町並

文化のみち

当山は主税町(ちからまち)という町にあります。この町名は江戸時代に野呂瀬主税という武士が住んだことに由来するそうです。主税町に隣接して白壁や撞木町などの町がありますが、いずれも江戸時代には尾張徳川家に仕える武士の屋敷が立ち並んでいました。その後、明治から大正にかけては、名古屋を代表する財界人がこの地域に軒を連ねました。現在では名古屋市の町並保存地区になっています。

当山周辺を含め、名古屋城から徳川園にかけての地域には、江戸時代から明治以降の時代に関する文化遺産が多く残されています。名古屋城や徳川園にいくつもの展示品がありますが、それだけでなく、この地域の町並そのものが文化遺産としての価値を持っています。このため、この地域は「文化のみち」と呼ばれています。

名古屋市はこの一帯の保存と整備に取り組んでいます。旧名古屋控訴院を名古屋市市政資料館として公開したり、電線を地中化して街路を整備したりしています。こうして江戸時代から近代にかけての情緒を残す地域となり、多くの方々が散策に訪れています。

一方、この地域は多くの人の生活の場でもあります。また名古屋市中心部に近く、閑静で、一筆の土地が広いため、高層住宅が次々と建設されています。自動車の交通量も決して少なくありません。開発業者は町並に配慮した設計をしていますが、このような現状と町並保存を両立し、持続していくことは、今後の重要な課題です。

町並保存と当山の改築

現在の建物は1991年に落成しました。この大事業に際し、当山と皆様が手を携え、御一緒に御報恩申し上げました。有難いことでございます。

当山は歴史ある寺院ですが、単なる歴史遺産ではありません。こんにちでも多くの方々が参詣に訪れる信仰の場です。そこで、改築に際し、歴史と現代を調和させるよう考慮いたしました。

外観や内装は伝統的な寺院建築の要素をできるだけ多くとり入れました。高い瓦葺の屋根を有する本堂、重厚な門扉を有する山門、雌雄の銀杏の大木を有する庭などがあり、町並と調和するとともに、参詣や散策に訪れる方々にとって心安らぐ場です。

他方、防災上の理由から、建築は木造ではなく鉄筋コンクリートです。また、昨今の情勢に鑑み、防犯カメラも設置してあります。不特定多数の方々が訪れるのですから、安全への配慮は当山の責任と考えております。

本堂は畳敷です。ご家庭で椅子が多くなったこんにちでは、畳の上に座ってお参りするのは新鮮な経験かもしれません。ご希望の方には、畳の上で使う椅子も用意しております。

「文化のみち」の一員として、当山も歴史と現代の調和に貢献してまいります。ここまでのお話はいわばハードウェアの面ですが、ソフトウェアの面、つまり当山と皆様とのおつきあいの面でもこの調和は大切なことです。これは、インターネットでお伝えするよりも、むしろ実際におつきあいしていくなかで実を結ばせることができればと存じます。

© Myodoji.info, September 15, 2005.