店長と目が印象的な美青年が、
アルゼンチンタンゴのクライマックスに合わせ、
決めのポーズをとっていた。
「ああ、すまない。つい夢中になってしまってね。
%%%%ラオウ、ありがとう。もうさがっていいよ。
あとは、約束の桃の件をを忘れないでくれたまえ」
ラオウと呼ばれた美青年は白い歯を見せて笑い、
足音をさせずに奥の部屋にひっこんだ。
「%%%あ、あれは噂の店長が飼っているという美貌の殺し屋%%%%。羅欧」
ぐろがぽつりと呟いた。
「あれは、アジアダンス選手権ラテン部門優勝のダンサー%%%螺鴎。本出してる」
ラプンツェルがぼそっと呟いた。
「%%%天才ラーメン料理人、ラ王だわ。本が出てるよね」
食べ歩きが趣味のシンデレラがため息とともに呟く。
「世界最強の格闘技、北東真拳の唯一の後継者、裸謳だね。先月本がでたばっかりだよ」
がうんうんとうなずきながら、ノンタンが呟く。
「いま赤丸急上昇の園芸家、羅鴬だろ。今月号の「趣味の楽しい園芸」で特集されてるんだ!」
園芸が趣味のぐらが叫ぶ。
そして、みんな顔を見合わせ一斉にうなずいた。
「サイン本つくってもらおう」
「直筆ポップかいてもらいましょ」
「著者近影つきでね%%%」
「ふふふふふふふ」
「売りまっせぇ」
商人魂に火がついた書店員達であった。

(zori wrote …)

 しかし、ぐりだけは、ズ、ズ、ズ、という音が気になって仕方ない。音は、さきほどラオウが引っ込んだ奥の部屋から聞こえてくる。
 ぐりは、店長が青コンに載った死体に気をとられている隙に、奥の部屋のドアを薄く開けてみた。
 ズ、ズ、ズ…
 ラオウがどんぶりからラーメンらしきものを啜っている。
「も、もしや、それは、天才料理人ラオウの手なる伝説のタンタン麺!?」
 そのときラオウが、ヴィーナスも嫉妬しそうな美貌を上げ、涼やかな切れ長の目で、ぐりを見た。
「これは、ラーメンではない」
  ぐりはショックを受けて、ラオウの顔をまともに見てしまった。そのあまりの美しさが放つ後光に目を焼かれ、あやうく失明するところであった。
「ラ、ラーメンではない!?」
「似ているが、違う。これは、店長が作ったミソスープ・スパゲッティだ。本当は苦手なのだが、店長に悪いから食っている」
 そう言ってミソスープ・スパゲッティを啜るラオウの姿に、ぐりは妖しい胸の高鳴りを感じた。
 そのとき店長室からラオウを呼ぶ店長の声が聞こえた。足音もなく駆け付けるラオウのあとを、ぐりも追って出た。
「この死体をちょっと見てくれ」
「御意」
 ラオウはストックの中の死体を覗き込み、検分を始めた。死体の手を持ち上げたり、皮膚を押したりしてみたあと、ラオウは立ち上がり、アルゼンチンタンゴのステップで店員一同と店長の前に進み出た。
「首の両脇に、上方へ三十五度の角度の索状痕が見られる。この形態からすると、自殺ではない、誰かに細い紐状のもので絞め殺されたのだろう。紐の交差点が首の前側にきていることから、犯人は被害者に前方から近づいたのだろう。顔見知りの可能性が高い。角度からすると、犯人は被害者より背が低い。そして、死亡推定時刻だが、死体の状態からして通常だと死後12時間から13時間というところだが、あの冷房効き過ぎの文芸書売り場にずっと放置されていたことを計算に入れると、15時間弱といったところだな。今日の早朝に殺されたことになる。犯人はつまり、まだ鍵が開いていない文芸書売り場に忍び込めた、背の低い人物だということだ」
 ラオウは演説を終えると、店長の肩に掴まり、タンゴの決めポーズを取った。
 店員一同は唖然としてラオウを見つめている。ぐらだけがライバル心を露骨に顔に表していた。
「さ、さすが現役殺し屋…」
 ぐりが思わず呟くと、ラオウは妖艶な笑みをぐりに向けた。
「惚れたか?」
 ぐりは自分の鼓動の音を聞き、体が傾ぐのを感じた。ノンタンに支えられたぐりは、失われる意識のなかで、ラオウの甘美な声を聞いた。
「惚れたって言えよ…」

