妊娠&出産の記録
| 妊娠発覚〜つわりに苦しむ |
| 2月、母や妹が遊びに来ていたとき、皆で餃子を作り、大量に食べた翌朝。職場のロッカーで異様な吐き気に襲われた。そのときは、餃子のあとにケーキまで喰ったしな〜、さすがに喰いすぎだな〜などと悠長にしていたのだが、その翌日も吐き気はやってきたのだった。 こりゃーいよいよオカシイぞ、来るもんも来てないし…。ということで、さっさと病院に行く。まず検査薬だろ、普通(^^;私はちょっとお腹痛かったりするとすぐ婦人科に行ってしまったりするので、検査薬買うより、婦人科行く方が抵抗感ないのだ。変かしら。 結果、あっさりと「8週目ですね」。なんか淡々と分かってしまった。こんなもんなのかね。 さて、ここで問題が発生。3月のマレーシアGP観戦ツアーを申し込んでしまっていたのだ!どうしたものか…。行っても大丈夫だろうけど、何かあったときは恐ろしい。しかも高温多湿のマレーシア、具合が悪くなるかもしれない。ネットで調べたり、母に相談してみたりして、今回はキャンセルすることになった。次回はいつ行けるだろ(泣) 4月頃になるとツワリは絶好調!朝起きるとまず吐く。何かすこし食べてまた吐く。体重はあっというまに4kg落ちてしまった。よくすっぱいものを食べたくなる、というけれど、私の場合はしょっぱいもの。吐いてばっかなのに、異様にポテチが食べたくなって、一袋食いつくしたり、ひどいときには塩そのものをベロベロしてたりした。 ダメだったのは、1.揚げ物の匂い。惣菜売場の前は息を止めて通っていた。2.職場のロッカーの匂い。デパートの地下にあって、湿っぽくカビ臭い。惣菜の匂いも漂ってくるし。耐えられないので、制服に着替えるのを放棄させてもらいました。どうせ店頭には立てなかったし。3.冷蔵庫の匂い。中のものが腐ったりしてるワケではないのです。食品の匂いがダメらしく、開けるたびに「うえ〜」。条件反射で取っ手をつかむと吐き気が起きてた。 5月、とうとう仕事を続けることを断念。店頭に出られず、裏にこもって座ってることしかできないなんて、情けないやら申し訳ないやら。皆「いいよいいよ」と言ってくれたけど、私のせいで皆がテンテコマイしてる姿を見てるのは本当に辛かった。 辞めれば交代要員が来て、ラクになるかもと思いきや、社員の補充は行われなかったのだ!なんてこった!そんなら事務仕事だけでも居たほうがマシだったかも。ギリギリの人数でまわしてると、子どもも簡単に作れない。間違ってるよう…。 |
| 妊娠後期〜胸焼けと夏ばてに苦しむ |
| 仕事を辞めて6月より家にこもる毎日に。つわりも治まってきてラクにはなったけれど、物足りない感じ。 しかしお腹が膨れるにつれて、今度は酷い胸焼け。下から胃が圧迫されることによるものらしい。この胸焼けは臨月まで続いた。真夏には夏バテも加わって、よれよれになる。まあおかげで体重増加を防ぐことができたけど。 ツワリ、胸焼け以外はとにかく順調すぎるほどの妊娠生活だった。妊娠したとたんに糖が出始めたものの、異常ではなかったし、血圧やタンパクなども全く問題なし。 7ヶ月を迎えた頃から、出産が怖くて仕方がなくなって、ネットでいろんな人の出産記録を読み漁る。皆乗り越えて来てんじゃないの、とあるとき悟る。 臨月まで、体重増加は妊娠前より6kgと非常に優秀だったのだが、実家の母が手伝いに来たとたんにドンドコ増えてしまった。家事もせずに喰っちゃ寝してたせいである。最終的には10kg増。まあ許される範囲内でしょ。 |
| 予定日過ぎても産まれない! |
