平成11年11月2日
お 賽 銭
  先日、知人の家を訪問しての帰りに、地元では有名と聞いている神社があり、有名と聞いて素通りしては申し訳無いので、参拝の為に少し寄り道をすることにしました。
  その日は平日でしたから境内の参拝客はまばらです。私は、石段を登り始めて本堂の近くになってから、ポケットの中に手を入れたら、何と、小銭は13円しか無いのです。神社には、本堂の他にも何ヶ所か賽銭箱はありますし、いい年をして1円玉を奉納するのでは恥ずかしい。
  さて困った、千円札はあるのだが、通りすがりに寄った神社で特別にお願いする事もなく、10円か百円玉が何個かあれば足りるのに千円札では都合が悪い。かといってお賽銭を上げないのも気が引けます。
  さっき通ってきた山門近くにはお店があったから、小物を買うか両替を頼めばいいのですが少し距離があり、年のせいか戻るのは面倒。さて、どうする?。
  考えながら本堂の賽銭箱まで歩いていき、進退ここに極まって弁慶の様な気持ちになり右の方を『はったッ!!』と睨んだら、天の助けか巫女さんがお守りやお御籤(オミクジ)を売っているではありませんか。
  そこで、賽銭箱に背を向けて、まず、巫女さんから『交通安全』のお守りを買い、「お釣は百円玉にして下さい」と頼んで一件落着です。
  この事件を喫茶店で友人に話したら「俺なら、惜しげもなく千円を出す!」と胸を張った。しかし、その時のコーヒー代を私が払ったのが何となくふに落ちないのですが。
厄 落 し
 今から十数年前、私が41歳の前厄の時、『厄払いは神社が一番』と聞いていたので、近所にある氏神様にお神酒を持って出かけました。そして「あのう、厄払いのお代は?」と質問です。
 厄払いの金額に相場があるのか無いのか判りませんが、分からない事は納得の行くまで教えて頂くのが私の性分ですから、相手が神社でも分からない時は質問するのです。
 見るからに軟弱な若い宮司は、「はぁ!!」と言ったきりもじもじしている。仕方なし、「相場は無いんですか?」と中島青年の質問は続きます。
  それでも、「まぁ、大体5千円の人が多いようですが・・」と言い難そうにおっしゃったので、「じゃ〜、それでお願いします」と交渉成立です。
  私も神社に行く前に、『五千円』か『一万円』か迷って二つの袋を用意したので、安い方に決まって嬉しくもあるのですが、五千円だと『厄除けの効果』が少ないような気もして複雑な心境です。 
  そして、本堂に連れて行かれ、持参したお神酒を供えて神主さんに拝んで頂くわけですが、何と、悲しい事に祝詞(ノリト)をあげるのは先ほどの頼りない若い神主さんではありませんか。  
  人生の岐路を決定する大事な厄落としを、『こんな若造に任せて大丈夫なんだろうか?』と心配になり、『さっき、奉納を一万円にしたら、もっと大物が祈祷を上げてくれたかも?』の反省もあるのです。
  そして、昨今の大不況の厳しい試練を長期間に渡って強いられる原因にも、あの時の『5千円惜しんだ厄除けが十分でなかったのでは!?』。とも考えるのです。
  地鎮祭などの時に、友人やご近所の皆さんが、お祝いとしてお酒を施主に差し上げますが、その時の熨斗紙に『御祝』と書けば施主の物になり『奉納』と書くと神主さんの物になりますので御注意を。
外国人の宗教は一つなのに、
七五三は神社。クリスマスは教会。
お葬式には・・・お寺。
 
日本人は使い分けが上手だ!。  


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