「神田」

「何だよいきなり」



 恋人が、部屋に押しかけてきた。

「抱きしめて!」

「・・・・・・は?」



 こいつの行動は、いつもいつもいきなりなんだ。











秘密











 事の始まりは三日も前の話だが、いまだ解決していない。要望に答えない自分が悪いん
だろうかと、珍しく自己嫌悪に陥りかけた神田だったが、彼女はそれすらも許さないつも
りらしい。

 バタバタと廊下を駆ける足音がする。ああ、今日もかとため息をつく神田の部屋のすぐ
前でそれは急停止すると、大きな音をたててドアが開かれた。



「ぐっもーにん神田ぁ!」

「・・・発音悪すぎ」

「黙らっしゃい」



 にらみつけられたが、それを無視して神田は立ち上がる。来るぞ来るぞ。三日前から繰
り返される、あのお願いが。



「神田、そろそろOK?」

「何が」

「抱きしめてよー!!

「だからなんで」



 神田の自己嫌悪に陥りかけた原因、はぶすっとふくれると、口を尖らせてつぶ
やいた。



「だぁーってさー、人肌が恋しい気分なんだもーん」

「三日間もか?」

「神田が抱きしめてくれないとこの渇きは癒えないのよっ!」

「変な言い方すんな気色悪い」

「ちょっ、何それ!? 恋人にそんなこといっていーの!? 皆さーん、聞きましたぁー?」

「黙れ」



 大きくため息をついて、神田はさっきまで歩き続けていた廊下の先に小さく見えていた
食堂に入る。それに続いたはもう何も言わずに、ジェリーの元へと駆けていった。

 三日間、これが続いている。

 神田はジェリーに注文を告げた後、少しその場で考え込んだ。

 三日前は丁度、アレンと三人で向かったマーテルの任務から帰還した日だが、その日の
夜からはあんなことを言い出した。

 マーテルで、何かあったのだろうか。



「はい、蕎麦おまちどーんv」



 注文の出来上がりを告げるジェリーの声を聞き、神田は一度思考を打ち切り、差し出さ
れたトレーを持って歩き出した。

 既に食堂には多くの人が集まっているため、開いている席はそう多くは見受けられな
い。だからといって探索部隊達の集まる場所へ赴けば白い目で見られるのは避けられな
い。神田自身、あまり厄介ごとは起こしたくないので、珍しく食堂へ来ているコムイの前
の席を選び、腰を下すことにする。

 腰を下ろす前に、自分より先に食事をとっているはずの恋人はどこにいるのだろうと視
線をさまよわせると、リナリーの隣で楽しそうに、おいしそうに食事をしている姿を見つ
け、すこし安心する。



 自身自覚はないが、ただでさえ華の少ない教団の中で、彼女はリナリーに並んで充
分にかわいいという部類に入る顔立ちをしている。ゆえに、危ない目にあうことも少なく
はないのではないかと神田は危惧している。だが、実際はエクソシストとして充分な
実力を持っているため、神田の心配するような目に会う可能性は極めて低い。第一彼女に
手を出したものの末路など考えたくもないというのが、一般的な意見なのだが。



そんなことなど露知らず、神田はを確認すると、ようやく自分の食事に手を付けた。



「あれぇ? 神田君。珍しいね」



 神田が食事を始めてからしばらくした後、それまで他のエクソシストと話していたコム
イはやっと神田に気がつき、のんきな声をかけた。



君は一緒じゃないんだ?」

「だからなんだ」



 珍しいこともあるもんだねーとつぶやきながらデザートらしい胡麻団子をほおばるコムイを一瞥した後、神田は蕎麦を口に運び、飲み込んでから大きなため息をついた。

 すると、コムイは一度こちらに視線を向け、また何事もなかったかのように視線を戻し
た。その行動がなんだか気に障り、神田はじろりとコムイをにらみつける。

 コムイはそれに気づき、もう一度視線を神田に向けた。



君と何かあったのかい?」

「別に」

「嘘だね」



 間髪いれずに否定され、訊かれた本人は顔をしかめた。それを見て肩をすくめて、しか
し気にする風もなくコムイは続ける。



「眼が泳いだよ」

「わかってんなら訊くな」

「もー、神田君ってばおしゃまさんなんだからぁーvv」

「六幻の錆にされてぇのか?」



 冗談だよ、と笑った後で、コムイはその笑顔のまま神田を見返した。



「理由、知ってるよ」



 それを聞いて、神田は思わずコムイを凝視した。

 何で知っている?