| 予定日の10月23日を過ぎても、ぜんぜん産まれる気配がない。1週間くらいは遅れるだろうな、と思っていたのだが、10日たっても気配ナシには、精神的にくたびれてしまった。「まだー?」と親戚などから聞かれるのも、辛かった。 とにかく暇で暇でしかたがない。遠出するわけにもいかない。仕方がないので、イラロジの本買ってきて、一日中ガシガシやったりしてた。 母も人生のうちで一番ヒマだった、と言っている。 42週に入ったら、点滴で陣痛起こしましょう、ということになった。その時は、「お願いします、もー今すぐにでもヤッちゃってください」という気分だったが、今になって思えば、待ってもよかったんじゃないかな。胎盤はちゃんと機能していたわけだし。まあ後になってから言えることではあるけれど。 |
| 2002年11月4日(月)出産前日 |
| とうとうリミットが来てしまった。結局予兆はまったくナシである。ほっといたらどうなるのであろ? 病院には14時に来るように言われていたので、昼食をとってから夫、母とともにノンビリ出かけた。 着いてみるとなんだか慌しい雰囲気。あとで聞いたのだが、この日10数人もお産があったらしい。すぐにLDR室に行けるハズだったのに、満室とのことで陣痛室という小さい部屋で待たされることになった。更に途中からは相部屋にまでなってしまった。私は陣痛の「ジ」の字もない状態なので、なんだか申し訳ないったらありゃしない。 一回出直して来たいくらいなのであった。 19時半ころになって、ようやく部屋が空いたとのことでLDRに入る。だだっぴろい綺麗な部屋である。ソファーやロッキングチェアとかあるし。 まずは子宮口を広げるために「メトロ」という水風船のようなものを挿入するという。「水風船かい」と余裕に考えてたら、この処置が痛い痛い・・・。そりゃそうだな、無理やり押し広げて入れるワケだもの。 これがきっかけで弱い陣痛みたいのが起こってきたが、まだまだこんなんじゃなかったのだった。 |
| 2002年11月5日(火)出産 |
| 夜中、陣痛がくる時間をメモにとっておいたが、3時4時台は眠ってしまってたらしく記録ナシ。波が引いてしまったんだろうか?これで普通に陣痛が来たら点滴せずにすむかなぁと思ったのだが。 朝9時に促進剤の点滴がスタートした。点滴も初めての経験だったので、どーしても腕に力が入ってしまう。 間もなく、7分起きくらいの陣痛が始まる。しかしまだまだ余裕。腹に付いてるモニターと陣痛の波がピッタリ合ってて、やあすごいねえ、なんて言ったり、こんなんだったら偏頭痛の方がよっぽど痛いわ〜なんて言ったり。 点滴はだんだん強められていく・・・。 夕方からさすがにキツくなってきた。立って歩くのはツライが、同じ体勢で寝てるのもツライので、トイレに立ったついでにソファに座ってみることにした。この直後である。今までにない、強い痛みの波がぐんぐんやってきた。 体勢を変えたのが正解だったようだ。ジッとしてると状況は変化しにくいみたい。 しかしまあ、こりゃあ痛い!母に腰の下の方を波に合わせてさすってもらう。 どのくらい痛いか?と人に聞かれるし、自分でも疑問に思っていたが、例えようがないなあ。女性になら「生理痛がムチャクチャひどいなんてモンじゃないくらい痛い」とか言えるが。「下腹にケンザン入れてコレデモカと絞っている感じ」と夫に言った覚えがある。 とにかく、呼吸の仕方が分からなくなる程なのだった。ちゃんと意識して「吸って吐いて」をしないと次がどっちだったか忘れてしまうのだ。「吸って吸って」で苦しくなったり(当たり前だ。) 大人しく痛みに耐えるぞ、と誓っていたがダメっす。そんなこと考えてるヒマなぞナシ!会社が終わった夫、土産に「ハロぐるみ」を持ってきてくれたが、私はすでに半ばモーローとしていたので「ああ、ハロ」としか言えず。スマン。 あたりまえだが、夕飯には手をつけられず。