(あさふくwrote …)

…それから15年もの月日が流れた。
一介の書店員だったぐりは、長年勤めた「森の本屋」を辞め、全てのしがらみを断ち切って、約束の地にいた。
「店長とラオウの約束の地」…桃の花咲き乱れる桃花屯有限公司。
店長室でタンゴを踊っていたラオウの足が、ぐりの鼻先をかすめた出会いから、思えば遠くに来たものだ。
…あんなに好きだった書店員の仕事を、何のためらいもなく切り捨てることができるなんて。
 ぐりは一面に咲き誇る桃の花を見上げ、その花の色に染まりそうなボンヤリとした視線を虚空に泳がせていた。

「って、何勝手に話作ってるんですか…」
「ホホホ。だって、ぐりさんたらそんな顔してるんですもの」
 ちょこんと首を傾げて愛らしく微笑むミッフィーに、なんとか意識を回復した(…いったい今日は何度気を失ったことやら)ぐりは、一応、力ないツッコミを入れておくことにした。
このまま放っておいたら、どんな展開になることやら。

バタン!
その時だった。
店長室の巨大な扉が、大きな音をたててありえない速度で開き、その風圧によって、振り返った店員たちの髪がザァッとなびいた。
「ちょっと、どういうことですか!」
風にあおられて少しふらついたぐりは、そのうえ刺々しい声をあびせられて、思わずよろめいた。そして、とっさに青コンに乗せられたストックの中の死体を隠そうとしたのは、ぐらだった…。
「やあ。グリンダ。キミだったのか」
優雅に肩をすくめて、店長が一歩前に出る。
南の良い魔女グリンダの名を知らない者は、「森の本屋」にはいないはずだ。…良くも悪くも。
「ぐろくん。アナタ、まだリファの引継ぎ途中なのヨ!」
と、ぐりの後ろでボンヤリしていたぐろに、ピシリと人差し指を突きつけ、それから首をめぐらして次のターゲットに目をつける。
「あら! ラオウ! こんなところで店長と油売ってないで、どんどん七番を狩っちゃってチョーダイ!」
グリンダはその可憐な名前に反して、店長でさえもなんとなく頭のあがらない、この店の「オカン」なのだった…。
がっしりと体格がよく、取次ぎの17号サイズの箱を3つは軽々持つという、もっぱらのウワサだ。

(しろ wrote …)

「もう!なんだか忙しいと思ったら、こんなところに皆固まってたのねっ!さ、散った散った!」
おかんことグリンダは、あたりにとっちらかったものも全部かかえ、ついでにぐろとラオウも青コンに積み上げ、売場という名の戦場に去っていってしまった。
「…グリンダ、死体まで持っていっちゃったよ?」
「いいんじゃないの?彼女ならなんとかしてくれるだろ?」
あとに残された面々は、しばらくあっけにとられていたが、
「やっかいなことが自分の目の前からなくなりゃそれでいい」という書店員の特徴どおり、三々五々自分たちの仕事に戻っていったのだった。

(しろ wrote …)俺は陽気な取次ぎ営業♪

「ようっ、ネッドさん!今日もよろしく!」
「ネッドさん、この前のヤツだけど」
「ネッドさん!岩網の新刊がマルニから3しか入らなかったんだよ!きみんとこ、ない?」
「ネッドさん」「ネッドさん」……。
ふっ、今日も俺ァ人気ものだな。俺のために争わないでおくれ。
などと、こんな業界には珍しく白いスーツを着込み、あちこちの売場に出没しては歓迎を受ける、彼はなにを隠そう取次営業であった。
 ネッドの所属するカリスト書店は、大手の取次とは違って出版社を絞り込んで扱っている小さな取次である。小さいがために、小回りもきくしコネもいろいろ活用できるという寸法である。
ネッドはもう20年もこのもりの書店を担当している。
そのため、その辺の社員なんかよりは断然この書店を知っているのだ。つまり、人気者というわけであった。
ちょっと個性的ではあったが、その個性のおかげもあって、これだけの人望を集めているのであろう。
 
 さて、この日も彼はなんにも知らずに白いスーツに薔薇をさして営業にやってきた。
まさか、殺人事件が待っていようとは知らずに。