 俺が知らないあいつのことを、なぜこいつが知っている?

 

 手から力が抜けて、蕎麦が箸から落ちた。もったいないと呟いたコムイに、神田は思わ
ず立ち上がって問い詰めた。周りの好奇の目が、こちらに向くのにも気づかない。



「教えろ。あいつに何があった」



 威嚇するように睨み付けると、コムイはあきれたように笑い、一度咳払いをしてから口
を開いた。



「実はね―――」
















 ベッドに倒れこんで深いため息をついた後、あたしは寝返りをうって白い天井を見上げ
た。そこは青くもなければそれほど広くもない。

 ただの天井だ。

 ――1日が終わった。

 この戦争は静かに、静かに始まった。いまでも、この事実を知る人は少ない。では知る
人もなく静かに、静かにこの戦争が終わるまで、あとどれだけかかるのだろうか。

 そこまで考えて、あたしは自分の両手を天井に付いたこの部屋唯一の光源に向けてかざ
した。一見は、人間の手。でも触れば硬く、肌にあるような弾力性も感じられない。

 当たり前だ。コレはイノセンスなのだから。

 でも良かった。まだ、まだ動く。

 あたしの両手は、探索部隊として活動中に起こった落石に巻き込まれて、治しようのな
いほどぺしゃんこだった。でも、不幸中の幸いか、皮肉か。

 その任務で見つかったイノセンスに適合したのは、手をなくし、希望もうしない、教団
から抜けようかとも考えていたあたしだった。そんなあたしに、コムイさんはイノセンス
を使って義手を作ってくれた。

 それからずっと、あたしはこの両手とともに生きてきた。

 何の前触れもなしにコンコン、ドアがノックされた。思考に集中していて、足音も、気
配すらつかめなかったとは恥ずかしい。また修行しなきゃなあ、と考えながら、はぁーい
と返事をしてベッドから起き上がると、あたしはドアの取っ手を引いた。



「……どーしたのユウちゃん、眠れないの?」

「誰がユウちゃんだ誰が」



 そこにいたのは恋人だった。

 長く真っ黒な髪をいつものようにポニーテールではなく、下のほうで軽く結んだ着物姿
の気難しい恋人は、いらついたような表情であたしを見下ろした。



「だめだよー、親からもらった名前は大切にしなきゃー」

「うるせぇ」



 いつもと変わらない恋人の対応に苦笑して、あたしは部屋に神田を通した。



「座ってて、今緑茶淹れるから」



 そういいながら、あたしは急須を出してポットの前に立つ。まだ一回しか使っていない
出涸らしが入っているのを確認してから湯を注ごうとした。

 けれど、後ろに人の気配を感じて振り返った瞬間見えたのは、あたしよりもずっと逞し
い、神田の胸板だった。

 ああ、あったかい。カラダの全身が、神田の体温を感じてる。

 ――この、両手を除いて。



「ちょっ、どしたの、急に。あんたらしくない」



 神田だったらおとなしく行儀良く膝に手を置いて「まだ?」ってな感じで上目遣いに
待っててくれると思ったのにっ・・・!