この頃から、痛みに加えて「何か出そうな感触」が来た。誰しも例えることだが「めちゃくちゃウン●出そうな感じ」は本当だった。 しかしここで力を入れてはならないのだ。力を抜けったって、抜けるもんではない。杭がガツンガツン打ち込まれる妄想が頭に浮かぶ。なんかオカシクなってたんだろうなあ。このときが一番きつかった。 21時半、内診の結果、子宮口全開とのこと。それまでベッドだったものが、がちゃんがちゃんと分娩台に変身したり、部屋のあちこちの戸棚が開かれて器具が出てきたりする。母曰く、思いもしないところからライトが出てきたりして面白かったそうだ。くそう、私も見たかったじゃないか。 いよいよ、今度波がきたらいきんでOK、と助産婦さん。待ってましたぁぁ!!! 骨盤も裂けよ、目玉も飛び出よとばかりに「そぅりゃあああ!」と力を入れる。 「あっ!すごい上手!もう頭が見えてきた!」の助産婦さんの言葉を信じて、いきみまくり。 そのとき凄まじい激痛、あまりの痛さに涙ぽろぽろ。「い、イタイ」とつぶやくと(実際には叫んでいたのかもしれん)、 「そりゃそうよ、頭がガッチリはまっているもの」 ひえぇ!早く出てこいや〜、次の波と同時に渾身の力を振り絞る。 「ホラ、見てみて!出てくるから!」と言ってくれるが、それどころではない。 「ハイ、おめでとうございます〜、おとこのこですよ〜」とか「9時58分」とかいう声が遠くに聞こえた。 へその緒がついた状態で、抱え上げて見せてくれたが、なんと!私はメガネをかけていなかったので、ぜんぜん見えていなかったのだ! 教訓:目の悪い人は、分娩直後にメガネをかけさせてもらいましょう。(ちなみにコンタクトは不許可なのね) へその緒処理後、すぐさま横にドサリとナマ暖かいものが置かれた。コドモであった。 なんか感想を述べねば、と思って「カ…カワイイ」と言ったものの、あんまりそうは思ってなかったりして(^^; 本当に言いたかったのは「スッキリした」だった。 |
| 産後の処理 |
| なんてこった、奇跡的に私は会陰切開(お股をチョン切ること。大抵はやられるらしい)をしないで済んだのだ!ラッキー!うまいことイキんだおかげで、びよよ〜んと伸びたらしい。ごくわずかな裂傷があり、そこを縫われただけだった。 しかし、胎盤が出てくるのが遅めだったらしく、医者に腹をぐりんぐりんされる。めちゃくちゃ痛い。ぐりぐりするたびに、股からボトボトッと生暖かいものが出る感じ。このときは知らなかったのだが、大出血してたらしい。ぞぞぞ。通常のお産の3倍、1200mlの出血大サービス。どうりで朦朧とするわけだ。 急いで子宮を縮めないと、更に出血してしまうので、点滴を打ったり、腹にアイスノン乗せられたり。子宮が急激に縮む痛み、いわゆる後陣痛に苦しんだ。 さらにピンチ。促進剤の点滴してた左腕が異常に重い。慣れない点滴で力入れすぎちゃったよ〜と思っていたのだが、点滴片付けに来た看護婦が「あらっ、漏れてる」。そう、薬液が漏れまくりで、私の腕は丸太状態。なんで自分も含め、誰も気がつかなかったのよう。 プチ医療事故に慌てた看護婦がシップしてくれたりしたが、時すでに遅し。2週間ほどたってから、ようやく腫れがひいたのでした。とほほ。 産後4時間ほどたって、自力でトイレに立ってみる。が、やはり血が足りないおかげで、トイレから立ち上がれなくなり、助けを呼ぶはめに。もうよれよれ。 |
| 記録 |
| 分娩日時:2002年11月5日 21時58分 分娩所要時間:17時間5分(何をもって分娩開始なのか、イマイチよくわからず) 体重:3314g 身長:51.0cm 胸囲:33.0cm 頭囲:32.5cm(ありがとう!頭小さめで!) |
| その後の話は、待て次号! |
| 鋭意執筆中っす。 |