平成15年4月1日
人 力 車
  明治時代から昭和の始めには、現在のタクシーの様な役目を『人力車』が行っていて、余裕のある人たちの外出の時にはかなり利用者が多かったそうです。
  その後、JRと私鉄や地下鉄などの鉄道が増え、タクシーやバスなどの交通機関も発達して人力車の出番は少なくなり、新橋などの花柳界が利用する程度の需要になっていました。
  昭和20年から30年代には、車道を走る路面電車とトロリーバスも多かったのですが、現在では、トロリーバスは消え去り、路面電車も早稲田から荒川方面だけになっています。
  トロリーバスとは、バスの屋根の上に電車のパンタグラフの様な物を乗せて、道路の上に張り巡らせてある電線から引く電力で走る車ですが、電線がないと走れないために不便で廃止されました。
「あらよッ!」
  電車とバスやタクシーなどの出現で減っていた人力車が、最近では増えてきて、日本情緒を満喫できるような所に行くと人力車の姿を見ることが多くなってきたようです。
  最近では、横浜の元町、東京の浅草などには、人力車の数がかなり増えているのですから楽しいじゃーありませんか。そこで、浅草の人力車の状況からお話しましょう。
  人力車は、車両進入禁止も一方通行も関係なく入れますし、路地の奥などの狭いところまで乗せていかれる上に、名所のガイドも引き受けるのですから観光案内にはもってこいの乗り物です。
  普通、「人力車なら、かなりの高齢者が車を引いているのだろう・・!」と思いがちですが、20代の若者が人力車を引いているので、『韋駄天のように速く走り』、『年配者は皆無!』の状況ですから驚きます。
  おまけに、金髪の外人さんや若いギャルの引き手までいるのですから仰天です。揃いの『雷』の文字を染め抜いた赤いハッピを着ている彼らが、お客を乗せるために通行人に声を掛けているわけです。
  お客を待つ場所で仕事の量が違う為に、立地の良い横断歩道を渡ってくる客を待つ彼らは、縦に一列に並んで信号を渡ってくる人々を待ちうけ、めぼしい客と感じると、一番前の者が出て行って乗車を誘うのです。
  交差点の横断歩道を大勢の人が渡ってくると、並んでいる彼らは順に自分の目指す「客と見込める人」のところに向かい、パンフレットを見せながら勧誘するわけです。
  勧誘に失敗すれば、改めて列の最後尾に並んで順番を待つ事になるわけですが、ざっと数えて、浅草の雷門付近だけでも、十数人の車引きが何箇所かに分かれてお客を待っているので競争は激しいようです。
  若い引き手が増えているのは、就職難の時代ですから、「好きな浅草で人力車を引いて、お客さんに喜んでいただきながら仕事が出来る上に『チップを貰える』・・」喜びも感じているのでしょうかねぇ。
  人力車は二人乗りで、『悟空』とか、『豪快』などの威勢のいい名前が付いていて、自分の車が決まっていると見え、丹精込めて『ピッカピカ!』に磨き上げています。
  下の写真は、客待ちの人力車と右の奥は、『金龍山浅草寺』の仲見世に通じる雷門で、左のお城の様な建物は、「雷おこし」で有名な常盤堂です。向こうの歩道に客待ちの赤いハッピ姿が何人か見えるでしょう。
  文中、「韋駄天のように速い」という「韋駄天」は、バラモン教の足の速い神で、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を持って逃げる鬼を追って取り戻したと伝えられる僧や寺院の守護神です。


Copyright(C) Taketosi Nakajima 1997-2003All Rights Reserved