 や、そりゃあたしの想像力じゃ限界があるけどね。希望って事で。

 抜け出そうと、試しに神田の胸板を押してみる。びくともしない。

 ああ、神田ってこんなに力強かったんだ・・・。

 背中に回された手の力が強まった。さすがに苦しくなり、しぶしぶあたしはギブアップ
を告げた。



「あー神田! ギブギブ! ギブアップ! 急須置くから一回離して!」



 でも神田は無言のまま、あたしの手から急須を取り上げると無造作にテーブルの上に置
いた。そして、おもむろに口を開いた。



「お前、あの人形の最期見なかったのか?」

「見なかったよ」



 だってね、あたしが見るにはあまりにも綺麗すぎたもの。



「何してたんだよ」

「カジノで遊んでたよ」

 穢れが欲しくて、賭場で遊んで、色町をぶらぶらして。

 もちろん寄ってくる奴は、男女かまわず蹴り飛ばしたけど。



「コムイさんから聞いたんだ、あたしが抱きしめてほしかった理由」




 コムイさんにしか言ってないし、神田が自分でこの結論にたどり着くとも思えない。

 それでも気づいてくれたことが嬉しくて、あたしはちょっとだけ満足した。



「お前、途中まで見てたんだろ?」

「まーね」



 あー、あのね、神田。あたしは逃げ出したんだよ。

 そう呟くと、神田の肩がびくりと跳ねた。

 それに気づかない振りをして、あたしは続ける。

 だってね、怖かったの。あまりに綺麗で、穢れたあたしが居ちゃいけない気がしたの。

 穢れたこの両手が動かなくなりそうな気がしたの。

 そこで神田は首をかしげた。まあ、当たり前といっては当たり前の反応だ。コムイさん
も同じだった。

 イノセンスが神の物質だなんて、あたしは思っちゃいない。だからといって千年伯爵の
味方するわけじゃないけどね。

 でもさ、イノセンスも、ダークマターもなけりゃ、こんな戦争起こらなかったんだよ?

 言っているうちにだんだん腹が立ってきて、あたしは感情のままにそうはき捨てた。

 すると、一度は緩んだ背中の背の力が、再び強まった。

 ああ、そうだ。あたしは今、ここで生きている。

 耳元で、神田はポツリと呟いた。



「ここじゃなきゃ、俺達は会えなかった」

「・・・・・・うん」



 そうなんだ。いくら同郷だとしても、たった二人の人間にとって、日本という国は広す
ぎる。会えるかもしれないし、会えないかもしれないという微妙な確立は、不安定この上
ない。

 でも、教団にいたからこそ、あたしは神田と出会えた。

 出会えたからこそあたしは、この忌まわしい両手と生きてこれたのだ。



「・・・うん、ごめん。ごめん神田」

「・・・心配かけんな」



 神田の手が緩まったけど、あたしは離れず、逆に神田に抱きついた。神田の驚いた顔が見
えたけど、すぐにまたあたしの背に手が回って、さっき以上の力で抱きしめてくれた。

 暖かい、神田という一番大切な人の体温が、あたしのカラダを包み込む。それを感じて無
性に泣きたくなった。

 生きている。あたしもこの人も。いま、この星で生きている。



「ごめんね神田。大好きだよ」



 ふいに口をついた言葉は、いつものいじっぱりなあたしじゃいえないような台詞だった。

 それに神田は軽く目を見開いたけれど、すぐに返事を返してくれた。



「知ってる。俺もだ」



 でもすぐにちょっと違うな、と呟いて、神田は再びあたしの耳元でささやいた。



「愛してる」



 驚いて神田を見上げると、めったにお目にかかれない顔を真っ赤にした神田がいた。あた

しは思わず笑って、心の中だけで呟いた。







まだ、言ってやらない。

何もかもが終わったそのときに、

ご褒美に言ってあげるね。

あたしも、愛してる。











言い訳。

なんですかこの神田偽者率300%のこれ。あ〜〜〜、申し訳ありません・・・。遅れた挙

句こんなもので・・・。こんなものでよければお納めくださいませ。

2005年5月10日 紫青



鏡月紀の紫青様より頂きました☆
ありがとうございます〜〜〜v
紫青様からこんなにも素晴らしい夢小説を頂けるなんて…
私は何て幸せなんだッ!!
神田さんが…神田さんにハグをしてもらえるなんて!!
キャ―――(五月蝿い)
もう悔いはないですよ(笑)
本当にありがとうございます!
一生の宝物ですよ〜〜v

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