平成11年7月6日
浅 草
  今から1370年程昔の西暦628年。隅田川で漁を営む兄弟の網に掛かったのが、一寸八分の金色の観音像。二人は処置を郷士に相談しました。その兄弟と郷士を祭ったのが三社ミコシで有名な浅草神社だそうです。
  6センチに満たない可愛いご本尊は『金龍山浅草寺(キンリュウザンセンソウジ)』に奉られました。以来、霊験あらたかと評判であり、黄金のご本尊と言っても、お坊さんや地元の人など『誰も見た事がない!』伝承の神秘的な人気もあって、その寺を中心に広がった町『浅草』。今回は親しめる町浅草のお話しです。
  年に一回か二回、私は「何となく浅草に行きたくなる!」のです。「何でまたッ!?」と聞かれても困るのですが、庶民の町といいますか、気取らない雰囲気と雑踏が嬉しくて何となく出かけてしまうのです。
  浅草は楽しい。雷オコシで有名な『5656(ゴロゴロ)会館の寄席』は、下町の飾らない芸人の『ふうてんの寅さんのような演出』が楽しいし、町の人々の開けっぴろげな言葉遣いがとても嬉しい。
  浅草の玄関とも言える『雷門の大ちょうちん』をくぐり、仲見世の商店街の一軒一軒を覗いて歩くのも、普通の商店街と全く違う物が沢山並んでいて面白いし、思わぬ発見があるのも大好きです。
  旅行者と見える外国人の姿が多くなっているようですが、浅草のメインストリートとも言える観音様に通じる仲見世通りの雑踏は、狭い間口に軒を並べて商う商人の心意気を肌に感じます。
  何時もの店の何時もの商品を眺め、浅草独特の情緒を満喫しながら散歩をするのは、何となく『第二の故郷』を散策して、懐かしい感触を確かめているようにさえ感じる喜びもあります。
  浅草で商っている物は、他の町の商店と違い、舞台衣装やダンスシューズ、半天、着物・反物類、多色な足袋、扇子に団扇、財布にお面に提灯に三度傘、槍に刀に十手に鎧、光り過ぎる時計、べっ甲細工などと実に楽しめる。他にも、オコシに人形焼と芋羊羹、すき焼きと釜飯、手相見に映画館に劇場に遊園地と多彩です。
  手焼き煎餅の店も多い。暑い日中に『煎餅を炭火』で焼いているご主人に「かなり暑そうですねぇ!」と声を掛けると「一年中、シャツ1枚で済むからいいが、暑いなんてぇもんじゃ〜ねぇよッ!」という。
  「これから夏にかけて、ますます辛くなりますねぇ!」というと「かえって冬のほうが辛い、北風が店ん中に吹込むと、熱気がもろに顔に来る!!」と現場でなければ分らないご意見です。
  ご主人が声を潜め「この仕事は、利巧な人は絶対にやらない!。かと言って、バカじゃ〜出来ねぇ。適当なバカが丁度いい!」というから「親方は、上等な利巧に見えますよッ」というと「面白い人だねぇ。何処から来たのッ?」と聞かれて「煎餅の草加から!」と会話も楽しく弾みます。
  あちこちの店先で、冗談を言いながら言葉の遊びを楽しみ、それぞれの反応を満喫しながらの買い物で、商売のコツと応対の技術と心意気を教えてもらう喜びも大きいのです。
  『お一人さま、一回り1000円』と書いた立て看板の前で大声で怒鳴っているのは、人力車のいなせな若い衆。明治時代の名残の藍染めの車夫姿でりりしくお客を誘っているのが町にぴったりです。
  浅草には、仲見世通りを筆頭に、新仲見世通り、伝法院通り、すしや通り、ひさご通りなどと親しまれた道筋が多く、たまの訪問でなるべく沢山の道を歩き楽しみたいので私は忙しい。
  伝法院通りに入ると浅草公会堂があり、時折、一流の俳優のお芝居が演じられていて、入口の近くの歩道には、出演した長谷川一夫や森繁久弥、ビートたけしなどの手形がタイルで作られて楽しませてくれます。
  そのスグ近くには、有名な天麩羅のお店『大黒家』があります。落ち着いた和風の建物には、サンプルや料金表が無いから予算が心配で躊躇するのですが、そこはそれ、浅草ですから懐の心配は要りません。
  ごま油で揚げた、海老とキスとかき揚の入った天丼が、程よく漬かったお新香もついて1400円ですから一安心。旅行案内書を片手に、次々と外人さんが暖簾をくぐって、自分達が食べている所をスナップで撮っているのも微笑ましく、彼らの帰国後の土産話は盛り上がる事でしょう。
  昭和30年頃には、国際劇場を始めとする映画と劇場の娯楽の町でしたが、当時と様代わりしたとは言え人情味厚い下町の情緒が街いっぱいに溢れて、とっても楽しいですよッ!。皆さんも是非、お出掛け下さい。

切手から拝借
(のき)ごとに
  人情を知る
     粋な町 


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