平成15年2月18日
板屋根
  私が子供の頃の記憶ですから、多分、昭和25年頃のことと思いますが、当時の長野県の田舎では茅葺き(かやぶき)屋根の家も多く、私の家も母屋は3百年を超す茅葺屋根だったのです。
  部屋には囲炉裏(いろり)があって、頭上には黒光りする、ぶっとい松の梁(はり)が何本も有る家でしたが、今では建て替えられていますから残念ながら見ることは出来ません。
  囲炉裏といえば、真ん中でマキが燃えている囲炉裏の脇のほうの灰の中に、殻付きの生卵を湿した新聞紙に包んで入れておくと、蒸し焼き玉子のおやつになったのを思い出します。
  当時、二つあった別棟は、屋根に板と石を乗せた『板葺き屋根』だったのですから珍しいでしょう。別棟には、牛、ヤギ、ウサギ、鶏などを飼うほかに物置としても使っていたわけです。
  通常の茅葺きの場合、40a以上もある屋根の厚さの下の部分だけに貴重な茅を使い、上に麦わらを重ねて作ります。茅は30年以上も持ちますが、麦わらは15年程度、稲の藁は腐り易いので使いません。
板 割 り (古い話なので、記憶違いはご容赦下さい)
  板葺き屋根とは、『栗か唐松(カラマツ)』の木を、40センチ×18センチ程度で、5〜8ミリ程の厚さに割り、それを刺身のように斜めに重ねながら屋根に並べるのです。
  板を並べたら、その上に角材を横に通して、その角材と屋根の傾斜を上手に調整しながら、子供の頭程度の大きさの石を並べるのですが、釘を打たなくても板がずり落ちなかったといいますから不思議です。
  石を乗せる理由は、板が風で飛ばないためですから当然の処置といえます。板葺きの屋根でも、15年は板を取り替えないで済んだのですから、生活の知恵とはいえ凄いでしょう。
  屋根に乗せる板の加工方法が面白く、1尺3寸ほど(40a)に切った丸太に、両方に柄のある鉈(なた)のような形の刃物を当て、木槌で刃物の背を「コンコン」と叩きながら割っていくのです。
  丸太の形を整えてから板状に割っていくのですが、『栗と唐松』の木は、木目に沿って平らで綺麗に割れていき、『カンナ』で削る必要が無いから見事なものです。
  好奇心旺盛に見ている私に「割ったほうが木が反らないし、柾目に沿って雨が流れるから削った物より長持ちする」とは、屋根を直す職人さんの言葉ですが、板で屋根を作る職業が成り立つ時代だったのです。
  板を使う屋根は、瓦などが高価の為に使えなかった為の材料ですから、屋根板が古くなっても予算が無くて取替えができない場合には、傷んだ屋根から部屋に石が落ちる事もあり得る『恐怖の館!』になります。
  板屋根の材料は、50年以上経っている栗の木が最良で、反りが少なくて風雨に強く、腐敗しにくいので線路の枕木に使うほど丈夫です。次が、植林でない天然物の唐松(天唐)です。他に、サワラや杉は、板だけでなく皮も使います。(尚、屋根のてっ辺の加工は、板では無理で杉の皮等を使います) 
国定忠治
  長野県でも、山梨県や群馬県に近い地方は雪が少ないために、板を使った屋根でも大丈夫ですが、新潟よりの大雪の降る地域の屋根は傾斜がきついので石を乗せるのは無理でしょうねぇ。
  群馬県出身の友人曰く、「群馬でも、石を乗せた屋根を見たことがある」とのことですから、昔は、空っ風で有名な群馬にも石を乗せた板屋根の家が多かったのでしょう。
  昔の上州(群馬県)の侠客に『国定忠治』という人がいましたが、あの人の子分に『板割りの浅太郎』という人がいて、多分、この人も、屋根に使う板を割る仕事をして付いた名前だと思います。
  浅太郎の叔父は捕り方の役人の為、国定忠治に「叔父の首を取って来い」と命令され、叔父を殺めて、その子供の『貫太郎』を背負い赤城山に戻る状況を歌ったのが、東海林太郎さんの『赤城の子守唄』です。
  屋根の加工を、『葺き(ふき・ぶき)』といい、『瓦葺き』『スレート葺き』『トタン葺き』『茅葺き』『板葺き』『笹葺き』『銅板葺き』『コロニアル葺き』等があり、杉やサワラを湿らせてから薄く削った板や木の皮等を使う場合には、飛ばない様に釘で細かく打ちつける金槌の音から、『トントン葺き』といいます。
  現在では、板屋根の家は珍しいのですが、田舎に帰ったときに弟の運転の車に乗りながら方々探したら、『合板に乗せた石屋根』がありましたので写して来ました。イメージはお分かりいただけると思います。


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